7 この町での、守ること
朝は、思ったより静かだった。
宿の廊下を歩く足音と、
どこかで聞こえる食器の音。
窓を開けると、
市場のほうから人の声が流れてくる。
(……今日も、普通だ)
それが、少し安心する。
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洗濯は宿の裏庭でする。
桶に水を張って、
服を浸して、
絞る。
単純な作業だけど、
手を動かしていると頭が空っぽになる。
隣では、
別の宿泊客が同じことをしていた。
「冒険者さん?」
声をかけられて、
少し驚く。
「はい。まだ新人ですけど」
「そう。
怪我しないようにね」
それだけ言って、
干した布を揺らして去っていった。
(……距離感、ちょうどいい)
踏み込まれない。
でも、冷たくもない。
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洗濯が終わったあとは、市場へ向かう。
道は覚え始めたけど、
まだ全部は分からない。
それでも、
迷うほどでもない。
「ミオ」
呼ばれて振り向くと、
昨日も見た八百屋の人だった。
「今日はリンゴ安いよ」
「じゃあ、二つください」
会話はそれだけ。
名前を覚えられているのが、
少し不思議で、少し嬉しい。
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市場は、賑やかすぎない。
売り声が飛び交っているけど、
怒鳴るような声はない。
「この町、長いんですか?」
魚屋のおじさんに聞いてみる。
「もう二十年だな」
「長いですね」
「長いけど、
変わらないからな」
そう言って笑った。
変わらない。
それは、
良いことなのか、
そうでもないのか。
今はまだ、
考えなくていい気がした。
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昼前、ギルドの前を通ると、
セラが外に出てきたところだった。
「あ、ミオさん」
「おはようございます」
「今日は依頼、受けますか?」
「いえ、今日は休みにしようかと」
「そうですか。
それも大事ですね」
業務連絡みたいな会話。
それなのに、
きちんと“顔見知り”として話している感じがする。
(……こういうの、悪くない)
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昼は、
適当にパンとスープで済ませる。
宿に戻って、
ベッドに腰掛ける。
何かをしなきゃ、という焦りはない。
強くならなきゃ、
目立たなきゃ、
何かを成し遂げなきゃ――
そういう圧力が、
この町にはあまりない。
(……向いてるかも)
ぼんやり、そう思う。
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夕方、
ギルド前でリナとすれ違った。
「あれ、今日は休み?」
「はい。
洗濯と買い物だけです」
「いいね。
そういう日も必要」
リナは笑って、
手を振る。
それだけ。
予定を詰められることも、
無理に誘われることもない。
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夜。
宿の部屋で、
今日一日を思い返す。
特別なことは、何もない。
怪我もしていない。
誰とも揉めていない。
困ることもなかった。
(……ちゃんと、
暮らしてるな)
転生してきた実感より、
生活している感覚のほうが強い。
「悪くない」
そう呟いて、
灯りを落とす。
この町での暮らしは、
だいたい、こんな感じだ。




