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極秘調書:冷遇令嬢の価値査定。評価『国家予算に匹敵』につき、これより愚かな家族への復讐と対象の完全保護へ移行する。

作者: 後堂 愛美ஐ

⏬後堂愛美の作品リストは本文下にあります。

『ベルクシュタイン案件』極秘調書


提出先:マルクス・フォン・ローゼンハイム会頭

担当調査官:フェリオ


《第一次報告書:潜入初日の所見》


本日、指定と差配通り、私フェリオは性別を偽り、執事としてベルクシュタイン伯爵邸に着任。ローゼンハイム会頭より拝命した特命「伯爵令嬢クラリスの価値査定および必要であれば保護」に基づき、初期調査を開始する。


【対象家族構成と所見】


当主、ベルクシュタイン伯爵:過去の栄光に固執。実務能力は皆無に等しく、財政状況の悪化を認識している様子すらない。見栄と浪費癖が顕著。


伯爵夫人:夫以上に虚栄心の塊。長女クラリスを疎み、次女エメリーを溺愛。その言動は感情的かつ短絡的。


次女、エメリー嬢:甘やかされ、自己中心的。姉の所有物を奪うことに執着するも、その本質的価値には無頓着。典型的な「欲しがり妹」の類型。


長女、クラリス嬢(主たる観察対象):一家の全ての雑務と理不尽を押し付けられている。表情は常に無感情を装い、家族からは「反応の鈍い愚鈍な娘」と認識されている模様。私見だが、これは高度な擬態である可能性を排除できない。


【財政状況】


屋敷の調度品は一見華美だが、その多くは既に借金の担保として差押え済み。使用人の数も最盛期の三分の一以下であり、残った者も給与遅配により仕事への意欲は低い。財政破綻は時間の問題と断定。


【初期評価】


ベルクシュタイン家を例えるならば、貴族としての体面のみで辛うじて維持されている腐朽した建築物である。観察対象であるクラリス嬢は、その瓦礫の中で静かに息を潜めている。現時点での価値査定は保留。引き続き監視を継続する。


《第二次報告書:搾取の構造》


着任三日目。クラリス嬢が自室で執筆していた論文を、妹エメリー嬢が発見。その論文は、ベルクシュタイン家が所有する領地内の地質を再調査し、未発見の鉱脈の可能性を指摘するという、高度に専門的な内容であった。


エメリー嬢は論文を一瞥するなり、「ちょうど父上に提出する良い研究を探していたの」と当然のように言い放ち、それを奪い取った。クラリス嬢は一言も発さず、抵抗の素振りすら見せなかった。


その後、エメリー嬢は論文を自身の成果として伯爵に提出。伯爵は内容を理解できぬまま「我が自慢の娘だ」とエメリー嬢を褒めそやし、新たなドレスを買い与えることを約束。一連の出来事を観察したが、クラリス嬢はただ黙々と、エメリー嬢が脱ぎ散らかしたドレスの後始末をしていた。


本報告書にはこう記す他ない。クラリス嬢、無抵抗。ただし、その瞳に諦観以外の色が宿る。その一瞬の煌めきは、燃え尽きる前の残光か、あるいは、着火を待つ火種か。正確な判断を下すには、今の少しの時間をいただきたい。


《第三次報告書:隠された慧眼》


先日、伯爵から古い鉱物標本の蒐集品を古物商に売却する仕事を任せられる。いずれも埃をかぶり、長年手入れを怠っていたため、素人目にはただの石ころにしか見えない代物だった。二束三文で買い叩かれることだろう。


そこへクラリス嬢が現れ、「それは、亡き祖父との思い出の品ですので」と静かに懇願。僅かな私財をはたき、それを買い戻した。伯爵は「そんなガラクタに」と嘲笑し、新たな酒瓶を開けていた。


クラリス嬢が自室で標本を丁寧に磨き始めたため、機を見て鑑定を申し出た。当職が持つ諜報員としての基礎教養には、簡易な鉱物鑑定も含まれる。


結果、驚愕の事実が判明した。その標本群は、極めて希少な魔力触媒鉱石「月長石(セレナイト)」の未加工原石であった。純度、大きさ共に最高級。市場の相場価格ならば、屋敷を建て直して、使用人への未払いの給金を清算してもお釣りがくる。


クラリス嬢は当職の驚きを一瞥し、「ええ、とても綺麗な石でしょう?」とだけ微笑んだ。その表情からは、価値を知っているのか、いないのか、判別不能。騎士団に所属していた頃、いくつもの潜入工作任務に就いていた私の読心眼をもってしても、本音を見通せぬ。これは驚愕に値する。


会頭への報告を更新。対象の専門知識、推定以上。意図的にその能力を隠匿している可能性、極めて濃厚。この令嬢は、明確な意図を持って、自らの価値を完璧に秘匿している。


《第四次報告書:誓約書の一条項》


ベルクシュタイン家の財政が、いよいよ最終局面を迎えた。唯一残された換金可能な資産は、南方に位置する古い鉱山の採掘権のみ。伯爵夫妻は、これを溺愛するエメリー嬢に相続させることを決定した。クラリス嬢は完全に排除される形だ。


相続手続きの日、公証人が立ち会う中、クラリス嬢は相続権放棄の誓約書に署名を求められた。家族は侮蔑の視線を隠そうともしない。しかし、クラリス嬢はペンを取る寸前、凛とした声で公証人に告げた。


「お願いがございます。この誓約書に、一条項だけ追記していただけないでしょうか」


彼女が要求した条項は、以下の通りである。


『当該権利の譲渡に伴い、関連する一切の債務及び将来的責任もエメリー・フォン・ベルクシュタインが継承するものとする』


伯爵は「何を今更。心配せずともお前に負債を押し付けたりはせぬわ」と高笑いし、エメリー嬢も「姉様は本当に物事が分かっていらっしゃらないのね」と憐れむように囁いた。家族は、これをクラリス嬢の無知ゆえの心配と断じ、嘲笑と共に承諾した。


条項が追記された誓約書に、クラリス嬢は迷いなく署名した。その横顔は、静かな満足感に満ちていた。


本報告書とは別に、直ちにマルクス会頭へ緊急の連絡を行う。


「第一計、成功。対象は想定以上の切れ者なり。計画の全貌、未だ不明なれど、極めて知的な意図に基づく行動と確信。指示を請う」


《第五次報告書:主の選択》


相続権放棄の署名を終えた翌日、クラリス嬢は小さな鞄一つで屋敷を去る準備を整えた。「相続する財産がない以上、この家に留まる理由もございません」と、彼女は伯爵夫妻に淡々と告げた。当主たちは「勝手にしろ」と吐き捨てるのみで、引き留める者は誰もいない。当職は、その場で伯爵に辞職を申し出た。


「お嬢様が辞められるのでしたら、私がここに残る意味はございません」


突然の申し出に伯爵は狼狽したが、引き留める術を持たなかった。その足で屋敷の門前でクラリス嬢に追いつき、跪いて言上した。


「クラリスお嬢様、当フェリオ、本日より貴女様個人の執事としてお仕えしたく存じます」


彼女は僅かに驚いた表情を見せたが、すぐに穏やかに頷いた。


「ええ、フェリオ。頼りにしています」


二人で向かったのは、マルクス会頭が事前に用意していた王都の街並みに紛れ込むように立地する隠れ家。商会の差配通り、生活必需品は過不足なく用意されている。ここが、我々の新たな拠点となる。ベルクシュタイン伯爵家という名の檻から、主は静かに解き放たれた。


追記:クラリス嬢に、なにか必要なものは無いか?と尋ねたところ、鉱物学と地質学を中心に数冊の学術書を所望された。目録を送る故、商会側にて用立てていただきたい。


《第六次報告書:真価の発露》


私の取次という建前のもと、クラリス嬢のローゼンハイム商会への初出仕の日。対面したマルクス会頭は、クラリス嬢の能力を試すべく、現在進行中の複数の鉱山開発計画書を彼女の前に並べた。


クラリス嬢は、分厚い資料の束を驚くべき速さでめくっていく。そして数分後、一枚の書類を指し示した。


「着手するならば、こちらでしょう。初期投資は嵩みますが、鉱脈の質、輸送路の確保、水利権の状況、全てにおいて危険性が最も低い。期待される見返りは、他案件の三倍以上と試算できます」


続けて、別の計画書を手に取り、淀みなく指摘を始めた。


「こちらの記録は、意図的に改竄されています。地質調査の報告を都合よく解釈し、埋蔵量を過剰に見積もっている。このままでは、投資額の回収すら不可能でしょう」


彼女の指摘は、いずれもマルクス会頭と彼の側近のみが把握していた、計画の核心部分そのものであった。会頭は満足げに頷き、その場でクラリス嬢を商会の最高顧問として迎える正式契約書を提示した。


観察対象の才能が、初めて正当な評価者の前で開花した瞬間である。


《第七次報告書:没落の序曲》


当職がベルクシュタイン家に残した情報源から、定期的に報告が届いている。口の固いメイドを数名、現地協力者として雇っておいた。以前よりクラリス嬢の冷遇に思うところがあったのだろう。幾ばくかの報酬と、今後のローゼンハイム商会での再雇用の口利きを約束したところ、快く応じてくれた。


エメリー嬢が相続した南方の鉱山は、案の定、杜撰な経営に陥っていた。運営資金の大半はエメリー嬢のドレスや宝飾品、夜会での散財に消えている。必要な設備投資は一切行われず、老朽化した機材が危険な状態で稼働を続けているとのこと。経験豊富な鉱夫頭たちは次々と離職し、それを補うために現場は素人同然の者ばかりになっているという。


ベルクシュタイン家の評判は地に落ち、かつて出入りしていた御用商人たちも、今では誰も寄り付かない。財政状況は、破綻から破滅へと、着実に駒を進めている。当主であるベルクシュタイン伯爵は、エメリー嬢の婚姻さえ上手く行けば、相手の家の財産でどうとでもなると考えているようだが……


その全てを、報告書として淡々と記録する。感情を差し挟む余地はない。これらは全て、予測された事象に過ぎないのだから。


《第八次報告書:筋書き通りの悲劇》


鉱夫として潜入させていた間諜より緊急報。ベルクシュタイン家所有の南方鉱山にて、大規模な落盤事故が発生。死傷者多数。なお屋敷のメイドからの報告と照合すると、当主である伯爵も所有者であるエメリー嬢も、この事態を把握していない様子。


事故原因は、老朽化した排水設備の不備による地下水の氾濫。これは、かつてクラリス嬢が論文の中で「早急な対策を講じなければ、数年以内に大規模崩落を招く」と警告していた危険箇所と完全に一致する。


事故の報を受け、王国の監督官が査察に入ることを決定。ずさんな管理体制が明るみに出るのは必至。被害者と取引相手への多額の賠償金、そして国の法律に基づき義務付けられた鉱山の完全な環境復旧費用。それら天文学的な負債の全ては、あの誓約書の一条項に基づき、所有者であるエメリー嬢が負うことになる。


第八次報告書は、次のようにまとめざる得ない。全て、対象の筋書き通りに進展。これは事故ではない。必然である。クラリス嬢の怜悧な復讐は、今、その最終段階に入った。


《第九次報告書:愚者の来訪》


落盤事故の責任を問われ、エメリー嬢の婚家からは即座に婚約破棄を言い渡された。賠償金の支払いを迫られ、破産寸前となった伯爵一家が、我々の滞在する隠れ家に押しかけてきたのは、その数日後のことだった。


愚昧の限りを尽くしながら、この隠れ家の場所を探り当てた執着心には、呆れ果てるほかない。どこで雇ったのか、背後には数名の破落戸(ゴロツキ)の姿もある。まあ、私の敵ではないが……ドアを開けるなり、彼らはさらなる醜態を晒し始めた。


伯爵は「血を分けた娘だろう!」と金の無心を叫び、夫人は「お前さえいなければ!」と呪詛を吐きながら泣き崩れる。エメリー嬢に至っては、「姉様のせいよ! あの鉱山は元々姉様のものだったじゃない!」と、支離滅裂な責任転嫁を繰り返すばかり。


罵倒、泣き落とし、脅迫。かつてクラリス嬢を虐げ、搾取してきた者たちが、今や哀れな乞食となって、最後の望みを託しに来たのだ。クラリス嬢は、ただ静かに、紅茶を一口含んだだけだった。


ひとしきり騒ぎ立てた家族に対し、クラリス嬢は静寂の中、ゆっくりと口を開いた。当職は、彼女の命により、その傍らに不動の姿勢で控えている。歓迎されざる客の敷地に踏み入る前の排除を申し出たが、それは彼女に制止されていた。


「お父様、お母様、そしてエメリー。誓約書に記載の通り、南方の鉱山に関する一切の権利と責任は、私にはございません」


その声に、感情の揺らぎは一切ない。ただ、冷徹な法的事実のみがそこにあった。「ですが、血の繋がりが…」と夫人が言い募ろうとした瞬間、当職は腰に差した細剣の柄に手を添えつつ、一歩前に出た。


「この邸宅は、ローゼンハイム商会の所有のもと、正式な契約に基づいてクラリス嬢に貸し出されているもの。これ以上の乱暴狼藉は、不法行為とみなして実力で対処いたします。速やかにお立ち退きを」


元騎士団諜報員としての殺気を僅かに滲ませると、一家は怯えたように後ずさった。破落戸(ゴロツキ)の姿は、とうに無かった。自分たちの感情論が、ましてや暴力も、もはやこの場所では何一つ通用しないことを、ようやく理解したのだろう。


彼らはすごすごと、雨に濡れた敗残兵のように退散していった。クラリス嬢は家族の背中を見送ることすらせず、私に紅茶のおかわりを所望した。


《最終報告書:任務完了》


明日付の王室官報に、以下の公示が記載されることを確認した。


『ベルクシュタイン伯爵家、度重なる債務不履行及び鉱山管理責任不行き届きにより、爵位の返上を命ず。これに伴い、同家の破産手続きを開始する』


長きに渡る腐敗と虚栄の歴史は、明朝、公式にその終焉を迎えることになる。マルクス会頭へ、公示の写しとともに、任務完了報告書を提出することとする。


【対象の最終価値査定】


担当調査官フェリオの名と責において、『国家予算に匹敵する』と評価する。その知性、先見性、計画実行能力は、一個人の才覚という領域を遥かに超えている。彼女一人で、一つの国家を動かすに等しい価値を秘めていると断定。


【今後の行動方針】


マルクス会頭との事前の打ち合わせの通り、当職の任務は「価値の査定」を完了し、「保護と補佐」に完全移行する。クラリス・フォン・ベルクシュタインという商会と国家の至宝を、あらゆる脅威から守り抜く所存。


《補足報告書:「ベルクシュタイン案件」調査記録に関する個人的所見》


本件の調査開始より、五年が経過した。


クラリス様とマルクス会頭が共同経営するローゼンハイム商会は、今や大陸屈指の規模へと成長を遂げた。クラリス様の鉱物学と経営学の才は留まるところを知らず、数々の革新的な事業を成功に導いている。


当職は現在、私邸兼商館となった旧王宮の執事長兼警護長を務めている。クラリス様の右腕として、その安寧と成功に貢献できる日々は、諜報員であった頃には想像もできなかった充足感に満ちている。


先日、クラリス様は王都近郊で新たな月長石(セレナイト)の大鉱脈を発見した。その功績により、王国から新たに「公爵」の位を授爵された。ベルクシュタイン公爵の家名は、数奇な運命……いや、彼女の遠大な計画の果てに、ふさわしい持ち主のもとへと戻り、その輝きを取り戻した。


彼女に授爵のお祝いを申し上げると、これまでの貢献の礼にと、きらびやかながらも上品な仕立てのドレスを賜った。私は驚き、話を聞くと、クラリス様は初見のときから私の性別を見抜いていたらしい。その慧眼には、恐れ入る他ない。当時、調査に協力したメイドたちも高給で雇い直されて、いまはクラリス様専属の侍女としての仕事に精を出している。


風の噂に、かつてのベルクシュタイン家の末路を聞いた。失われた爵位の威光を笠に着て、詐欺まがいの事業を立ち上げては逃げるを繰り返して、官憲からも追われている、と。この情報自体は、報告書に一行記す価値もないが、我が君主クラリス様の身に万が一の危険が及ばぬよう、頭の片隅に置いておくこととする。


以上で、マルクス・フォン・ローゼンハイム会頭より拝命した『ベルクシュタイン案件』の調査記録を、完全に終了する。


元担当調査官、現クラリス・フォン・ベルクシュタイン直属執事:フェリオ

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