表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/12

第7話 燃ゆる学院塔

 鐘が鳴り止まぬ。夜の王都が、まるで心臓そのもののように脈打っていた。

 王城のバルコニーから見下ろすと、学院の高塔が真っ赤に染まり、黒煙が空を裂いている。

 炎は風に煽られ、尖塔の先端を呑みこみながら崩れ落ちていく。

 私は息を呑んだ。「……あれは、学院の魔導庫!」


 アズールが低く唸り、翼のように尾を広げた。

『封紋の残り香がする。燃えているのは、ただの紙ではない』

 セラフィナが肩越しに叫ぶ。「行くわよ、リリィ! 資料の中に封印術の原本がある。誰かが意図的に――!」


 私は頷き、彼女の手を取った。

「行きましょう。あの炎を、鎮めなきゃ」


◆◇◆


 王城から学院までは二刻ほど。

 アズールの背に跨がり、夜風を裂いて駆け抜けた。

 焦げた木材の匂い、割れたガラスの音、人々の悲鳴。

 塔の根元では、見習い魔導師たちが必死に消火魔法を放っていたが、炎は“拒むように”燃え広がっていた。


「違う……これは自然の火じゃない」

 私は膝をつき、指で灰をすくった。

 灰が赤く、じんわりと脈動している。

「生きてる……」

 セラフィナが目を見開く。「封印解除の逆術式だわ。燃やすことで“封印を解く”ための……」

 その言葉を最後まで言わせなかった。


 塔の中心から、音がした。

 金属でも、石でもない。心臓が割れるような音。

 そして、燃え盛る炎の中から――“人の形”が立ち上がった。


◆◇◆


 男だった。

 白い外套をまとい、胸元には封紋の刻印。

 背には黒い翼。燃え残った紙片がその周囲を回転し、まるで羽のように見える。


封紋師ふうもんし……」

 セラフィナの声が震えた。

「千年前、王国を滅ぼしかけた“封じの賢者”。文献の中でしか――」


 男は微笑んだ。

「賢者、か。呼び名は千年経っても変わらぬな」

 その声は、人の声というよりも、風そのものが言葉を選んで喋っているようだった。

「アズールよ、我を忘れたか」


 アズールの瞳が光を宿した。

『……カナン。まだこの世に縫い目を欲するか』

「縫い目では足らぬ。世界は崩れかけている。毒と癒し、祈りと封印――その境界を壊さねば、新しい秩序は生まれぬ」


 私は一歩踏み出した。

「あなたがレオン王子を封じたのね」

 男は静かに頷く。

「あの少年は“門”を見てしまった。毒の谷の底、星涙樹の根に眠る“縫合の核”を。

 王族の血がそれを動かせると知れば、争いになる。だから、眠らせた」


「……あなたは、世界を守るために人を封じたの?」

「守る? 違う。私はただ、均衡を保ちたい。毒が蔓延しすぎれば、癒しは腐る。癒しが増えすぎれば、毒は力を失う。

 リリィ・フェンネル、お前が奇跡の雫で毒を“すべて”癒やした瞬間、世界の針が片方に傾いたのだ」


 胸が凍る。

 ――癒しが、世界を壊す?


◆◇◆


 アズールが前に出た。

『わたしが選んだ女を、秤にかけるな。毒と癒しの間に在る者こそ、均衡そのものだ』

「ならば証明せよ。彼女がこの炎を鎮められるなら、私は退こう」


 男――カナンが腕を広げると、炎が再び塔を包んだ。

 熱が皮膚を焼き、息ができない。

 私はアズールの首元を掴み、叫んだ。

「風を、借りるね!」

『好きにしろ、薬師!』


 私は瓶を開いた。奇跡の雫が、夜気を切って散る。

 火の粒と混ざり、青白く光る。

 けれど、火は消えない。

 “毒のような火”だ。――癒しを拒む。


 脳裏に、エミリアの声が蘇る。

 《毒も人も、どっちも大事なんだよね?》


 私は膝をつき、燃える床に手を当てた。

 焼けた木の下に、まだ生きている根がある。

 “毒を薬にする”のではない。

 “毒と共に、生かす”んだ。


 手のひらから血が滲む。

 その血に雫を混ぜ、私は呟いた。


「――燃えるなら、燃やしきれ。燃え尽きた灰が、薬になるまで」


 青と赤が混じり合い、炎が逆流した。

 塔全体が光に包まれ、瞬く間に沈黙する。

 燃えていたはずの書棚は灰一つ残さず、ただ中央に一輪の紅涙草が咲いていた。


◆◇◆


 風が止み、煙が上空で輪を描く。

 カナンはその光景を見上げ、微笑んだ。

「……均衡の詩、か。なるほど、アズールが惚れるわけだ」

 アズールが低く唸る。『惚れるなどと言うな』


 カナンは掌を差し出し、指先に小さな符を浮かべた。

「世界の縫い目が軋みを上げる日、また会おう。リリィ・フェンネル」

 炎の残り香とともに、彼の姿は霧に溶けた。


 セラフィナが私の肩を掴む。

「生きてる?!」

「……ええ。けど、彼の言葉が気になる。“星涙樹の根”……」

「それが、本当の奇跡の源かもしれない」


 夜空の向こうで、王城の鐘が再び鳴る。

 遠く、谷の方角に淡い光――まるで呼びかけるように、森が揺れていた。


 私は唇を結んだ。

「行かなきゃ。あの場所に」

『戻るのだな』

「うん。私の始まりの場所、そしてきっと……世界の縫い目の中心」


 アズールが翼を広げる。

 夜風が血と灰を洗い流し、王都の明かりが遠ざかっていく。


 毒の森が、再び私を呼んでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ