プロローグ
「グゥオオオオオオオオオオオオ!!」
もし絶望が形となったのなら、こんな途方もない化け物のような形をしているのだろう。
漆黒の獣毛で覆われた、30mの巨体を誇る、二足歩行の狼。
涎を垂らし、牙を剥く狼の頭。
巨大な爪の生えた両手。
赤く輝く血走った両目。
この人間を食らう異形の怪物を、……人々は『人狼』と呼び、恐れた。
「クラージュ、少年を頼むぞ……」
もし希望が形となったのなら、目の前にいる騎士様のような方なのだろう。
茶色い髪の毛を首筋まで伸ばした髪型に、貴公子のように凛々しい顔立ち。
一振りの剣だけを携え、騎士様は迷う事も無く、『人狼』へと歩み寄ってゆく。
「待ってよ、おじさん!!」
騎士様によって閉じ込められた甲冑の中で、俺は叫ぶ。
昨日出会って、村を案内し、一緒にジュースを飲んだ。
ただ、それだけの関係だった。
「少年。その甲冑の中は安全だ。だから、じっとしていなさい」
騎士様は振り向き、甲冑の中にいる俺に向け、安心させるように優しく告げる。
穏やかな笑顔だった。
だが、その奥に、……俺は紛れも無い、死の決意を感じ取っていた。
そして、騎士様は無言で『人狼』の近くまで足を進める。
「許せ、『人狼』。これ以上、お前に人を食わせる訳にはいかない」
騎士様はそう言うと、ゆっくりと剣を抜く。
そのまま、騎士様は剣を大地に突き立て、
「煉獄より来たれ、……断罪の抱擁!」
朗々とした大きな声で、呪文の詠唱を始める。
その瞬間、
──ドックンッッッ!!
と、心臓の鼓動にも似た波動が周囲を貫き、空間が揺らぐ。
その波動は、雨季の空気を蹴散らすように、丘の上の空気を乾燥させる。
「其が汝に齎すは、輪廻からの追放なり!」
朗々とした大きな声で、騎士様は呪文の詠唱を続ける。
徐々に、雨に濡れたの丘の上が、溶岩が満ちた火口のように熱気に満ち溢れて行く。
空気が乾き、肌が熱で焙られるような感覚が広がる。
そして、──
「劫火を纏いて顕現せよ、……『煉獄の抱擁』!」
嵐の丘の上で、騎士様は魔法を発動させる。
その瞬間、
──轟ッッッ!!
と、大爆音を鳴らしながら、禍々しい緋色の炎が騎士様の身体から溢れ出る。
緋色の炎は、渦を描きながら『人狼』を飲み込み、丘の上を半球状に包み込んだ。
「グオオオオオオオォォォ~~~ッッッ!!」
『人狼』は断末魔の叫び声を上げながら、禍々しい炎の中に飲み込まれてゆく。
生きたまま炎に巨体を焼かれ、『人狼』が劫火の中でのたうち回りながらも、炎から逃れようとする。
だが、『人狼』は炎の中に閉じ込められたかのように、そこから抜け出る事が出来ない。
まるで、炎が檻となったかのようだった。
だが、それは騎士様も同じ事だ。
あの騎士様も、あの紅蓮の牢獄の中にいるのだから。
「おじさん!! おじさーん!!」
少年だった俺は、涙を流しながら、名前も知らない騎士様の生存を願い、声を枯らして叫び続ける。
全てを焼き尽くす程の焦げ臭い匂いが、あの劫火の魔法が現実である事を示していた。
やがて、『人狼』は炎のドームの中でのたうち回るのを止め、苦しみながら丘の上に伏せてゆく。
それでも容赦なく、劫火は燃え続ける。
肉の欠片であっても、『人狼』を俺に近付けさせない。
そんな意思を感じる程に、劫火には騎士様の信念が宿っているように見えた。
やがて、泣き続けた俺の瞳に、灰となった丘が広がる。
『人狼』も、あの優しい騎士様の姿も、そこには何も残されていなかった。
「おじさーん!!」
平民の少年1人を守る為に命を散らした騎士様の行為を、11歳の頃の俺は、受け止める事ができなかった。
『………』
クラージュと呼ばれた白亜の甲冑が、泣き続ける俺を慰めるように、甲冑を震わせた。
「おじさん……! うああああああああ!!」
ドクン、ドクンと首筋から熱い液体が注がれ、傷が癒えて行くのを感じながら、俺は騎士様を呼び続けるのだった。
■■■
そして、あれから5年が経過した。
「騎士様……、俺、従者試験に合格したよ。明日から、騎士様が居た騎士団で働くんだ」
16歳になった俺、アレクサンダーはそう呟いた。
今、立って居るのはあの惨劇が起きた丘の上だ。
5年経っても、あの丘の上には、草の1本すら生えていない。
だがそれは、1人の騎士様が命の炎を燃やし、少年であった俺を守った証だった。
牛革の従者服を身に纏い、腰には合格者の証である従者用の長剣を佩き、俺は静かに丘の上に向かって敬礼した。
もしもあの時の騎士様が今も自分を見守っているのなら、俺の決断を誇りに思ってくれるだろうか。
命を繋げてくれた炎の騎士様に感謝を、そしてその命が同じように人を救えるようになる事を願い、俺は敬礼を解いた。
「行ってきます、騎士様」
俺は丘に背を向け、王都へと旅立った。
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