EPISODE9 空白からの再会
バタン!
「早かったわね?何かわかったこと…」
ガシッ…!
彼は勢い良くドアを開いて明美の胸倉を掴む。
「何?また殴られたいの…?」
「何で言ってくれなかったんですか…!?」
「どうしたのよ!?」
突然響き渡る彼の怒号に皆が驚いて開いた口が塞がらない。
「何のことよ…?」
「母さんがMINTってキャバクラで働いてること…あなたは知ってたんですよね!?」
「あなたもようやく気付いた…いや遅すぎるわね?それでも千草の息子?聞いて呆れるわ…」
水瀬千草がMINTで働いている事実は周辺だと明美しか知らない。千草が口止めしていた理由もあるが、一番の理由は幸人と会わないようにするためだった。
「仕方ないじゃない…黙っておくように言われたんだから…けどバレたら仕方ない。名前はさゆきよ」
その言葉を聞いた途端胸倉から手を離した。あくまで明美は約束を守っていただけであった。
「母さんは25年前突然出て行ってしまった…施設に一度も来てくれなかった…会いに行く前にあなたから確かめたい」
「えぇ~…自分の母親のキャバクラに行くの?」
確かにそうだ。会いに行くなら自分の母親に接待してもらうことになる…25年会えていないなら親子としての意識は薄れているだろう。ふとLOUNGE MINTのホームページを開いてキャスト一覧を見ると確かに"さゆき"はあったが、顔出ししておらず、SNSでも顔出ししていなかった。それでも母親の顔を忘れているはずがない。記憶が正しければ自分と顔がそっくりであること。
「確かに私は千草を利用したわ…けどRose Orangeを立ち上げたのは千草なの」
「Rose Orange?それがこの組織の名前ですか?(道理で皆さんからオレンジの香りを感じたな…)」
Rose Orangeが結成されたのは2001年12月。もうすぐ25周年になる。母が彼の前から姿を消したのは2001年10月頃でその直後に実父が車で轢き殺されている。2ヶ月経って組織が結成された形になる。婦女暴行を繰り返す男を殺したことをキッカケに、弱き者を守るために母が未成年ながら立ち上がったということか。
「じゃあ、あなたは僕の母さんに雇われていた…側だったってことですか?健吾君が亡くなったのは僕たちが8歳のとき…つまり」
「私が入ったのは健吾が殺されてからだった…けど千草は殺しで粛清し続けることに精神が限界を迎えてしまった。それで私がリーダーの座を引き継いだのよ」
ママ友だった期間は短かったが、2人は幸人に黙って連絡を取り続けていた。むしろ明美は彼の様子を頻繁に報告してくれていたのだ。明美の息子である奥野健吾は彼と同じ保育園、同じ小学校で彼の数少ない友達だった。当然健吾が殺されてからは孤独に落ちることになる…
「健吾と旦那を殺したのは食人鬼…多分旦那を殺したのは見られたことを不都合と思ったんだろうけど、健吾の身体の一部は欠損していた…それも食い千切られた痕跡があったの」
当時彼が通う小学校では奥野健吾の追悼式が行われたが、当然どうして亡くなったのかは知らされるわけがなく、明美が行方不明になる理由もわからなくて当然だ。
「そっから初めて知ったの…千草が執行人であることを」
「つまり…母さんがあなたに声を掛けて復讐しようと考えた…そういうことですね?」
「そうよ…だから私は弱き者を守るって決めたの…」
今日に至るまで明美は母親を利用していたのかと考えていた。だが明かされた真実は何とも理にかなっており、殺人で悪を制する。それに自分も同じことをやっている。彼が刑事を隠れ蓑にしている理由は、底なしに溢れ出る悪人への殺意を抑えるためである。
「本当はあなたに会うわけにいかなかったけど、あなたは誰よりも強いわ…だから合格ってとこね」
「余計な口は慎んだ方がいいですよ…?」
「合格」という言葉が妙に突っ掛かるように聞こえたのか、彼は冷たい視線を送った。だが彼女は
チュッ…
「何の真似です?」
「好きでもない女のキスを受けてしまう…今あなたがどういう状態かわかる?」
「何が言いたいんですか…?」
「愛情を底なしに求めている…いわば怪物よ」
彼女は背後に回ると胸元をスリスリしながら耳元で
「怪物から生まれた息子は怪物になる…あなたは結局運命から逃れられなかったってことよ…」
怪物とは千草のことを言うのか?ならあんただって怪物だろうが!?だが彼は歯向かうことをしない。怪物になっていることなど、既に自覚しているからだ。
「そうです…僕は刑事になって自分を誤魔化してきましたが、いくら誤魔化したって本心は殺し屋…僕はこの力で、知沙さんも母さんも守ってみせる…」
「ハハハハハ…!目が千草ソックリね…!狂気に満ちた優しさを見せる目…」
まるで彼を認めているような発言。彼女の笑い方は何とも高らかで馬鹿にしているようにしか見えないが、何か含みのある感じだ。
腕時計を確認したらまだ数時間余裕がある。それまでは一旦家に帰って知沙に報告しておいた方がいいだろうと考えた。
一方、妻の死を坂本から知らされた川崎は…
「優子…そんな…そんなぁ…ゥゥ……!」
「心中お察しします……」
バラバラに切り刻まれたなど言いたくなかったが、やはり伝えなければいけなくなり死因や遺体の状況なども全て明かした。この先シングルファザーとして2人の娘を育てなければならない…まだ小さい娘には何て言ったらいいかわからない…むしろこの先、目の前のことも今は考えている余裕がなかった。
「水瀬君が妹さんと接触しています…僕も彼を信じることしかできません…」
「そうですか…」
幼い頃母に先立たれ、父親と遊んだ記憶もないまま施設で育ち、知らないとこで妹の存在を知った彼が家族の大切さを知ったのは結婚してからだった。結婚して娘2人に恵まれていたのに、愛する妻がバラバラに切り刻まれるなどあっていいことではない。これ以上家族を失いたくない…真美さえよければまた一緒に働きたい。そんな風に思っていた。
「すいません…そろそろ下の子が帰る時間なので失礼します…」
下の子の仁香に会うまでに涙は引いておかなければ。自分に戦える力はないが、今度こそ家族を守る。でなきゃ父親なんて語れない…そう考えると早く娘の顔が見たくて仕方なかった。
その日の21時。普通の平日だがLOUNGE MINTは変わらず賑やかだった。ホームページでさゆきが出勤していることは把握済み。これで会えたら実に25年ぶりの再会だ。
「いらっしゃいませ!お客様本日ご指名は?」
「さゆきさんで…」
「かしこまりました…すいません初めてのご来店でしょうか?」
「そうですが」
黒服は少し「ん?」な表情をした。さゆきはどのサイトやSNSにも顔を出していないのに初来店で指名。確認を終えた黒服が
「お待たせしました。ではこちらへどうぞ、いらっしゃいませ!」
「いらっしゃいませ!」
キャバクラなど上司に誘われて行った程度で数えるほどしか行ったことがない。一人で来店は初めてだ。ファーストドリンクで生ビールを頼みまずは一口飲んでいると…
「失礼しま…」
ワインレッドのミニドレス、さらに腹出ししたキャストが目の前にいる。彼女は少し険しい表情をしながら彼の隣に座った。
「何で来たの?」
25年ぶりの再会…だが彼女にとっては自分の息子を接待していることになる。
「25年ぶりなのに…素直に喜べないんですか?」
「あんたになんか会いたくないわ…」
母が嘘を言っていることがわかる。本当は息子に会いたくて仕方なかったはずだ。それは彼もそう…今日この瞬間を待ちわびていた。
ゴクゴク…
黒服は2人の様子を見ているとほとんど会話をしていないこと、さらにさゆきと似すぎていることに気付き、流石に確認しないわけにはいかず
「すみませんお客様…申し訳ありませんが身分証明書見せてもらえますか?」
彼は素直に免許証を出すと
「水瀬幸人さん…えっ!?」
つい聞こえる声で彼の名前を言ってしまった。すると店長と思われる黒服が
「申し訳ありませんが…親族の方のご利用はお断りしておりまして」
同業者や暴力団関係者の利用お断りはよくあるが、息子が利用しに来るとは今まであっただろうか?すると彼は
「僕たちは25年も会えていないんですよ…今日くらい男女として見ちゃいけないんですか?」
物凄く冷たい視線で訴える。
「…!?(何だこの刺さりそうな視線は…?でも従わなかったらヤバそう…!)ごゆっくり…お楽しみください…」
「このNIRください…あと自動延長でお願いします」
「ちょっとあなた…!?」
「いいんです…」
「かしこまりました…」
何と彼はラストまで自動延長。さらに初来店初指名でシャンパンまで開けた。シャンパンが開栓され
「乾杯…」
チンッ…
ゴクゴク…
「どういうつもり?」
「ずっと会いたかった理由以外いりますか?」
25年ぶりに聞く彼の言葉。勿論幼かった声は思い出せないが丁寧口調は相変わらずだった。まさか母親相手にも敬語とは。だがいけないことに、28歳でイケメンになった息子にときめいてしまう…今こうして生きていることは相当苦労したことも窺える。成長をこの目で見たかったと後悔している。他愛もない会話を続けていれば当然、ラスト間際では酔いも回ってついあることを聞いてみる。彼は耳元に口を近付けると
「会いたくなかったんじゃなくて、会ってはいけなかったんじゃないんですか…?」
「…!?」
「明美さんから聞きました…このお店で働いていること、黙っておくように念押しした…ってことで合っていますね?」
「これ以上この話を続けるなら出入り禁止にしてもらいますよ…!」
「母さん…」
「母さんと呼ぶのもやめなさい!あくまで私たちはお客さんとキャバ嬢よ…」
「じゃあどうして僕の名前をわざわざ源氏名に使うんですか?」
「もうやめなさい!これ以上その話するならおしまいよ?」
ここまで動揺しているのはただ会いたくなかっただけの話じゃ片付けられない。すると
チュッ…
何と彼の頬にキスをした。幼い頃にしたかもしれないが、これがせめてもの愛情表現。
「これで満足したならもう会わないと約束して…」
「何故です…僕は母さんとまた暮らしたいだけなんです!それと、僕には婚約者がいます!」
「えっ…?幸人に婚約者が…?」
「ほらこれです…名前は高橋知沙さん…僕のお母さん代わりとも言える方なんです!」
「綺麗な人…」
知沙の顔は今まで見たことなかったのか、彼女の写真につい見惚れてしまう。聞けば知沙は40歳みたいだが年齢を感じさせないほど綺麗だ。
「孫は見せられませんが、僕たちは正真正銘家族です!」
彼女も知沙の話を明美から聞いたことがあった。確か中1の息子まで手に掛けてしまったと聞く。自分が立てたRose Orangeにいる人間は様々な悩み、後悔を抱えている。
「教えてください…どうしてそんな怯えるんですか?」
母は何か裏の力で支配されていることは察している。たまたま今日は客として来ていないならラッキーだ。
「もう私の口からは言えないわ…」
「僕は楽しむために来たわけじゃありません…勿論このお店で働こうが辞めるかは母さんの自由ですが、僕は本当に…母さんと一緒に暮らしたいだけ…それだけなんです!僕の結婚式にも来てほしいんです」
「諦めなさい…それは無理な話よ。最後にキスするからそれで諦めて」
チュッ…
閉店まで15分もない。折角25年ぶりに会えたのにもう会えなくなるなんて嫌に決まっている!
「わかったわ!じゃあこの後アフター行ってあげるから、それで最後よ…!」
「いいんですか…?」
「アフターぐらい付き合うわ…」
「じゃあお会計しますね…お願いします!」
この日はNIRというシャンパンを2本開けた。会計金額の24万円を現金で支払った。その頃彼女も着替え終わって彼のもとへ。
「じゃあ行きましょ…」
「ありがとうございました!」
どこか積極的な母。強がっていても愛情は隠しきれないものだ。2人の姿が見えなくなって黒服は
「店長、あのお客様多分さゆきさんを指名すると思うんですけど、今後もいいんですかね?」
「同業でもない限り出禁にはできないな。ただ親子ってパターンは俺も見たことねぇ。まぁ好きにさせてやるってとこだな…」
出禁にはならなかったようだ。見た感じ普通に客とキャバ嬢の接待に見えて問題ないと判断されたのだろう。
「どこ行きますか?」
「シメにラーメン…食べたいかも」
「ラーメン?いいですねぇ…じゃあとんこつの美味しいとこあるのでそこ行きましょッ!」
この周辺では24時間営業しているラーメン店が少し多めで、深夜労働者もよく集まる場所だ。2人はとんこつラーメンが美味しいラーメン店に入り、ラーメンを食べてアフターはお開きになった。楽しい時間はあっという間に過ぎ…
「時間ね…じゃあ、これでもう会わないと約束して…」
彼は哀しい表情をしたまま母が去るのを見ることしかしないのか?やはり彼は…
ガシッ…!
「ちょっと…!?」
ギュ…!
「何すんの…?」
「ずっと母さんを…この手で抱いてみたかった…!もう少し、このままでいさせてください…!」
「幸人ダメよ…!私たち親子なんだよ!?」
「それでも…お願いです…!抱かせてください…!」
彼は涙を流しながら必死で母を抱き締める。泣くのも無理はない。何故なら離ればなれになってからずっと願い、ようやく叶ったのだから。
「あなたのことは僕に守らせてください…例え政財界が敵でも僕は絶対に守ります…!」
「何でそのことを…?」
思わず政財界の言葉に驚いた。楽しくて忘れていたが息子は元公安の刑事だ。そう考えると息子に隠しごとはできないかもしれない。なら幸人のことを信じていいのか?
ギュ…
気付いたら彼女も抱き締め返した。こんなに大きくなった息子を抱っこできなくても、抱き締めることはできる。気付いたら母も泣いていた。
「あなたのことは僕が守ります…全部終わったら、一緒に暮らしませんか?」
「でも…幸人結婚するんでしょ?邪魔はできないよ…」
「知沙さんもあなたに会いたいと仰ってます…だから心配しないでください」
「幸人…!」
久々に感じる親子の温もり。彼は何度も死にたいと思ったが、今こうして生きていることに対して大変良かったと思っている。彼女ももう会わないとあれだけ言っていたのに、また会いたい気持ちで心が埋まる。このまま何時間でも抱いていたい…彼女は唇にキスしたい感情を抑えて頬にキスをすると…
「今日は本当にありがとう…名刺に電話番号あるから」
「また会ってくれますか?」
「前言撤回…!毎日でも、会いたくなっちゃった!」
「じゃあまた…」
まだ彼女の家には行かない。だが去ってしまう姿を見て25年前のことを思い出してしまう。それでもまた会えることに希望を持てた。母さんが素直に喜んでくれたから!
母さんも知沙さんも守ってみせる…だがこの決意は恐怖の試練が課せられることになると、このときは知る由もなかった。