熱狂の瞬間 in the heat of the moment
長編の一部を抜粋したため、前半と中盤がないため分かりにくい部分を修正し短編として読んでも支障がないように改稿しました。
ミツクリは直立すると雪原上に大量の泡を吐き出し潜航していく。問題ない、大崩湾までこのまま行けば誘導できるだろう、父親はそう判断を下した。今回の猟で騎獣が四頭餌食となり、すでに十人以上が命を落としている。怪我人も大勢出た。死んだ者のためにもこのまま手ぶらで帰るわけにはいかない。中止するという選択肢はもはやありえないだろう。
父親は意を決した。いよいよ最後の死闘が始まる。
前方の雪原が揺れ、屠った騎獣の血を含んだ泡が沸騰した水のように溢れ出す。
「でるぞ!」
爆発的轟音が太鼓の音をかき消した。ミツクリは潮を空高く吹き上げた。滝のように氷が雪崩落ちる。細かい雪や氷が視界を遮る中、ミツクリが姿を現す。
「ハジャール、準備をしろ!」
父親が叫んだ。石の山は副官のマルコ博士から銛を受け取った。
ハジャール隊が集団前方に上がってくる。距離を詰め縦列に並んだ。声を掛け合いお互いを鼓舞している。全員が上に着ていたものを脱ぎ放ち全身の美しい刺青が陽の光で映える。体から湯気が上がるその姿は勇猛だ。皆が銛を手にしながら背甲の上に立つ。
「俺にやらせてくれ」
若きフランコが先頭に立つハジャーに言った。
「一番銛はフランコに任せた!」
ハジャーが叫ぶと、皆は鬨の声をあげた。
太鼓が力の限り叩かれ、ミツクリは苛立ち右往左往し何度も潮を噴きあげる。しかし大崩湾に罠が張られていることを察したミツクリは湾の中へは決して入ろうとしない。だが後方から追い立てられ、逃げ場はなく追い詰められていく。ミツクリは突然停止し、旋回し躊躇しているように見える。
「好機だ! 逃すな!」
ハジャーが叫ぶ。
フランコがミツクリの正面に騎獣をつけると腰を落とし、銛を投げ放った。空気を切り裂く甲高い音が聞こえる。銛は弧を描き正確に錨が打ち込まれた背の横に突き刺さる。
ミツクリは痛みではなく怒りのため天地を揺るがす咆哮を上げた。それは咆哮というよりは絶叫に近かった。
「打ち込め、打ち込め、手を止めるな」
ハジャーが声を上げ、次々銛が打ち込まれる。五十本近い銛を背負ったミツクリは身を震わせたが銛は抜けない。湾には入らず尾を立て浅場にも関わらず潜航し、強行突破を図る。まともにやり合うにはリスクが大きいので皆は蜘蛛の子を散らすように距離をとった。罠にはかからなかったが、これだけ深い傷を負わせたのだ。浅場を抜け沖に逃げるミツクリを皆はいっせいに追う。雪原の中で目立つように銛につけられた縄は黒く塗られ、油がたっぷりと染み込ませてある。黒く艶やかに光る縄は髪の長い女性のようで後ろ髪を引いているように見えた。銛を縫い付けられ速力をかなり落としていたが、まだ仕留められるほど弱ってはいないようだ。潜航したのはおそらく体に刺さった銛をふるい落とすためだろう。皮下脂肪を貫き肉まで達していないと銛は抜けてしまう。
ペニックスは北からの風が強くなってきたのを感じる。人間の体力には限界があるので消耗戦になれば分が悪い。大崩湾を取り巻く氷山で生まれた冷たい風が谷間を抜けて吹き降ろされる。その追い風に乗って騎獣は飛ぶように走る。
「あれだけ銛を食らったんだ。もうじき浮かび上がってくるぞ。とどめを刺す準備だ」
父親が叫んだ。おびただしい数の銛を打ちこまれたミツクリは徐々にその速度を落としていた。もはや潜航する力も残っていないのか沈むかと思ってもすぐに浮かび上がってくる。その辺り一帯は黒い縄と流れる血液のせいで白い雪原が黒い影の中に沈んでいるように見える。黒い髪の毛の塊のように縄が大きく弧をえがいて東にたわんでいる。
「もうすぐ(追いつく)か?」
ペニックスがきいた。ゴンゾは黙ってうなずいた。ゴンゾは仮面を外し顔をゴシゴシとこすった。髪が額にはりつき、疲労の影が濃い。自分がとどめを刺す権利を持たないことが歯痒かった。何一つ貢献できていない。皮肉屋のゴンゾがなにも泣き言を言わないのもペニックスに気を使っているのだろう。
銛を全身に突き立て、投網により網をからませたミツクリがその場に浮かんでいる。だが迂闊に近づくのは憚られる。力を蓄えているようでもあり不気味だった。
雪原を日が照り返し眩しい。雨風はおさまっていた。この後必ず来るであろう時化までに獲物を残波岬まで曳いて帰れるだろう、と父親は空を見上げた。
引退した老人が多い隊が隊員の交換をはじめた。殺した後の回収には屈強な者が必要となるからだ。この隊員交換がなされるとミツクリの臨終の近い証拠である。
そしてミツクリにとどめを刺すのは手順を誤れば死につながる危険極まりないものであった。ミツクリも他のクリーチャーと同様無尽蔵な生命力を持ち瀕死の状態からの抵抗は毎回少なからず死人が出る。
父親の乗る騎獣の周りにとどめを刺す権利を持つものが集合する。逃げに乗ったアルバ、錨を打ったベスティア、一番銛を打ち込んだフランコの三人が候補だ。
「もうじきミツクリは最後の潜航に移る、その前に必ずやり遂げろ」
ミツクリは死に頻すると雪原深くに潜り決して死骸をさらさない。けれどそれでは獲物を回収できなくなるので強制的に潜航する前にとどめを刺すのだ。両の目にロープを通して騎獣に固定し、雪原の底へと沈まないようにする。
負傷者を乗せた騎獣が父親に近づく。乗っていたアバーテが父親に何かを囁いた。父親は難色を示し二言三言言い合ったがアバーテは譲らなかった。最後に父親は折れたようだ。
「第一発見の権利はペニックスに譲るそうだ。ペニックス、さっさと準備しろ」
ペニックスはアバーテに一礼した。アバーテは敬意を表するようにペニックスに敬礼するとその場を離れた。
ライバルが増えたためアルバとフランコは不服そうに眉をひそめている。
先ほどの戦闘で右足を失ったベスティアは当然辞退するだろうと思ったが、意外にも参加すると言う。その意志は固いようで皆はうんざりした表情を浮かべた。
「その足でどうやって行くんだ?」
父親が聞いた。ベスティアの足は止血され包帯が巻かれていたが応急措置なのだろう血が滲んでいる。膝から下は存在しない。ベスティアは誰か肩を貸すように周りを見渡したが誰も目を合わそうとしない。副官のガッティーナはうつむき目を合わせようとさえしない。
「ゴンザレス、手伝ってやってくれんか」
父親が言った。
「俺が? 冗談じゃねえぜ。親父さんの頼みでもそれは無理だ。俺はペニックスの補助をする。そんなクズの手伝いはしない」
「なぁゴンゾ、俺からもこいつの手助けをしてやってくれないか」
ペニックスが言った。
「なぜこんなゴミ野郎の肩を持つんだ?」
「足を失ってもとどめを刺したいってなかなか言えないだろ。それだけこいつは本気だってことだ。それに俺は相手が誰だろうと構わない。ゴンゾ、お前ならわかるはずだ」
やれやれとゴンゾは首を振った。
「俺をミツクリまで運んでくれ、取りついたらあとはなんとかする」
ベスティアが懇願した。
「うるせえ、お前は黙ってろ」
彼の癖である首を振りながら「仕方がない」とゴンゾは言った。
「手を貸したくはないが、これっきりだ。ペニックスの頼みだから俺は従うだけだ。俺はおまえを心底嫌っている。忘れるな。ミツクリに移るまでだ、それ以上は何もしないからな。俺はペニックスにとどめを刺してもらいたいと思っている。おまえの指示は聞いてやるが俺からは何も言わない。わかったか?」
「ああ、それでいい。頼んだ」
ベスティアは頭を下げた。
「だがペニックスはどうする? 一人じゃとどめを刺すのは無理だぜ」
「俺が手伝ってやるよ」
ナツラトーレがペニックスの補助を申し出た。
手をあげてゴンゾとフィストバンプをかわすと、ナツラトーレの騎獣にペニックスは飛び移った。ペニックスは背甲の上ですぐに取り付けるように靴を脱ぎ裸足になり、ミツクリの目に通す縄を腰に巻きつけた。他の三人も準備に抜かりはないようだ。
ペニックス、フランコ、アルバ、ベスティアの乗る四機の騎獣がミツクリの後方に陣取った。ミツクリは浅く潜っている。見張っていた隊がいつでも行け、と合図する。
前方に波紋があらわれ、徐々に大きくなり丸く盛り上がってくる。
「でるぞ」
ミツクリが濡れた頭をあげる。
「取りついたらとにかく銛か縄をつかんで死んでも離すなよ。しばらく暴れるから耐えろ」
ナツラトーレが耳元で大声で言った。ペニックスは何度も頷いた。血の色を失い、恐怖で震えている。フランコとアルバの二人も遠目だが仮面越しに目がつりあがっているのがわかる。息が苦しくなり吐きそうになる。実際アルバは吐いていた。
四機の騎獣がミツクリの背後に展開する。
ゴンゾは手綱を他の者に渡しベスティアに肩を貸すとできるだけミツクリに近寄り二人で飛び移った。「せいぜい頑張りな」ゴンゾはそう言うと具足獣に戻った。ベスティアはナイフを口にくわえ両手を開けるとイモムシのように這いながら頭部を目指す。
ナツラトーレの合図とともにペニックスはミツクリの背に飛ぶ。なんとか取り付くと傍に刺さった銛をつかみバランスをとった。前方にアルバの背が見える。ペニックスより早く飛び移り、うまく着地したようだ。
見回すとフランコが左手の縄に捕まっているのが視界にはいる。四機の騎獣が離脱する。
次の瞬間ミツクリは体に乗った異物を振りほどこうと身を震わせ動き出す。深くは潜れないが雪原を滑るようにしてこの場から逃げるつもりらしい。
いまは死の間際に見えるが、最後にどのように抵抗するかは計り知れない。ミツクリは体を錐揉み回転させながらこすりつけることで銛や、網、縄、そしてもちろんペニックスたち人間を払いおとそうとする。激しい回転によりフランコが弾き飛ばされ後方へ飛んだ。縄がピンと張り、必死に捕まっているがそのまま雪原上をひきずられる。縄は油のせいでひどく滑るのか、握力が続かなかったフランコの姿が消えロープだけが残され彼は雪原に散った。何本か銛が抜け絡まった縄が乱れ髪のように宙を舞う。
ペニックスにはミツクリの皮膚を通してまだ生きたいという意志を強く感じた。今まで我々に貧困をもたらし多くの仲間を死に追いやる害獣としかみなしていなかったが、対峙すると神に等しい崇高なる獣であり、殺そうとするのは不敬な行いに他ならない。しかし業が深くとも必要とあらばやらざるを得ない。考えても無駄だ。考えるのをやめ、目の前のことに集中した。
回転により仮面が外れて後方へ飛んでいってしまった。なぜだかその行方がやけに気になった。集中しなくてはと思うのだが、どこか現実感がない。脈打つ心臓の鼓動がうるさく手がしびれる。血潮で粘つく網や銛の柄を手がかりにペニックスは手探りでミツクリの頭部へ向かう。ただ手と足を交互に動かすことに神経を使う。皮膚の表面がざらつきヤスリのようで手足が切れて血が流れた。痛みのせいで正気を失わずにすむ。所々に刺さった銛をつかむとそれを手がかりにジリジリと進んでいく。
背びれ近くをアルバが中腰で進んでいる。彼は高い身体能力を持ち、柔らかい身体で体幹も強い。だが次の瞬間折りたたまれていた背びれが開き、その切っ先が尖った槍のようにアルバの胸を貫いた。アルバはそのまま弾き飛ばされるかと思ったが、体に鰭のトゲが刺さっているのか抜けないようで宙ぶらりんのまま縫い付けられている。ペニックスは駆け寄ろうかと一瞬思ったが、だらりと脱力し動かないアルバはおそらくすでに絶命しているだろう。必死にしがみついていたのに、死んでもミツクリの背から離れられないのは皮肉だった。
背鰭を避けてペニックスは縄をたぐった。折れた銛の柄らしいものが飛んできて頭に直撃し額を血が流れた。だが拭うために手を離すわけにはいかず、目を瞑り耐えた。ペニックスはなぜだか笑っていた。
背中から引き剥がされるような風圧に耐えながら進む。手足の血が後方へ流れ飛んで行くのが見える。頭部から体を乗り出し手駒を鼻先に打ち込み、左手を縄で結びつける。これで暴れても離れないだろう。
「しまった。くそっ」
ペニックスはほぞを噛んだ。目を貫こうとナイフを振り上げた際に柄についた脂のせいで手が滑りナイフがどこかへ飛んでいってしまったのだ。回収することはもはや不可能だろう。どこかに刺さった銛がないだろうかと辺りを見回した。その時後ろからナイフが飛んでくると傍に突き刺さる。
「それを使え」
ベスティアがしわがれた声で叫んだ。
「おまえがとどめを刺せ!」
両目を貫き縄を通すとミツクリは潮穴から血を噴き上げる。死んでも縄は離さない。
ミツクリは最期の力を振り絞り暴れまくる。周囲の誰も近づくことはできない。翻弄されただただ嵐が収まるのを待つ。永遠に荒れ狂うのかと思われたミツクリの勢いは長くは続かない。死の瞬間がまもなく訪れる。
ミツクリは最後のあがきのように雪原から高く垂直に屹立するとそのまま横倒しに倒れた。まるでミツクリに感応するかのようにペニックスの身体からも力が抜けそのまま雪原へと落下した。
「おい、ペニックス、目を開けろ」
遠くからゴンゾの声が聞こえる。背中が硬い、具足獣の背甲の上なのだろう。どうやら救助されたらしい。ゴンゾが心配そうに顔を覗き込んでくる。ペニックスは目を開き笑ってみせた。
「死んだかと思っただろう、脅かすな馬鹿野郎」
優しい口調でゴンゾは言った。ペニックスは起き上がろうとしたが力が入らない。
「しばらく寝てろ」
手にはまだとどめを刺した時の感触が残っている。手を突き上げ握り締める。なんの実感も湧いてこない。ナツラトーレが勇者の証であるルクス・カハを脱ぎ、寝ているペニックスにかける。
「よく似合うぜ、勇者様よ」
ゴンゾが横から笑いながら言った。
長編の次の章を短編にしてみました。楽しんでいただけると嬉しいです。ご興味を持っていただけたら長編もどうぞよろしくお願いします。