明日また
脳内端末の目覚ましが起床を促してきた。カナタは、ほぼ無意識のまま、手探りでベルトを外す。
体が寝床からふわふわと浮き上がる。畳の上に敷かれた布団から離れ、純和風十畳間の空中に漂っていく。鼻に優しい、いぐさの香りをいっぱいに吸い込んだ。
「う、うーん……」
つま先まで足を伸ばし両手を挙げ、縦に背伸びをする。左右に伸ばして大の字になろうとしないのがコツだ。
もちろん、狭い宇宙船内に十畳間などを置くスペースは無いのだから。
この環境は、脳内端末が五感をジャックして見せているだけの偽物だ。現実には肩幅より少し幅のある六角形の筒状の睡眠ブースに押し込められている。横に手を伸ばそうとしようものなら、見えない壁に阻まれて甘い夢に水を差されることになる。
船内時間で出発から1年9ヶ月と3日。何度も映像化され続けている古典的なとんち小僧の名前とそっくりで覚えやすい。だからどうということはないが。月面からのレーザーを受けて加速を続けていた恒星間移民船団の移動距離が所定を上回って四ヶ月、ともかくあと数日で、この退屈な日々は終わる。
この船団は、整備用のロボットを載せるぐらいなら一人でも多くの人間を、という思想で企画された格安プランだった。目的の星系までにかかる100年から1200年と見積もられる歳月のほとんどはコールドスリープ状態でやり過ごすことになるが、最初からコールドスリープ状態で乗船して全てをロボット任せにできる船団とは違う。渡航者ら自らがやらなければならない仕事が多々あり、特に万が一の場合の非常事態にも、コンピュータの指示に従って人手で対応を行うことになっている。
真空の宇宙とはいえ、星々の間には塵や砂粒が無数に漂っている。船首には電磁バリアとレーザー砲からなる船体防御システムが備えられているが、運悪く船体が傷を受ける可能性はゼロではない。特に恒星の近くには多くの星間物質が集まっていて船体が破損する危険も高く、全事故の90%はこの行程で起こるという統計がある。事故には迅速に対応する必要があり、コールドスリープから復帰するのにかかる10時間ほどの遅れは命取りになりかねない。そのため、旅の始めのと終わりの1年半ほどはコールドスリープは使わず、地球上で伝統的な3交代制を敷いて監視と待機に当たることになっていた。
いよいよ安全な領域へ到達して渡航者達がコールドスリープに入れる状況になったのだが、とにかく限界までコストカットされたこの船団では、さらに順番待ちが発生する。各船にはコールドスリープ状態を維持できるぎりぎりの設備しか搭載されておらず、人間を急速冷凍する際には、船団に5隻しかない冷凍船と合体する必要があるのだ。移民団への選抜が補欠からの繰り上がり合格だったカナタは船団最後の一隻に乗っており、この4ヶ月ほど順番待ちをしている。
見えない壁に手を突いて体を引き下ろし、足の裏を壁にくっつける。壁を蹴って飛べば、自動的に筒の蓋が開くと同時に感覚ジャックが中断された。
1メートル弱の隙間を空けて向き合った壁が、六角形のモジュールで埋め尽くされている。その内の一つから誰も居ない廊下に這い出して横を向けば、今度は心置きなく体を大の字に伸ばせる。
「……ふう」
船団でコールドスリープ作業が始まった時点で、常時監視の必要は無くなり、三交代制は解かれた。全員が一斉に起き出してくる現状、空間の取り合いは結構熾烈な争いだ。無重力で上下が関係ないおかげで何とか生活ができているのだが、誰はばかることなく体を伸ばしたければ早起きするのが手っ取り早い。
ちょうど、静かなメロディが船内時間の朝を告げた。蓋が開いてぞろぞろと人が出てき始める。カナタは、睡眠ブースから朝食用の栄養ブロックを取り出し、混まない内にさっさと居住区画を離れた。
いつものように展望室に一番乗りができた。
展望室と呼ばれているものの、窓がある訳ではない。余分な開口部は船体を脆くするだけだ。脳内端末に指示を出して視覚ジャックを起動すると、撮影された映像を加工した一面の星空が目の前に現れた。
そのまましばらく、恋人の到着を待つ。
朝食は各自の睡眠ブースで摂るのが基本だが、2人で入るにはさすがに狭すぎる。展望室は、数人が集まれる小部屋でいくつも用意されている。早朝の短時間なら艦内生活ポイントを少し消費すれば占有できるので、いつもこうして使っていた。
それにしても、今日はハルカが現れるのが遅い。
人の渋滞に巻き込まれてしまったのか。
『どうかした?』
不安を覚え、脳内端末からメッセージを送ってみる。
しばらく待っても反応は無かった。既読にすらならない。
『大丈夫?体調でも崩した?それなら無理しないでね』
重ねてメッセージを送り、居ても立ってもいられず、展望室を飛び出す。渋滞をするすると通り抜け、恋人の睡眠ブースまで行ってみた。
着いてみると、蓋は閉まっていた。中は無人と表示されている。
「おーい……」
起き出してきた人々でごった返した廊下を見回しても、それらしい人影は見えない。
何か異様な悪い予感に駆り立てられ、医務区画に問い合わせを送る。
出発に際して渡航者も含めて徹底的に滅菌された船内には、厄介なウィルスもバクテリアも持ち込まれていない。人類を長い間悩ませてきたちょっとした病気の数々とは無縁の楽園だ。
それだけに、むしろ、何かがあったならそれは重大なことなんじゃないかと不安が募る。
直ぐに返された返信によると、医務区画に該当は無し。
「よう、カナタ!聞いてくれ!昨日の嫁からのメッセージ!うちのガキんちょ、ついに『パパ』って呼びやがったってさ!」
そう話しかけてきたのは、北米にルーツを持つ大柄な友人、ディビッドだった。
知り合ったのはこの船に乗ってからで、夫婦で星間移民に応募して選ばれたというフロンティアスピリッツに溢れっぷりがカナタたちと似ていて、すぐに意気投合した。
だが彼は妻を地球に置いてきている。彼女は出発する直前に子宝に恵まれてしまい、コールドスリープなんかするわけには行かなくなったのだ。
とはいえ、星間移民に選ばれた幸運は棄てるには惜し過ぎる。勝ち取ったチケットが新たに開拓される星系への一番乗りをする船団のものならなおさらだ。これにはいくらかのリスクと引き替えに、当地での非常に大きな既得権益が付いてくる。
しょうがなく、ディビッドだけが先に乗り込むことにした。残る2人は、子供がコールドスリープ可能な年齢になってから、遅れてやってくる。追加で必要になった子供用の乗船権は、彼の妻が使えなくなった一番乗りのプレミアムチケット1枚と引き換えで、12年後のチケット2枚を事務局が手配してくれた。
移民船への乗船権が、生まれてくる子供と過ごせる大切な時間と天秤にかけるほどに人気なことにはもちろん理由がある。不老長寿は、移民船のチケットとセットでしか手に入らないのだ。
百年以上前に、人類は、不老長寿化の技術を完成させた。そしてそれは、様々なフィクションで言われていた通りに、人口爆発から資源の枯渇を招く、破滅を約束する技術でもあった。
当然、禁止する案も出たが、禁止されたぐらいで素直に従う必要もない超富豪達に、より一層の権力集中が起こるだけだと予想された。結局、人類は、不老長寿は認めた上で、資源の枯渇問題の方を解決することにした。人口が爆発的に増加していくのであれば、爆発的な量の資源を手に入れれば良い。幸い、宇宙は無限と言って良い程度に広い。
そこで、不老長寿化処置を受けた後には、出生地から遠く離れることが義務づけられ、戻ってくることを禁じる法が定められた。これにより、不老長寿人口密度が一定以上となる場所は生じず、人類の生活圏がどんどん広がっていくことになる。
不老長寿化後の強制移住では、少なくとも、数十年間の時間が無駄になる。……が、得られる無限の寿命に比べれば、それはほんの短い期間でしかない。知人と遠く離れて暮らすことになるかも知れないが、知人も不老長寿化しているなら、光速で片道数十年かかる文通でも永遠の別れにはならない。定命を選んだ知人との別れは、不老長寿を選んだ時点で避けられない。
現状、8.5光年以上離れた場所への移住が義務となっているが、不老長寿人口の増加と共に、この距離はじわじわと伸びている。そして伸びれば伸びるほど移住のコストは上がっていく。地球圏は、移住費用に手が届くうちになんとか!!という人々で溢れ、さながら脱出競争の様相を呈していた。
「これ、見てくれよこれ!」
そう言って、脳内端末に画像データを送りつけてくる。見てみると、生まれたばかりの赤ん坊の、ドットの荒さが目立つ白黒写真に重ねて『101』と書いてあった。
照準補正用のレーザーをわずかに変調させて送られてくる地球からのメッセージは、距離が離れるにつれて正常に受け取れる量が減ってしまう。帯域は渡航者達に公平に分配されていて、彼の子供が生まれた頃には、3人分の帯域を束ねて数週間がかりでなんとか白黒写真を受け取れるぐらいだった。
3人分というのは、カナタとハルカの権利を譲った分を合わせてだ。もうちょっとましな通信ができる頃ならともかく、2人には、そこまでか細い通信でも続けたいと思える相手が地球には居なかったので、早い内から帯域を譲る約束をしていた。おかげで生まれた子供の顔を早々に見ることができたディビッドは大喜びで、移住後に借りを返してもらう約束には大いに期待ができそうだった。
今では、使える帯域は1人1日辺り1ビットしかない。3人分でも3ビット。この夫婦は、子供の成長っぷりを伝えるために、『000』の「かわいい」を基本として、それ以外の7通りそれぞれを、事前に決めた符丁としていた。何度も聞かされて覚えてしまったそれらは、「座った」、「ハイハイした」、「立った」、「歩いた」、「パパと言った」、「ママと言った」、「この子すごい」の7通り。
どこかネガティブ思考のあるカナタは、それだけでは万が一の事態に対応できないだろうという不安を覚えていたが、そのことを指摘して親友との関係に水を差さない程度の思慮分別も持ち合わせていた。
「パパだってよ、パパ!!」
カナタの上の空の様子も気にせず、親友ははしゃぎまくっていた。
「ん?というか、ハルカちゃんと一緒じゃないのか?珍しいな」
ディビッドは、ようやく気付いて言った。
「部屋にも、医務区画にも居ないんだ。メッセージも見てないらしい。何か知らないか?」
離れた区画で寝泊まりしている自分より、近くの区画が割り当てられた親友の方が直接知っているかも知れない。
「いや、昨日は顔を合わせていないし、今朝もまだ見かけてないぞ」
そう言って、中空を見つめる。脳内端末に意識をフォーカスした人によく見られる仕草。
「ほんとにメッセージにも反応ないな」
「もし何かあったんだとしたら……」
「まあ、何もかもセンターに監視されているし、何かあったら真っ先に通知されるだろうし、大丈夫なんじゃないか?今日の割り当て作業でもしてりゃ、そのうち、返事も来るだろ」
親友が深刻になりすぎないよう、ディビッドは努めて明るく言った。
「作業……」
言って、カナタは脳内端末に情報検索を命じた。
「これだ!船外作業がある!」
探したのは、ハルカの昨日の作業割り当て。冷凍船ドッキングポートの確認作業が記録されていた。そこで何かが起こってしまったのかもしれない。
言うや否や、壁の取っ手を掴んで居住区画から去って行く。
「いや、そりゃないだろ!?」
1000人強が居住してる移民船である。できる限り狭く作られているとはいえ、全体ではかなりの広さだ。そんな最悪の想像に飛びつく前に、まず探すべき場所は他にいくらでもありそうだった。
「いや、きっとこれだ!」
止めるディビッドには目もくれず、カナタは行ってしまった。
割り当てられた作業に付くよう促してくる脳内端末を無視して、カナタは船外作業室へ急いだ。
部屋の壁には、人型の窪みのような形で、背中の部分が完全に開いた船外作業服が埋まっている。それに飛び込んで船外への移動を脳内端末経由で命じると、船外作業は割り当てられていないという警告が帰ってきた。これも実行命令で上書きする。
体が壁にめり込むように進んでいくと同時に開いていた後ろ半分が閉じていく。柔らかい幕を突き破って通過したら全身が膜に包まれるような仕組みで、カナタは宇宙へと漂い出た。
安全ワイヤーを頼りに船体表面を移動していく。
細長い船体はほぼ真っ平らだったが、いくつか生えている機器の影を一つ一つ確認していく。ハルカの昨日の作業割り当て区画から始めて、中には人が隠れられないような小さな死角もあったが、その全てをチェックする。
慣れない船外作業にあっという間に体力が失われていく。
『おい、本当にやってるのか?!』
何度か酸素を補充しつつ探索を続けていると、ディビッドからのメッセージが届いた。
『冷静になれよ。こっちは、船内を見て回ってる。今、使用中の船外作業服は一つだけ。お前のそれだ。お前以外には外には居ないよ』
丁度、昼の休憩時間になっていた。親友は朝の作業を終えて船内を探し回ってくれているようだ。
『いや、もう少し探してみるよ。ありがとう』
カナタはメッセージを返して探索に戻った。安全限界の警報を無視して過酷な環境で過ごしたせいで頭がくらくらする。
全ての怪しい場所を最低でも2回以上は確認した。
そしてとうとう、体の不調が本当に危険な水準にまで達して、脳内端末の警報をどうやってもオフにできないようになってしまった。
諦めて船内に戻った時には、船内時間で夜になっていた。作業服から投げ出され、船外作業室にふわふわと漂う。
「おい、あんまり無茶するなよ」
部屋にはディビッドが待っていた。
差し出してきたパックを受け取り、冷たいジュースを一気に飲み干す。
「みんなにも聞いてみたが、見つからなかった。寝床に居るのに何かの故障で居ないと表示でもされてるんじゃないか?」
「……ぷはっ。ありがとう」
なんだかんだと心配してくれている親友には感謝しかない。
「ほれ、これも」
ディビッドがそう言って栄養ブロックを差し出してくれたが、体を酷使しすぎていて、とても手に取る気にはなれなかった。静かに首を振る。
「センターにどう聞いても、回答無しだ。こりゃ、ストでも起こして無理矢理問い詰めるしかないんじゃないか?」
そうなのだ。船の全てを制御している管理センターのAIがこの事態を把握していないはずがないのだ。
「とにかく、お前はもう休め。死にそうな顔してるぞ」
カナタは確かに限界だった。言われたとおり居住区画へ戻ることにした。
不快感に追い出されるようにして目を開ける。
静かなメロディが船内時間の朝を告げていた。静かだが、長く聞いていると寝ていられなくなるよう調整された不思議なメロディ。
もぞもぞと寝床からはい出す。昨日の無茶の後遺症がほとんどそのまま残っている。
居住区の廊下は起きだしてきた人々でごった返していた。
メッセージを確認すると、昨日、ハルカ宛てに送った分は、なぜだか見当たらなくなっていた。怪訝に思いつつ、新たに送り直す。……しばらく待っても、やはり既読にならない。
ハルカの居住区へと、疲れの残る体を引きずってのろのろと急ぐ。
「よう、カナタ!見てくれ!昨日の嫁からのメッセージ!うちのガキんちょ、ついに『パパ』って呼びやがったってさ!」
「えっ?」
居住区に着くや否や、こちらを見つけたディビッドがいつものハイテンションで語りかけてきた。
「これ、見てくれよこれ!」
そう言って見せてきたのは、『101』が追記された、会うたび見せられる赤ん坊の白黒写真。
「いや、それは昨日見ただろ?」
カナタが混乱して聞き返した。
「昨日?いや、受け取ったのが、夜、遅かったからな。直接会って驚かせてやろうと、まだ誰にも言ってないぞ?そんなことより見ろよ!」
ディビッドはそう言ってますます画像を押しつけてきた。そんなことより、と言いたいのはカナタの方だった。
「ママって呼ぶより大分遅かったけどな。まあ、こんなに離れちまってりゃしょうがないな!!」
友人のはしゃぎっぷりに水を差す危険は侵さず、カナタは考え込んだ。
「ん?そういやハルカちゃんは?」
ディビッドは、ふと気付いたように言った。
「え?……だから、昨日、一緒に探してくれてたじゃないか」
「昨日?探した?何のことだよ?」
「昨日、お前の子供自慢を聞かされて、それから……探してくれてただろ!?」
思わず声を荒げる。
「おいおい、落ち着けよ。ガキんちょ自慢は毎日欠かしたことがないが、探したって何だ?いつのことだ?」
「だから、昨日だよ!!」
言いながら、脳内端末で今日の日付を見てみると、出発から1年9ヶ月と3日。
これは昨日の日付のはず……。
「……そんなバカな」
自分は夢でも見ていたのだろうか。
「メッセージを送っても反応はないな。まあ、センターが全部把握してるだろう。大丈夫なんじゃないのか?」
「そのセンターに詰め寄ろうって言ってたじゃないか!」
カナタが言うと、ディビッドは困った顔を見せた。
「だから、いつ言ったよ?」
このまま言い合っても埒があかなそうだ。カナタは深くため息を付くと、居住区を離れた。
「ハルカちゃんのことならこっちでも探しておくからさ!!」
後ろからディビッドの声が聞こえてきていた。
船外は昨日、徹底的に調べたので、今日は船内を探し回ることにする。何より、今の体調で船外に出ることはできそうになかった。基本的に船の全システムは、かなりの無理でも人間の指示を優先する設定になっているが、人命が脅かされるような場合は何があろうと却下される。
船内作業の案内が来ているが、無視する。普通に考えると探索場所としてあり得ない所の蓋を開けたり、隙間を覗き込んだりして、一日を過ごした。
管理センターにメッセージを送り続けてもいるが、全くリアクションがなかった。何かの根本的な故障かと心配になり、関係のない問い合わせを送ってみたら、こちらには即座に反応があった。
やはり何かがおかしい。
繰り返しその確信に至っていると、夜も遅くになって、突然、管理センターからメッセージが届いた。自分の睡眠ブースで応答しろとの指示が添えられていた。
急いで駆けつけ、潜り込むと、視覚ジャックが起動し、中性的な人物が目の前に現れた。管理センターが渡航者と接するときに使ういつもの仮想アバターだ。
神妙な表情でカナタを見つめてくる。
「ハルカ様は、50日前に亡くなられています」
アバターは唐突にそう切り出してきた。
「はぁ?!」
いきなり告げられた言葉は理解を超えていた。
「訳の分からないことを言うな。一昨日に会ったよ」
「それは51日前です」
やはり、センターが故障していたのか?カナタはその疑いを持ち始めた。
「実のところ、本日は、船内時間で出発から325年5ヶ月14日です」
アバターの姿を借りたセンターのAIが告げた。
「何を言っている?じゃあ、自分らは知らない間にいつの間にかコールドスリープさせられてたってことか?」
「いえ。この船にコールドスリープの予定はありません。この船の睡眠ブースにはコールドスリープ維持装置も搭載されていません。代わりに別の代替システムが備え付けられています」
混乱するカナタの前で、アバターは語り続けた。
「詳細なシミュレーションにより、コールドスリープを行わない船が1隻含まれていると、船団の生存率が跳ね上がることが分かっています。コールドスリープからの復帰を待っては間に合わないが、別の船から誰かが駆けつけて対策に当たれば助かるような事故の発生確率が、無視できないほど高いと見積もられたのです。世代交代を続ける移民船を随伴させる案も検討されましたが却下されました。船内社会が不安定すぎて、どう推移していくかを十分な精度でシミュレートできないこと、十分な数の応募が見込まれないことがその理由です」
アバターの説明は淡々と続く。
「代わりに採用されたのが、不老不死の研究の過程で副産物として作成された、脳細胞の状態を約23.4時間前の状態に戻す技術です。覚醒中は記憶の定着を防ぐ薬品を投与し続け、睡眠中に脳内インターフェイスを用いた催眠を応用した調整を行う事で実現出来ます」
そう言ってAIはカナタの様子を観察した。追加の説明が必要と判断して続けた。
「この船では、船団出発から1年9ヶ月3日目以降の約323年8ヶ月間は、約23.4時間毎に渡航者の記憶を約23.4時間前の状態へと戻し続けています」
AIはカナタの反応を待った。
「つまり……この船の中では、同じ一日がずっと繰り返されている?」
その反応から、きちんと状況が伝わったことをAIは把握し、満足を覚えた。
「はい」
それを聞いたのが普段であれば、カナタは騙されていた怒りでどうにかなっていただろうが、今はそれ以上に重要なことがある。
「じゃあ、ハルカが死んだってのはどういうことなんだ!?」
「脳内出血でした」
「原因はなんなんだ!?」
「ありません」
「無いはずがないだろう!!」
カナタが詰め寄る。
「ありません。数万年に一度程度、起こると予想される、偶発的な物理現象です。多数の血球が衝突すると、極めて稀に、引っかかって動かなくなることがあります。そこへの血球の追加の衝突や、些細な血圧の変化は、ほとんどの場合、引っかかりを解消することになり、大事には至りませんが、運悪く状況が悪化する可能性がごく僅かに存在します。どのように健康な方にでも起こりうる、ただの不運です。一般的な住環境であれば、問題となる前に対処が可能ですが、本船団無いでは不可能でした。同様の、原因の無い突然死の可能性は、他にも無数にあります。全てを勘案しますと、本船団では最悪の場合、到着までに2名が亡くなられる可能性があります」
「お前らに騙されてたってことか!!」
ただ、健康なまま長生きしすぎたために起こった不運。そう言われて納得などできるはずもない。カナタが詰め寄った。
「はい。ただし、この損耗率に関しては、船単位の事故の可能性などと合わせて、契約時にお知らせしているリスクに含まれています。その点には欺瞞はありません」
アバターは悪びれずに、契約上、起こりうる範囲の事故だったと告げた。
「しかし、いずれの移民船団も、最後の一隻がコールドスリープを使わない役目を果たすと規則で定められていることについては、非公開です。ですが、悪いことばかりでもありません。緊急時の迅速な対応のため、その船は船団の中央に配置されますから、宇宙塵被害が最も発生しにくくなります。また、緊急時の対処も船内ですぐに行えますので、乗員のトータルでの生存確率は船団のうちでも最大となります。にもかかわらず、このことが秘されているのは、ひとえに、用いられる手法への嫌悪感が原因で……」
アバターはなおも説明を続けていたが、カナタの耳には入っていなかった。
「なお、最新の計測結果では、到着まで、あと約230年と見積もっています」
宇宙空間で船はただでは止まれない。この船団の場合、目的地から照射される減速レーザーで止まる手はずになっているが、人跡未踏の星系にそんなものが有るはずが無い。そこで、船団の出発前の10年ほどをかけて、50万機余り超小型の工作機が射出された。
工作機群は内蔵のレーザーで互いに押し合うことで、いずれかの機体が目的地の星系内に止まれるよう試みるが、最初はほぼ全てが勢い余って通過してしまう。そのうちに、運良くスイングバイ軌道に乗せることができた一部の機体が星系に止まることに成功し始める。さらにその中で、小惑星表面などに根を下ろすことに成功したごく一部が、周囲の物質から光電池とレーザー発信器を製造する。後続の機体は、それらの協力を得ることで、より星系内に止まれる可能性が高くなっていき、最後には十分な量の減速用レーザーサイトが建設される。
行き当たりばったりな方法だが、上手く多くの工作機がサイトの建設に当たれた場合には、強力な減速用レーザーを当てにして移民船団は最大まで加速でき、100年ほどで星系へと到着できる。
一方、工作機がほとんど止まれない可能性もある。その場合、地球から船団への加速レーザーは早々に打ち切られ、船団はのろのろと移動することになる。そうやって時間を稼ぎつつ、現地に到着できた工作機が送ってくる、より正確な観測情報に基づいて、追加の工作機が射出され、最大限まで加速される。それらは移民船団を追い抜かして星系へと先回りし、船団の到着までに追加の減速レーザーのサイト建設に挑むのだ。この最悪のシナリオの場合、到着までの期間は1200年ほどにまで伸びる。
……ハルカはもう居ない。
その事実に比べれば、到着までの時間などはどうでもいいことだった。絶対に信じたくはない気持ちが煮えたぎっていたが、心のもう一方の端は、何故かその事実を受け入れて凍り付いていた。
「ともあれ、お疲れのご様子です。一度、お休み下さい。この後のことは、落ち着かれてから相談いたしましょう」
カナタには知らされなかったことだが、ハルカが死んだ後しばらく、管理センターは、ハルカの件を体調不良と公表していた。
それから14日目……14回目の同じ日の繰り返し……までは、何も起こらなかった。カナタも、恋人の体調不良はメッセージを読むことすらできないほど酷いのかと心配しつつも、粛々と割り当てられた作業に従事していた。
ところが、15日目が過ぎた頃からカナタは上の空になって、作業が滞るようになってきた。そしてとうとう、22日目には作業を放棄してハルカを探し始めた。
システムを使っても記憶が完全には巻き戻らず、ちょっとしたデジャヴを生じさせる現象は知られていた。しかし、その影響がこれほど長期間にわたって蓄積してしまった例は、今までになかった。
カナタの行動はだんだんと常軌を逸してきて、他の船員達と暴力直前の諍いまで起こすようになっていった。
同じ刺激を与え続けることの危険性を無視できなくなった管理センターは、49日目に方針を転換した。ハルカの扱いを、病欠から所在不明に変更してみたのだが、むしろ、これが最後の引き金になってしまった。
記憶の状態巻き戻しには、一定以上の記憶阻害薬の摂取が必要で、それらは船内の食事、飲料、空気から自動的に摂取できるようになっていた。
いくらかは欠けても大丈夫な設計であったが、ほぼ全てを摂取し損ねる者が出ることは想定されていなかった。
あの日、カナタは、食事を摂らなかった。船外作業の間は、身体的負荷の軽減のため、薬剤抜きの酸素を供給せざるを得なかった。唯一口にしたわずかな飲料から摂取した薬剤では不足を補えず、とうとう、巻き戻しに失敗してしまったのだ。
途方もない事実を告げられ、カナタは寝床で呆然とこれからのことを考えていた。
ハルカの居ない新天地に辿り着いたところで意味は無い。かといって自殺というような忌まわしい手段を採ることもできない。
知った事実を船内で言いふらしても、不幸な人間を少し増やすか、おかしな混乱に繋がってミッション全体を失敗させるかにしかならないだろう。不老長寿を解除してこのまま船内で寿命を迎えたいぐらいだが、それはやっぱり、船内に余計な事実を知らしめる結果を生むだろう。
「くそっ!!」
毒づいて壁面を叩く。
「聞いてるんだろ!? コールドスリープさせてくれ!! 追加でもう1人欠けても、想定内なんだろ!?」
このまま1人で秘密を抱えていたら気が狂ってしまう。到着さえしてしまえば、カラクリをバラしても問題なくなるだろう。あの陽気な友人に話せれば、少しは気も晴れるかもしれない。それまでただただ眠っていたい。
「申し訳ありません。当船団にはコールドスリープ維持機の予備は無く、不可能です」
脳内端末経由で管理センターが答えた。
「じゃあ、どうしろって言うんだ!!」
「いえ、大丈夫です。問題は解決しました……」
その声を聞いたか聞かなかったか、カナタの意識は闇に落ちていった。
睡眠ブースと脳内インターフェイスが共謀して、カナタを眠りに誘ったのだった。
表に出されることはないが、AIにも人間が言うところの安堵の感情がある。今がまさにそれだった。
改めてこの数日の動向を確認し直し、ディビッドまでもが巻き込まれてイレギュラーな状態に陥る可能性は無しと判断された。恋人に会えないことからカナタの中に蓄積され続けていた無意識のストレスは、真実を告げることで新たに与えたショックで揺らぎ、これ以上は悪化しないと推測された。
今後、毎晩、カナタに対して事情を説明し直す作業が増えたが、最大で1200年も船の運航を見守り続けるべく設計されたAIとっては、その種の繰り返し作業に感じるストレスは無かった。
映画『パッセンジャー』をパクって恒星間移民船ものを。なるべくこの手のものっぽく、こってこての、べったべたに。この世界の人類は問題解決に前向きでえらいと思います。