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第5話 名前


 バーナード・エヴァンズは困っていた。


 エヴァンズ伯爵家は、ウィンター公爵家の傍系である。そのため、バーナードは公爵家との縁を維持したい親により、幼少期からシャルルの遊び相手として公爵家に出入りしていた。所謂、幼馴染みだ。


 幼い頃のシャルルは物静かで、本を読んでいる落ち着いた性格だった。

 公爵家のスペアとして基本的な教育は受けていたけれど、それでも兄の陰に隠れて一歩身を引くような大人しい性格だと周囲の人から思われていた。幼馴染であるバーナードからすると、その行動はただ面倒ごとを避けていただけだったとは思うのだけれど。


 そんなシャルルが変わったのは十四歳の時だ。

 クロリス王国の貴族の子女は、十四歳になると社交界デビューのためのデビュタントに参加しなければいけなくなる。そのデビュタントの為の舞踏会に、シャルルとバーナードも参加していた。結婚適齢期になった女性との見合いの場みたいなものだ。


 もともと乗り気ではなかったシャルルだったけれど、その舞踏会を終えてから別人のように変わってしまった。

 大人しかった仮面を脱ぎ捨てて、一気に頭角を現し始めたのだ。

 最初は戸惑ったものの、そんなシャルルの行動にバーナードは興味を持って、手助けするようになった。


 そして現在ではシャルルの唯一の側近として、公爵邸に住み込んで働いている。

 だけど最近、バーナードはそれを後悔していた。


「……マーガレットに逃げられた……」


 昼前に剣の修行がてら騎士団をしごいてきたシャルルは、いつもなら爽快な顔をしているのに今日は暗い顔をしていた。

 労わりの言葉を掛けようかと思った矢先、彼は机に突っ伏してボソボソとぼやいたのだ。


「マーガレットに嫌われたかも……」


(まただ……)


 最近のシャルルのもっぱらの悩みは、妻に迎え入れた女性のことみたいだ。

 十四歳までのシャルルはどこか達観した子供だった。面倒ごとにはかかわらず、令嬢たちとは触れ合わず。

 それなのに、ここ数日のシャルルは以前にも増しておかしくなっている。


「どうして嫌われたと思っているのさ」

「……修行中に、訓練場にマーガレットがやってきたんだ。だから嬉しくって近づいたら、逃げられた」

「修行中? もしかして、剣でも持っていた?」

「ああ、そうだけど?」

「それって、単純に剣が怖かっただけじゃないの。令嬢は剣とは縁遠いからねぇ。それなのに剣を持ちながら近づかれたら、怖くて逃げてもおかしくないと思うよー」

「……確かに、そうだな。悪いことをした」

「後でちゃんと謝ったほうがいいぞ」

「そうする」


 すっかり気を取り直したシャルルは、真剣な顔で書類と向かい合う。

 バーナードはこっそりとため息を吐いた。


(奥様が来てから、まるで人が変わったようだよねぇ。――いや、そもそも春の公爵家に求婚状を送り付ける前から、おかしかったようなぁ……)


 スプリング公爵家の長女、マーガレットはオレンジ色の髪の綺麗な女性だ。

 だけど、その表情に華やかさはなく、いつも暗い顔で俯いているのを惜しく思ったことがある。


 バーナードは甘いフェイスをしていて、女性の方から言い寄ってくることが多い。

 だから女性との付き合い方は主人であるシャルルよりは詳しいつもりだけれど、マーガレットはそういう女性たちとは違うタイプだ。たぶん、バーナードとは少し相性が悪いように思える。


(まあ、主人の恋を気にしていても仕方ないか)


 きっと一目惚れか何かだろう。そういうこともある。

 バーナードはとりあえず考えるのをやめることにした。



    ◇◆◇



 結婚してから忙しそうなシャルルだけれど、食事やお茶の時間は一緒になることが多い。

 最初の頃は彼に気を使っていたマーガレットだけれど、優しい瞳で「君と過ごす時間を大切にしたいんだ」と言われたら断ることができなかった。


 散歩の時間に剣を持っているシャルルを見て、思わず逃げ出した日のお茶の時間も、彼は笑顔を携えてやってきた。その瞳はやや切なげだ。


「マーガレット。昼前のことだけれど」

「すみません。いきなり逃げ出して」

「いや、あればオレが悪かった。剣を持って近づいたら怖いよね。気が利かなくてすまなかった」

「いえ、その……すみません」


 言葉が見つからずに謝罪をすると、彼は困った顔になった。


「謝る必要はないよ」

「……」


 お茶を一口飲んだシャルルが、三段のケーキスタンドからマカロンとケーキをお皿にとって渡してくれる。どちらも、マーガレットが好きな味だ。


「どうぞ」

「ありがとうございます」

「それとオレたちは夫婦になったのだから、かしこまらなくてもいいんだよ」

「……はい」

「試しにオレのこと、シャルルって敬称なしで呼んでくれないかい?」

「……シャルル?」


 怖々とそう呼ぶと、シャルルは満面の笑みを浮かべた。その目が愛おしそうにマーガレットに向けられていることに気づき、すぐに目を逸らしてしまう。


「マーガレット」

「なんでしょうか」

「特に用はないんだけど、名前を呼びたくなったんだ」


 シャルルはなぜか嬉しそうな顔をしている。マーガレットの名前を呼ぶことがそんなに良いことなのだろうか。


「……あ、そういえば一か月後に、公爵邸で夜会を開くことは知っているよね?」


 その話は、先日に聞いたばかりだった。

 ウィンター公爵家は、北部を束ねる大領主でもある。

 スプリング公爵領で結婚式を挙げたものの、まだ北部の貴族たちに正式な挨拶はできていない。今度の夜会は新たな公爵夫人のお披露目を兼ねているのだそうだ。

 もちろん、マーガレットも参加することが決まっている。


「明日はブティックのオーナーを呼んであるんだ。昼過ぎに来る予定だから、一緒に選んでくれないかい?」

「はい、わかりました」


 夫婦として社交の場に出るのは、結婚式以来初めてのことだ。

 だから服の色を合わせたり、いろいろあるのだろう。


(ドレス選びは……)


 スプリング邸でも、夜会などの社交の場に出るときは、家族と一緒に新しくドレスを仕立ててもらった。

 だけどマーガレットは、母の選んだドレスしか着たことがない。

 ただ言う通りにしていれば、前世の親みたいに冷たい視線を向けてくることも少ないだろうと、そう思ってのことだったのだけれど。


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