第30話 勇者の敗北
そこにいたのは、エリーシャだけではなかった。
ラインハルに剣を突きつける女騎士クラウディアと竜騎士ジーク、リアンの近衛騎士たち。
全員、俺を守るように立ちはだかっていた。
「エリーシャ、これは何なんだ?」
ラインハルは困惑していた。
どうして大切にしている仲間たちが、自分に剣を向けているのか。
本当に分かっていないようだった。
「ラインハル、戦いは終わりだ」
「終わり……って、何だよ、ジーク。一体何なんだよ、なぜ邪魔するんだ!?」
勝てると確信していた瞬間を邪魔されたことに、ラインハルは苛立っていた。
「あと少しで仇が取れていたんだぞ!」
「確信もないのに殺そうとしたというのか? はっ、お前らしくないな、ラインハルよ。戦う必要はないし、我々の負けだ」
「……は?」
負け。
それが何を意味するのか、今のラインハルには分かるはずもなかった。
血に濡れた剣をギリッと握りしめたまま、答えを求めようとする。
「姫も攫っていないし、ジェイクやゾルデアも傷つけていない。彼が言っていたことは全部、本当だったんだ」
「そんなはずがない! だってロベリアだぞ! 証拠ならすぐにでも掴める! はずだ!」
「なぜ、そう言い切れる?」
「そいつが傲慢の魔術師だからだよ!」
朦朧とする意識の中でも、指を指されているのが見えた。
傲慢の魔術師という通り名は、相変わらず健在か。
そうだ、そうだよな。
俺がいくら頑張っても、報われることはないんだよな……。
世界を巡って、理解していたはずだ。
自分が誰からも嫌われていること、生きる資格のない悪役だってこと。
守ってくれたからなんだ。
どうせ上辺だけで、俺のことなんか本当には理解していない。
もう嫌だ。
こんな歪んだ世界には、もういたくない。
(これが、ロベリアが眺めていた風景か……)
ロベリアが悪を貫いた理由、理解できた気がした。
誰からも、心から救ってもらえなかったからだ。
なら俺も、もう誰かを救う必要なんてないんじゃ――
「救われたさ、私たちは」
不意に、クラウディアが言った。
とても柔らかく、穏やかな声で。
「彼がいなければ、私の故郷は今も竜王の支配を受けたままだった。友人の次にトトが生贄になる可能性もあった。私一人では到底どうしようもなかった。そんな時、ロベリアが現れた。紛れもなく私の救世主だ」
彼女ははっきりと告げた。
その言葉には偽りがなく、真剣そのものだった。
彼女の隣で、竜騎士ジークがにやりと笑う。
「俺も竜王を倒そうと躍起になっていたのだが、村に着くなり奴の姿はもうなかった。後からロベリアが倒したと知り、俺も最初は疑ったさ。だが、邪竜を討ったことで支配から解放された人々がいるのも事実。まさに英雄の所業だ。我はロベリアを信じることにした。コイツは邪竜を倒し、人々を救ったのだ」
彼もまた、俺を肯定した。
「俺ら近衛兵も、リアン様に頼まれてここにいるっス。ロベリアさんに対してこれ以上の攻撃は、俺らも抵抗するんで覚悟してください」
あの若い近衛騎士だ。
名前は確かユーゲル。
相手が自分たちを受け入れてくれた勇者だというのに。
俺の味方をすれば、英傑の騎士団とは敵対関係になってしまう。
リアンはなぜ、そのように彼らを動かしたのか。
「俺たちの主を救ってくれた。だから今度は俺たちがこの人、恩人を守る番っス」
ラインハルは唖然とした。
悪役が誰かを助けたなど、信じられないようだった。
だが、トドメを刺すようにエリーシャが立つ。
「ジェイクさんから全部聞きました。ロベリアさんがリーデア姫を友達に会わせるために動いていたことも、ゾルデアさんが戦いの真っ最中に暴走状態になって、ジェイクさんがロベリアさんとリーデア姫を庇って相打ちになったことも」
淡々とエリーシャは説明していった。
そうか、ジェイクは無事だったのか。良かった。
「彼が言っていたことは全部本当だったの」
「そんなはずが……嘘だろ」
「こんなこと、ラインハルらしくないよ。後先を考えずに、大勢の仲間の前で……寄ってたかって無実の人に剣を突きつけて……お願いだから、もうやめて」
「……っ」
苦虫を噛んだような表情で、ラインハルは俺を睨みつけた。
「こいつはロベリアなんだぞ! 悪が、人を助けるはずがないだろ!?」
バシッ!
ラインハルは頬を叩かれていた。
歯を食いしばり、涙を流すエリーシャに。
「私たちが悪いの、もう認めようよ。ロベリアさんの話を聞こうとしなかった。証拠もなかったのに酷いことをした。悪いことをしたら謝るのが当たり前でしょ。なのに、どうして――」
「俺は、ジェイクたちのために……」
「頼んでいないじゃない。誰も、そんなことを」
その言葉がラインハルを黙らせた。
そう、誰も頼んだことではないのだ。
何もかも、ラインハルが起こしたことだ。
ジェイクとゾルデアの話にも、ロベリアの話にも耳を傾けなかった。
証拠もないまま、勝手に決めつけた。
思えば可笑しな話だ。
彼は一体、何と戦っていたのだ?
この瞬間、ラインハルはすべてを理解した。
だからこそ、ショックを受けていた。
失望した瞳で見つめるエリーシャにも、押し黙る仲間たちにも。
そして、血に濡れた聖剣を握りしめる自分にも――
エリーシャは、本当に申し訳なさそうに俺の手を握った。
小さく詠唱し、治癒魔術をかけてくれたが、血は止まらない。
痛みも増すばかりで苦しい。死んでしまうかもしれない。
薄れていく視界の中、ジークとクラウディア、騎士たちが慌てていた。
唯一、治癒魔術をかけてくれているエリーシャが必死だった。
額から汗が流れ、膨大な量の魔力を流し込んできている。
それでも、やはり聖剣による傷はそう簡単には治らない。
このままでは死んでしまう。
「お願い、死なないで――」
泣きながら懇願していた。
冷たくなっていく手を、ぎゅっと握りしめてくれた。
俺も死にたくはない。
誰かを救ったことで、ようやく認めてくれたのだ。
バッドエンドだけは、やっぱり嫌だ。
死ぬな、ロベリア。生きろ、生きろよ……。
何かが輝いていた。
右手の指にはめていた魔術道具、ノアからもらった指輪だ。
眩い光を放っていた。
俺と、手を握りしめていたエリーシャを中心に、光が飲み込んでいく。
何もかもが、見えなくなるまで――
第四章 終




