第177話 竜王と女騎士の和解 上
和の大国は昼間は暑いが、夜になると寒い。
毛布で体を包まないとならないぐらい、肌寒く、クラウディアは白い息を吐いた。
夜空で、きれいな三日月が地上を照らしてくれていた。
仲間たちと見上げる空は、楽しいものだと彼女は思った。
ジークの頼みで、契の領に向かって移動を開始してから三日目の夜だ。
現在、まだ鬼の領内である。
単独で向かえばすぐに到着できるが、なにせ大人数での移動なので時間がかかる。
悠長にしている場合ではないが、クラウディア達にとって和の大国は珍しい風景ばかりで、いつの間にか移動が観光のようになっていた。
張り詰めた空気のまま旅をするより、ずっと良いことだが。
クラウディアはテントの横で、草むらに座り込んで夜の帳が下りた空を見上げていた。
色鮮やかな星星が川のように広がっていて、そのあまりにも幻想的な光景に彼女は心奪われていた。
(トトや、オズワルさんとこの美しい夜空を、見てみたかったな)
クラウディアはふいに郷愁に耽った。
捕らえられたリアン姫を救うべく目指しているノーヴァリアス王国から、カンサス領はそう遠くない。
もしも彼女を救うことができれば、少しでいいから里帰りがしたい。
(支配から開放されたカンサスが、今どうなっているのか気になるな……)
亡くなった両親とモニカの墓参りもしたい。
ずいぶん顔を出せていないので、そのうち恐ろしい形相で枕元に現れそうだ。
(すまない母さん父さん、モニカ姉。私は、まずロベリアに恩返しがしたい。私の故郷のために戦ってくれた。今度は、私が彼のために戦いたい……)
鞘から剣を抜き、剣身に反射する自身の顔を見つめる。
悲しい表情をしていた、まるで三年前の復讐に囚われていた頃のように。
故郷を支配した男を倒したいという一心で王国騎士団で実力をつけ、英傑の騎士団にも入団して、世界のあらゆる問題に介入して修羅場を潜り抜けてきた。
しかし、それでもあの男に刃は届かなかった。実力に差がありすぎて、ロベリアがいなければクラウディアは死んでいただろう。
ロベリアは恩人であり尊敬できる人間、キツイ言動はともかく善人なのだ。
そんなロベリアを批難する英傑の騎士団の仲間達とラインハルを見て、なぜ彼のことを信じてあげないのかと胸を痛めた。
しかし、クラウディアも周りと同じくロベリアを忌み嫌っていた。彼の内面を見ようとしなかった人間の一人なのだ。
結果的に英傑の騎士団はラインハルへの肯定派と否定派で分れてしまい、崩壊した。
クラウディアはそんなラインハルに同情をしたが、それよりも故郷を救ってくれたロベリアの力になりたいと、行方不明になった彼とエリーシャを探しす旅を始めた。
そして、ラケルの転移魔術の力で妖精王国に飛ばされ、そこでロベリアと再会をした。
(すまないなトト、オズワルさん……私はまだ、帰れそうにないや)
腰を上げ、クラウディアは野営の準備をする仲間達の元へと行こうとするが、ある男に声をかけられてしまう。
「クラウディア様ー、手が空いているなら焚火の準備を手伝ってもらいたいのですがー」
森の方からボロスが顔を出して、こちらに弱々しく声をかけてきたのだ。
ボロスの前では強気な態度でいたいクラウディアは腕を組んで、訝しげに返事をする。
「それなら貴様一人で事足りるはずだが。まさか、竜王だからと自らの手で薪拾いをしたことがない、とは言わないよな?」
「それぐらいなら私も何度か経験しておりますよ。ただ、ここは何分虫が多くて……」
木々や草むらに潜んでいる虫を細目で見ながら、ボロスは恥ずかしそうに言った。
いつもなら涼しい顔で仕事をこなす彼が弱気だ、本当に苦手なのだろう。
「大の大人がたかが虫にビビるなど、情けないとは思わないのか?」
「面目ありません……ロベリア様のお宅で遭遇したヤツがトラウマになってしまって……」
竜化したボロスがロベリアの家を壊してしまう事件を、クラウディアは思い出す。
きっと、あの日のことだろう……。
「仕方ない、手を貸してやろう。だが勘違いするなよ。あくまで皆が使う焚火の為であって、貴様の為ではない、いいな?」
「ええ、もちろんですよ。やはりお優しい方ですねぇ、クラウディア様は」
「妙だな。貴様に褒められても、微塵も嬉しくないのだが……」
屈託のない笑顔のボロスに、クラウディアは額に手をあて溜め息を吐く。
「さっさと行くぞ、皆を待たせるといけない」
クラウディアは、相変わらず冷たい態度をとるのだった。
野営場所から少し離れた森の中、ボロスとクラウディアの二人は黙々と薪を集めていた。
大人数なので夜の寒さを凌ぐには焚火一つでは足りない。
なので集める薪は、多いに越したことはない。
しかし、クラウディアでさえ静寂が気まずいのか、いつの間にか視線はすぐ近くで薪拾いをしているボロスへと向けられた。
慣れた様子で手軽の木枝を集めており至って真面目に作業をしている。
たまにくっ付いている虫をはらいながら、腕の上で山積みになっている木枝と重ねる。
(……ボロスめ)
クラウディアは集めた薪を足元に置いて、近くの木に寄りかかって腕を組んだ。
それに気づいたボロスも作業を止め、動揺をすることなくクラウディアの方へと振り向く。
「虫が苦手にしては、意にも介さないのだな。どうせ、それも私を野営場所から離すため口実だったんだろうが、目的は何だ?」
「話は、私から切り出すつもりでしたが、気付かれてしまうとは。やはり嘘が苦手分野です……」
ボロスは腕の上で山積みになった薪を地面に下ろし、クラウディアに真剣な眼差しを向けた。
「貴女と、和解がしたい」
クラウディアの故郷を支配して、親と親友を殺した張本人こそボロスである。
そんな彼の口から、あり得ない言葉が出たのだ。
和解。
考えたこともなかった。
故郷から逃げ、人々を救いたいという清く正しい騎士の夢を捨て、復讐に走ったのも、ボロスの行いのせいだ。
(私が、こうなってしまったのは貴様のせいだというのに……)
しかし、クラウディアは激情することなく、代わりに寂しげに俯いた。
ボロスは斬られる覚悟で和解がしたいと告げたのだったが、彼女のみせた意外な反応に驚く。
「今の私なら、理解できます。クラウディア様に、如何に酷いことをしていたのかを。当時の私は人を何とも思っていなかった、私より弱い生物など……どうでも」
和解を持ち込んだ以上ボロスは今までのことを正直に話すことにした。
せめての誠意だった。
「しかし、ロベリア様の配下として仕え、理想郷で人々と触れ合っていくことで私の中での命に対する認識が変わっていきました。人は皆、平等に尊いものだと。無駄にしていい命などこの世に存在しない。あの頃の私は、それすら理解できない未熟者でした」
ロベリアは普通の生活を望んでいるが地位的には王の立場で、執務をする彼の補佐をボロスがしている。
理想郷が発展していくとで必然的に仕事が増え、現場に赴く回数が増えていった。
ボロスはそこで生活水準を少しでも上げようと汗水流して仕事をこなす人々と関わり、実際に作業に参加して、生きることの辛さを実感した。
玉座にふんぞり返っているだけの人生を送ってきたボロスにとって新鮮で刺激的な日々だった。
家に帰ると、そこには尊敬する人がいて、弟子達が家族が待ってくれている。
幸福だった、理想郷の日々がボロスにとってかけがえのないものになっていた。
「獣にも劣る所業、私のやってきたことは到底赦されることではありません……なんの罪もない人々をこの手にかけてきました」
竜族だからと、それ以外の種族を侵害していいと勝手に思い込んでいた。
「そんな私をロベリア様は受け入れてくださった。人生をやり直す機会を与えてくれた。私はもう、誰からも奪いたくありません。これからは生きて償っていきたい。これが、私の本心です」
「……」
決意のこもった声で言ったボロスを、それでもクラウディアは目を合わせない。
かといって剣に手をかけるわけでもなく、静かに耳を傾けていた。
「赦して欲しいとは言いません、しかし私はクラウディア様に謝罪しなければなりません。貴女の大切な居場所、肉親を奪ってしまって……申し訳ございません……」
ボロスはその場で膝をついて、頭を深く下げた。
カンサス領で、幸せになる権利があったクラウディアの人生を奪ってしまったことを悔いながら、額を泥に擦り付けた。
それを見たクラウディアは、頭を下げるボロスの傍へとゆっくりと近づく。
「ボロス、お前の言いたいことは分かった。頭を上げてくれ……」
クラウディアは頭を上げたボロスの肩に手を置いて、地面に膝をついた。
同じ高さで、ボロスとの視線を合わせる。
「ボロス、お前を見ていれば、痛いほど分かるさ。あの頃の、冷酷なお前はもういない……。私と同じように、ロベリアと出会ったことで心を入れ替えた。もう、お前は誰からも奪わない……」
クラウディアは優しい声で言った。
そこには憎しみはなく、慈悲に溢れた瞳をボロスに向けていた。
「立て……跪いている姿は、お前には似合わない」
クラウディアは跪いているボロスを立ち上がらせる。ボロスが初めて見せたであろう寂しげな表情を前に、クラウディアは言葉を続けた。
「竜王軍が、アズベル大陸に齎した被害はあまりにも大き過ぎる。だが、相手を慈しむ心を持つようになった今のお前なら、償えるはずだ……」
故郷を支配され、両親、友を失い、復讐に駆り立てられ騎士としての道を目指し、倒すべき仇と仲間になった少女は決断する。
「死で償え、竜王……」
ボロスの背中を、剣が貫いた。
クラウディアは得意の移動速度で瞬時に背後へと回り込み、ボロスの心臓を剣で突き刺したのだ。
「がはっ……クラウディア様……」
大量の血が飛び散り、ボロスは血反吐を吐いた。
剣には、致命傷になりえるほどの魔力が込められており、激痛と苦しみがボロスを襲う。
「私は、お前を絶対に赦さない」
意識が消えかけるボロスの視界の端には、憎悪に飲まれたクラウディアの表情が映る。
剣を握る手が震え、涙を浮かべていた。
カンサス領での戦いから、三年が経過している。
人魔大陸の魔物と戦い続けたことでクラウディアは急激に成長している。
ボロスがたとえ以前苦戦した相手であろうと、油断している今なら殺すのは容易いことである。
(それが、貴女の答えですか……)
死を間際にしたボロスは、抵抗することなく身を委ねた。
これは因果応報、非道な行いの数々をやってきた結果である。
(ロベリア様……)
途切れそうになる意識の中、ボロスは大切な友人を思い出す———




