第176話 協力
「うぉい! もっと安全なルートという発想がないのかね君!?」
夜の帳が下りた、鬼の領”童王”の城下町。
黒衣を纏ったシャルロッテが、集合した平屋の壁を駆け上がり、屋根を伝いながら静かに移動していた。
肩には縄でぐるぐる巻きにされて身動きがとれない痣だらけのシャレムが担がれていた。
屋根を飛ぶたびに耳元で大声を出すので、このまま置き去りにしようかという考えがシャルロッテの頭をよぎる。
捕まって役人から拷問を受けるシャレムを取り戻すため、数日間も牢屋敷前で機会を伺っていたことを感謝してほしい。
「声を押さえてください。見回りに見つかりでもしたら、町からの脱出が難航してしまいますよ?」
「それならへーきへーき。つい先日、ヘンテコな怪物が町で大暴れしたからって、他領への警戒で童王の警備をほとんどを国境あたりに敷いたみたいでよ」
「ロベリア様が倒した怪物ですよね」
牢獄から脱獄して解散したときに、街中を破壊しながら襲ってくる怪物と戦うロベリアの姿を、シャルロッテは目撃していた。
あらゆる生物の肉を縫い合わせたような奇怪な見た目の怪物に、ロベリアの黒魔術がほとんど通用していなかった。
ジェイクの援護射撃のおかげで怪物を倒すことに成功したが、あれが何者なのか、誰の差し金なのか定かではない。
「あれは、もはやロベリア様と同じ”銀針の十二強将”の領域ですよ」
「僕は避難民に紛れて逃げようとしたから見てねーけど、そんなに強かったのか?」
怪物の襲撃中に、シャレムは逃げ惑う人々に紛れて国境を越えようとしたのだが、角ではなく猫耳なので敢えなく捕まってしまったのだ。
「今いる理想郷メンバーで束になってかかっても、勝ち目はないでしょうね」
「マジかよ……それを単独で撃破とかロベリアの奴ってすげーな」
「その反応、今更過ぎませんか?」
ロベリア・クロウリーの経歴を調べ上げたことがあるシャルロッテだからこそ、ロベリアの凄さを痛感している。
彼に勝てる者は魔王か、十二強将の三刻か二刻の神以外ありえないだろう。
「!?」
前方の屋根に飛び移ろうとした瞬間、右肩をなにかが掠ってシャルロッテは片目を細めた。
「ぐっ!」
「お、おいシャルロッテ! どうしたんだよ!?」
なんとか屋根に到着することができたが、シャルロッテは右肩を押さえながら苦しそうな表情をみせた。
「焼けるような痛み……毒ですか。シャレム様、どうやら敵襲のようです。私の後ろに隠れていてください」
シャルロッテの言う通り、四方から敵が続々と現れる。
全員が同様に黒衣を纏っており、身軽に平家を飛び越えてくる。
どうやら、付けられていたようだ。
「その状態でどうするってんだヨ!? この数、たった一人で倒せんのかよ!?」
「戦うしか生き残る方法がないのであれば、もちろん最後まで足掻いてみせますよッ!」
「うひゃっ!」
シャルロッテは、シャレムの襟を引っ張り、彼女を背後から攻撃しようとした敵に強烈な蹴りを入れた。
魔力を足に込めたことで、敵は建物を突き破りながら吹き飛んでいく。
「ぐあっ……」
「お、おい無理すんなって! 毒を受けたなら応急処置を」
シャルロッテの能力”魔力感知”の範囲内には三十人以上もの反応があった。
中には厄介な輩も紛れており、手負いの状態でシャレムを守りながら敵を全滅させるには、かなり無理がある。
(毒は幼少期から飲まされていたので、ヒュドラの毒ではない限りは耐性のほうは完璧ですが。痛みが引くまで時間がかかる……)
シャルロッテは毒の痛みを紛らわすためか、下唇を思いっきり噛んだ。
「これしきの窮地、任務で飽きるほど掻い潜ってきました。なので、ただの暗殺者だからと舐めないでください……」
切れた唇から流れる血を舐め、冷徹な視線を敵に向ける。
諦めの悪さは、宿敵譲りなのだ。
—————
契の領。
蕎麦屋”紅葉風”での仕事を終えて、暖簾をおろす。
日も落ちてきて客が減ってきたので、今日はもう閉店だ。
店内に戻ると、そこには皿洗いをしてくれているトウの姿があった。
蕎麦作りを教え、恋愛相談をする代わりに店の手伝いをやらせている。
トウの意表の相手はこの店の看板娘アキ。
この店の大将である彼女の父親の舌を鳴らせるほどの蕎麦を完成させることで、アキとのお付き合いを認めようという作戦だ。
「お疲れさまです。今日も忙しかったですね」
「そうだな……」
腰に手をあて、背筋を伸ばす。
ボキボキと背骨が鳴る音が聞こえ、ちょっと痛い。
「ご苦労、今日の日給だ。受け取れ」
トウは元々油売りとして働いていたのだが、それだけでは家族を食べさせることができなかったという。
なので、大繁盛中のこの蕎麦屋に転職したおかげで、余裕をもって生活を送ることができているらしい。
「お疲れ、夜道には気を付けろ」
トウの家は町外れにあるみたいなので、帰る途中で追い剥ぎとかに遭遇しなければ良いのだが。
現代と違って、大昔の日本は物騒だからな。
「そういえばロベリアさんは、聞いたことがありますか? 武の領、契の領の間を隔てる”鷹麗岳”という名前の山で、過去亡くなったはずの偉人の”亡霊”が目撃された、なんて噂が最近広まってるみたいなんですよ」
武の領は、和の大国の西に位置している国である。
三領の中でも最も広い領地のようで、和の大国から出るには武の領を通過しなければならない。
「初めは噂でしかないと皆鵜呑みにしていませんでしたが。山の麓に住まう人々からの目撃情報が毎日のように上がっていたらしく、ついに現頭領ヒラナギ様までもが動き出す事態になったとか」
「死んだ者が、亡霊になってか……」
和の大国に来たばかりなので、そんな噂は一度も耳にしたことがない。
かといってトウが法螺を吹いているとは思えない。
死んだ者が生き返る、場面に遭遇したことがある。
妖精王国でラインハルに刺されて一度死んだエリーシャを、一万人もの妖精が力を使って生き返らせてくれた。
半分以上もの妖精が力の使いすぎで昏睡になってしまったが、それほど大掛かりじゃなきゃ亡くなった人を生き返らせるなんて到底無理だ。
それとも俺の知らない方法が、他にもあっただけなのか。
「ロベリアさん……?」
「あ、いや。考え事だ、気にせずに帰れ。さっさと帰れ。帰らないと店を閉められん、さっさと出ていけ」
「うっ、手厳しい人だ。けど……その傲慢な態度が、最高の蕎麦を完成させる秘訣なのですね。参考にさせていただきます!」
「いや、参考にしなくてもいいぞ……しない方がいい」
トウの尊敬の眼差しが痛い。
心なしか尻尾を振っているようにも見える。
ボロス二号は流石に荷が重い、アイツは一人いるだけ十分なんだよ。
「では、失礼します! また明日ご指導をよろしくお願いします!」
「さっさと帰れ、痴れ者」
トウは頭を下げ、ようやく店を出る。
看板娘のアキと大将のシュウキの二人は、親子水入らずで温泉に行っているため明日の昼まで帰ってこない。
雇ったばかりの俺に店を任せるのは些か警戒心が足りないのではと心配になったが、逆にそれだけ信用してくれているという事なので嬉しい。
「うわぁあああああああああ!!!!」
店の外から、トウの悲鳴が聞こえた。
なんだ? 店に油をまいて火事を起こそうとしている馬鹿でもいたのか?
扉を少しだけ開けて、隙間から外を覗くと武士っぽい連中が店を囲んでいた。
(え、なにコレ……)
明らかに普通ではない状況に、すぐに逃走をしようかと思ったけど、トウが地面に押し倒されて捕まっている。
泣きそうな顔でこちらに助けを求めていた。
このまま逃げてしまったら、彼がどうなるのか。
大人しく外に出ると、
シュッ!
突然、真横から刀が振り下ろされ、指で挟んで受け止める。
中でも身なりが整っていてい一番強いであろう男は、簡単に自分の刀が止められたことに驚いていた。
周囲を囲んでいた武士たちも動揺している。
「それは、挨拶代わりか?」
男を睨みつけ、片手に魔力を込める。
武士のくせに名乗りもせずに、死角から斬りかかってきて恥ずかしくないのかコイツ。
「殿の斬撃を、止めやがったぞコイツ!」
「強者か、ならば数で押し切るのみ!」
周りの武士が刀を構えだして、敵意を剥き出しにしてくる。
せっかくの潜入作戦がパァーになってジェイク達には申し訳ないが、穏便に済ませられるような気がしない。
「者ども刀を納めよ、私はただ此奴の実力を確認したに過ぎない。鬼の領で暴虐の限りを尽くした男がどのように私の剣術に対応するか、まさか指で止められるとは思っていなかったが……」
殿と呼ばれた、俺に斬りかかってきた男は手を挙げて、周りの武士たちを制する。
まさか、こちらの鬼の領から来たことを把握しているとは、他にも情報を掴まれているかもしれない。
一体何者なんだ、この男は。
「非礼を詫びる。私では、其方がたとえ手ぶらでも勝てないだろう」
男は刀を鞘に納めると、発していた敵意が消えた。
よく見ると俺よりも若くて、物腰が柔らかそうだ。
「其方の情報は、私の使い者達から報告を受けている。まさか、海鳳に忍び込んで初めにやることが蕎麦屋とは。しかも潰れかけの店を、ここまで繁盛させるとは恐れ入った」
「……そんな事はどうでもいい、貴様は誰だ?」
この男が偉いのは喋り方と動作で分かるのだが、こちらの情報を掴んでいるのなら相手側にも開示してもらいたい。
「貴様! このお方を誰と心得ている! その無礼な口の聞き方を……」
「よい、この者は異国の地からやってきたのだろう。この私が誰なのか、知らないのは無理もない」
男はふたたび部下達を止めてくれる。
ありがたい、こちらは諸事情で敬語が使いたくても使えないんだ。
「私は、この契の領全土を統べる現頭領ヒラナギ・ワタツミである。ここに足を運んだのは、其方に力になってもらいたいからだ」
頭領って、この領で一番偉い殿様じゃないか。
丁寧な自己紹介をされた瞬間、目を大きく見開いて後退りしてしまう。
せっかく隠れて情報収集していたのに、まさかこの領で一番偉い人物に、知られていたとは。
「近いうち、和の大国全てを巻き込む戦が起きるやもしれない。そうなってしまったら、契の領だけではない。この地に住まう、罪のない民草までもが犠牲になってしまうだろう。だから、どうか我々にご協力を……」
戦が起きる?
人が大勢死ぬ?
だから協力して欲しい?
状況が一つも理解できない。
けど、この男の眼は本気だ。
どこか焦っているようにも見え、それぐらい深刻な何かが起きようとしているのだろう。
しかし、俺たちにも和の大国に長居はできない理由があるので、協力する暇は———
『この世界の、ありとあらゆる人間から認められることだ』
かつて自分が立てた誓いが頭をよぎる。
そうしてきたから、孤独だった俺にも仲間が大勢できたんだ。
「……詳しく聞かせてくれ」
俺は、契の領頭領ヒラナギ・ワタツミに協力することにした。




