面倒くさいことに巻き込まれるのが面倒くさい
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> 登場人物 <
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■外崎 透佳 (とのさき とうか)
面倒くさがりの少女
表向きは丁寧に振る舞い、トラブルを避ける
■青藤 和樹 (せいとう かずき)
透佳のクラスメイトの男子
■一ノ瀬 孝子 (いちのせ たかこ)
隣のクラスの女子
私、外崎透佳は面倒くさがりである。
例えば帰りの電車内。私は座っている。隣には、疲れた顔のおじさん。逆隣には、一心不乱にスマホを見ているおばさん。そして車内前方から、私たちのほうに近づいてくるのは、杖をついたおばあさん。
普通ならここで、見えない戦いが始まる。おじさんは寝た振りをするだろうし、おばさんはよりスマホの画面に顔を近づけるだろう。私は、本来なら教科書でも取り出し、勉強に夢中になっている振りをするところだろうか。
しかし、私は速攻席を譲った。おばあさんは、「申し訳ないねえ」とか言いながらも嬉しそうに私が座っていた席に座る。社内の緊張が和む。おじさんの目線が柔らかい。おばさんはスマホを見たまま耳を澄ましている。
さて、なぜ面倒くさがりの私が、速攻席を譲ったのか。それは、面倒くさいことに巻き込まれるのが面倒くさいからだ。誰が席を譲るかのバトル。面倒くさい。誰が最後のドーナツを食べるのかのバトル。面倒くさい。戦い自体が面倒くさいし、なんか恨まれたりするともっと面倒くさい。
私は自身の怠惰さに従って行動しているのだが、時々人から感謝されたりする。訂正するのが面倒くさいので、放っておく。
*
「ありがとう、外崎さん。わざわざ落とし物を届けるなんて、親切だね」
次の日の中学校。一ノ瀬孝子さんが私に丁寧にお礼をする。その前日、私は一ノ瀬さんが落とした自転車の鍵を、事務室に届けたのだ。もちろん、無視することもできたが、その時はたまたま他のクラスメイトも一緒にいたので、無視して悪評が立ったりしたら打ち消すのが面倒くさいと思い、拾って届けた。
一ノ瀬さんも『わざわざ』隣のクラスの届け主のところまでお礼を言いに来ている。私が親切だとすれば一ノ瀬は律儀だ。しかし私は親切ではなく、ただの面倒くさがりである。そんなこんなを全部説明するのも面倒なので、「いや、そんな」とか言っておいた。
一ノ瀬孝子さんは美人だ。なんかこう、しゅっとした輪郭をしているし、髪の流れが私の3倍なめらかだし、立ち姿もきれいだと思う。美人は大変だろう。私は美人になりたくない。面倒くさいから。
今度お礼します、とか言ってきたので、私は「いや、お礼ならもうすでに」とかなんとか言って誤魔化した。一ノ瀬さん、いい人っぽいが、あまり関わりたくない。
私が席に戻ると、隣の席の青藤が話しかけてきた。
「外崎って一ノ瀬さんと仲良いの?」
私は呼び捨てで一ノ瀬さんはさん付けかい、と思ったが、私もなんとなく一ノ瀬さんには『さん』をつけてしまう。
「いや、今日初めて話したかな。昨日落とし物を拾ったんだけど、それが一ノ瀬さんのだったみたいで、お礼言われちゃった」
「そうか……」
青藤は考え込むような顔をした。今の会話に考え込むところあったか?
私は青藤和樹を観察した。確かサッカー部所属。運動部らしく短い髪の毛の下に、人の良さそうな顔がくっついている。運動部らしからぬ、と言ったら、偏見だろうか。しかし青藤には、運動部らしからぬ、押しの弱さがある。
「やっぱり、一ノ瀬さん、いい人だよな」
しばらくして青藤が言った。
仮に私が落とし物を拾ってもらっても一応お礼は言う気がする。しかし私は面倒を避けるためにそうしているのに対し、一ノ瀬さんは律儀さからそうしているのだとすれば、
「いい人だと思うよ」
と私は答えた。
青藤は再び思い悩むような顔になった。そして、意を決したように、私に言った。
「外崎、相談乗ってくれ。俺、一ノ瀬さんが好きだ」
私は、『やだな、面倒くさい』と思った。
*
「あ、外崎さん」
購買に寄った帰りの廊下。一ノ瀬さんが手を振ってくれた。ありがたい。これでスムーズに会話に入れる。
一ノ瀬さんは何人かの女子と一緒に昼食を取っていた。私もその輪に加わることになる。
私の知らないアイドルの話や、私の知らない噂話などをかいくぐり、私は一ノ瀬さんに話しかけた。面倒くさいので直球で。
「実は一ノ瀬さんのことが気になってるって男子がいるんだ」
周りの女子が『え〜っ』と高いハーモニーを出す。
「それで一回、遊びに誘ってもいいかって聞いてきたんだけど、よかったらどうかな。別に悪いやつじゃないと思うよ」
言うだけのことは言ったので、私は肩の荷を下ろした。あとは一ノ瀬さんが断るだけで終わる。
しかし、一ノ瀬さんは私の言葉を聞いて、しばらく考え込んだ。そして、私に言った。
「いいけど、外崎さんも一緒に来てくれる?」
なぜそうなるんだろう。
*
「とととと外崎、俺、どこか変じゃないか? 髪型とか大丈夫か?」
待ち合わせの駅前噴水広場で、青藤は見るも哀れなほど不安げだった。
「まあ、大体いつもどおりだよ」
「そんな! 気合い入れてきたのに」
青藤はスマホをインカメラにして髪の毛をいじりだした。
「まあまあ、大丈夫だって。一ノ瀬さんはきっと気にしないよ」
「だよな! そうだよな!」
青藤は自分に言い聞かせるように言うと、前に立って歩き出した。一ノ瀬さんとの待ち合わせはまた別なのだ(青藤が私の事前チェックを欲しがったので)。
市内電車に乗り、何個か駅を通り過ぎる。やがて着いた目的の駅を降りると、水族館は目の前だ。
水族館の入り口で、一ノ瀬さんと合流した。
「本日はよろしくお願いします」
一ノ瀬さんがぺこりと頭を下げる。
「よよよよよろしく」
青藤が一ノ瀬さんに向かって、ぎこちなく頭を下げた。
3人で入場券売り場に向かう。一ノ瀬さんは全員分奢ろうとする青藤を優しく制し、一人分の入場券を買った。そして私や青藤が入場券を買う間、荷物を持ってくれたりした。
一ノ瀬さん、美人の上気配りができるのか。青藤には荷が重いかもしれない。
そんなことを考えながら、入場券をもぎってもらい、水族館に入る。
最初は大水槽だ。適度に人混みがあり、かといって窮屈なほどではない。この水族館を提案したのは私だが、これはファインプレーではないか。
そう思ってドヤ顔で青藤を見ると、彼は込み具合とかそういうことを考える余裕はないようだ。一ノ瀬さんとの距離を、バスケットボール選手が相手をマークするかのように一定に保っている。
一ノ瀬さんが水槽にスマホのカメラを向けているすきに、私は青藤に話しかけた。
「不自然だよ」
「そう言われても」
「もっと近づけ」
「そう言われても」
その時、一ノ瀬さんがスマホ内の写真を私たちに見せようとしてくれた。
ここだ! 私は青藤の背中を叩いた。青藤はおっかなびっくり、一ノ瀬さんの横に立ってスマホを覗き込んだ。さっきよりは距離が近づいた。
あとはこの距離をキープすることだ。私は一ノ瀬さんの逆側から、青藤をオセロのように挟み込んだ。これで近づいた距離を保てるだろう。
タチウオってすごくキラキラしてるなあ。
*
デートがそれなりにうまく運び、連絡先も交換できた。一ノ瀬さんと駅で別れたあと、私は青藤に言った。
「まずまずだな」
「ありがとう」
青藤はスマホを見てニヤけている。写真でも撮ったのかと思いきや、一ノ瀬さんとのLINEの画面だった。まだ、『よろしくお願いします』しか書かれていないが、それでも見るのに飽きないらしい。
「ここまでやれば、あとは流れでなんとかなるはずだ。頑張れ」
私は空疎な励ましをした。ここで手を引くつもりだったが、
「待ってくれ! 外崎、これはどう返事すれば良い?」
と青藤はLINEの画面を見せてきた。
一ノ瀬さんからのメッセージには、『今日は楽しかったです。また遊びましょう』と書かれている。
「普通の会話じゃん。普通に返せば」
「おおおお俺は駄目なやつなんだ! 今日だって外崎のフォローがなかったらデートなんてうまく行かなかった。頼む! もうちょっとだけフォローしてくれ!」
私の中で、『これ以上関わるのが面倒くさい』が『下手に断って後腐れあったら面倒くさい』を上回ろうとしていた。しかし、私はけっこう疲れていた。『考えるのも面倒くさい』状態にあったのだ。
私は青藤に言った。
「『こちらこそ』」
青藤はものすごい早さでスマホを操作し、一ノ瀬さんに返信した。
*
2週間が経過した。私は寝不足だった。青藤からのLINEが夜に来るからだ。
『外崎、これはどう解釈すべきなんだ?』
『外崎、返事を考えたんだが添削してくれ』
青藤は私には夜にLINEするくせに、一ノ瀬さんには朝方LINEしているようだ。相変わらず、扱いが違う。
しかし一ノ瀬さんは、律儀なだけじゃなくいい子だ。
LINEのメッセージの内容が、きちんと青藤に相対している。適度にオープンクエスチョンで、青藤が答えやすいようになっている。それなのに青藤は私に添削させるのだからたまらない。
『もう大丈夫なんじゃない? 今さら、フラれるとかなさそうだよ』
私は今度こそこの件から手を引くつもりでメッセージを送った。しかし、青藤の返信は、
『まだだ。俺は嫌われているわけではないと思うが、まだ二人でやっていける自信がない』
『なんで? 返信だって、だんだんうまくなってるじゃん』
『一ノ瀬さんには、好きな人がいるんじゃないかな』
私は青藤の返信を見て、目を丸くしたと思う。
『青藤以外に? それじゃなんで、青藤とのデートとかOKしたの?』
『それは、その恋が叶わないと知っているから……、なんじゃないか』
私は青藤の自信の無さに、面倒くさくなってきた。
『ちゃんと告れ。それまでは面倒見る』
『あああありがとう』
LINEのメッセージまで震えている始末だった。
*
次の日の中学校。私が席に座ると、隣の青藤が机に突っ伏していた。
「どうしたの?」
「いいんだ……、一ノ瀬さんが幸せなら……」
フラレたのか? まさか。私が授けた告白の文言は、一ノ瀬さんの性格なら受け入れざるを得ないような絶妙に良心に訴えるものだったはず。
しかし、青藤は机に突っ伏したままだ。本当に、青藤の言う通り、一ノ瀬さんには好きな人がいるのだろうか。だとすれば、なぜデートに応じたり、LINEを返したりするのだろうか。
私は青藤に言った。
「話つけてくる」
「ああ、頑張れ」
青藤は机に突っ伏したまま言った。「グッドラック」
私が一ノ瀬さんのクラスのドアを開けると、一ノ瀬さんは私を見て微笑んだ。
「ちょっとお花摘みにいかない?」
我ながらお花摘みに誘うような態度ではなかったが、一ノ瀬さんはうなずいた。
私たちは花壇でもトイレでもなく、校舎の裏手にある、特にどうということもないスペースに行った。人気がないので最適だった。
「どういうこと?」
私は一ノ瀬さんに聞いた。
「ごめんなさい」
一ノ瀬さんは私に頭を下げたが、それは以前のような律儀な礼ではなかった。
「青藤くんのことを傷つけてしまいました」
「デートとかLINEとかしなければ、もっと傷は軽かったと思うよ」
「そうでしょうね。でも、こうでもしないと、外崎さんと深く会話する機会はなかったから」
一ノ瀬さんは私に言った。私はその意味が取れなかった。
「私、外崎さんのことが好きです」
一ノ瀬さんの言葉は、私に震えるほどの衝撃を与えた。
その衝撃の中で、私は青藤の言葉を思い出していた。叶わない恋。それは、私のことだったのだろうか。
「あなたは面倒くさがりで」
一ノ瀬さんは私の本質をいきなり突いた。
「だから、普通にアプローチしたって、うまく行かなかったと思うんです。そこに現れたのが青藤くんです。あなたは、青藤くんのためとはいえ、私とのデートプランを考えてくれて、私へのメッセージを作ってくれた。最後には、私への告白の文章まで考えてくれた……。すごく嬉しかったけれど、おかげで気づいたんです。この気持ちに嘘はつけないって」
一ノ瀬さんはもう一度頭を下げた。
「私とお付き合いしてください」
私は天を仰ぐと、ほうっと息をついた。
「私はね、そもそも恋愛自体が面倒くさいと思っていたし、恋愛するにしてもお互い束縛しない関係で、相手は面倒くさくないやつに限ると思っていた」
一ノ瀬さんは微笑んだ。
「私、けっこう腹黒なんです」
「みたいだね。すごく面倒くさい女だ。でも、一ノ瀬さんを敵に回す方が、より面倒なことになると思い始めてきたよ」
一ノ瀬さんはうなずいた。
「私、男子にもモテるんですけど、教師の人たちにもモテるんですよ。敵に回したら、厄介この上ない」
「仕方ない」
「仕方ないですよね」
私は一ノ瀬さんの手を取った。これからどういう運命が待ち受けているのか、今はわからない。たぶん面倒くさいことになるだろう。しかし、私は一ノ瀬さんを敵に回すよりは、一緒に面倒くさいことに巻き込まれたほうがいいと思った。