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後編

 時刻は19時をすぎた頃。空に浮かぶ星はすっかり入れ替わったが、俺たちの歩く道には、会場についた頃から変わらず灯をともし続ける屋台の電球が、行き交う人々の表情を、暖かく照らしている。


「うーん!おいしい!」


 隣で城戸きどさんが、揚げたじゃがいもがとぐろのようにして串に巻かれてある料理を食べている。


「はい、九貫(くぬき)くんも。あーん」


「あーん……」


 俺はと言えば、あれもこれもと城戸さんが買っていく商品を、持ってきた2つのビニール袋いっぱいに入れて持ち歩いていた。


 俺が荷物を持ってること自体は別に、自分から申し出たことなので気にならないし、城戸さんに食べさせてもらうのも、実際かなり恥ずかしいけれど、まあ許せる。ただ問題なのが……


「城戸さん、これ全部食べられそう?」


「えっ……」


 そう聞かれて目を泳がせる城戸さん。おやおや?


「か、買う前までは食べ切れる予定だったんだよ?ホントだよ?」


 お腹すいてると食べきれない量買っちゃうの、あるあるだよね。それにお祭りだし。気分上がってるから、仕方ない。


「俺も食べるから安心してよ」


「ごめんね、無理しないでね?」


「大丈夫、中学まで運動部だったから」


 現役の頃と同じ量が食べられるだろうか……引退してからは太らないように食事量抑えてたから、もしかしたら今はあんまり食べられないかもしれない。


「運動部?」


 と、ここで思ってもみない箇所に突っかかる城戸さん。


「意外だった?」


 俺の問いかけに城戸さんは頷いた。そういえば、中学の頃の話はあまりしてこなかったかもしれない。


「テニス部だった。軟式のね。あまり強くなかったけど、楽しくはあったよ」


「楽しくはあった、って、まるで不満もあったみたいな言い方だね」


「はは……」


 確かに不満はあった。ただし、それを上手く言語化するのは、少し難しい。


「他の部員が皆モチベ高くてさ。部活の拘束時間がとにかく長かったんだよ。土日は朝から夜まであったし、平日は部活の後に塾も通ってたから、遊ぶ時間がほとんどなかった。その当時は何も思ってなかったけど……正直、ついていけてなかったよ」


 そこまで話して、なんとなく、引っかかる部分があった。それがなんなのか分からないが、少なくともそれは、あまりいいものだとは思えない。


「そっか。……だとしたら、ちょっと可哀想かもね」


「いや、実際そこまでじゃないよ。確かにそう捉えられる言い方したかもだけど、俺が当時楽しかったのも事実ではあってーー」


「ううん、可哀想なのは九貫くんじゃなくて、周りの人達」


 その言葉に胸がキュッと締め付けられた。分かっていたはずなのに、俺は今も、昔も、変わっていなかったのだと。


 ふと、もしかして彼女は、俺が夏祭りに誘った理由を見抜いているのではないか。その真意を尋ねようとしたところで、スマホの画面を見た城戸さんが「あ、」と声をあげる。


「もう少しで花火始まっちゃうし、場所取りに行こ」


 そう言って腕を組む。俺は言葉を飲み込んで、代わりに別のことを話す。


「それならちょうどいい場所があるんだ。ちょっとだけ歩くんだけど、大丈夫?」


 俺の問いかけに城戸さんは頷く。了承を確認してから、俺たちは人混みから離れて、緩やかな坂道を登っていく。


「どこに向かってるの?」


「坂道を歩いた先に神社があるんだ。その傍にベンチとテーブルがあるから、そこで見ようと思って」


「へー、リサーチバッチリじゃん」


「昔家族と来た時にそこから花火を見たんだ。土手で見ると音がうるさくて相手の話し声なんか聞こえなくなっちゃうけど、そこだとそうでもなかったんだよね」


 人々の喧騒に包まれた後に歩く夜道は、嫌になるほど現実的で、浮ついた気持ちが、途端に地に足をつけて冷静になる。


 街灯に幾度となく照らされる。何度目か分からない街灯の下を歩いた時、横を歩く城戸さんに目線を向けてみた。


 城戸さんは正面を向いて歩いている。けれど、俺が目線を向けた時、確かに城戸さんは目を逸らして正面を見た。


 どうしたの、とは聞けなかった。街灯の光から外れて、直ぐに表情かおも見えなくなってしまったから。


 最初の会話以降、俺たちの間に会話はなかった。でもそれは、単純に話題がなかったという理由ではなく、ある種独特の緊張感があった。言うなればその時、お互いに何かを待っているかのように感じられた。


 ヒュー…………ドン!


「あ、始まったね」


 背後で花火の上がる音と、煌びやかな火花が夜空に咲いた。


「もうすぐそこだよ、ほら、見えてきた」


 目的地である場所の神社が見える。その境内に入っていくと、ちらほらと人の姿があった。


 鳥居をくぐり奥の方へと進むと、人の姿は少なくなる。というのも、この辺は花火が少し見えずらい。


「ここで良かったの?」


 城戸さんがこちらの顔を覗き込みながら問いかけるので、俺は迷いなく頷いてみせる。


「俺らには必要だよ」


 目的のテーブルに着いたら、レジャーシートを椅子にかけて、隣合って座る。


「花火見れそう?」


 雑木林の向こうに花火が見える。ある程度見えるが、低い位置に上がる花火は隠れてしまうようだ。


「ま、私はあまり気にしないけどね。結局見たいのって、高く上がる大きい花火だし」


 含蓄(がんちく)のある言い方だ。気を使って言ってくれているのか、本心なのか。花火の明かりに照らされる彼女の顔を盗み見ると、薄らとした笑みを浮かべ夜空を眺めていた。


「今日、どうして夏祭りに誘ってくれたの?」


 突然の問いかけだった。表情を変えず、視線だけを俺へと変えて。ただ、単刀直入な話運びは、こちらとしてもありがたい。俺は探しだすように、言葉を選びながら話し始める。


「細かいことを言えば色々あるんだけど……一つ、これだけは言えるとすれば……その……」


 城戸さんは喋らない。じっと俺の言葉を待ってくれている。


「君に……誠実でありたかった」


「誠実……」


 ポツリと城戸さんが呟いた。ただその呟きは、誰かに聞かせようとして発したものでは無いようで、俺の問いかけを待たず「続けて?」と促してきた。


「俺たちが付き合うことになったのってさ、言ってしまえばなし崩し的というか、流れというか、城戸さんに『付き合って』って言われて、それに俺が『はい』って言ったからなんだけど……わかってると思うけど、あの時の俺の『はい』は、ただ、突然告白されたから、そのことに対して思わず聞き返しただけで、俺の中で、ちゃんと答えてはいないんだよ。だから、今日の夏祭りで、君と一緒に居たいって思えるかどうか……それを知ってから、ちゃんと返事をしたいと思ったんだ」


 なんだか言ってて恥ずかしくなってきた。どうして俺はこんな言い訳じみたことをしているんだろう、もっと簡潔に、伝えたいことだけ伝えられたらいいのに。けれど、


「うん、知ってた。……ごめんね」


 何故か、城戸さんが謝罪の言葉を口にした。


「話の途中だけど、私の話をしていいかな」


 俺は黙って頷く。


「多分、九貫くんはどうして私が告白してきたんだろうって、思ってるんだと思うの。違ってたらごめんね。……実の所、九貫くんに告白したのって、一目惚れとか、元から好きだったとか、そういう理由じゃなくて……寂しかった」


 寂しかった。それは意外な言葉だった。告白した理由が好意から来るものでは無かったことも聞き捨てならないことだが、それよりも、その事の方が気になっていた。何故なら俺は、城戸さんが学校でみんなに親しまれているのを知っている。昼休みに、友人とおぼしき人達と談笑しながら昼食を食べる姿を見ている。そんな彼女なのだから、寂しさを覚えているというのは結びつかなかった。


「私が他所から来たの、知ってるでしょ?知り合いもいないし、友達なんている訳なくて、周りのみんなは良くしてくれるけど……それも、なんとか仲良くなろうって、周りに合わせるようになってからだし、最初は腫れ物みたいにされてた。自分で言うのもなんだけど、私って、ちょっと変みたいだからさ、それで……」


 そこまで吐き出すように話していた城戸さんが、一度深呼吸をする。落ち着いた様子を取り戻すと、再び話し出す。


「そもそもここに来た理由って、うちの親が離婚したからなの。それで私はお母さんに引き取られて、お母さんの地元のこの場所で暮らしてる。お母さんとは最初は会話もあったし、顔を合わせることも多かったんだけどーー」


 その先に続くであろう言葉は、言われずとも理解出来た。つまりは、そうではなくなってしまった。確かに、彼女の家に何度も通っているのに、一度も顔を合わせたことがない。


「……最初の数ヶ月は良かった。一緒に頑張ろうって、支えあえてると思ってた。でも、そう上手くは行かなくて、お母さん、事故にあっちゃって、しばらく動けなくなっちゃってさ。私も力になりたくて、駅前で叔母さんがバーを開いてるって聞いたから、そこでバイト始めたの。自分の食費とかぐらいは自分で稼ごうって思って。でも、お母さんはそうじゃないみたいで、なんだかんだ言って、私に負担はかけたくなかったんだと思う。私がバイト始めたって聞いて、すごく怒っちゃって。多分普段だったら、そんなことは無かったと思うんだけど、自分が事故にあったせいでバイトし始めたって、負い目みたいなのがあって、それで意固地になっちゃった。お見舞いとか、退院した後とか、何回も顔を合わせることはあったのに、ずっとぎこちないまま時間ばっかり過ぎて、それで気づいたら、お母さん、家にいないことの方が多くなっちゃったし……お金は定期的に振り込まれてるから、どこかで働いてるんだと思うけど、詳しいことはわかんない」


 ここまでの話を聞いて、俺は何か画期的なアドバイスだったり、閃きは出てこなかった。ただ、最初の「寂しかった」という発言、この発言と掛け合わせると見えてくるのは、酷くシンプルな答えだ。


「城戸さんの……君のお母さんは、なんて言ってるの?」


「だから、それはーー」


 そこまで言って、城戸さんは(しぼ)むように、そのあとに続く言葉を飲み込んだ。


 俺ではないどこかを見て、深くため息をつく彼女は、俺の言いたいことを理解しているようだった。


 実際のところ、俺が直接できることはほとんどない。この件に関して言えば俺は部外者だ。ただ、この問題を解決に導く糸口、その答えは既に出ていると俺は考えている。とてもシンプルな答えだ。


 言わなきゃ、言ってもらわなきゃ、伝わらない。


 なので俺は、あえて別の話をする。


「俺の話に戻るね。一つだけ、勘違いしないで欲しいんだけど、俺は別れたいだなんて思ってないんだ。ただ、なあなあの状態でズルズルと関係を持ち続けてる自分に嫌気がさした、ただそれだけなんだ」


 付き合ったのは不可抗力。けれど、別れなかったのは俺自身の選択だ。


「俺高校デビューでさ。他人と違うことに憧れてた。髪染めて、ピアス開けて。子供っぽく見られたくなくて、一人称も変えた。元々、『俺』じゃくて『僕』だったんだ。けどそのうち、大人っぽく見られようとすることほど、子供らしいこともないって気づいた。それに気づけたのは、大人びた君に出会えたからだ」


 今でも覚えている。俺はすれ違う彼女から、目が離せなかったのだ。


「君が羨ましかった。学校のコミュニティに縛られないように見えた君が、俺にはないものを持っているように見えたから。一緒にいれば、俺も何か変われるんじゃないか、みたいな……そんな根拠の無い期待があった。だから、君と一緒に居ることは、俺にとって何も悪いことじゃないんだ」


 ここまで言い終えて、一度一息つく。一方、話を聞いていた城戸さんは、困惑と驚きの入り混じった表情を浮かべている。


「なんて言うか……意外だった」


 見るからに、言葉を選んでいるのだとわかった。と同時に、その言葉が、とある答えを示しているという直感が働いた。


「俺に悩みがあるなんて、意外だった?」


「ううん、違くて、九貫くんて、良い意味で悩まない人だと思ってたの。別に何も考えていない訳じゃなくて、悩みが出来ても、それと上手く付き合ってられる、みたいな。必要以上に深刻に考えずに、自分で悩みを解消出来る人だって」


 城戸さんから見た自分の印象に、思わず笑いが込み上げてくる。的外れだから、というのもあるが、なにより、


「はは、なら、俺と一緒だ。……俺も意外だった。城戸さんが、ちゃんと普通の女の子だったんだなって」


 俺の言葉に城戸さんが眉をひそめる。それで、言い方が悪かったことに気づき、慌てて訂正した。


「その、城戸さんの家庭環境が、誰にでもあるごく普通のものだって言うつもりは全くないよ。俺は城戸さんのことを、こう、掴みどころのない人だと感じていたんだけど、城戸さんが『寂しかった』って言った時に、俺の中のイメージが途端に人間味を帯び始めたんだ。大袈裟に言うとだけどね」


 俺は普通の人間だ。だからこそ、理解できないものを前にすると、本来の形とは違ったものに見えてしまうことがある。


 つまり、初めて出会った時、彼女の身長が自身と同じように見えたのも、俺のイメージと与傍(よわき)の語るイメージが違ったのも、そういう理由なのかもしれない。


「ちょっと待って、私の家庭環境が普通じゃない、けど、私は普通の女の子っていうのは、矛盾してない?」


「そんな事ないと思うよ。これは俺の考えだけど、人は他人と違うのが当たり前なんだ。なら、誰とも違う君は、きっと普通の女の子だ」


 正直これは詭弁だ。なので城戸さんも理解はできたようだが、納得とまではいっていないようだ。


「まあでも、結局こんなのはただの屁理屈だ。俺が言いたいのはそんな言葉遊びなんかじゃなくて……」


 ここでどうしてか言い淀む。そしてすぐに、自分は意気地無しだったと思い出して、嫌になる。


 けれど。いつの間にか下がっていた目線を上げれば、城戸さんの瞳が、自分の心に絡みつく糸を解いてくれた。


「俺はまだ……君と恋人でいたい」


 ようやく言えた。直前にあれだけ勇気を貰ったのに、言ったそばから顔が熱くなるのが分かった。


 しかし、


「うーん……」


 城戸さんがそっぽを向く。そのせいで、俺からその表情を見ることは出来ず、心臓が掴まれるような感覚に陥った。


「城戸さん……?」


 恐る恐る名前を呼んでみたものの、城戸さんは返事をせず、こちらを向いてもくれなかった。


 どうしてだろうと考えた時に、思い浮かぶものが何も無い。けれどきっと、何か間違えているのだろう。


 どうして、彼女は何も言わないのか、そんな単純なことが分からない。普通、告白されたら、もっと大仰な反応を見せるものじゃないのか。もしくは、これといった例は思い浮かばないが、けれどきっと、今の彼女のような反応は見せないものじゃないか。


 どうしてーー


 『どうして?(・・・・・)


 城戸さんの家で、涙を流す彼女の問いかけが頭に浮かぶ。どうして俺は、自分だけが疑問を抱えていると思い込んでいるのだろう?


 考えてみれば。彼女が何も語らない時、それはいつも、なにか考え込んでいる時だ。


 なら城戸さんは、今、何を考えている?


「……ど、どうしてかと、言うと……」


 彼女の肩がピクリと動いた。その小さな反応がどういう意味を指すのか、分からない俺ではなかった。


「俺は、城戸さんのことがーー」


 その時だった。ポツリと、鼻の先を冷たい感触が叩いた。


 前触れもなく、遠くから聞こえてくるようにその足音を大きく広げていくのは、突然の雨だった。


「うわ、ごめん!一旦動こう!」


「う、うん!」


 反応のなかった城戸さんも一緒に慌てて荷物を片付け、一度神社の軒下へと避難する。


 幸い、荷物への被害はほとんどなかった。ただ、少し風が吹くと雨がかかってしまうため、一着だけ持ってきていた雨合羽を広げて、2人で羽織る。


 そんな中俺は心中、一世一代のセリフを吐こうという時に邪魔してきた雨を、心の底から恨めしく思っていた。


 場には沈黙が降りていた。まったく、最悪だ。ここからどう切り出していいやら、てんで思いつかなかった。


「……私は、」


 濡れた髪をタオルで拭いていた城戸さんが口を開いた。


「かわいいとか、恋人でいたいとか、何でも真っ直ぐ言ってくれる九貫くんのことが……純粋すぎるくらい初心な君が、愛おしい」


 城戸さんが一歩、こちらに近づく。すると頭にタオルを乗せたまま、頭をこてんと俺の肩に乗せた。


「ほら、九貫くんは?」


「あ……」


 城戸さんは、きっと優しい人だ。今のこの気遣いも、今まで一緒にいたその時間も。


 肩にかかる重み一つに、感情が溢れて仕方がない。



「俺、城戸さんのことが、好きだ」


「うん、私も。……これからよろしくね」



 あの日の告白が、ようやく結ばれる。


 私も、と言ってくれた。その事が何よりも嬉しくて、と同時に、少しだけ自分にムカついてやった。


 一方城戸さんはなんてことないように、聞きようによっては素っ気なく思えてしまうような反応を示している。


 まるで、俺は城戸さんの掌の上だったかのような。そんな考えが脳内をよぎった時、ひらりと、タオルに隠れた彼女の耳が見えた。


 夜の暗がりの中でも、赤く染まっているのが分かってしまった。それが可笑しくて。


 ずいと、彼女の正面に移動して顔を近づける。それに城戸さんは驚いたような表情を浮かべているのを見て、ニヤリと笑ってみせる。


「ど、どうしたの?九貫くん」


「うーん、なんというか……傘のほうが上手く隠せたかなって」


「え、それってどういうーー」


 そこから先の言葉を、彼女は言えなかった。何故なら俺が塞いだから。


 沈黙。

 いつの間にか消えていた周囲の音は、離れたふたりの吐息を合図に戻ってくる。


「……どっちもあんまり変わんないと思うよ?」


「……はは、そうかもね」


 それは彼女の照れ隠しにしては、弱々しいものだった。


 雨はやんでいた。花火大会も、突然の雨にも関わらず続行していたようで、いよいよフィナーレと相成った。一際大きな花火が、夜空を、街を照らす。


 それを見届けて、俺たちは帰路についた。


 ……まさか、休み明けの学校であんな事になるとは思いもせずに。



 * * *



「さあ白状しな、証拠は揃ってんだぜ」


 出会って早々、開口一番、重治(ちょうじ)が問い詰めてきた。

 思えば、その日は妙な居心地の悪さが、学校の校門をくぐった時からあった。


 それは悪意とはまた違う。なんとなく、浮き足だったような、物珍しいものを見るかのような、しかもその注目が自分にあるかのような、そんな感じ。


「なんのことさ」


「はっ!とぼけるんじゃねえ、言ったろ、証拠は揃ってるってな。ここで言いふらしてやってもいいんだぜ?けれど俺はしない、友達だからだ。これはせめてもの情けさ。本人の口から、俺らにだけ説明してもらおうという訳だ」


 少し興奮気味になりながら早口で語る重治の(かたわ)らで、片や珍しいニヤケ顔で様子を見守る大智(だいち)と、一方目元が真っ赤に腫れた与傍(よわき)が、俺の返答を今か今かと待っている。


「……一応だけど、なんで学校のみんな知ってるの?」


「さて?俺は確かに、ちょろっとゴシップ好きな奴らの耳元で囁いてやったけどな、そこからは俺の手を離れて、独りでに広まっていっちまったみたいだ。人ってのはどうして、こうも内緒って言われたことを広めちまうんだろうなぁ?」


「お前が広めたのかよ……」


 そうなると、わざわざ隠すまでもない。ホントは今まで通り、周囲には内緒で交際を続けていこうと思っていたのだが。


「どうして……」


 そこで、今まで沈黙を保ってきた与傍が口を開く。


 正直、周囲に内緒でいようと思っていた理由の9割くらいは、与傍が関係している。

 あの日食堂での会話で、まるで『俺は関係ありません』みたいな態度をとっておきながら、その次の週に付き合い始めました、とするのは、流石に良心の呵責があった。まあ実際は、関係的にはもっと前からあったのだけれど、ともかく。


「その……ごめん」


 謝ることしか出来なかった。弁明も何も無い、友達が好きだって言った人を盗るようなマネをしたのだから、嫌われても仕方ないと思っている。


 なのだが、


「だとよ、与傍。どうだ、問題あるか?」


「ううん、問題は、まあ無いでもないけど、あとはいいかな」


「え……?」


 なんか、思っていたような反応と違う……?


「あはは、こっちこそごめんね、変に気遣わせちゃって。確かに好きだったけどさ、ぶっちゃけ、付き合う気とかなかったんだよね。付き合えるとも思ってなかったし、自分なんかと、ってどうしても考えちゃって。好きじゃなくて本当は憧れ、みたいな。だから今回、僕としては、キミが謝って、ボクが許した……それでいいと思うんだ。だからさ、そんな気に病まないでよ」


 どこまでその言葉を信じて良いのか、俺には分からない。でも多分、俺は与傍の言った言葉を全て信じることはできないだろう。今もまだ心のどこかでは我慢しているのかもしれないし、元々あった感情を無理やり解釈して、自分を納得させているだけかもしれない。


 けれど、与傍がこうして『気に病まなくていい』と言ってくれたのならば、それを俺がどう思っていようが、その心意気を無下にしてはいけないとも思う。こうして赦し(・・)の体裁を整えてくれたものを、俺は受け取らねばなるまい。


「わかった……ありがとう」


 俺の感謝に、与傍はニッと笑って見せた。


「さて、必要な儀式も済んだことだし、早速お待ちかねと行こうじゃねえの?」


「ちっ、覚えてたか」


「ったりめえよ、さてさて、何から話してもらおうか……ここはやっぱりーー」


「ねえねえ九貫くん!」


 突然、重治の話を遮って名前を呼んできた人達がいた。あまり関わりのないクラスの女子達だ。


「どうしたの?」


「どうしたの?じゃないよ、城戸さんのは・な・し!私達も聞きたーい!」


 クラスの女子代表みたいな子がそう言えば、両脇の女子達もウンウンと同調するように頷いている。


「はいみなさん離れて離れてー。それではね、これから話しますのでね、静粛に。大丈夫、皆さんの聞きたいこと、全部聞き出しちゃいますからねー」


 そう重治がまとめると、ギャラリーの女子たち、さらには遠巻きに見ていた男子たちもやんややんやと集まりだした。


「おい、流石に人集まりすぎじゃね?」


 その大智のぼやきに、流石に同じく思ったのか重治と与傍も頷く。特に騒ぎを大きくした張本人である重治は若干冷や汗をかいている。


「やべー……九貫すまん、思ったより大事になっちまった」


「謝るくらいならやるなよな……」


「う、俺はな、本質的に小物なんだ」


 知ってるよ。けどこうなってしまってはしょうがない、俺も腹を括るしかないのかーー


 ガラガラガラ……


 教室の扉が開いた。誰も開いた扉を見ない中、俺だけが見ていた。


「……城戸さん?」


 俺の言葉に、教室のみんなが一斉に扉の方を見た。


「え、なになに、怖いんだけど」


 あまりに全員の動きが揃っていたからか、城戸さんは少々面食らった顔をしていた。


 ひとまず、教室に来てくれた彼女を迎えに行かないと。


「おはよ、冬至(とうじ)くん」


 扉の前まで迎えに行くと、硬い表情だったのがパッと明るくなってくれた。


「うん、おはよ、愛楽(あいら)……さん」


 俺のぎこちない言い方に、クスリと笑う。


「うふ、何それ。でも良かった、覚えてたみたいで。忘れちゃったのかと思ったよ」


「ごめん、今までの呼び方がなかなか抜けなくって……」


「そんな、全然怒ってないよ」


 実際、気にしていないのだろう。それに元々、こういう事で怒るような人じゃないことは知っている。


「なら、良かった。ところでどうしたの、なんかあった?」


「ううん、通りがかったら冬至くんが見えたから、話しかけたくなっちゃった」


「そっかそっか。あの後ちゃんと帰れた?」


「うん、大丈夫だったよ。……というか、家の前まで送ってくれたじゃん」


 そう言われて、花火大会の帰り道のことを思い出す。昨日のことだというのに、ベールがかかったように、ボヤけた記憶ばかり頭に浮かんできたが、なんとか別れ際のことは思い出せた。


「……そういえばそうだった。浮かれてて帰り道の記憶あんま無いや」


「もーしっかりしてよね。……あ、チャイムなった。それじゃ私行くね」


「うん、また……そうだ、愛楽さん」


 まだチャイムが鳴り響く廊下を、歩き去ろうとした彼女は立ち止まり、キョトンと振り返る。


「その、良かったら今日の放課後、空いてたりする?」


「っ!……うん、空いてるよ」


 そう答えた彼女は、はにかんで笑った。


「良かった。それじゃあ今日の放課後、迎えに行くから……待っててよ」


「うふ、待ってる!」


 それじゃ、と小走りで走り去って行く彼女を見送って、教室の自分の机に戻った。


「ごめん待たせた。それで、何から答えればいいーー」


「あーもう辞めだ辞めだ、はい、かいさーん」


「え?」


 重治が手を叩いてそう切り出すと、どこか呆れたような、しょうがないとでも言いたげのクラスメイト達が、各々散っていった。


「ちょっと、みんな急にどうしたんだよ」


 他の人たちと同じように席に着こうとしている大智の肩を掴んで問い質すと、気だるそうに溜息をつきながら答えてくれた。


「どうしたもこうしたも、お前らがあんまり熱々なんもんだから、からかいづらくなっちまっただけだ、気にすんな」


 正直に言うとあまり納得できていない。それならと、一方で放心している与傍を放っておいて、愉快そうに教室を出ていこうとする重治を呼び止める。


「おう、まあ、さっきは悪かった。最初はどうやって弄ってやろうかばかりだったが、これからはお前ら2人のことを心から応援させてもらうとする、ああ、そう決めた」


「なんだそれ、気持ちわりぃ」


 最早不気味なくらいだ。あの重治が、そんな殊勝(しゅしょう)な心がけになるだなんて考えられない。きっと裏があるはずだ。


「そう言うなよ、気持ちを切り替えて、これからはリスペクトを持ってバカップル(・・・・・)と呼ばせてもらうからよ」


「いや、何言って……そんなベタベタしてなかっただろ」


「バッカお前、これからの期待を込めて言ってんだよ。あの城戸さんを射止めたんだ、それ相応の充実っぷりを見せてくれなきゃ困るぜ」


「リスペクトなのか期待なのかどっちなんだよ……でも、分かった」


 言い方は本当に本当に回りくどいが、言いたいことはわかった。こいつなりの激励なのだろう。素直じゃないってのは、つくづく損だと思う。


「バカップルでもなんでも、言われるまでもなく、任せとけ」


 俺の言葉にニヤリと笑った重治は、未だ燃え尽きたように座る与傍を連れて自分たちの教室へと戻って行った。


(バカップルか……)


 まさか俺たちの関係がそう呼ばれることになるだなんて、思ってもみなかった。でも、それはある意味周りに認められたかのようで、案外悪くない……かもしれない。いや、やっぱり嫌かも。


 それから、その日一日の授業を受け、帰りのHRが終わると、足早に彼女の教室へと向かった。


 その僅かな道中、行く先々で「バカップルだ」「お、噂のバカップル」「ちょっと、あの人ってラブラブバカップルの彼氏の方じゃない?」とか聞こえてきた。この学校の噂の伝達速度どうなってんだ。


 それらに気付かないふりをしながら、彼女の教室の前に着いて、扉を開けようとすると、


「わ、ビックリした!」


 ひとりでに動きだしたかと思えば、愛楽さんが目の前に立っていた。


「約束通り迎えに来てくれたんだ、ありがと」


「そりゃもちろん。行こっか」


 彼女を連れ立って玄関まで歩いている途中、好奇の視線に曝されていたが、彼女は気にする素振りを見せていないようだ。


「ところで愛楽さんは、その、気にならないの?周りの空気」


 そう聞いてみると、彼女は一瞬考えて、困ったように笑って答える。


「まあその、気にならないわけじゃないんだけど……でも実際、私たちって付き合ってるわけじゃん?今までと違って、本当の意味でさ。だったらもう、コソコソしないで見せつけてやるんだ、って気持ちでいた方が、この先(・・・)楽かなって」


 この先。そうか、愛楽さんはその事まで考えていたんだ。なんだか少し、負けたような気分になる。


「わかった。それじゃあ俺も、気にしないことにするよ」


「というと?」


「愛楽さんのお母さまと、早めに話しておきたいなって」


 そう言うと愛楽さんは吹き出した。急すぎたかな。


「いや、気持ちは嬉しいけど……急すぎない?」


 やっぱり急すぎか。でも、こういうのは早めに解決しておかないといけないと思う。


「急ぐことじゃないかもだけどさ。愛楽さんの、その、問題はさ、まだ解決してないわけじゃん?」


「……あー、えっと、そういうこと?」


「昨日は部外者って言ったけど、今はそうじゃない。愛楽さんも、どうすればいいのかっていうのはわかってると思うんだ。だから、もし良ければ俺も一緒にその場に居られたらなって」


 そこまで言うと、彼女はため息をついてこちらに向き直った。


「冬至くん、ありがたいけどさ、それはやっぱり、私が一人で解決するよ」


「でも……」


「強がりじゃないよ。それに、頼りにしてない訳でもない。むしろ、冬至くんがいるから……私には、冬至くんがいてくれるって思えるから、強く在れる。これはね、私が歩み出したい一歩なの。……分かってくれる?」


 そこまで言われたら、嫌でも頷くしかない。彼女は小さな声で「ありがと」と呟く。


「でも、もし何かあったら、その時は助けるから。だからその時は、ちゃんと頼ってね」


「うふ、ありがとう、そうするね。でも、そうはならないと思う。意外と、簡単に終わると思うから」


 彼女の言うとおり、恐らくこの問題はきっかけ一つで進み始める。それは堰を切ったように。でも、それを簡単だと言い退けるのは、俺にはできない。そうでなければ、ここまで問題を引きずる事もなかったはずだ。


 俺たちの関係は、昨日の花火大会を機に変わり、始まった。たった一つ、話をしただけで。


 伝えなきゃ伝わらないことはある。でも、伝えなくても、人は想像する。俺たちのバカップルという呼び声もそう。きっとある事ないこと、様々な憶測が立てられているはずだ。けれど、それでいい。傍から見たらそれはさほど間違いというものでもない。ただ当人達が違うと言うだけで。


 話を聞いたら、思っていたのと違った。そういうことで世の中溢れている。むしろその為に、人の話を聞く。そしてその真実は、自ら聞いた者にだけ、その手を差し伸べるべきだ。


 だから、本当の彼女を知っているのは、この学校じゃ俺だけだ。それで良い、というか、それが良い。だってそれはつまり、本当の彼女は、俺が独り占め出来るってことだ。


 何故なら皆はきっと、本当の『関わりのなかった2人がバカップルと呼ばれるようになるまでの話』を知らないのだから。

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