前編
「私と、付き合って」
それは告白。告白と言えば、何を思い浮かべるだろう。それも、青春真っ只中の告白と言えば。
例えば、人気のない校舎裏。
例えば、放課後の空き教室。
例えば、夜中の長電話。
夢のシチュエーションで、思い出の場所で、心締め付ける、水彩画のようにじわりと滲んで儚く。憧れのロマンティック。叶うも敗れるもそれは想い人の心次第。一世一代の大勝負。
なら今、彼女の部屋の、二人同じベッドの中で向かい合う男女の間で交わされた告白は、一体誰の憧れだったのか。大人の男女では無い、高校二年生の二人。
しかし、これを笑うことは出来ない。笑い話は、当事者が笑ってこそのもの。
それになりより、どんな場所であれ、シチュエーションであれ、当人達にとって告白の思い出は、未来で特別な思い出と呼ばれるようになるのだから。
これは、関わりのなかった二人が、学校でバカップルと呼ばれるようになるまでのお話。
* * *
「おーい、九貫ー。早く起きろって」
俺の名前を呼ぶ声と、みぞおちに感じた衝撃に目を覚ます。
「んぁ……今何時?」
金髪の頭をガシガシと手で擦りながら、手元に置かれたスマホの画面を見ると、『5:12』の表記が見える。
「30分も寝てねぇじゃん……」
「朝に親帰ってくるって言ったやん。てか、寝るなら自分家で寝ろし」
そう急かして起こしてくる仏頂面の友人の声を聞きながら、頬に感じるフローリングの感触から離れて、スマホとそこらに放り出された財布をポケットにしまう。
「他の奴らは?」
「先帰った。見送ってきて、今九貫を起こしてる」
「そっか、ごめんな、気づいたら寝てたわ」
「いいからいいから、早く帰れって。親何時帰ってくるかわかんねんだよ」
そう言われて背中を押されるがまま玄関まで歩く。簡単に別れの挨拶を済ませ、友人の家を後にした。
(家に帰ったら何しようか)
まずは寝よう。だから、起きたら何しようかで考えた方がいいか。昼過ぎには起きるとして……そしたらシャワーだな。騒いでちょっと汗かいたし。それで、そのあと宿題やって……うん、その後はまあ、その時に考えよう。
閑静な住宅街を歩いて進む。暖かな太陽の明かりを浴びる前の眠こけた目には、青白いベールを通して見ているような静謐な景色が映る日曜の早朝。金曜の夕方から高校で出来た友達と、そのうちの一人の家でゲームして遊んだ。今どき友達の家に集まってゲームなんて、とも思うけど、そうして向かい合って遊ぶのが結構好きだったり。
そんな俺の住むこの街は北陸の地方にある、人口およそ90万人前後の、地方にしてはそれなりに大きな街だ。冬は雪が降って寒いし、遊ぶ場所もそんなにある訳では無いけれど、夏は地元の祭りがあるし、学校の友達はみんないい奴らばかりだし、近所のラーメン屋は美味いしで、産まれてからずっと17年も住んでみれば、そんな嫌いにもなれなかった。
高校に入って1年と2ヶ月。顔ぶれは中学ほどではないにしろ見知った顔がちらほら。クラスのやつらとはいつも通り早々に仲良くなって、勉強もいつも通り、授業を聞いて当たり前の努力をしていれば、今のところ着いていける。中学にはなかった学食や頻繁な移動教室も、今となっては日常的な高校生活の一部として溶け込んでいる。
今日遊んだ友達も、それなりに話を合わせながら、いつもの様に相手に話をさせて、どんな人間か知ったところで、その場に合った人間像を組みたてていく。そうして作りあげた友人関係はそれなりに居心地はいいし、その間柄でしか出来ないノリはあるけども、本当に楽しいかどうかは正直わからない。ただ、それでも結局「これも悪くない」って受け入れていけるようになって、いつしか長い付き合いの親友になったりもする。その時には当初の人間像も崩れて、素の反応をしたりもするのかもしれない。長い付き合いになるほど取り繕えなくなっていくのは悪い事だとは思えないので、そうなった時は潔く受け入れるだろうけど。
つまるところ、俺は平凡な人間だった。特別ハンディキャップがある訳でもなく、それなりに悩みを持っていたり、自身の心境や環境に対してどこか達観した考えがあったり、このままの自分が将来どうなるのかなんて想像もできない、ただの高校生。地元の人間からすれば金髪なところが物珍しいくらいの、特別だとは言えない個性の範疇に収まった一人間。
(……あいつらはどう思ってるんだろうな)
何となく、数時間前までゲラゲラ騒ぎながら一緒に遊んでいた友人たちのことが頭に浮かんでいた。自分をただの高校生と揶揄しておきながら、他人が自分と同じ考えをしているだなんて思い込めるほど愚かでもなかった。
「頭いてぇー……」
流石に遊びすぎた。出発前の30分の仮眠がなかったら二徹してることになる。なんだかんだお利口な遊びばっかりだったから、こうして友達の家で寝ないで、っていうのは今でも新鮮だ。来週もあいつの親いないみたいだし、また誘ってこないかな。
桜の花もとうの昔に散り、これからは梅雨の季節。ジメジメとしたベタつく空気のせいで、汗をかいたようにまとわりつくシャツに不快感を覚える。事実、薄らと汗が滲んでいる気がしないでもない、やや鬱屈とした6月の上旬。
6月ともなれば、ここ東北の地方と言えども、市街地の雪は完全に溶け、遠くの山に雪は見えたり見えなかったり。長い冬を乗り越え、ほんの僅かな春の陽気を感じる間もなく、次の季節へと移りゆく忙しさは、積雪地帯ならではかもしれない。
そんなことを考えながらボーッとした頭で歩いていると、前方から黒いマスクに、黒いキャップを被った女性が歩いてくる。
ただ前から人が歩いて来ただけなのであれば、それまでなのだが、今回はどうやらそうもいかないらしく、不思議とすれ違う人物の顔に視線が向く。
目が合った。
そしてなんだか、今お互いに考えていることは同じように思えた。
(どっかで見たことあるな……)
「えと、2組の九貫くんだっけ?」
「そうっすね、九貫 冬至っす。あの、俺の事知ってるんすか?会ったことありましたっけ」
相手は俺のことを知ってるようだった。もちろん、話した記憶はない。
「そりゃ知ってるよ。金髪で、学校でピアス穴沢山空けて、身長が私と同じくらいの男子なんて、ここらじゃ珍しいでしょ?」
そう言われて、身長172cmの俺と、確かに目線がほぼ一緒なことに気づいた。いや、俺の方が若干高いか、多分。まあそれはいいとして。
「あ、もしかして城戸さん?確か3組の」
「そ、城戸 愛楽だよ。ちなみに4組ね」
城戸愛楽。そう自己紹介する彼女の姿は、少し違和感がありながらも、一見すると高校生の自分からすれば大人びて見えた。メロウベージュの髪色に、毛先が若干ウェーブがかったロングヘア。タイトな黒のミニワンピの上から黒いジャケットを羽織り、足元はヒールブーツを履いて、顔を隠すよう目深にキャップを被っている。
彼女の人となりについて、それほど詳しくはない。ご覧の通り、どのクラスに所属しているかすら知らないし、今もどういう距離感で接すればいいのか分かりかねている。
ただその代わりに、彼女のことについては校内で様々な噂が立っていることは認知している。それはきっと、多分に憶測をはらんだものであったり、面白半分で広めたのであろうものもあるのだろうが、その中でも共通している点が一つある。
夜中の駅周辺で、見知らぬ男性と歩く姿を見かけたことがある。
「もしかして、あんま知ってる人と会いたくなかった?」
「いや、まー、そうなんだけどね。でも、会っちゃったもんは仕方ないし、九貫くんも、私のこと知ってそうな顔してたし」
実際、直接会ったり話した記憶はないが、彼女の名前とその評判だけは聞き及んでいる。
「一応少しだけ。他のクラスに、都会から可愛い女子が入って来たって、クラスのやつらが騒いでたから」
「うふ、なにそれ」
「あと、身長が俺と同じくらいって話と、めっちゃ愛想が良いってのも言ってたかも」
「えー、そんな風に言われてたんだ。うわ、なんかそうやって自分の話聞くのって、ちょっと恥ずかしいね」
そう言って恥ずかしそうに目元を細める城戸さんは、ようやく年相応といった印象を与えてくれた。
「九貫くんはこの時間まで何してたの?」
「実はさっきまで友達ん家いたんだよね。金曜の夕方からずっっと遊びまくって、今やっと帰ってるとこ」
寝てないからめっちゃ眠いんだよねー、と欠伸で目を瞑りながら言うと、
「ふーん、楽しそうだね」
という城戸さんの声が聞こえてくる。欠伸が終わると、先程までと変わらず、目を細めながら話す顔が見える。
「ま、そういう訳で、俺そろそろ帰ろうかな」
「そっか、ごめんね。引き止めちゃって」
「全然、話しかけられて知らんふりするのも、なんか違うじゃん?」
「…………」
「……?それじゃあ今度また、学校で。気をつけて帰ってね」
そう言って立ち去ろうとしたが、城戸さんは返事を返さずに、なにか考え込んでいる様子。そんな上の空の様子を見せられると、少し気になってしまい、帰るに帰れなかった。
時間にすればほんの数秒。妙に長く感じた、若干居心地の悪さを覚える時間は、意を決したように頷いた城戸さんが、俺の手を掴んだことで終わりを告げた。
「えっ、ちょ、城戸さん?」
「ちょっと着いてきて」
そう言うやいなや、俺の手を引いてズンズンと歩き始める。連れられるがままの俺は、何が何かわからず、また、手を振りほどくこともせずに、黙って城戸さんの後ろを着いていく。女子高生に手を引かれる男子高校生の絵面は、想像すると少し面白かった。
困惑よりも眠気が勝る頭でそんな脳天気なことを考えていると、大して歩くことも無く、およそ1~2分程歩いたところで城戸さんが向きを変えて、見知らぬマンションに入る。階段を昇って3階に着くと、城戸さんは俺の手を離し、玄関の前に立ち止まって鍵を取り出した。
「ね、ねえ、あのさ、ここって誰の家……?」
「え、むしろ誰の家だと思う?」
「……城戸さんの家?」
俺の返答を聞いた城戸さんはニヤリと目を細めて、「正解」と呟くと、玄関の鍵を開けて家の中に入っていく。
「九貫くんも」
「あ、うん」
生返事をしてよそよそしく家に上がる。様々な疑問はあるが、まずは1つ聞かなければならないことがあった。
「一応だけど、今家に親御さんとかいたりしないよね?」
「うふ、ちゃんといないから安心して。……ああ別に、一人暮らししてる訳じゃないから。だから、そのうち帰ってくると思うよ」
その付け足しはどういう意味だろう。釘をさしてきたのか、それとも他の意図があるのか。なんにせよ、長居はできないと考えて良さそうだ。
城戸さんの家の中は、玄関からは廊下ぐらいしか見えない。全てのドアが閉まっているためだ。その廊下は何一つものが置かれておらず綺麗にされており、なんとなくイメージ通りだと思った。
城戸さんは閉まっていたドアの1つを開けて、俺と一緒に部屋の中へと入っていく。カーテンが締め切られた薄暗い室内には、いくつかの可愛らしい小物や、明るめの色の家具が置かれており、直感的にここが城戸さんの部屋だと理解した。
「さ、眠いんでしょ。使っていいよ」
「使っていいよって、これは……」
使っていいよと連れてこられた先にあったのは、おそらく、城戸さんが普段から使用しているであろうベットだった。
「いやいやいや!流石にダメだって……」
「どうして?」
「どうしてって、それはーー」
「うふ、案外初心なんだ。かわいいね」
そう言われると、途端に顔が熱くなった。初心と言われて恥ずかしがったんじゃなくて、自分が初心な人間だとされたことに、多少なりともムッとしたからだった。
「いや、やっぱりダメだよ……親御さんが帰ってきた時、なんて言い訳すればいいのさ」
「私が連れ込んだって言えばいいじゃん」
「それで納得するわけないでしょ」
「えー、そんなことないって。それよりさ、早く寝たくない?」
そう聞かれると眠い以外なにものでもない。だから早く帰って寝ようとしていたのだから、わかっててこの女は聞いているに違いない。
今現在の立ち位置は、ベットを背後にして城戸さんに追い詰められている状態。そんな状態なので、腰を下ろしてしまえばすぐにでもベットで寝転がれてしまう。
「ほらほら、とりあえずベットに横になってから考えようよ。それからでも遅くないよ」
「いや、だから横になるのがマズイんだってーー」
「えいっ」
ボフン!
そう言っている間に城戸さんに肩を押された俺は、仰向けになってベットに倒れ込む。
俺は眠ってしまわないようにと、目を見開いて全力で睡魔に抗った。けれど、そんな努力もなんてことない、あっけない理由で徒労に終わることとなる。
「そうやって我慢するのはいいけどさ。ちょっとの間だけ、目つぶっててもらってもいい?」
「な、なんで?」
「だって今から着替えるし。もしかして見たいの?」
「え!いや、その……」
「……エッチ」
そう言われてすぐに目を閉じた。それが狙いだとわかった時にはもう遅くて、どうにか目を開けようとしても、しようとしただけ何もできず、落ちる意識そのままに委ねる事しかできなかった。
「………………ーー」
目を覚ました時にはすっかり日が昇りきってしまって、ほんの僅かに開いたカーテンの隙間から差し込む光は熱を帯びている。
もぞもぞと寝返りを打つと、なにか大きなものにぶつかる。その時になって、自分がいつの間にか布団を被って、枕に頭を乗せて寝ていたことに気づく。
寝返りを打ってぶつかった大きなものは、俺の横で布団を頭まで被っていた。もう6月だというのに。
(いや、まさかな)
布団を被ったものがなんなのか、最早見当はついていた。それでも恐る恐る布団をめくってみると、そこにはメイクを落とした城戸さんが、ルームウェア姿の緩い姿でこちらを見ていた。
(あれ?この匂いって……ーー)
「おはよ。九貫くん」
「……おはよう、城戸さん」
ぶつかった際に起こしてしまったのか、少し目を伏せた状態でまさに寝起きといった様子の城戸さんが、自分の顔から数cm先で目を瞬かせる。長いまつ毛がそうさせるのか、メイクを落としていながらえらく綺麗な顔をしてるからなのか、その些細な動作が色っぽく見えた。
「ねえ、九貫くん」
「なに?」
「この後どうする?」
「どうする……って、まあ帰るけど」
「そっか」
「うん……」
一体なんの会話だろう。もしかしたら寝起きなのもあって、あまり頭がまわっていないのかもしれない。
「ねえ、九貫くん」
「なに?」
「うちで朝ごはん食べてかない?料理は結構得意なんだ」
「えー……と、親御さんは今いないの?」
「いないよ。確認てないけど、お母さんはこの時間にいることないから大丈夫」
「へー……」
ホントにどうしたんだろう。こうも要領を得ない会話が続くと、なにか本音があるんじゃないかと勘ぐってしまう。考えてもみれば、今朝出会ったばっかりの人間に対して、おいそれと言いたいことを言えないのは、当然のことかもしれない。
「どうしたの?話なら聞くけど」
そう聞くと、少し驚いたような顔をした。城戸さんはこくりと頷いて、「あのね」と前置きすると、続けて言った。
「私と、付き合って」
「……はい?」
思わず体を起こしてしまった。なんせ、そんなことを言われるだなんて、一切考えていなかったものだから。
「今、『はい』って言った」
「!?いや、ちょっと待って!これは、その、違くて!」
少し大きな声を出してしまった。けれど、仕方ないとも自分で思う。
そんな俺の弁明なんて聞こえていないかのように、彼女はベットから体を起こすと、四つん這いになって顔を近づけてくる。
「これで私たち、恋人同士だね」
今や目と鼻の先にある彼女の顔は、ニンマリと悪戯そうに、笑っていた。
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