続梟の城
天正十九年、伊賀忍び風間五平が死んだ。五平は姫の許嫁者であった。伊賀忍びの血を絶やさんと、婚礼の儀も済ませていたが、その願いは叶うことなく死んだ。
下柘植次郎左衛門は弟子である重蔵へ忍びの道へ戻るよう命じた。
以後、重蔵は風間の後始末をすることになる。しかし、後年になり、それは徒労であったと重蔵は物思う。
慶長五年、十月初め、下柘植次郎左衛門亡き後、重蔵は弟子をとった。天下分け目の決戦と呼ばれた関ヶ原の戦場跡地で、落ち首拾いをしていた若者だった。重蔵は顔を見ると、一目で風間の子だと見抜いた。顔つきもだが、生まれながらに父から受け継いだのだろう、風間五平の忍び姿が重なって見えるようだった。
名を風間平八と名乗り、十八でありながら、見事な男ぶりであった。
老年に差し掛かる重蔵は、関ヶ原の勝者徳川家康に仕えていた。しかし、重蔵は長い忍び働きで、手足も言うことを聞かなくなってきていた。
これより家康が天下統一を成し、新しい時代が来ることを予期した重蔵は、平八に忍びの技を伝授した。
~~~
三年の月日が流れた慶長八年、徳川幕府が開府された。重蔵はすっかり隠居してしまったが、数十年に及ぶ忍び働きの褒美として、幕府より屋敷を与えられていた。
キセルを吸いながら、重蔵は江戸の喧騒を耳にしていた。やがてキセルの灰を捨てた後、カコンと床を叩けば、天井より影が舞い降りる。
「なにか御用でしょうか」
キセルで床を叩く。それは平八を呼ぶときの決まりであり、なんらかの任を任される時のものだった。
「平八、家康様は天下を治めた。それはつまり、どういうことかわかるか」
「戦が減り、かつての私のような落ち首拾いが路頭に迷うということでしょうか」
「冗談はよせ。事の次第によれば、天下人となった家康様のお命が危ぶまれる事態なのだからな」
「何者かが恨みを抱いた、ということでしょうか」
「天下人とはこの世の一番上に座するお人だ。下の者は、それが羨ましくてたまらない。そこに恨みが加われば、お命を狙う輩がおっても、おかしくない」
「お師匠様は、その輩に気づいたと」
キセルを咥え直し、プカリと吐いた重蔵は、関ヶ原のことを思い出すように言った。
「天下分け目の大決戦と呼ばれる戦。それに負けた者が、この江戸に忍び込んでおる」
「敗残の兵でございますか。鼠のような者ですな。して、その者の名は」
名を知っておれば、重蔵はわざわざ平八を呼んだりはしない。キセルを吸いながら、重蔵は終わり行く戦国の世に思いを馳せた。
信長の天下布武に始まり、秀吉の天下統一と朝鮮出兵。その後に天下を治めた徳川家康。戦国の世を語るには欠かせぬ三人のいくさ人だが、此度の鼠は、その誰とも関りの深い家の者だった。
「上杉の乱波衆、軒猿。おそらく、上杉景勝の命により、家康様の首を取りに来た者たちだ」
「上杉にございますか……」
慶長六年、関が原での敗北の後、上杉景勝は直江兼続と共に若松城を出た。それより一月の後、家康より会津百二十万石から米沢三十石へ減封が申し渡された。この時の景勝と兼続は、悪びれもない堂々とした態度で長く語り草となった。武士の意地というものなのだろうが、その心中は家康への怒りで満ちていたことだろう。
「平八、家康様は血に濡れた戦国の世を終わらされるお人だ。決して死なせてはならぬ」
「はっ」
頭を下げた平八だが、仮にも相手は上杉である。忍びとして鍛錬を積んではきたが、果たして勝てるかどうか。そもそも、見つかるかどうか。
まずは、聞き込みからだと、平八は街に出た。
~~~
三日の時が流れた。徳川幕府が開府されたことにより、街は大賑わいだった。平八は人の波を避けながら、団子屋の店先に腰掛ける。すると、その横に一人の坊主が座った。数珠を手に団子を頼む坊主は、平八にだけ聞こえる声で語りかける。
「上杉の残党、どうにも一枚岩ではないようですな」
坊主は元々忍びだった。利き腕の怪我により忍びを引退していたが、こうして情報を仕入れては売っている。
平八は約束の金を渡し、続きを促した。
「そもそも軒猿とは、たいして名も知られていない忍びです。意地もなければ忠義も薄い。自分たちを養う上杉家が減封された時より、別の家へ去って行った者がほとんどです」
「とすれば此度の一件、残りカスが集まったということか」
「左様です。それに、天下が平定されては、軒猿は上杉にとっても養うに値しない烏合の衆も同然。もはや残っているのは一人のみです。あなたであれば、始末するのはたやすいことでしょう」
「どうだろう。それだけの事情を抱えながら残った一人とあれば、さぞ忠義心の厚い者なのだろう。下手に調子に乗っては、足元をすくわれる」
「ふむ、ですが、私が集めた情報には、襲撃の時間もございます。別料金になりますがね」
平八は内心、坊主でも忍びでもなく、そこらの街商人のようだと思った。
とはいえ仕方なく、懐から銭を置いた。
「あなたは運が良い。なにせ襲撃は今夜、丑の刻でございます。この街の夜を飛ぶ者が、軒猿でしょう」
「三日も待たせたのは、銭欲しさか」
「いえいえ、一刻でも早くお伝えしなければと、街を駆けずり回っておりましたよ」
食えない男だ。平八は立ち上がり、屋敷へといったん戻ることにした。
坊主は団子代を払うよう呼び止めたが、そこにある銭で十分だろうと、去って行った。
~~~
「ふむ、あの上杉も、弱くなったものよな」
屋敷に戻り重蔵へ伝えると、どこか寂しそうな顔をしていた。戦国の世を忍びとして駆けた重蔵にとって、百万石を凌ぐ大名であった上杉の現在は、いくさ人ではなくとも、思うところがあるのだろう。
「襲撃は今夜だったな。そして相手は一人。平八よ、上杉にとどめを刺す役割、受けてくれるか」
「お師匠様の願うがままに」
「受けてくれるか……よいか、敵とはいえ、上杉の者だ。それも最後のいくさ人である軒猿だ。お前の手により、上杉は表舞台に再び上る機会をなくすことを、心にとめておくのだ」
「御意。さすれば、私も最後の戦人に相応しい武具を用意して相対しましょう」
「ではこれを持っていけ。頼んだぞ、平八」
重蔵は一振りの太刀を渡した。平八が受け取ると、背を向けてキセルを吹かした。平八は師である重蔵の心中を察しながら、武具の点検へと向かった。
~~~
江戸の街に夜が来た。家屋の明かりも消え、人の声はしない。夜空を飛ぶ鳥もいなければ、地を走る野良犬も野良猫もいない静かな夜だった。
しかし、気配を消した奉行所の連中がそこらに潜んでいる。平八のように、情報を仕入れてのことだろう。
眼下に彼らを見つめながら、黒装束に身を包んだ平八は、昼間の団子屋の上より丑の刻を待つ。そうして待っているうちに、軒猿の心中が、平八の中に現れるようだった。
天下取りに負け、追いやられ、友であり仲間でもあった他の軒猿や武士たちがいなくなる中、たった一人で家康の首を取りに来た忍びの心中を。
勝てるはずもないのは、当の本人も重々承知だろう。屋敷に籠る重蔵や、坊主ですら襲撃があると知れたのだ。独りでなにもかもを準備したが故、ボロが出た。そのせいか、夜の街には、他の忍びの気配がする。
それでも来るということは、上杉が余程好きなのだろう。上杉に使える者として、せめて戦場にて死にたい。だが、もはや戦は起こらない。であれば、忍びとして、影に舞いながら死ぬことを選んだのだろう。
しばらくして、風を斬る音が聞こえてきた。遠くでクナイが飛び交い、煙幕も見て取れる。
上杉最後の忍びが現われた。平八は家屋の上を飛び、煙幕の元へ。そこには、すでに十数人の奉行所の男たちと忍びに囲まれた男がいる。
その戦いぶりは見事だった。斬りかかってくる刀を避けながら急所を突き、飛んで来るクナイは飛びのいて避ける。避けた後、瞬時に飛んできた方へクナイを投げていた。
手練れなのは、一目でわかった。そして周りを囲う者たちは、この忍びを捕らえて手柄にしようという魂胆が、夜の闇の中、光っているようだった。
平八は、重蔵の言葉を思い返す。最後のいくさ人を、手柄目当ての者に殺させてはならないと、戦いの渦中へ飛び込んでいった。
「お主、名は」
平八が尋ねると、軒猿は鼻で笑った。
「平和にボケて、忍びが名乗るのは、死ぬときだけだということすら忘れたか」
「否、私は忍びの心を忘れてはおらん」
「ではなぜ、尋ねた」
「お主はもう、死ぬからだ」
いくら手練れだろうと、これだけの数に囲まれては避けきれない。体にはクナイが何本も刺さり、胸には刀で斬られたのだろう傷がある。
もはや逃げることは叶わない。手柄目当ての周囲から、捕らえられて首を跳ねられることもない。
名も知らぬ軒猿は、この場で死ぬのだ。大勢を相手に互角に戦ったことから、周りは距離を置いていたが、平八はクナイを手ににじり寄った。
「引導を渡そう。案ずるな、お主の首は焼き、灰となったら大樹の下にでも埋めてやろう」
「小童めが、言うではないか」
二人は近距離で、クナイと炸裂玉での戦いを繰り広げる。平八は周りの者たちに邪魔をするなと睨みつけながら、軒猿を追い詰めた。
「……もはや、これまでか」
軒猿は膝をついた。頭を垂れ、死を待っている。我先にと、周りの者たちが駆け寄ってくる。しかし、平八は重蔵より預かった太刀を抜くと、一刀のもとに軒猿の首を跳ねた。
「しからば、御免」
その首を持ち、平八は夜の闇へと消える。かくして、上杉最後の忍びは夜の闇の中で死んだ。平八はその足で街の外の禿げた山へと赴き、火を起こした。木で囲い、業火となれば、軒猿の首を燃やした。
山に住む猿たちが、炎の明かりのせいか目を覚まし、集まってきた。猿たちが、かつて離れていった別の軒猿のような気がして、最後に相応しいと、平八は微笑を浮かべたのだった。




