“筋金入り”の探索者
2×××年……人類は突如として世界中に現れた“ダンジョン”や、“スキル”と呼ばれる能力によって、その社会のあり方を変容させざるを得なくなる。しかし、月日が流れるにつれて人々は変化を受け入れ、新たな社会を形成していく。
そんな、ダンジョンやスキルが一般的な存在となった社会の片隅で、一人の男が途方に暮れていた。
「はぁ……」
男の名は白金徹夫。歳は明日でちょうど30。職業は無職。大学を出てからはとある工場で働いていたが、経営の悪化による人員削減の対象となり、つい先ほど最後の出勤日の業務を終えたところだった。
徹夫は解雇宣告から今日まで、自分の今後について頭を悩ませた結果として、ひとまずの方針を決め、退職の準備を整えてきた。しかし、心穏やかではいられるかは、また別の問題。
最後の仕事を終え、明日から無職であることを改めて実感した徹夫の頭の中には、解雇した工場の上司への怒りや不満、そして解雇前にできることがあったのではないかという後悔など、後ろ向きな思考だけが湧き上がっていた。
「……とりあえず飯でも食うか」
それほど空腹を感じてはいない。
だが、空腹では思考が悪いほうへ向く。
つまり思考が悪い方へ向くのは空腹だからだ。
そんな理屈になっているのかも怪しい理屈で、無理矢理にでも気分を変えるべく、手近な店に入る。そこは徹夫の帰宅コース上にあり、頻繁に利用していたなじみの店だった。
「いらっしゃい! カウンターどうぞ」
「大将、とりあえずビールお願いします」
「あいよ! ……生一丁おまちっ!」
カウンター席に座りながら注文したビールが、あっというまに届く。
徹夫はジョッキを手に取ると、一気に中身を喉に流し込む。
「ンッ、ングッ……はぁ~。大将、ビールもう一杯。あと適当につまみをお願いします」
「なんだ、いつもはチビチビ飲んでるのに、今日は随分とペースが速いな。嫌なことでもあったかい?」
「仕事、クビになったよ」
「あ~……橋の向こうの工場だろ? 最近、景気悪いって聞くよ。災難だったなぁ」
「まったくだよ。しかも、クビの理由が“若いから”だと」
徹夫が働いていた工場は、技術力はあるが有名ではないため、新規就職希望者がほとんど来ない。しかも従業員にも高いレベルの技術を求めた結果、指導が厳しくなり、せっかく入った新人もすぐに辞めてしまうことが続いた。
そうして徐々に従業員の高齢化が進み、30目前の徹夫でも工場では一番の若手だった。
そして若手の徹夫なら“失業したとしても再就職は比較的容易”だと上の人間は考えたのだ。
「確かに、50や60超えた人達と比べたら、そりゃ比較的容易だろうけどさぁ……嫌ならいいが、代わりに誰かクビにしないといけない。誰をクビにするかお前が選べ、だと。
選べるわけないだろ!? 新人の頃に世話になった人ばかりだし、無理に誰かを選んだとしても、次の日からどんな顔して働きゃいいんだよ……あの工場クビになったら、もう年齢的にも体力的にも再就職が難しい人ばかりなのは分かりきってるのにさぁ……」
「そいつは、ちょいと気の毒な話だなぁ。弁護士に相談したらどうだい?」
「相談はしてみた。けど工場の方にも契約してる弁護士がいるし、金と労力が無駄になることが多いらしい。訴訟問題になるようなことがあったのなら、たとえ裁判で勝って職場に戻れても、また職場で気分よく働けるかというと、必ずしもそうじゃないだろう?」
「あー、まぁ、確かに。無理に残っても嫌がらせを受けることも考えられるしな。法的っつーか常識的に考えてダメなんだろうが……人間だしな」
「多少の退職金を貰って終わり、それがベストだと、頭じゃ分かってるはずなんだけど」
「気持ちの方は、そう簡単にはいかねぇわな」
「そうなんだよ……」
「まぁ、とりあえず何か食いな。これサービスしてやるから」
うなだれる徹夫の前に、小鉢が置かれる。
色鮮やかな野菜が入ったポテトサラダが入っていた。
「ありがとう、食事は……軽めのものを、お任せで」
「あいよっ!」
こうして徹夫は、しばらくポテトサラダを肴に、チビチビとビールを飲む。
そのうちにやってきた料理を食べて一息つく。
「ふぅ……」
「落ち着いたかい」
そう言いながら、お茶の入った湯飲みを置く大将に、徹夫は居住まいを正して礼を言う。
「ありがとうございます。全快、と言うと嘘になりますが、だいぶ……」
心が荒めば言葉も荒む。
腹を満たしていささか落ち着いたのか、徹夫の口調は食事前よりも丸くなっていた。
「少しでも気分がマシになったならよかった。ところで、今後のあてはあるのか?」
「色々考えましたが、とりあえずダンジョンに行ってみようかと。最近は副業としての探索も一般的みたいですし、副業探索者を目指す人向けの講習もあるみたいなので、ダンジョンで日銭を稼ぎつつ再就職を目指す、という感じになると思います」
「ダンジョンか……俺らくらいの世代だとやめとけって言いたくなるけど、今時の子の第一選択肢としては無難なのかねぇ。バイトは考えてないのかい?」
「再就職のことを考えると、面接のために日程調整がしやすい方がいいと思うので。急なシフト変更は雇用者側と他のバイトさんに迷惑だと思います。それに最近は“スキル採用・不採用問題“なんてのもあるみたいですから、どうなるものか」
「ああ、あれだろ? 知識とか資格じゃなくて、生まれ持った“先天性スキル”が使えるかどうかで採用か不採用かを決めるって話。うちに来た客もその話をしてる奴は多いな。
向き不向きやできることがはっきりしているから正当な評価だとか、役立つスキルを持っていなければ希望の職に就けないなんて不当だとか。
そういう基準がある、と表明してるところはないらしいが、実際はやっぱりあるのかねぇ」
「ない、ことを祈りたいですが、あるみたいですね。
就職活動をする身からしたら、そんな基準があるのなら、それこそハッキリ書いとけと言いたくなりますが、企業側からしたら書くわけにはいかないでしょうし」
「そりゃそうだろうよ。後天的にスキルを獲得することもできるとは聞くが、ダンジョンを長期間探索したり、ダンジョン産の希少で高価な道具を使うかしないといけないんだろ? 一般人からしたら実質不可能。生まれた時点でほぼ決まったようなもんだからな」
「これが学べば身につくような技術なら、ぜんぜん話は変わるんですけどね」
徹夫はそうぼやきながら、お茶を飲む。
「一応、希望としてはこれまでと同じ製造、ある程度の経験と技術と資格のある金属加工に携われればと思っています。ただ先天性スキルが微妙なので」
「それは、聞いていいのか?」
「構いませんよ。俺のスキルは“金属操作”なんです」
「あー……なるほど、金属加工じゃなくて操作か。生産系じゃねぇし、しかも操作系は扱いが難しいって聞くしなぁ」
「そうなんですよ。どこの企業の求人票の要項にも“生産系スキルの所持”の文字はありませんが、“生産系スキル所持者優遇”とは書いてますからね」
スキルで拒否はしない、でも優遇はする。拒否できないから仕方ないけど、本当はしたい。
そんな言葉が聞こえてくるようだと徹夫は思うが口には出さず、代わりに乾いた笑いを浮かべる。
「でも金属製の装備なら、上手く腕力にスキルの力を上乗せすれば、本来の重量よりも軽く扱えると思うので、少しくらいは探索にも役立つと思います」
「ああ、それなら俺にもイメージできる。操作系は技量次第で化けるって言うし、あんた案外探索者として成功するかもな」
「ははっ、だといいんですが」
「まぁ、なんにしても無理はしないこった。命あっての物種って昔から言うしな。長い人生、余裕があるなら少しくれえ休みをとってもいいだろう。俺ももっと儲かったら、温泉三昧の日々を送るところなんだがな~」
「温泉、お好きなんですか?」
「おう! うちは毎年一回、家族でどこかの温泉に行くことにしてるんだ」
「そうなんですか、おすすめとかありますか?」
「そうだなぁ、初心者なら、とにかくどこでもいいから行ってみるってのが一番だと思うが、俺のおすすめは――」
それからしばらく大将と温泉の話をした徹夫は店を出る。
工場をクビになった以上、帰り道にあるこの店を訪ねる機会は減るだろう。
別れを惜しむように、徹夫が店構えを眺めていると、カラカラという音が夜の街に響いた。
見れば、近くの自販機の横に置かれた空き缶用のゴミ箱が溢れている。
「……」
徹夫は何の気なしに、視線を転がるスチール缶に向ける。
すると缶はひとりでに、上下から強い力をかけられたように潰れた。
それだけでなく、ゴミ箱の中にあった空き缶も全てが同じように、同時に潰れた。
そして浮いて潰れた缶が、スペースに余裕のできたゴミ箱に入る。
徹夫にとっては日常の光景。今ではできて当然のことだ。
しかし、最初からというわけではない。
(昔はビーズくらいの金属片をちょっと動かす程度だったのにな……)
徹夫のスキル“金属操作”に限らず、操作系という分類のスキルは、効果の強弱が“使用者の熟練度”に伴い変動する。熟練と素人で能力が異なるのは当然ではあるが、操作系の場合は効果に対する熟練度の影響が顕著に現れるのだ。
さらに付け加えるならば、操作系のスキルは水や土など、操作できる対象が限定されるほど、扱いも比較的容易かつパワーが出る傾向がある。逆に対象が多ければ多いほどに、扱いは困難かつ、操作できる質量は少なくなる。
そのため幼い頃の徹夫は“スキルがないも同然”と周囲の子供からかわれていた。
それを悔しく思い、密かにスキルを鍛えることに注力した少年時代。
多少の強化はできたものの、実用的と言うには程遠かった中学時代。
限界を感じ、スキルの活用はほとんど諦めてしまった高校時代。
就職のことを考え、スキルに見切りをつけ、社会に出る準備を進めた大学時代。
徹夫の脳裏に、これまでの人生の記憶が浮かんでは消える。
(スキルをまた使い始めたのは、就職してからだっけ)
次に浮かんだのは、入社前の面接の記憶。
“へぇ、金属操作のスキル持ってるのか”
“はい。スプーン程の重量を操れる程度で、実用的ではありませんが”
”いいじゃない、うちは加工の過程で金属の欠片とか粉末が大量に出るからさ、掃除とかに役立ちそうだ”
“ありがとうございます”
たわいもない、面接時の会話の一部だ。
おそらく、その言葉を口にした社長は覚えていないだろう。
しかし、徹夫は自分でも“使えない”と思っていたスキルを肯定され、少し嬉しいと思った。
それが徹夫が再びスキルを使い始めたきっかけだった。
少年時代のように、鍛えようと思ってのことではなく、ただ嬉しかったから。
そして、自分のスキルを肯定した社長への、僅かな感謝から。
何よりも、仕事の一環として。
毎日の仕事の後片づけをするときに、少しでも綺麗になるように。
ただそれだけで使い続けてきた金属操作が、徐々に成長していた。
いつしか大型の加工機材すら軽々と宙に浮かべて掃除ができるようになっていた。
故に徹夫は考えた“今の自分のスキルはダンジョンでも通用する”と。
ダンジョンには、バスが全速力で激突しても平然としているような化物もいるが、それは第一線で活躍する一流の探索者が相手にするようなモンスターだ。バイトや副業感覚の探索者が相手にするようなモンスターなら、市販の鉄パイプや金属バットで、思いきり殴るだけで十分。
事前準備をしっかりと行い、無茶なことをしなければ、探索者として生活ができる見込みが十分にあると。収入だけを見るならば、その方が工場で働くよりも、よほど収入は多いだろうとも考える。
だが、
(そうか……俺、楽しかったんだなぁ……)
徹夫は日々の生活に満足していた。
楽な仕事ではないが、工場の人々は後輩の徹夫に親切だった。
作業には危険も伴うが、正しく機材を扱えば、ダンジョンほどの危険はない。
スキルに関しても、日々の生活に役立つというだけで報われた気分だった。
名誉や人気というものにも、さほど興味はない。
端的に言って、幸せだった。あの工場で働く毎日が、好きだった。
だからこそ、これまで工場を辞めてダンジョンで稼ごうと思ったことはなく、解雇という事実がとても受け入れ難かった。
(仕事が好きだった。仕事を好きでいられた。それは先輩方や……社長のおかげだろうな……こうしてクビにはなったわけだけど、社長だって好きでクビにしたわけでもない、はず……まぁ、もう何を言っても遅いけど……俺が楽しく働けていたのは、彼らのおかげでもあるか)
ここで徹夫は振り返り、元職場がある方向を確認すると、深々と頭を下げる。
「長い間、お世話になりました」
かつての職場や、その従業員にその言葉が届くことはないだろう。
しかし、感謝すべき点には感謝をすべく、そして解雇への不満を断ち切るべく、徹夫は暗い夜道で一人、頭を下げたまま呟いた。
何も知らない人が見れば、不審な行動かもしれない。
だが、こうして自分の心にけじめをつけた徹夫は顔を上げ、
(さーて、帰ろう! 明日からは再就職活動だ。とりあえず探索者ギルドで基礎講習を受けて資格を取らないとな……評判の良いところがあれば、企業の副業探索者向けセミナーも受けてみるか。
探索者としてやっていけるようなら、大将に薦めてもらった温泉にでも行ってみるかな……いや、探索者ならいっそ定住せずに、全国のダンジョンと観光地を渡り歩く、なんて生活もいいのでは? 辞めたくなった時の備えは必要だろうけど――)
自分のこれからの人生について考えながら、前を向いて歩いていく。
これが数年後、鉄筋や鋼板を重ねて自作した巨大甲冑を身に纏い、その巨躯と重量からは考えられないほど機敏かつ高速で駆け回り、時に空を飛び『リアルロボットアニメ』と評判になる男――通称・“筋金入り”の探索者が生まれた瞬間だった。