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ヴァレンシュタインシリーズ

ミュンヘンのブイヤベース

作者: 川里隼生

 ヴァレンシュタイン公国第一公女エリーゼが、元首であるレオン公爵の名代として外遊に出かけた際の話をしよう。このときエリーゼはドイツ、イタリア、フランスを訪れた。目的はヨーロッパ諸国への友好アピールと、エリーゼ自身の外交力を高める勉強である。まずはベルリンでドイツの首相と合同会見、続いて各所を市長の案内で視察し、夕方になってミュンヘンへ移動した。この日はミュンヘンのホテルに宿泊し、翌日の午後、ローマへ向かう予定だった。


 ところがミュンヘンで事件は起きた。眠る気にならなかったエリーゼが無断でホテルを抜け出し、一人で市内を散歩していたところ、帰り道がわからなくなってしまったのだ。

「なんてことなの……」

 雪の降る中、十歳のエリーゼは自身の愚かさに絶望を覚えた。


「お嬢ちゃん、どうしたの? 大丈夫?」

 街灯の下でうずくまっていたエリーゼに声をかけたのは、近くに住む初老の女性だった。エリーゼの服装から、どこか良家の娘ではないかと考えたそうだ。

「ごめんなさい、道に迷ってしまったの。ヴァレンシュタイン大使館への道を教えてくださらない?」


 女性は道案内しようとしなかった。少女一人が夜更けに出歩くこと自体が危険だし、駐独ヴァレンシュタイン大使館は当時も現在も存在しないからだ。ドイツではヴァレンシュタイン大使館に相当する業務はベルリンが取り扱っている。

「大使館に電話するのは明日にしましょう。今日はもう遅いから、おばさんの家に泊まりなさいな」

 こうして、エリーゼは女性の自宅兼レストランにやってきた。


 凍えていたエリーゼのために、店じまいを終えていた女性の夫がブイヤベースを作ってくれた。ブイヤベースはフランスの伝統料理で、いくつかの魚や野菜などを鍋で煮たものである。この店の名物料理であり、熟練した腕を持つ夫が未だに最高の一皿を追い続けている研究作でもある。初めてブイヤベースを口にしたエリーゼが味の虜になったのも当然の結果と言えるだろう。スープで体を温めたエリーゼはその晩、ゆっくり眠ることができた。


 翌朝、夫婦からの連絡を受けたドイツ当局がヴァレンシュタインの護衛官を連れて来店し、エリーゼは無事に引き渡された。ローマ滞在中は護衛官とイタリア警察の目が離れることはなかった。そのことについてエリーゼは「窮屈だった」と記者団へ発言し、レオン公から電話で叱られている。


 イタリアでの予定を済ませてフランスへ向かう途中、現地での食事をリクエストできると聞いたエリーゼは、迷わずブイヤベースを選んだ。フランス側はミシュランで三ツ星を獲得した料理人を用意し、器具もできる限り最良のものを使用し、マルセイユに実在するブイヤベース憲章のレシピを採用した。ホテルのレストランで料理人がこう言ったという。

「こちらが、我がフランスの誇る最高のブイヤベースでございます」


 一口味わったエリーゼは首を傾げた。

「……確かにとてもおいしいわ。でも、少しスープの味が違うのね。使っている具材も違うみたい。ねえ、この魚たちはどこで獲れたものなの?」

 料理人が答えた。

「すべて地中海で獲れたものです」

「あら、そう」


 そうなのね、とエリーゼは笑って付け加えた。「あら、そう」だけでは興味がないように聞こえるのではないかと心配したのだ。そしてこう続けた。

「もしよかったら、明日はミュンヘンで獲れた魚を使ってくださらない?」

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― 新着の感想 ―
[一言] 今年もサンマは不漁なのだとか。残念。 庶民の食べ物を上品にし過ぎちゃうと、やっぱり駄目なのかもしれませんね。
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