第94話 男なんて大嫌い
漫研に新入部員が入った。
名前は秋谷柚。分野は少女漫画の秋谷は、見るからに気の弱そうな女子だ。
入部届を出して新入部員として紹介された彼女は、現役部員たちを見て、明らかに落胆した様子を見せた。
そして気を取り直して藤河の所に行く。
「よろしくお願いします」
「あ・・・よろしく。少女漫画を描いてるみたいだけど、BLに興味あるの?」と藤河は期待を込めて言った。
「そういう訳じゃないですけど、女性向けの分野ですよね」と秋谷。
「まあ、そうね。これから色々と教えてあげるわ。ただ、三年生は一学期で引退するから、二年生が面倒を見てあげる事になると思うわよ」と藤河。
次に秋谷は高梨の所に行く。
「よろしくお願いします」
「よろしく。仲良くしましょうね」と高梨が答える。
「はい、先輩」と秋谷。
「良かったら、放課後、私の家に来る?」と高梨。
秋谷は嬉しそうに頷いた。
だが、翌日の昼休み、秋谷は退部届を持って教室に居る藤河の所に来た。驚く藤河は訳を問い質す。
「私、高梨先輩の趣味について行けなくて」と秋谷。
「漫研で彼女のオカルト趣味に付き合ってる人なんて居ないわよ」と、開いた口が塞がらない体の藤河の言葉に、秋谷は言った。
「けど、藤河先輩が引退したら、あの人が唯一の女子なんですよね。私、男子が嫌いなんです。乱暴だしエッチだし、何だか怖い」
秋谷は中学一年の時、姉に連れられて上坂高校の文化祭を訪れた事があった。その時漫研のブースを見て、ここは部員が全員女子なのだというイメージが刷り込まれたのだった。女子だけの部活で同性の先輩に囲まれて・・・と期待しての入部だったのだ。
横で聞いていた佐川達が口を挟む。
「まあ、そういうのってあるよね。ギャングエイジって奴。小学校高学年頃の男子と女子がグループ作って対立するみたいな・・・」
「そう言うなよ。そういうのをずっと持ち越すのが昨今の流行りなんだしさ・・・」と内海が言う。
「百合日常系が流行らせた風潮でもあるよね。ああいう漫画って正直糞つまらんのだが」と言ったのは佐川だ。
「つまらなくて悪かったな」と八木が憮然とした。
そこに村上が口を挟んだ。
「気の弱い系の女子って、そういうの多いよね。弱い分余計に男子を怖がって、同じような弱い系と仲間作るんだが、カーストトップの女子グループに苛められたりとか」
「中条さんはどうなんだよ。あの人なんか弱い系の典型だろ」と清水が言った。
「あの人の場合、怖いのは女も含めてだからね」と村上。
「女が女を怖がるなんて、あるのか?」と八木が不思議そうに言う。
「そりゃあるだろ。友達だとか言ってる裏で、いつ何で機嫌損ねるかも、なんて戦々恐々として、居ない所で悪口言われたりハブられたりしたらどうしよう・・・とか、トップカースト女のイジメの標的にされるかも、とか。それ回避するために女子会の掟なんてのが40項目くらいあって、里子ちゃんなんかそれ見て、すっかり恐れをなしてたものな。八木は百合日常系の見過ぎだ」と村上が解説した。
「それに、男子って怖がられるようなヒャッハーな奴ばかりじゃないからね。半分はそういうのと距離置いてる人達よ」と岸本が口を挟む。
「そういうのは女子と距離置いてるから、そもそも接点が無いんだよね」と清水も口を挟む。
「けど、漫研に居るようなオタクがかった奴って、そういうの多いんじゃないの?」と吉江が言った。
秋谷は「鈴木先輩をあまり怖いとは思わないんですけど、田中先輩とかは・・・」
「あー・・・」
八木と藤河は「あれは作品の雰囲気作りのための、格好だけなんだけど」
翌日の放課後、藤河と八木は漫画の背景の取材の名目で、秋谷も含めた後輩達を連れて街に出た。
秋谷は田中を見て驚く。カツラをかぶり、付け眉毛を貼ってツッパリスタイルを封印している。
(もしかして、自分が怖がらないよう気を使ってくれているんだろうか)・・・
昨日、三年生に話した事が伝わったのだろうか。それで気を遣わせてしまったのだろうか。
あちこち歩いた後、六人で喫茶店に入った。
「みんなコーヒーでいいか?」と八木。
「俺、紅茶」
「私はココア」
会話が弾む。八木と鈴木の発言に藤河が厳しい突っ込みを入れ、高梨が笑う。
田中はぶっきらぼうというより不器用なのでは・・・と秋谷は感じた。もしかしたら自分も周囲にそう見えているのでは・・・と思った彼女は、田中のツッパリ封印スタイルが気になりだす。
「あの・・・、田中先輩の、その恰好って・・・」と尋ねる秋谷に田中は言った。
「俺、登下校の時はいつも、これだけど」
「そうなんですか?」と秋谷。
「だから言ってるじゃん。ツッパリ漫画描くためのただの雰囲気作りだって。こいつ本当は不良が怖いんだよ。笑っちゃうだろ?」と楽しそうに鈴木が言った。
「他校の不良に絡まれて面倒事になるのが嫌なだけっす」と田中。
緩さ・・・というのだろうか。悪くないな、と秋谷は思った。
そんな中で、新しい一年生部員が入部した。秋谷と同じクラスの豊橋裕也だ。ジャンルはラブコメ。
遅れて入部した豊橋に、秋谷目当てなのでは、と推測する雰囲気が生じた。
元々男子に良い印象を持っていない秋谷である。やがて彼女はしばしば豊橋の視線を感じるようになり、それが「気持ち悪い」という意識に拍車をかけるようになった。
秋谷は藤河に相談し、藤河は八木に相談した。八木は空き教室に豊橋を呼び出し、事情を聞く。
「お前、秋谷さんの事、どう思ってる?」
「秋谷さんですか? 正直、苦手というか嫌いというか」と言って豊橋は表情を曇らせる。
「そうなのか?」と意外そうな八木。
「だってあの人、俺のこと嫌いでしょ? すごく嫌な目で俺を見るじゃないですか?」と豊橋。
なるほど、秋谷が視線を感じるというのはそういう事かと、八木は納得した。意味不明な嫌悪の視線を感じたら、それは気になるだろう。
「お前、年度始めの時に入部しなかったのって・・・」と八木は確認した。
豊橋は「漫画描くのは好きだし、入りたいとは思ってたんですよね。けどこういう部って、オタクの巣窟みたいに思われてるじゃないですか。だけど田中先輩見て、ツッパリってある意味オタクの対極じゃないですか。そういう人が居るって事は、別にそういう訳でもないのかな・・・って思って」
話が終わり、豊橋は教室に戻った。
「もう出てきていいよ」と八木は教卓に向かって言った。
教卓の下に隠れていた秋谷が出て来る。かなりショックだったらしく、目が点になっており、顔が赤い。
「どうやら豊橋が秋谷さんの事を狙ってる・・・ってのは勘違いだったらしい。安心しなよ」と八木。
その日、秋谷は部室に顔を出さずに帰宅した。
自室のベッドに倒れ込んで枕に顔を埋める。恥ずかしさで頭が一杯になる。
自分に好意を向けていると勘違いして男子に嫌悪を向け、その相手の自分に対する視線が、実は好意ではなく嫌悪であったと知る。そして相手の嫌悪が自分が招いたものだったと・・・。
(私、なんて嫌な子なんだろう)
明日から豊橋や他の部員達にどんな顔を見せたらいいのだろうか。
翌日、秋谷は気が乗らない中を登校し、教室に入る。
豊橋が務めて自分に視線を向けないようにしているのが解る。
秋谷は教務室に行って用紙を貰い、退部届けを書いた。
そして放課後、部室に行って、部長の藤河に退部届を出す。
驚いて訳を尋ねる藤河。それに秋谷が答える前に、豊橋が口を開いた。
「要するに秋谷さん、俺が居るから辞めるんでしょ?」
「・・・・・」
「秋谷さんは部に残りなよ。俺が辞めるから。男が嫌いなんてくっだらない理由で部を辞めるなよ」と豊橋。
「他人の気持ちをくだらないとか、何で言えるのよ」と秋谷は口を尖らせる。
「くだらないだろ。だって人口の半分は男なんだよ」と豊橋。
「・・・・・」
更に豊橋は「それとさ、秋谷さんの分野は少女漫画なんだよね。あれって基本、男女恋愛なんじゃないの? 男が嫌いな人が男との恋愛を描く訳?」
「田中もツッパリは怖いけどツッパリに憧れて漫画にしてるけどね」と鈴木が軽口を挟む。
「俺を引き合いに出すなよ」と口を尖らせる田中。
豊橋は続けた。
「あれってみんなが憧れるイケメン御曹司が、主人公にだけ執着して、渋る自分を情熱的に口説き落としてくれる都合のいい世界だよね。超絶高スぺ男を何度も撃退してマウントを高くとるって事で、男を軽蔑してるって点で実は矛盾していないんだろうけどさ」
「だよな。あれを恋愛の教科書とか言っちゃう人も居るけど、何だかなぁ」と八木が何も考えず同調する。
それを藤河がたしなめて言った。
「八木君、後輩のやる気を削ぐ先輩って、どうかと思うわよ」
「まあ、そういう訳なんで、帰ります。退部届は後日って事で」と、豊橋は言い、呼び止める藤河の声を振り切って部室を出た。
秋谷は帰宅して自室のベットに身を投げる。
頭の中のもやもやが膨らむ。
豊橋が自分に対して何をやったというのだろう。そして自分が豊橋に対してやった事は何なのか。
自分は本当に豊橋が嫌いなんだろうか。
そうではない。自分が嫌いなのは「男」という記号なのだ。
それを嫌う理由が実はメディアが流す情報ではないのか。自分はそれに流されているだけではないのか・・・。
最初、豊橋が自分を狙っているのでは・・・と思い、それが誤解だったと知った時の気持ちの落ち込みを思い出す。
その中に、ある種の失望感に似た気持ちがあったのではないか。
だとしたら、自分は無意識の中で豊橋の好意に期待していたのだろうか。
「そんな事は無い」と叫ぶ自分と「本当に違うのか」と問い質す自分が脳内でせめぎ合う。
こんな自分の葛藤を知ったら、豊橋は何と言うだろうか。
翌日、秋谷は教室に入ると、豊橋が退部届を書いていた。
秋谷は胸に溜まったもやもやを吐き出すように、口を開いて彼に話しかけた。
「豊橋君、本当に漫研、辞めるの?」
「まあな。別にあそこに居なくても、漫画は描けるからね」と言う豊橋に対して、秋谷は言った。
「あのね、昨日の少女漫画の話だけど、女は男を好きになるんじゃなくて相手を好きになるの。人間としてのね。だから男が嫌いって人が男女恋愛を肯定するのは、矛盾じゃないと思うの。それと私は男は嫌いだけど、今は豊橋君のことは嫌いじゃないよ」
豊橋は少しだけ驚いた表情を見せると「そうか。けど俺は相手が男だからって理由で嫌いだって言う女を、好きにはなれないな」と言って目を伏せた。
秋谷は「その部分を嫌われるのは仕方ないのかもね。けど私にとって大事なのは豊橋君が・・・じゃなくて、私が豊橋君をどう思うか、だから。それに"嫌いじゃない"と"好き"は違うからね」
結局、豊橋の退部は取り止めになった。
そしてまもなく、彼は漫研でラブコメの短編を描き上げた。
金持ち令嬢で学園のアイドル的な美少女が、平凡な主人公を好きになって、自分に興味を示さない主人公に、熱烈にアプローチする、そんな内容の作品に、好き勝手な感想を述べる部員たち。
「思いっきり都合のいい世界だな、おい」
「いいじゃないですか。世知辛い現実を忘れるための創作物なんだから」と笑いながら反論する豊橋。
その時、秋谷は精一杯の不満顔で口を開いた。
「豊橋君、少女漫画は都合のいい世界で笑っちゃうって言ってたわよね」
「いや、笑っちゃうとは言ってないが・・・」と困り顔で豊橋は言う。
「あれだけ少女漫画を馬鹿にしておいて、自分の作品がこれって、どうなのよ」と秋谷は口を尖らせる。
「だよな。都合のいいだけの世界で現実逃避とか・・・」と何も考えず同調する八木に、藤河が突っ込んだ。
「八木君だって同調してたでしょ? 恋愛の教科書がどうとか」
思わぬとばっちりに八木は頭を掻くと、豊橋に向き直って、言った。
「なあ豊橋、一つだけ忠告してやるが、金持ちの令嬢なんてのに夢を見るのだけは止めておけ。うちのクラスに見本が二人も居るんだが・・・」