第81話 村上君のモテ期
文化祭が終わると、村上にアプローチしてくる女子が現れた。
クィーンのエスコート役というブランドに引かれた女たちだ。
村上は断った。受け身が信条の彼ではあるが、ブランドに引かれるような女と自分がうまくいく筈が無い。
そんな様子が中条には気がかりだった。
「村上君、付き合わないの?」と中条は村上に訊ねる。
村上は「手を広げるのも面倒だからね。どうせうまく行かないだろうし」
(私が居るから?)と聞こうとして、中条は躊躇した。
自分が居るから断っているのは嬉しいが、それで村上がチャンスを逃しているのではないか・・・
「男性の場合は19人」「恋愛経験が大事」・・・ステージで語られたそんな言葉が、中条に引け目を感じさせた。
「どうしたの? 中条さん。何か心配事?」
委員長・副委員長の仕事でプリントを整理している直江が、作業中ぼーっとしいてる中条に声をかけた。
「大丈夫だよ、直江君。大した事じゃないから」と中条。
「もしかして、村上の事?」と直江。
「村上君はちゃんと、告って来る人を断ってくれてるよ」と中条。
直江は「告ってくる人って?」
「岸本さんのエスコート役やったって事で、モテ期が来ちゃったみたいなの」と中条。
「中条さん、もしかして自分のために奴がチャンスを棒に振ってるとか、引け目感じてる?」と直江。
直江は作業の手を止めて、中条を見つめた。
(それで引け目とか感じているとしたら、痛々し過ぎる)
直江は言った。
「俺みたいなのにとっちゃ羨ましい話だけどね、けど、彼女の居る男として当たり前の話だし、中条さんは奴に余所見させない価値は十分あるよ」
「何だか直江君じゃないみたい」と言って中条はクスッと笑った。
「いや、俺だって変わったんだからさぁ」と直江は口を尖らせた。
中条は「村上君にとって、私って、守ってくれる相手なんだよね」
「中条さんはそれじゃ物足りない?」と直江。
「私には村上君が必要だよ。けど、村上君には私は必要なのかな?」と中条。
「中条さんみたいな人だから、村上には必要なんだと思うよ」
あくまで自分達二人を心配する直江に中条は嬉しいと感じ、直江はそんな中条を可愛いと感じた。
七尾と別れて以来、直江は隣で委員長の仕事を手伝う素直な中条に救われてきた。
それを、目の前でうつむく中条を見て、直江は思い知った。
直江は中条への好意を募らせ、恋愛感情として意識した。
より明確な形で中条に救われたい。その感情はついに直江を告白へと踏み切らせた。
集めたプリントを教務室に届ける帰りの廊下で、直江は中条に告げた。
「俺、中条さんが好きだ」
中条は足を止めて、直江に向き合う。
「私と付き合いたいの?」と中条。
「俺と付き合って欲しい」と直江。
「直江君には、私が必要?」と中条。
「俺には中条さんが必要だよ」と直江。
中条は「どう必要なの?」
直江は言葉が詰まった。確かに自分は中条に救われている。だが、どう救われているのだろうか。それがうまく言葉にならない。だが、それでもいいと思った。
「俺は中条さんに救われてきたんだ。それが中条さんの何に・・・なのかは解らないけど、たとえ中条さんにとって俺が必要でなくても、俺には中条さんが必要なんだ」と直江は言った。
「そうなんだ・・・」と中条。
中条は直江を見た。彼は確かに村上とは違うタイプだ。相手を助けてあげたい・・・という村上の想いは、中条にとって心地よかった。だが、それとは違う何かがある・・・という期待が、中条を惹き付けた。
「それで、直江君は私を独占したい?」と中条。
「悪いけど、俺は村上達みたいにはなれない」と直江。
「友達として、村上君と寄り添うのも?」と中条。
直江は「そこまで束縛しないよ。ただ、奴のアパートに通うのは止めて欲しい。だから、中条さんに村上が必要なら、俺は諦める」
「少し考えさせてくれる?」と中条は言った。
「いいよ」と直江。
その日、中条は村上のアパートに行き、二人で夕食を食べ、二人で入浴し、二人で一緒の布団に入った。
布団の中でぽつりと中条は言った。
「直江君に告られちゃった」
「里子ちゃんは、どうしたい? もし断り辛いなら、俺から言うけど」と村上。
「そうじゃないの。ただ、どうしたらいいか解らなくて」と中条。
「って事は、それに答えたいって気持ちも、あるのかな? 俺はもし、里子ちゃんと別れたら、寂しいだろうな」と村上。
「そういう気持ちもあるの。でも・・・」と中条。
「直江のこと、好き?」と村上。
中条は「好きだよ。でも村上君の事も大好き。それで直江君に聞いたの。私を独占したいか?・・・って。そしたら村上君みたいにはなれないって」
「そうか」と村上。
「村上君には私が必要?」と中条。
「もちろん必要だよ」と村上。
「けど、私に居場所をくれて、寂しさから守ってくれているんだよね。だから、この関係が必要なのは私であって村上君じゃない」と中条。
「俺だって寂しさから守られているよ」と村上。
「けど、いろんな子が村上君と付き合いたいって言ってるよね。討論会で言ってた。いろんな恋愛経験が大事だって。男性は生涯の間に19人とも」と中条。
「エスコート役なんてブランド求めて来る女となんて、うまくいく筈無いよ」と村上。
「直江君には私が必要みたいなの。だから聞いているの。村上君には私はどう必要なの?」
自分には中条を失った寂しさを埋めてくれる人など居ないに違いない。中条はどうなのだろう。
「里子ちゃんにとって、直江は俺の代わりになるの?」と村上。
「ならないよ。けど、私も誰かを守ってあげられたらいいな、って思ったの」と中条。
直江は自分とは違うタイプだ。そして恋愛経験を積む事は中条にも必要なのではないのだろうか、と村上は思った。
「前に秋葉さんに言った事、憶えてる? 思い出は消えない・・・って。俺は里子ちゃんが直江を守ってあげたいなら、止めないよ」と村上。
「村上君は許してくれるの?」と中条。
「許すとか・・・。里子ちゃんは里子ちゃんのものだよ」と村上。
中条は布団を出ると、服を着て秘密基地の鍵を返し、村上にキスをしてアパートを出た。
翌日、村上はいつもの通学路で芝田と合流した。
歩きながら村上は言った。
「中条さんと別れた」
芝田は「そうか」とだけ答える。
中条の家の前を通るが、二人を待つ彼女の姿はもう無い。
中条が直江と付き合い始めた事は、間もなく全員の耳に入った。
村上は、直江からのスキンシップに甘える中条を見る。
「あんなふうにするのか」と呟き、微笑ましさを感じているつもりだった。
だが、その視線に中条が気付けば、彼女は罪悪感を感じるのではないか、と村上は危惧した。
そして、彼等をなるべく見ないようにする。
そうした不自然な感覚は、村上の胸中の空虚な隙間を広げた。
秋葉と芝田は、より頻繁に秘密基地に出入りした。
秋葉は以前にも増して明るく、盛んに彼等をからかい、そして体を求めた。
そんな秋葉に、村上はぽつりと言った。
「秋葉さん、もしかして無理してない?」
「何で? 私、羨ましかった中条さんのポジション、丸ごと手に入れたのよ」と秋葉。
「それ、何か強がってない?」と村上。
秋葉は溜息をつくと「確かに中条さんが居ないのは、私も寂しいよ」
思わず「ごめん」と言う村上。
「何でお前が謝るんだよ」と芝田が言った。
「中条さんを引き留めなかった」と村上。
「それは悪い事か?」と芝田。
「どこかで聞いた台詞だな」と村上は少し笑う。
芝田はは「お前の台詞だろ。それがいいか悪いかは、お前にとってどうか・・・って問題だ。お前が辛いなら、反省でも何でもすればいい。だがな、反省ってのは、これからどうするか考える事だぞ。いい悪いの問題じゃない」
「悪い事か? って言ったのはお前だろ?」と村上。
翌日、三人で帰宅しようと生徒玄関を出た所を、岸本に呼び止められた。
「村上君に一緒に来て欲しい所があるの」と、岸本は村上に同行を求める。
芝田達と別れ、ついて行くと岸本の家だった。
母親が居て、リビングに通されて少し話した。優しそうな中年女性だ。
箪笥の上に男性の写真が二つ。
「若い方が潤子の父親です。この子が子供の頃に無くなりましてね。それがショックで家を出て、この子は親戚に預けたんです」と岸本母。
「もう一人の方は?」と村上が訊ねた。
岸本母は「今の夫です。夜の仕事をして見つけた人でしてね」
なるほど、客商売の人か・・・と村上は思った。話し方に屈託が無い。
岸本の部屋に通される。いきなりキスされ、体を求められた。
(なるほど、慣れているな)と村上は感じた。
こうなる予感はしていた。行為が終わって服を着ながら、村上は言った。
「もしかして、責任的な事、感じてる?」
「中条さんと別れた事に? 私がエスコート役頼んだのが原因だものね?」と岸本。
「それは違うよ」と村上。
岸本は笑って「そうね。私は責任とか、そんな事で男を抱いたりしないわ。母性本能みたいなものかしら?」
「そういうのは内山で間に合ってるんじゃないの?」と村上も笑う。
「そうね」と言って岸本もまた笑った。
村上は部屋を見回す。普通の女の子の部屋だと思った。中条の部屋とそう変わらないのが意外だった。
そして机の上の写真立てに、さっき見た母親の写真がある。
「岸本さんって、お母さんの事・・・」村上。と
「大嫌いだったわ。昔はね」と岸本。
「けど、あの写真、お母さんでしょ?」と村上。
岸本は語った。
「母さん、私が子供の頃、家出して私を親戚に預けたって言ってたでしょ。私、捨てられたの。それが五年くらいで戻ってきて、私、連れ戻されたんだけど、そのうち、別の男作って結婚してね。その時は何でこんな爺さんを・・・って、私すごく荒れちゃった事があるのよ」
「なんか解るよ。一番親に甘えたい時期に居なくなったんだものね」と村上。
「それが今の父さん。本当はすごく優しい人なんだけど、お金目当てに結婚した不潔な母親って思い込んじゃってね。中学に入る頃かな。私も男に言い寄られて、付き合ってすぐ捨てられちゃった。それが最初の彼」と岸本。
「そいつの事、恨んでる?」と村上。
「その時はね。けど、自分自身落ち込んじゃって、学校にも行けなくなっちゃった。その時、母さんがね、家出した時の事、話してくれたの。母さん、どこに行ってたと思う? 尼さんになってたのよ」と岸本。
村上は「えぇーっ?・・・」
「母さん、父さんの事、大好きだったのよね。それが死んじゃって、もう人生の楽しみとか全部捨てるつもりで、お寺に入ったんだって」と岸本。
「でも、戻ってきたんだよね?」と村上。
「村上君、諸行無常って、知ってる?」と岸本。
「好きなものとか楽しい事とか、いつか無くなっちゃうんだから、諦めて執着するな・・・って事でしょ?」と村上。
「普通はそうだよね。けど母さん、修行してるうちに気付いたんだって。それは諦めろ・・・じゃなくて、失う代わりに新しく得るものもある、別の大事なものや楽しい事も必ず巡って来るから、それを楽しみにして、それがある時を精一杯楽しみなさい・・・って事なんだって。それで新しい人生を・・・って、家に戻って、私を引き取ったの。私、その話を聞いたら、自分を捨てた彼の事で悩むのが、馬鹿らしくなっちやってね」と岸本は語った。
(だから男と付き合っても、執着せず別れて、新しい恋が出来る、今の岸本さんになったんだ)と、村上は思い、改めて岸本を見た。
「それじゃ、岸本さんは、今はお母さんの事・・・」と村上。
「大好きよ。今の父さんもね」と、そう言って岸本は村上を抱きしめて、頭を撫でながら、言った。
そして岸本は「村上君、私の三人目に、ならない?」
村上は、このまま彼女に囚われていたいと思った。「大人な女」に初めて感じるような魅力を見た。だがその時、村上は自分を気遣い明るく振舞う秋葉と、そして芝田が脳裏に浮かんだ。
「止めておくよ。俺はまだ居場所を無くした訳じゃないからね」と村上は言った。
岸本家を出た時は夕方になっていた。誰も居ないアパートに戻り、そして翌朝、いつものように家を出て学校へ・・・
その日の帰り、一人で学校を出た所で、女性に呼び止められた。以前アプローチしてきた事のある人だ。中条と別れた事を聞きつけたらしい。
どうせブランド狙いだろうと思った。そのブランドがいかに空虚なものか、村上自身がよく知っている。
だが、失う代わりに新しく得る・・・という岸本が言った言葉を思い出し、「それもいいか」と思った。
女性は斎藤千鶴。女子大生だった。
村上は流されるまま、お持ち帰りされ、斎藤に抱かれた。その翌日、合コンに連れていかれ、精一杯の会話に応じた。
その帰りに彼女は言った。
「岸本さんが村上君をエスコート役に選んだ理由、解った気がする。村上君って優しいから、安心して温もりに浸れる。けど、熱くなれるようなゲームには向かないの。村上君みたいな恋愛が必要な人は居るのよね。そういう人にアピールする岸本さんの作戦だったんじゃないのかな」
斎藤は別れを切り出し、村上はあっさり別れに応じた。
別れ際に斎藤は言った。
「もし、私が今みたいな恋愛に疲れたら、また付き合ってくれるかしら?」
「その時、俺が一人だったらね」
村上は憑き物が落ちたような気持ちで答えた。