第76話 千年の都
修学旅行の二日目の朝。
前の晩に部屋を移動した生徒は、自分の部屋に戻って着替え、大広間で朝食。
引率教師は一様に眠そうな、バツが悪そうな表情だ。
「あれしきの酒量で酔いつぶれるとは」と引率隊長の一組担任がバツが悪そうに言う。
「生徒の世話で疲れが出たんですよ」と四組担任は彼を庇うつもりで言ったが、すぐに自分の失態でもある事に気付いて赤面した。
「今夜はどうしますか?」と二組担任の中村。
「差し入れの酒もまだまだ残ってますし」と三組担任。
揃って酔い潰れた・・・と思い込んでいる彼等は、見回りをすっぽかした失態をみんなで胡麻化す、妙な連帯感のような感覚と微妙な空気の中に居て、何故こうなったかを誰も深く考えようとしなかった。
微妙な空気は、二組担任の中村と四組担任の須藤との間で、特に際立っていた。
そんな空気を傍で彼等の会話を聞きながら察した秋葉が「あの二人、何かあったの?」と鹿島に言う。
須藤は大学を出て間もない若い女教師で、実は中村に好意を持っているのでは・・・という噂があった。
「教師部屋で先生たちの様子を確認に言った時、風邪引くと悪いんで布団に入れたんだが、中村先生と須藤先生を一緒の布団に入れたのさ」と鹿島は笑って言った。
見学バスが出発。
三十三間堂に到着。同じような仏像がずらっと並ぶ。
「これだけあると有難み薄れね?」と小島。
「一つくらい壊れても解らないんじゃ」と言った山本の後頭部に、中村担任のハリセンが飛んだ。
「文化財破壊なんて恐ろしい話は頼むから止めてくれ。山本が言うとシャレにならん」と泣きそうな顔で訴える。
「けど、昔の人はここで弓矢撃ってたんだよね。一本くらい逸れて仏像に当たったりしなかったのかな」
細長い仏堂で通し矢を射たという蘊蓄をネタにする清水。
「仏様は飛んできた矢は手で掴んで防御するのさ」
と、佐川が柄にも無い冗談を言った。
「あれだけ手が生えてるんだもんな」と清水。
「いや、仏像は動かないから」と小島。
周囲は笑ったが、水沢は「そんな事無いよ。ほら、ちゃんと矢を掴んでる」と、一体の仏像の一本の手が持つ宝箭を指さして言った
金閣寺で吉江がはしゃぐ。そして言った。
「こんなのを建てる秀吉ってすごいね」
「金閣寺を作ったのは足利義満だよ」と清水。
「そうなの? 黄金の茶室って秀吉じゃなかったっけ?」と吉江。
「吉江さん。黄金の茶室は金閣と別物だよ」と清水。
(この人って室町と安土桃山の区別ついてないんじゃ?・・・)と清水は思った。
清水寺で、舞台の下を見下ろした高所恐怖症の村上。思わず足が竦む。
「昔の人も、清水の舞台から飛び降りるとはよく言ったもんだ」と芝田。
「バンジージャンプってそんな昔からあったんだ」と中条
「里子ちゃん、あれは本当に飛び降りるって話じゃないからね」と村上。
「けど、舞台って事は観客が居るんだよな。客席はどこだよ?」と芝田が突っ込む。
ホテルに戻って入浴。大谷の異様なウキウキ状態に怪訝な鹿島。
「まさか覗きの手口見つけたとか?」と鹿島。
「そんな必要は無い」と大谷ドヤ顔。
聞かれてもいないのに「ここの風呂って朝まで入れるんだぜ。岸本さんに人の居ない深夜に三人で入ろうって誘われたんだ。どうだ、羨ましいか?」
しつこく自慢する大谷をいい加減うるさく感じた鹿島。そして、わざと周囲に聞こえる声で・・・。
「おい矢吹、昨日の手回しドリルの件だが、大谷が・・・」
そう言われて慌てた大谷は「悪かった。もう言いません。神様鹿島様矢吹様・・・」
前日のように夕食を食べ、引率達は前日の残りの差し入れ大吟醸で酒盛りに移行し、まもなくそのまま眠りについた。
生徒達は好き勝手に男子部屋と女子部屋を行き来する。
そんな中で小島の所に吉江が来て、言った。
「水沢さんが小島を呼んでるよ」
小島がウキウキ気分で女子部屋に行くと、待っていたのは大野だ。
「じゃ、私達は清水君達の部屋に行くから」と吉江達は退出。
「ちょっと・・・」と小島が慌てた。
彼女達に続いて部屋を出ようとする小島を、大野が遮る。そして言った。
「あいつらと賭けをしたの。あんたと一晩同じ部屋に居たらあたしの勝ちって」
小島唖然
「大野さん、それイジメだよ」と小島。
「そうじゃなくて・・・。それに、去年なんか、三日間同じ旅館に居たじゃん」と大野。
物欲しそうな大野の目に小島は戸惑うが、事態を把握できないまま、溜息をついて空いている適当な布団の上にで寝転ぶ。
そして大野が語りだした愚痴を聞く。
大野が語る愚痴に、小島は「そうなんだ」「解るよ」と相槌を打つ。
小島は、ついさっき大谷から無理矢理聞かされた押売的なアドバイスを、思い出していた。
「女の愚痴は解決なんか求めてない。ひたすら共感して欲しいんだ。とにかく受け入れたと思わせるよう、相槌を打て。そうすれば女は気が晴れる」
愚痴を聞きながら小島は思った。
(好き勝手しているようなこいつも、抱えているものがあるんだ。いや、抱えているものがあるからこそ、虚勢を張っているだけかも知れない)
そんな事を考えているうち、何だか大野が可愛く思えてきた小島であった。
そのうち大野は小島の布団に入ってくる。
「ちょっと・・・」と慌てる小島。
大野は「あいつらと賭けをしたの。あんたと一晩同じ布団で居られたらあたしの勝ちって」
小島唖然。そして言った。
「それ、シャレにならないよ。マジでイジメだから。何なら俺から生活指導に・・・」
そう言って布団を出ようとした小島の手を掴んで、大野は言った。
「あんたはあたしの物なの。あたしが見つけたんだから」
小島は気付いた。大嫌いな香水の臭いがしない。厚化粧もしていない。
(こいつなりに俺の好みに合わせたつもりなのか)と小島は思った。
クリスマスの後、ガングロを止めた大野を思い出した。あれも自分が言ったからだったのか・・・と、今更ながら気付いた。
「もしかして俺が痩せたのにギャップ萌えとか?」と小島。
「そうだと思う」と大野。
小島は「でも俺、小島だよ?」
「知ってる」と大野。
「オタクだよ?」と小島。
「そんなの関係無い」と言って大野はジャージを脱ぎ始めた。
30分後、小島の腕の中で大野は言った。
「そのボサボサ頭、短めに切りなよ。さっぱりするよ」
直江はその日も大谷達に遠慮して、部屋を出てうろうろしていた。村上と一緒に居た中条が、そんな直江を見付けて言った。
「一緒に村上君達の部屋に行こうよ」
「ありがとう。中条さんっていい人だね」と直江。
直江が部屋に入ると、芝田と秋葉が京都の地図を広げていた。鹿島と矢吹もいる。
そして鹿島が「明日の自由行動で迷子になる班が出ないよう、作戦会議だ。踏ん張り所だぞ、委員長」
直江は自分がクラスの委員長だった事を思い出した。
各班の予定行動ルートと交通手段、班長の携帯番号を確認する。
トラブルに備え、九組の行動班の中で委員長・副委員長と鹿島・矢吹が属する四班が一班づつ受け持ち、定期的に連絡を取り合う。
鹿島の携帯パソコンに京都の地図とバスの運行データを組み込んだシステムが入っており、矢吹・直江・芝田のスマホと連動する。その動作の確認。
間違ったバスに乗った班が出た場合や、他校生徒とのトラブルがあった場合にどうするか。誰かが体調を崩したら?。
道に迷った班が出た場合に備えて、各班長のスマホのGPSとのリンクを確認。
特に要注意な山本達の班は、全員で情報を共有する。
会議が終わり、矢吹と鹿島が自分達の寝床に帰った後、お菓子と飲み物を囲んで夜更けまで五人で雑談。中条が寝落ちすると灯を消した。
五人がひと眠りして深夜目を覚ます。
「そういえばお風呂は朝まで入れるって言ってた」と秋葉。
「行こうか?」と芝田。
「直江君も来る?」と中条。
直江は「遠慮しとくよ。人の居ない所を四人で入るんだろ?」
「いや、そんな事しないから」と赤面した秋葉に引っ張られて直江もついて行く。
男湯に三人で入ると先客が居た。
大谷達だ。浴室に入ると岸本も居る。
慌てて遠慮しようとしたが「入ってきていいよ。私は気にしないから」と岸本。
大谷もふざけて「女王様のご指名だぞ。辞退は許さん」
三人は顔を見合わせ、覚悟を決めて浴室に入る。さすがに岸本はプロポーションが違う。
すると従業員用の戸口が開いて、女湯から秋葉が顔を出した。
「芝田君と村上君はこっち」と言う目が怖い。
二人は慌てて女湯に移動した。
翌日の自由行動では、清水・佐川・吉江・篠田の班は吉江の強い希望で二条城の見学。
隅櫓を見て「ちゃんとしたお城だぁ」と吉江ははしゃぐが、本丸の前に行くと不満顔になる。
「お城はどこ?」と吉江。
「ここがお城だろ?」と清水。
「天守閣の事だろ? あれだよ」と天守台の石垣を指さす佐川。
「ただの石垣じゃん」と不満顔の吉江。
「火事で焼けるとかしたんだよ」と篠田。
「そんな筈無いよ。国宝建造物だよ」と吉江。
「国宝はあっち」と二の丸御殿を指す佐川。
「ただのお屋敷じゃん」と膨れっ面の吉江に全員呆れ顔。
だが、その二の丸御殿に入り、大政奉還の間に並ぶ侍人形を見て、吉江は俄然はしゃぎ出した。
そして「織田信長が居るよ」と吉江。
(この人、戦国と幕末の区別ついてないんじゃ?・・・)と清水は思った。
渡辺・片桐・米沢・矢吹の班では米沢がタクシーを拾い、費用は自分が持つからとカードを使いまくる。
昼食でいかにも高そうな料亭に入るが、片桐の様子がおかしい。顔が真っ青になり、体調の悪さを訴えた。
「ごめんなさい。私、貧乏症で・・・」と片桐。
「だから支払いは私が持つから気にしなくていいの!」と米沢。
「そうじゃなくて、片桐さんは貧乏症のせいで、高そうな所に入ると拒絶反応が出るんだよ」と渡辺が説明した。
岸本・大谷・内山・直江の班は「舞妓さんに会いたい」と、祇園に繰り出す。
舞妓体験の店に入る。岸本は化粧を施され、かつらと豪華な和服を付けて写真撮影。大谷ら三人は岸本の華麗な変身に酔う。
対応してくれた中年女性は昔、舞妓だったという。
岸本達は話を聞く。
「舞妓になりたいって希望者は少なくないんですよ。伝統という事で憧れる方も居るんですね。けど、修行が厳しく挫折する人も多いですよ」と女性は語った。
「男衆の方には会えないでしょうか?」と岸本が注文。
男衆とは、舞妓の日常に出入りして世話をする男性の事だ。
女性は笑って奥に声をかけて「総一郎さん、時間はあるかい?」
たまたま居合わせたとの事で、短時間なら、と出てきたのは、30くらいの、イケメンではないが、いかにも粋といった風な男性だった。
岸本はのっけから「舞妓さんと恋愛って事はありますか?」
男性は笑って「それは御法度ですし、そんな暇は無いですから」
「舞妓さんの世話って、どんな事をするんですか?」と内山が質問。
「今は主に、着付けですね」と男性。
「着付けって女性の仕事では?」と岸本。
「職人技みたいなのがあるんですよ。今では祇園でも数人しか居ないので、夕方になると忙しくて大変です」と男性。
「俺でもなれますか?」と大谷が言う。
「弟子入りという事になりますが、大歓迎です。修行は舞妓さん以上に厳しいですけど」と男性。
「それは怖いなぁ」と大谷。
山本・水沢・小島・大野の班では、聖地を巡ると言って小島が先導。先ず行ったのは神社だ。
「パワースポットって訳じゃん? 雰囲気あるし」とはしゃぐ大野。
小島は拝殿脇の崖の繁みを指さして言った。
「あの名作アニメ"ぽんぽこファミリー"で、ここに主人公の狸たちが洞穴掘って住んだ場所だお」
「すげー。あのシーンと同じだ」と山本と水沢ははしゃぐ。
「聖地ってそういう事?」と、がっかり顔の大野。
「京都はいろんなアニメの舞台だお」と小島。
その後巡ったのは、アニメの舞台だという普通の商店街や普通の住宅街。
そして、ここもアニメの舞台だという普通のラーメン屋で昼食。
「京都くんだりまで来て、アタシ何やってんだろ?」とつぶやく大野。
最後に行ったのは、坂本龍馬が暗殺されたという、池田屋だった。
「アニメ"濃紺鬼"の舞台だお」と小島。
芝田達は村上の発案で陰陽師ゆかりの神社に行った。
式神の像を見てはしゃぐ中条。調子に乗った芝田と村上が陰陽師ごっこを始める。
「出でよ朱雀」と村上。
「やるな、芦屋道満」と芝田。
周囲の観光客の視線が気になり、恥ずかしくなった彼等はその場を離れた。
その後、室町時代の呪術師が拠点にした神社に行き、朝廷が怨霊封じの儀式を行ったという庭園に行き・・・。
彼等はホテルに戻り、引率達はまた睡眠薬入りの酒盛りで熟睡した。
確認に来た鹿島と矢吹は「まだ気付かないこの人達って馬鹿なんじゃ?・・・」
生徒達は見回りの来ない三日目の夜を楽しみ、翌日、最後の見学先をこなして帰路についた。
修学旅行から帰った週末は、バイトで小島と大野のシフトだった。
店に入った小島を見て、他のバイトは唖然とした。あのボサボサ頭が短く整えられている。
小島に何があったのかと彼等はひそひそ話。遅れて来た大野に店長は聞いた。
「彼、どうしたの?」
「好きな子でも出来たんじゃね? 知んないけど」と大野。
週開けの教室でもクラスの生徒達の反応は同様だった。水沢がはしゃいだ。
「どうしたの? それ。かっこよくなったよ」
「うっとおしかったんで、すっきりしようと思ったお」と小島は言った。
小島は大野と付き合い始め、何度かデートを重ねたが、やはりオタク趣味の小島は大野には物足りなかった。
間もなく大野は彼氏を作って小島と別れた。小島は「そんなもんさ」と言って別れを承諾した。
だがその後も大野は彼氏と別れる度に小島を求めた。