第66話 秘境な四人
夏休みが始まった。
昨年は村上達3人、芝田の兄から貰った宿泊券で、温泉旅館に泊まった。
今年は四人で温泉に行こうと、言い出したのは秋葉だ。
「今年は無いの? そういう宿泊券」と秋葉。
「あれは、兄貴が職場で貰った福利厚生の券だからな。毎年甘える訳にいかないよ」と芝田。
「それに、本来はお兄さんが彼女と使うべきものだからね」と村上。
「だったら、自分達の小遣いで行ける所を探そうよ」と中条。
「高校生の小遣いで? まあキャンプとか山小屋とかならね」と芝田。
「登山みたいな?」と中条。
「そういえば、登山道みたいな所を歩いて行く露天風呂があるって、聞いた事がある。確か青湯温泉って言ったかしら。調べてみるから、任せてくれない?」
そう言って秋葉ははしゃいだ。
翌日、秋葉は温泉の情報を持ってきた。
「登山路を半日歩いた山中の河原に、露天風呂があるの。一応、旅館があるけど、食事を自前で用意すれば、安いんだって」と秋葉。
「テントの要らないキャンプって訳か」と芝田。
秋葉は持参した地図を広げた。
「周りにいくつか滝があるな」と村上。
「渓谷が綺麗な所みたいだよ」と秋葉。
「ダムから登山道に入るのかよ。で、ダムに行くのに林道か。そこまで車で行くしか無いな」と村上
すると芝田が「実は昨日、兄貴に話したんだよ。青湯温泉って、兄貴が知ってて、市川さんと二人で行った事があるらしい。行きだけなら車を出して貰えそうだ」
「やったー!」と喜ぶ四人。そして芝田が・・・。
「帰りはダムから半日歩けば、夕方までにバス停。夜には帰れる。これで万全だ」
四人は計画を立てた。
食料として当日の朝と昼の弁当、そして夕食のカレーの材料と炊飯道具。翌日の朝と昼はパンで済ます。
簡単な囲いのある女湯もあるが、基本的に混浴だ。
そう客が頻繁に来る所でもないので、女子二人も混浴の方に入るつもりだが、他の客が居る事も考えて、女子は一応水着を持って行く事にした。
前日は四人で村上のアパートに泊まり、翌朝暗いうちに、芝田兄の車が迎えに来た。
四人は車に乗り込み、車内で簡単な朝食を食べる。
芝田兄は運転しながら、弟の幼い頃の曝露話をいくつか披露し、芝田が慌てるのを見て女子達が笑う。
そんな彼等を見て中条は思った。
(やっぱりお兄ちゃんって、いいな)。
いくつかの市街地を越えて、田畑の中を通る道は、やがて川沿いとなり、山中に入って、車は谷沿いの林道を走った。ダムが見える。
青湯温泉の方向表示がある。小さな駐車場には小型車が一台。他の湯治客のものだろう。
ここで車を降り、荷物を降ろすと、芝田兄は「気を付けて行きなよ」と声をかけて、車は走り去った。それを手を振って見送る芝田。
各自のリュックを担いで、登山道を歩く。二~三ヶ所、温泉への表示がある。
ダムは青々と水を湛え、両側に断崖が聳える。上流方向に、いくつもの険しそうな山影が並んでいた。
温泉に向かう登山道は、ダムの右岸をしばらく歩くと、湖面は細くなって谷川へと変わった。
所々で支流が滝になり、木々の繁る断崖の合間に岩崖が顔を覗かせている風情は、まるで水墨画だ。
やがて道の崖際の木々が、谷の景色を遮る。登山道の片側はずっと崖である。
鉄パイプを組んだ事故防止の柵や、支流を渡る小さな橋がある。黄色いロープを張った岩場を登る。
だが、地図を見ながら歩く村上の表情は、次第に曇った。道が地図と合わない。
温泉への道を示す表示があったので、この道である事は間違いない。だが、地図にある沢が見えない。目の前に現れた橋が地図に見えない。
やがて、自分達がどこを歩いているのかも解らなくなり、彼等は不安になる。
ロープに掴まって岩場をよじ登る所を、おっかなびっくり進みながら、中条は「これ、本当に道なんだよね?」と言う。
そのうち中条が足の痛みを訴えた。
「おんぶしてやるよ」と芝田は言い、自分の荷物を村上に預けて中条を背負った。
「大丈夫かよ」と村上は言ったが、芝田は「登りじゃないから平気だ」
しばらく行くと、今度は秋葉が足の痛みを訴えた。
「村上、中条さんを頼む。秋葉さんは俺がおんぶする」
中条を背負う村上と、秋葉を背負う芝田。その背中の上で秋葉は嬉しそうに言った。
「やっぱり芝田君は私の芝田君だ」
そして芝田は「ってか、秋葉さんの体重だと村上には無理だ」
秋葉は無言で芝田の背中を降りると、ハリセンで芝田を思い切り叩いて言った。
「どうせ私は中条さんより重いわよ!」
不機嫌な顔で先頭を歩く秋葉。困り顔でついて行く芝田。
村上は何とかフォローしようとして言った。
「あのね、秋葉さん。体重って言ってもさ、秋葉さんは胸の分だけ加算される訳だからさ、それは秋葉さんの魅力って言うか・・・」
すると中条は村上の背中から降りて、言った。
「ごめんね、私、胸が小さくて・・・」
「いや、俺は里子ちゃんみたいな、つつましい胸の方が好きだ」と村上。
「気を使ってくれなくていいよ。私は大丈夫だから」と中条。
今度は芝田がフォローした。
「中条さん、村上が貧乳好きだというのは本当だぞ。去年プールに行った時、こいつ、同じ事言ってた」
「本当? 村上君」と中条は嬉しそうに言う。
すると「物にはそれぞれの良さがあるって、胸の事だったのね?」と、どうやら機嫌が直ったらしい秋葉が言う。
「秋葉さん、解ってたんじゃないの? だから芝田にだけ熱いラーメン食べさせて意地悪したんでしょ?」と村上。
「あれ、意地悪だったのかよ」と芝田は今更のように呆れ顔で言うと、秋葉は「てへ」と誤魔化し笑い。
「で、あの時津川君は何って言ったの?」と秋葉。
村上と芝田は顔を見合わせる。杉原を褒めている訳だし、害はあるまい・・・という訳で、二人はあっさり白状した。
「バランスが大事だとさ」
それを聞くと秋葉はスマホを取り出して杉原の番号を押す。
「おいおい、早速かよ」と慌てる二人だったが、秋葉は残念さうに「圏外だ」。
ほっとする村上と芝田。
そして秋葉は「で、村上君は、つつましくない私の胸は、お気に召さないのよね」と拗ねる。
「いや、そんな事は・・・」と村上。
「いいの。村上君って真面目だから、巨乳な肉体派なんて下品よね?」と秋葉。
困り果てた村上は「いや、俺ってほら、ムッツリスケベだしさ・・・」
秋葉は思わず吹き出し、中条と一緒に笑った。
そして「だから村上君って好き」
芝田は呆れ顔で「それでお前等、足はもういいのか?」
さらに登山道を歩く。
所々道が細くなったり、草道になったりする度に不安になる。最早、用意した地図は役に立たない。
枝道らしきものにも出くわす。
ロープや防柵の存在が、正しいルートである事を確信させたが、そうしたものが見えない場所で迷うと、村上が偵察して行方を確認した。
両側に雑木が茂る道が続くと、中条は、それが覆いかぶさってくるような圧迫感で、不安になった。
川を渡る小さな橋に出ると視界が開け、足元の下方に、激しい流れに浸食された険しい崖が聳える。
それは恐ろしくもあり、美しくもあり、自分達が隔絶された場に居る事を、実感させた。
谷間の断崖の中腹の細道を歩く時、中条は足元の奈落に足がすくみ、前を歩く村上の上着の裾を掴む。
そんな中条の不安を感じ取ると、村上は振り返って、笑顔で中条の頭を撫でた。
村上が実は高所恐怖症である事を、中条はまだ知らない。
「ねえ、あとどのくらい?」と秋葉。
「五時間くらいって言ってたから、もうすぐとは思うが」と村上。
「道を間違えてるって事は無いよね?」と中条。
「さっきロープ張ってる所を通っただろ?」と芝田。
「それに河原に向かって、川沿い歩いてるんだし」と村上。
「けど、別の支流に入っちゃう可能性って、無いの?」と秋葉。
地図を見ると、複数の支流に沿って道の表示が書かれている。
「間違えてこっちの支流に行くと、廃村があるぞ」と村上。
「って事は、人が通る用の、それなりの道な訳だ」と芝田。
互いに顔を見合わせた四人は、あのマッキー&タッキーの二人が、登山道を間違えて迷い込んだ廃村を思い出した。
「どうする?」と秋葉。
村上は「とりあえず先に進むしか無い。まだ昼前で、道を間違えたとしても、戻る時間はある」