第65話 女王様の選挙戦
体育祭が終わると、夏休み前に生徒会長選挙がある。三年生は一学期が終わると進路活動が本格化するため、生徒会首脳部が交代するのだ。
生徒会長は全校生徒の代表であるとともに、事実上の学年代表で、修学旅行などでも生徒の要望を受け付ける窓口になる。
建前上、立候補は自由だが、やる気のある者があまりいないため、評議委員などの立場で生徒会に関わっていた生徒から、学校側が働きかけて立候補させるのが通例だ。
その気のある生徒の受け皿なので、評議委員は完全な希望者制で、枠のようなものは無い。
この年の会長選は、通年の無風な信任投票とは、趣きが大きく異なっていた。
それは水上と米沢が、数年ぶりの対立候補としての真っ向勝負な選挙戦となったためだ。
水上と米沢は、年度当初以来のライバル意識を持ち続け、それは渡辺の件が解決した後も変わらなかった。
両名が二年次当初から生徒会評議委員なのも、生徒会長を意識しての事であった。
募集が始まり、二人が立候補すると、矢吹は米沢の選挙参謀として活動を始めた。
情報を武器とする矢吹に対抗できるのは、鹿島しか居ない。
水上は彼に参謀役を依頼し、二人の女王様の対決は、同時に、二人の高校生探偵の対決となった。
水上と鹿島は、一年間この学校の生徒として在籍し、学校の事は米沢達より遥かに多くを知っている・・・という強みがあった。
鹿島の情報に助けられた生徒もいる。
だが矢吹には、別の大きな強みがあった。女子達の間での人気だ。
牧村に負けないそのルックスに加え、米沢の影のように付き添ってストイックに姫を守る騎士のような立ち位置は、恋愛脳な女子達にとって大きな人気要素となって、かなりの人数のファンクラブもあるという。
そんな状況を危惧し、戦略を練る、水上と鹿島。
「劣勢を挽回する必要があるんだが、デマでも流すかい?」と鹿島。
「お願いできるかしら?」と水上。
「いや、冗談だから・・・」
冗談で言ったつもりの鹿島は、真顔で乗り気になる水上を見て、焦って作戦を否定した。
実は相手のデマを流そうという計画は米沢側にもあったのだが、間もなく両陣営とも学校側から釘を刺された。
生徒会顧問の二宮教諭と担任の中村教諭に、四人は呼び出されたのだ。悪いデマが流れるような事があれば、選挙を中止して、改めて別の候補を立てると二宮は言った。
そしてこれは、社会に出る彼等に選挙の仕組みを理解させるものでもあるのだからと、一般社会での選挙のルールを理解して準拠せよ、と説教した。
四人が説教から解放されて教室に戻る。
廊下を歩きながら「つまり、お金をばら撒くような事は選挙違反だからするな、という事だろ?」と鹿島は矢吹を牽制。
矢吹は鹿島に言った。
「お前、あの百万円入りの菓子折りの件を担任に吹き込んだだろ?」
「さて、何の事だ?」と鹿島はとぼけた。
挽回策に悩む水上に、岸本が声をかける。
「手を貸してあげてもいいわよ」
「どういう風の吹き回し?」と水上。
「バランスオブパワーって奴よ。劣勢な側に味方して、一方が勝ち過ぎないようにする、っていう、あれね」と岸本。
横で聞いていた村上には明らかに、単に面白がっているだけに見えた。大方、鹿島が吹き込んで、そそのかしたのだろう。
「けど、岸本さんに何が出来るの?」と水上。
「校内のイケメンの大半は、私の元カレよ」と岸本。
後腐れの無い別れ方をする彼女は、別れた後も彼等と良好な関係を保っている。
「けど、人数的にたかが知れてね?」と芝田が口を挟んだ。
岸本は「彼等だけならね。けど彼等の周りにはみんな、付き合いたがっている女子達が居るわよ」
「あ・・・」
イケメンの周囲に居る女子の友達や、イケメンのおこぼれに期待して友達をやってる男子を数に入れたら、相当な勢力になる。
「けど、イケメンに彼女らを説得させるとして、どう説得させるんだ?」と直江。
「まさか彼等が水上さんのファンだとか?」と柿崎。
「それじゃ説得力無さすぎだろ」と佐川。
「どういう意味よ」と水上は憤慨した。
「それとも米沢さんに恨みがあるとか?」と坂井。
「そういう悪い噂はNGだってば!」と鹿島。
「つまり、悪い噂でなきゃいいんだよね?」と村上。
水上が「村上君、何かアイディアでもあるの?」と問うと、村上は・・・。
「こういうのはどうかな? つまり米沢さんが親から、上流階級としての試練として生徒会長に立候補するよう命じられていて、米沢さんが無理をしている。それで頑張り過ぎる彼女に、会長として負担がかかり過ぎるのは可哀想だと・・・」
「それだ!」
さっそくイケメンたちを通じて話は広まり、水上への支持は高まった。
だが同時に、米沢に同情する雰囲気も生まれた。
知らない生徒から優しい言葉をかけられる事が増えた米沢は、事情を知らないまま、情勢が有利に進んでいると勘違いした。
水上の選挙ポスターは清水が担当した。女性を撮影する経験を積んだ清水は、水上の美貌を存分に表現した作品を完成させ、各所に貼り出された。
だが同様に、米沢のポスターもまた、清水が担当した。彼女のあでやかな美貌を表現するものが作られ、校内随所を飾った。
「敵方に手を貸すなんて、どういうつもりよ」と水上は清水を追求した。
「米沢さんだってクラスメートだよ。それに、吉江さんに頼まれたら断れないじゃん」と清水。
そんな中、鹿島が難しい表情で教室に入り、水上に悪い知らせを持ち込んだ。
「奴等、金の力を動員するつもりらしい」と鹿島。
「そういうのって、選挙違反でご法度の筈でしょ?」と水上。
「一般に使われてる裏技があるんだよ。選挙パーティーって奴さ」と鹿島。
「あ・・・」
鹿島は言った。
「演説会の名目で、有権者に飲み食いさせるって奴、パーティ券が必要だから買収じゃない、って口実で、その券をコネでばら撒く」
「こちらでも、対抗が必要ね」と水上。
「飲食物なら渡辺に頼めないかな?」と佐川が隣の渡辺に振る。
「また賞味期限切れの回収品かよ」と渡辺。
「それより、人を集める呼び物が決め手よ。アイドル呼ぶとか」と秋葉。
「向こうは金と権力で、呼び放題だよね」と篠田が残念そうに言った。
それに対して佐川が「イケメンが大勢来るってなれば、女子は集まらないかな?」
「それだ!」
体育館裏のテニスコートを確保して、グランドから演台を運び込み、渡辺が貰ってきた回収処分品のお菓子と飲み物が配られる。
岸本の人脈で元カレ達の協力を得て、彼等狙いの女子達が集まり、暇つぶしとお菓子狙いで参加した男子達も含めて、彼等の前で水上が熱弁を振るい、何人かのイケメンが応援の弁を執った。
良好な感触を得た水上は、パーティが終わると協力者らとともにささやかに祝杯を上げたが、そこに鹿島が更に悪い知らせを持ち込む。
「ネットで人気上昇中のスクールアイドル、ツインピンクスが米沢さんの選挙パーティに来るらしい」と鹿島。
「何ですって? たかが高校の会長選挙に、親の権力でそんな人達を動かすなんて・・・」と水上。
水上は激怒し、教室を飛び出した。鹿島は慌てる。
「ちょっと待ってよ、水上さん、違うんだよ・・・」と言って水上を追いかける。
米沢の選挙運動の拠点は、四月の情報戦で部長を手駒にした文芸部の部室にある。
そこに水上が抗議に乗り込み、その場に居た米沢に抗議した。
「選挙パーティにアイドルを呼ぶんですって? ツインピンクスだったかしら。親のコネとお金でそこまでするなんて、権力乱用が過ぎるんじゃないかしら」
「あら、この件はお父様とは無関係だし、お金なんて使ってないわよ。だって彼女達、私のお友達ですもの」と米沢。
「アイドルが友達ですって?」と水上。
ようやく追いついた鹿島が止めに入って、言った。
「それは本当なんだよ、水上さん。ツインピンクスが拠点にしている紅峰学園は、米沢さんが去年までが居た学校なんだ」
とんだ勘違いで水上が思わぬ恥をかいたこの話は、すぐに学校に広まった。
そしてグランドで行われたアイドルを使った選挙パーティは大盛況。
情勢は大きく米沢有利に傾いた。
自ら招いた苦境に落ち込む水上。選挙運動は終盤だ。そこに八木と藤河が声をかけた。
「水上さん、まだ勝負は終わってないよ」と藤河。
「投票は来週よ。どう挽回するって言うのよ?」と水上。
「そんな水上さんに差し入れよ。これでも読んで元気出しなよ」と、一冊の漫画の小冊子を出した。
「何よこれ、またBL?」と言って、水上はだるそうにページを開く。
読み進める水上の顔に、みるみる精気が戻った。
「この漫画の主人公、私じゃない?」と水上。
かなり美化されているが、友達を助けるグループのトップとして、主役は水上の実名入りだ。
「選挙宣伝漫画って事で、合作で書いたんだ。村上の奴がこんな手もあるよ・・・って。選挙に間に合って良かった」と八木。
「藤河さん、あなた・・・」と言って水上は彼女に抱き付いた。
「私、藤河さんの親友で、本当に良かった」
「いや、親友になったつもりは無いんだけどね」と藤河。
女どうしのハグを眺めてご満悦の八木。
鹿島は思った。
(自分が漫画のネタにされて迷惑した村上の、逆転の発想って所かな?)
藤河の宣伝漫画は大々的にばら撒かれ、選挙当日には支持率五分五分にまで持ち直した。
そしていよいよ選挙だ。
司会が2人の候補を紹介し、推薦人の二人・・・矢吹と鹿島が応援の弁を述べる。
そして本人の演説。
米沢は昨年までの様々なデータをプロジェクターで表示し、改善の必要を訴えた。
予算の配分が現状に会わない、廃部になった部活の備品が活用されていない、修学旅行先が定型化し過ぎる・・・等々を指摘。こうした事を正して、より良い学校を目指したいと締めくくった。
説得力のある演説に惜しみない拍手が響く。
だが鹿島には秘策があった。水上はプロジェクターで、卒業した三年生の活躍の様々な場面を映し出した。
体育祭で男女混合騎馬戦や全員リレーを提案企画した先輩達、文化祭での劇の順位評価や三年一組の劇、そうした先輩達が残した成果を受け継ぎ、発展させたいと訴えて締めくくる。
先の演説に対するよりも大きな、万雷の拍手が体育館に響いた。
(後輩として世話になった卒業生を慕う奴等にアピールしたのは、正解だな)と鹿島はほくそ笑んだ。
その後は候補者どうしの討論会となる。両候補者の意見により、取り入れられた形式だ。
二人の討論は最初から白熱した。
互いの弱点を容赦無く突き合い、自分の立ち位置をアピールする。
しばしば飛び交うえげつない非難の応酬に、生徒たちが眉を顰める場面もあったが、本人たちは気付く由も無い。
そして・・・。
「米沢さんは去年の先輩達のやってきた事を見ていませんよね?」と水上。
「やった事、やらなかった事は、記録を見れば解ります」と米沢。
「大事なのは、そういう発想をいかに出したか・・・という事じゃないかしら? 私はそれを先輩達の側で見てきたのだけれど、米沢さんはどうかしら?」と水上。
「新しい発想というものは、過去に捕われない自由な姿勢の中から生まれるものよ」と米沢。
「何も無い所から発想は生まれないわよ」と水上。
「それは、他校の例を参考にする事でも可能よね?」と米沢。
「それは、あなたの居た紅峰学園の事かしら?」と水上。
「紅峰学園は県下有数の名門校よ」と米沢。
「知っているわ。要綱に規律ある学園生活、とあるものね」と水上。
「生徒にも規律は必要だし、それに対する生徒の満足度故に名門と呼ばれているのよ」と米沢。
「満足しているのは、学費を払う親ではないかしら。その要望で生徒達は窮屈な思いをしているのではなくて? 例えば、男女交際禁止の校則とか」と水上。
会場がざわつく。矢吹は(まずい)と思った。
過剰な締め付けを望む者は居ない。これをアピールされたら、風向きは大きく不利に傾く。そして、恐らく鹿島の作戦なのだろうと・・・。
(鹿島の野郎)と矢吹は呟いた。
米沢も不利を悟ったのだろう。哀しそうな顔でしばし俯いたが、やがて毅然と顔を上げると、言った。
「規律は生徒を守るものであり、必要なものです。男女交際禁止も意味があって、あの学校では校則になりました。ですが、この学校で男女交際を規制する事に、私は断固反対します。何故なら私自身、この学校に好きな人が居るからです」
誰もが唖然とした。水上も鹿島も、そして矢吹は(終わった)と思った。
米沢家の権力の事は多くの生徒が知っている。その権力で恋愛のために強引な転学。批判を浴びるのは当然だと思った。
だが米沢は続けた。
「私は二年二組の渡辺直人君が大好きです。渡辺君とは子供の頃からの幼馴染で、その時、将来の結婚を約束しました。けれどもその後、家が疎遠になって、彼も離れてしまいました。だけど私は諦めません。きっと彼の心を取り戻すつもりです。今は良い返事を貰ってませんし、これは彼の気持ちの問題でもありますから、無理強いは出来ないのは解っています。けれども、今は受け入れて貰えないなら、せめて別の形で思い出を残したい。この思いをバネにして、生徒会長として学校を良くする事に思いをぶつけたい。当選したら、渡辺君に副会長になって貰って、一緒に頑張りたい。二人でしっかりした成果を出して、この恋の証にしたい。渡辺君。今は好きという気持ちに答えてくれなくて構いません。その代わり、一緒に生徒会をやってくれますか? 副会長をやってくれますか?」
重苦しい空気がしんと静まる中、一人の女生徒の拍手と声援が体育館に響いた。吉江だった。
つられるように、あちこちから拍手が起こり、声援が上がり、体育館は満場の拍手と「渡辺コール」で包まれた。
やがてそれは「渡辺副会長コール」へと変わり、周囲から促された渡辺は、その場に立って答えた。
「今はまだ答えてあげられないけど、副会長は引き受けるよ。一緒に生徒会、頑張ろうね」
「ありがとう、渡辺君。いつまでも待ってます」と言う米沢の声は中ば嗚咽となって半分ほどしか言葉にならなかった。
拍手が止まない中を候補者と推薦者がステージを降り、投票が始まった。未だに状況を把握できない矢吹に、鹿島はそっとささやいた。
「完敗だよ。公開告白で同情票とか、ここまで体を張られたら手の打ちようが無い。さすがは米沢家顧問だな」
結果七割の得票率で米沢の圧勝だった。
直ちに役員の選任が始まった。
副会長にはもちろん渡辺。会計には片桐に依頼が来た。恋敵も生徒会に入れて正々堂々と、という訳だ。
そして水上にも生徒会入りを依頼。牧村と鹿島をともに、という条件で水上は受諾した。
矢吹は会長の手足として庶務。議長は議事妨害者を一睨みで黙らせる水上、書記は牧村、鹿島は会計監査として新生徒会は発足した。
仲直りという事なのだろう。水上と米沢が数人の女子と机を並べて昼食を食べている。
それを少し離れた所で見ながら、昼食を食べる鹿島達。
「あれだけ対立してた水上さんを議長って、米沢さんって寛大よね」と吉江が言う。
佐川は笑いながら「政治の世界じゃ、対立勢力にポスト与えて懐柔とか、毎度の事だぞ」と解説。
すると篠田は「千夏ちゃんがそんなのに簡単に乗せられる訳無いじゃん」とか言い出す。
「確かにそうだよね。見ろよ、あれ」と清水はあきれ顔で言った
米沢は毎度の重箱弁当。
「我が家のシェフが作ったのよ。皆さんも召し上がって下さいな」
「それだけ食べてその体形を維持って、米沢さん、さすがね」と水上。
「野菜中心のヘルシーお弁当ですから。それより生徒会、よろしくね」と右手を差し出す米沢。
握手の手に力が籠り、視線が激突し火花が散る。
「ああいうの、どうにかならないのかなぁ」と清水。
「水上さん、ああいう性格だからね」と鹿島
「米沢さんもだけどね」と渡辺が言うと、矢吹が口を挟む。
「弥生さんのああいう性格は、渡辺にも責任あるんだからな」
「面目ない」と渡辺。