第6話 おんぶな日常
それからは週末に、放課後にと、中条は村上のアパートに入り浸るようになった。
晴れた日は街を歩き、時々近くの山に入って、岩場や小さな滝を巡った。小学校の頃から芝田と村上で探険して見つけた場所だ。
中間試験前は三人で勉強した。村上は理科・国語・社会の成績が良かった。芝田は大抵は教えてもらう側だったが、数学だけは得意だった。
そして中間試験が終わってまもなく・・・。
中条が朝、目を覚ますと、気分の重さとともに腹部の痛みを感じた。(生理だ)と気づいたが、かなり症状が重い。
何とかベットから起きて、着替えて支度し、朝食を少し食べて玄関を出た。そこでいつものように村上達を待つが、立っているのも辛い。しゃがみ込んで二人を待った。
やがて、いつものように自転車を引く芝田と、その横を歩く村上が、中条を見つけて小さく手を振った。
それに気付くと中条は少し元気が出て、立って手を上げた。
「どうしたの? しゃがんでたみたいだけど、気分でも悪い?」と村上が尋ねる。
「うん、ちょっと気分が悪くて・・・」と中条。
「風邪?」と村上。
「病気じゃないから」と中条。
「それって・・・」と村上が言いかけて、けれど触れてはいけないような気がして言葉を濁すと、芝田が「もしかして生理?」
「おい」と村上。
「いや、だって、ごまかす場合じゃないだろ」と芝田。
「いいの、生理だよ。けど今回はいつもより重くて」と中条が割って入る。
「学校休む?」と村上。
「行く。毎月あるんだから、休んでられない」と中条。
「歩ける?」と村上。
「うん」
「じゃ、行こうか」
そう言って彼等は歩き出したが、しばらく歩くと中条はまたしゃがみ込んだ。
「ごめん、やっぱり気分悪い」と辛そうな中条に、村上は「おんぶして行こうか?」と言って背中を差し出した。
「大丈夫か? お前体力無いくせに」と言う芝田に、村上は「女の子ひとりくらい平気だよ。それに中条さん軽そうだし」と言って、後ろの中条に笑いかける。
中条は嬉しそうに「それじゃ」と言って、村上の背中に体重を預けた。
背中の温もりとともに、男子にしては細くて柔らかな感触が伝わる。後ろ頭の髪が中条の鼻先をくすぐった。その心地よさで中条は、生理の辛さが少しだけ癒えるのを感じた。
だが半分くらいの所で村上がバテ始めた。
「だから体力つけておけと言ったろーが」と芝田は言い、交代して中条を背負った。
今度は筋肉質な芝田の背中の感触が、中条の気分を高揚させた。ずっとこうして背負われていたい・・・、そんな事を思った中条だったが、学校に近づくと登校中の他の生徒の視線が増え、さすがに恥ずかしくなった中条は「もう大丈夫」と言って芝田の背中から降りた。
その後1日、体調の悪い中をどうにか凌いだ中条だったが、放課後の頃に気力が限界に来ていた中条は、教室から芝田に背負われて帰宅の途につき、芝田と村上が交代で中条を背負って、家まで送り届けた。
クラスメート達は、中条の具合悪そうな様子を知っていたため、特にこれを奇異な目で見る事は無かったが、翌日はさらに生理が重く、中条は登下校だけでなく一日中、芝田か村上に背負われて校内を移動した。
やがて3日が過ぎて生理が終わり、中条は自分の足で登下校できるようになった。
体調の重さから解放されて気分爽快な筈が、何か物足りない。
この3日間、当たり前に触れていられた二人の背中の感触が遠ざかった事の寂しさが、その物足りなさの正体である事に、中条はすぐ気付いた。
回りを見渡すと、友達どうしの女子達があちこちに居る。友達と手を繋いで歩く人、友達の後ろから抱き付く人。自分が村上と、芝田と同じようなスキンシップをしている姿を想像して、思わず赤面した。
相手が異性だから、女どうしなら抵抗なく出来る事も・・・というのは解るが、今でも芝田と村上以外のクラスメートとは話すのも困難で、それは女子に対しても同じだった。
体育の授業などでの男女別の時間は孤立感があって、それが終わって女子更衣室から出た後、教室に向かう村上達を見つけると、駆け寄って彼等の上着の裾を掴み、頭を撫でてもらうのが嬉しかった。
だが特にその日はスキンシップに飢えていたためか、また村上が駆けて来る中条に気付いて右手を上げて合図したのが嬉しかったのであろう。
中条は敷居の段差に気付かず、つまづいて転んで左の足首を痛めてしまい、二人に伴われて保健室で手当を受けた。
足首は腫れていたが、歩くのが困難なほど中条は痛みを感じなかった。だが保健教諭には実際以上の痛みを訴え、捻挫と診断されて包帯を巻いてもらって保健室を出た。
その後は足が治るまで、また村上と芝田が交代で、中条を背負って校内を移動することになり、中条は再び彼等の背中の感触にありついた。
翌日には足の腫れも引き、足首の痛みもほぼなくなった。だが中条は二人から背負ってもらえる時間を失うのが惜しく思った。昨日のように足首に包帯を巻き、びっこを引いて玄関を出て村上達を待ち、二人に背負われて登校した。
休み時間に、クラスの女子どうしのスキンシップを眺める中条に気付いて、村上は言った。
「中条さんも、あんな中に入りたい?」
中条が「私、まだ村上君達以外の人とちゃんとしゃべれないし・・・」と言うと、芝田が「ああいう奴らって携帯で会話するよな。目の前の相手とメールで話すとか」と言い、村上が「そんなのはアニメの中だけだろ」と突っ込む。
「里子はメールなら会話できるのかな?」と芝田。
「昔の人は中国人と筆談で会話したそうだけど」と村上。
「外国語の通訳とは違うだろ」と芝田。
「私、携帯持ってないから」と中条。
「そうだったね。俺も携帯はもっぱら音声だけど」と言う村上は今もガラケーで通す派だ。
「今時スマホでメールチャットくらい出来ないと、時代遅れだぞ」と芝田。
「時代遅れ上等だ。ってか文字はちゃんとしたキーボードで打つものだ」と村上。
中条が「携帯で文章書くのって大変なの?」と聞くと芝田は「そんな事は無いぞ。要は慣れだ」と言い、自分のスマホを見せて使い方を教えた。
文字の打ち方、ネットの繋ぎ方、写真の撮り方・・・。
芝田に促されて、中条は窓から身を乗り出し、外の写真を撮っているうち、ふとしたはずみにスマホを落としてしまった。
「いけない、芝田君の携帯が」と叫ぶと中条は、窓の下の携帯目がけて走った。
足を挫いて歩けない筈の中条の全力疾走を見て、村上と芝田は一瞬目を合わせると、慌てて中条を追いかけた。
中条は生徒玄関から出て教室の窓の下へ行き、芝田のスマホが植え込みの下に落ちているのを発見した。植え込みがクッションになって衝撃を受けなかったらしい。
壊れていないのを確認してほっとしている時、芝田と村上が追いついた。
「中条さん、足は大丈夫?」と声をかけられて初めて、中条は自分が歩けない事になっていた事に気付いた。
(嘘がバレた)・・・。あれこれ頭の中で言い訳を探したものの、思いつかない中条は、泣きそうな顔で「ごめんなさい」と言った。
村上と芝田は怪訝そうに顔を見合わせ、村上が「歩けるの?」と聞くと中条は俯いたまま頷いた。
村上は察したように中条の肩に手を置いて「もしかして、おんぶして欲しかった?」
頷く中条。
芝田が「おんぶくらい、いつでもしてやるよ。それは妹の権利だ」と言って背中を向けてしゃがむと「ほら、乗れよ」
しかし中条は躊躇うように「違うの。おんぶを・・・って訳じゃなくて・・・」
村上は中条の顔を覗き込み、「して欲しいことがあるなら、言ってごらん」言うと中条は、二人に抱きついてその間に顔を埋め、言った。
「女の子達はみんな友達がいて、ハグしたりしてるのが羨ましくて、だけど女の子とそうしたい訳じゃなくて、村上君たちと・・・。私って変かな?」
村上はようやく全てを理解したように「変じゃないさ。それはオキシトシンだな」と言った。
「何だそりゃ?」と芝田。
村上は説明した。「脳内ホルモンの一種でね、付き合ってる相手と触れ合うと、それが出て気持ち良くなるっていう・・・」
芝田が「ああ、恋愛ホルモンって奴か」と言うと、中条は真っ赤になった。
「私、二人とも好きになっちゃったのかな?」
村上は慌ててフォローの説明を続ける。
「いや、そうじゃなくてね、オキシトシンは家族とかペットでも出るし、友達が下の名前で呼んでも出るらしい。さらに言うと、これの作用で同じ国の人を優遇したくなるって実験もあるんだ。つまり仲間として認識した相手に優しくしたい、近付きたいって気持ちに作用するって事らしい」
それを聞くと中条は村上を見て「じゃ、村上君も気持ちよかったの? 芝田君も?」
芝田は納得したように言う。
「膝枕が気持ちよかったのもそれかぁ・・・。けど、なぁ・・・」
「何だよ」と聞く村上に芝田は言った。
「よくさ、女の体に気安く触るな・・・とか言うじゃん?」
それを聞くと中条は二人から離れて、悲しい顔で俯き「ごめんなさい・・・」と呟いた。
大好きな友達に近付きたい、触れ合いたい、そんな友達に罪悪感を強いて壁を作る自分の「女」という立場が許せない、そんな気持ちが中条を責め、やがてポロポロと涙が溢れた。
村上は困って、芝田に「おい、そういうのはさぁ・・・」
芝田は「俺のせいかよ」と村上に言うと、中条の頭を撫でて「ごめんな。里子は触るななんて言った事無いのに」
「だって、だって・・・」と言いながら、なおも泣き続ける中条に、村上は「中条さんは悪くないよ。ああいう事を言う奴等に耳を貸さなかったじゃん」と言い、後ろから中条を抱きしめた。
「ほら、俺もあんなの気にしない。俺達は俺達さ。だろ?」と村上。
「うん」と頷く中条。