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おどり場の中条さん  作者: 只野透四郎
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第50話 幸せの味

  バレンタインデー当日の朝、小島・清水・鹿島の三人が囲む机上に三つの菓子箱があった。


 それぞれ各自が持ち寄った地方銘菓だ。

 小島はショコラ風味のクリームチーズを餅で包んだ「ショコラ大福」。

 清水は柿のペーストを葛餅入りゼリーで固めた「柿とろ」。

 鹿島はチーズと卵黄を利かせたクレープ生地で巨峰クリームを包んだ「大粒クレープ」。

 彼等は互いに試食しては「この芳醇な甘みと酸味が」「まったりとした舌ざわりが」などと、どこかで聞いたような表現で褒めちぎり合い、女子達の聞き耳を釘付けにした。


 我慢できなくなった大野が「一口味見させてよ」と言う。三人は互いを顔を見合わせると、意味深な笑顔で大野に言った。

「等価交換」


 悔しそうに自分の席に戻る大野と入れ替わりに、水沢が教室に入ると、三人は彼女を呼んで一個づつ食べさせる。いかにも美味しそうな水沢の表情が、女子達を苛立たせた。

 そして薙沢が登校すると、三人は彼女にも一個づつ・・・。そして薙沢は、用意してきた手作りクッキーを彼等にあげた。



 だが、続いて登校した七尾が教室に入ると、さっそく取り締まりに乗り出す。


「あなた達、うちのクラスではあくまでチョコは禁止って知ってるわよね?」と七尾。

「これ、チョコじゃないお?」と小島。

「同じ事でしょ?」と七尾。

「違うよ。単なるお菓子なら普段から不要物って話で校則の対象なのに、わざわざチョコ禁止って言うのは、それが普通のお菓子と違って特別な意味があるからだよ」と清水。


 七尾はそれを詭弁だと思ったものの、どう反論していいのか判らない。

 すると鹿島が「七尾さん、一つ食べてみる?」

 七尾の中の二つの声が争う。「それは賄賂だよ」「チョコじゃないならいいじゃん」


 結局七尾は、目の前の美味しそうなお菓子の誘惑に勝てなかった。それを口にした瞬間、厳しかった七尾の表情がとろけた。

「お・・・美味しい」

 結局三人から一個づつ貰って食べた七尾は。お菓子の誘惑に負けた自分を責める声を振り切るように「あれはチョコじゃないあれはチョコじゃない」と心の中で繰り返し呟く破目になった。



 そしてその後、一時間目の後の休み時間、廊下を歩く七尾に後ろから声をかけたのは牧村だった。手に持っているのは小さな板チョコだ。

「鞄の中に入れてきちゃったんだけど、友チョコって事で貰ってくれないかな」と爽やかな笑顔を向ける。

 堅物とはいえ七尾も女子だ。一度もモテた事の無い自分に女子達の憧れの的が向けた笑顔に、思わずぼーっと手を伸ばし、はっと気付いて自分のクラスの教室の方を見ると、戸口から何人もの女子が顔を出し、期待を込めた視線を向けている。


 要するに賄賂なのだと気付いたが、目の前の牧村の笑顔には逆らえない。

 勝手に伸びる七尾の手がチョコを受け取ると、牧村は笑顔で言った。

「受け取って貰えて嬉しいよ。何も期待しなくても、誰かに何かあげるって、気持ちいいね」

 牧村が去っていくと、七尾は教室から覗いている女子達に向かって「あーもう解ったわよ。一年二組は取り締まり中止。それで気が済んだでしょ?」と声を上げた。


「やったー」との歓声とともに、女子どうしの友チョコの交換が始まる。



 敗北感を感じながらも、牧村から貰ったチョコをポケットに、満更でもない七尾が廊下を歩いていると、今度は岩井が声をかけた。

「普段は姉さんの目が厳しいけど、今日は特別だからさ。深い意味は無いんで、七尾さんも貰ってくれないかな」と、一袋いくらで売っている小さな袋入りチョコケーキを差し出した。

 彼の家庭内での問題は姉の強引さによるもの・・・と七尾は認識していた。何よりルックスでは牧村に負けない。


 思いもかけないクラスのイケメン双璧からのチョコ。浮き浮き気分の七尾に今度は山本が声をかけた。

「あのさ、去年はスカートめくりとか色々迷惑かけたし、お詫びっていうかこれ受け取ってくれないかな・・・」と一袋いくらで売っている小さな一口チョコを差し出した。

 七尾には弟が居て、生意気な年下の男の子としてイメージが重なる事があった。



 そしてさらに柿崎から四個目を貰った時、さすがに七尾は不安になった。


 何かがおかしい。

 彼等の義理チョコ気分に深い意味が無いのは解る。だが今まで男子と何の接点も無かった自分が、こうも次々に・・・。

 これが「モテ期」というやつなのか? けど、何の理由も無くそんなうまい話が? クラスの女子で宮下は別として、男性と無縁なのは自分だけなのに・・・、むしろ自分だけだからこそ・・・なのか?。

 つまり「憐れまれている」のか?


 七尾は自分が堅物だからという理由で男が寄り付かない喪女だという自覚はあった。

 それがみじめだと思ったつもりは無いが、他の女子が男子との接点を持つ中で、羨ましさに似た感情が芽生えている事は自覚していた。だからって・・・。


 その時、五人目が声をかけた。直江だ。

「義理チョコみたいなもので、特に意味は無いんで・・・」と言って、板チョコを差し出す直江。

「いい加減にしてよ。次から次へと・・・」と七尾。


 思わぬ反応に直江は唖然とした。

「確かにクラスでは私だけ男子から相手にされない喪女です。けどだったら何? 私、寂しいなんて思ってないから。憐みチョコなんて真っ平よ」と七尾は言い放ってその場を去った。



 もやもやした気分で七尾が教室に戻ると、女子達は一様にうきうき気分で好き勝手言っている。

「何個貰った?」

「これで三個目」

「義理チョコだと何だかオジサン臭いから、テキトーチョコだってさ」

「まるで新しいおもちゃを貰った子供みたい」


 それを聞きながら七尾は気付いた。自分だけじゃなかったんだ。

「誰かに何かあげるって、気持ちいいね」という牧村の言葉を七尾は思い出し、勘違いで直江にきつく当たった事を、今更ながらに後悔した。


 だが、その後も続く女子達の言いたい放題な会話に、七尾は次第に苛立ちを覚えた。

「よーするにこれって、自分はあげる側なんだ・・・っていう、貰えない非モテの自己弁護だろ」と大野。

「今まで散々、期待してがっかりして泣くだけのイベントだったからね」と篠田。

「まあ、バレンタインデー反対とか言って気勢上げるよりマシだけどね」と吉江。

「ほんっと非モテ男って・・・」と宮下。



「いい加減にしてよ」と怒鳴り声が七尾の口をついた。

「いや、バレンタインデー反対って別に生活指導の事じゃないから」と大野が弁解するが、七尾は続けた。


「知ってるわよ。けどね、彼氏彼女が居ると偉いの? そういう変な優越感で他人を見下すのがみっともないって解らないから、批判されても僻みなんて解釈するんだよね。違う? 確かに私はモテないわよ。モテたいとも思わないし。けど、そんな事で馬鹿にされたくないし、その気持ちは男子だって同じだと思う!」と七尾はまくし立てた。

 大野達は反論できなかった。



 次の休み時間、教室を出た直江に七尾が声をかけた。

「さっきはごめんなさい。せっかくのチョコなのに、変な誤解をして酷い事言っちゃって」


「別にいいよ。特に意味の無いテキトーチョコなんだしさ。それより、七尾さんっていい人だね。さっきの話、聞いてたよ」と直江。

「別に・・・自分もモテないから、怒っただけだよ。それに直江君、彼女居るでしょ?」と七尾。

「居るけど、SNSで知り合った子でさ、ネットに俺のこと弄んでる・・・なんて書いてるんだぜ。だからさ、たとえついででもさ、他人のためにも怒ってくれるの見て、俺、嬉しかったよ。あのさ、今ならこれ、貰ってくれるかな」と言って直江はさきほど渡しそびれた板チョコを差し出す。

「これって告白って訳じゃないんだよね?」と七尾。

「俺みたいなのに告白されたら、七尾さん、不快でしょ?」と直江。


 七尾は思わず否定しそうになった。だが、否定したら告白を受け入れた事になるような気がして、少し躊躇した。

 そして代わりに「直江君が悪い人じゃないって事は憶えておくわ」

「うん、それで十分だよ」と直江は笑顔で言った。

 そして直江は「放課後、また渡辺のマンションでパーティをやるんだけど、七尾さんも来ない?」


 気が向いたら行く・・・と七尾は答えた。

 直江が立ち去ると、彼がさっき見せた笑顔を思い出し、一抹の後悔が胸を刺した。

 それを振り払うように七尾は貰ったチョコの封を切って一口齧る。口の中に甘味が広がる。



 その時、誰かが背後から七尾の肩をポンと叩いて「お行儀が悪いわよ」と言う声。

 ギクリとして振り向くと、風紀委員長だ。周囲から煙たがられてはいるが、七尾にとっては尊敬する先輩である。

 七尾は慌てたが、委員長は笑顔で続けた。

「あなたも貰ったのね?」

 咎められている訳ではないと感じて安心するとともに、抱えていた疑問が口をついた。


「どうしてチョコ禁止を中止したんですか?」

「私も貰ったの。昨日の朝。クラスの男子でね、世界史の授業で男性からもありだって聞いた妹さんからねだられたから、ついでに・・・って。当日は禁止だから今日のうちに・・・って渡されたんだけど、私もそういうの初めてだったから、嬉しくて・・・」

 (結局、この人が禁止令言い出したのも、モテなかったのが原因なのかな)という言葉が勝手に脳内に湧く。

 すると委員長は「今、あの禁止令は喪女の僻みだったのか、って思ったでしょ?」と笑って言った。

「いえ、そんな事は・・・」と七尾。


「いいのよ。本当の事だもの。けどね、チョコを渡す時に彼が言ったの。どうしてチョコなのか解る?って」と委員長。

「それはイギリスが植民地にしたアフリカで・・・」と七尾。

「もっと深い理由よ。彼が言うにはね、人って甘いものを食べると幸せを感じるから、それを分かち合うんだ・・・って」と委員長。

「その人ってもしかして水沢さんの・・・」と七尾。

「そういえば妹さん、あなたのクラスだったわよね?」と委員長。


 水沢が兄に甘えてお菓子をねだる様子を想像して、七尾は少し笑った。



 その頃、クラスでは山本が渡したチョコを、全員が注目する中で水沢は袋から取り出していた。

 そして一目見ると、大はしゃぎで「ねぇ、見て見て」とチョコを持った手を挙げて、みんなに見せる。その形は三重とぐろの見事なうんち君だ。

 男子達は爆笑。女子達は「山本って・・・」と一様に呆れの視線を向けた。

 だが水沢は目をキラキラさせて美味しそうに一口齧った。

 それを見た村上は隣に居た芝田に「なあ、水沢さんって。眼鏡かけると意外と似合うんじゃね?」


 続いて、大谷が渡したチョコの封を開ける岸本。

 出てきたチョコの形は、傘の張った見事な男性のシンボルだ。

 女子達は大谷にさらにきつい批難の目を向けるが、岸本は笑顔で「あら、美味しそう」と一言いうと、その先端にそっと舌を這わせ、口に含んで見せた。

 その迫真の口使いに一同息を呑む。


 芝田は隣に居た村上に言った。「ああいうシャレが通じる岸本さんって、好きだなぁ」

 そんな会話を聞きながら、中条は村上の膝の上で笑う。

 芝田はそんな中条を見て、一袋いくらで売っている一口チョコをひとつ摘まむと、包みを剥いて中条の口元に運んだ。



 騒ぎが収まると、秋葉は岸本の所に行き、用意していた友チョコの一つを差し出して、「これ、貰ってくれる?」と言った。


「私と友達に・・・って訳じゃないみたいね。何か相談事?」と岸本。

「岸本さん、外見より中味を重視・・・ってどう思う?」と秋葉。

「悪い事じゃないと思うし、男性に自分の内面も見ろって要求する女性も居るわよね? けど、そう言う人自身の肝心な内面って、少なくとも男性から見て残念だったりするのよね」と岸本。

 秋葉は笑って言った。

「だからみんな、そんな事口に出さずに外見を磨く訳よね」


岸本は言った。

「秋葉さんもあいつ等にルックスアピールとかするし(笑)。けどあれ全部冗談でしょ? 結局、男性が女性の内面を認めるにしても、その基準は自分にとって・・・だからね。優しさとか。けど、それは女性も同じで、自分は男性の内面も見てますって言う人も、自分の気持ち察してくれるとか、都合のいい男としての内面を求めてるだけなのよね。結局、男性も女性も求めているものは同じで、けど、それは根っ子の所では、相手が楽しいと自分も楽しい、だから優しくしたい、ってのが恋愛で、そんな関係を作れる内面・・・って事じゃないかしら。それ以前に、そもそもそういうつもりがあるか、って事も含めてね」

「そうね。けど、ちゃんとその人自身の世界を持って頑張ってる男性とか、必ずしも自分に優しいだけじゃない、そういう内面にも、女性は魅力を感じるわよね」と秋葉。

「そうね。けどそれって、そうやって頑張る事で実力を得て、みんなの上に立てる王子様になれるとか、自分も価値を感じる何かを実現するとか、結局は女性である自分を喜ばせる内面だからの価値でしょ? それと、男性が女性の内面を見てないように見えるのだって、相手を都合のいい内面で選別しないって事にもならない? 例えばツンデレみたいな単なる我儘な女を肯定しちゃうとか」と岸本。


「岸本さんって、男性の事すごく解ってるわよね」と秋葉。

「単純で解りやすいからね(笑)。けど、解りやすいって悪い事じゃないでしょ?」と岸本。

「そうだね。だけど岸本さんには、解ろうとする気がある、って事なんだと思うよ」と秋葉。

「目の前で男性が楽しそうにしてると、気持ちいいもの。秋葉さんもそうじゃない?」と岸本。

「そうだね。自分が一緒じゃなくても、男子がわいわいやってると、楽しそうだな・・・って思う事もある」と秋葉。



 放課後、各自で渡辺のマンションに向かう。

 帰り支度を終えて、紙袋一杯のチョコを手に下げる牧村。

「よく水上さんが許したよな」と声をかける柿崎

「まあ、年に一度だからとか言ってたけどね」と牧村が答える

「クリスマスの時に柿崎が、あまり独占するな・・・って言ったのが効いたんじゃね?」と言ったのは直江だ。


 そこに「男子からは貰ったの?」と藤河が口を挟んだ。

「貰ってないよ」と牧村。

「何でよ。柿崎君も直江君も何してるのよ。何で誰も男どうしのチョコ交換しないの? 友チョコなんだからいーじゃん」と藤河。

「藤河さんの趣味押し付けられても困るんだが・・・」と牧村。


 藤河は諦めず、帰り支度をしている八木に言った。。

「八木君は岩井君にはあげなかったの? 女装した時は男の娘もありだって言ってたじゃん」

「岩井が嫌がるだろ。そんなに言うなら本人に聞いてみたら?」と八木は彼の席を指さした。


 見ると岩井は自分の席で、貰ったチョコを食べている。

 ハート型の大き目な板状のものに白チョコで「友」と書いてある。


「持って帰らないの?」と藤河が聞く。

「姉さんの持ち物検査が待ってるからね。女子から貰ったチョコなんか見つかったら面倒な事になる」と岩井。

「それ、宮下が配ってたやつだよね?」と藤河。

「友達でもないし、って言ったら、今のじゃなくて女装した時のあんたに対する友チョコだから、だとさ」と岩井。

「どういう意味?」と藤河。

「俺にも解らん」と岩井。



 鹿島が下校しようと玄関にを出た時、声をかけたのは薙沢だった。


「これ、貰ってくれないかな」と言って、チョコらしき小さな包みを差し出す。

「薙沢さんからは朝、クッキーもらったけど。あれは美味しかったよ」と鹿島。

「あれはみんなに。鹿島君には別口で貰って欲しいの」と薙沢。

「どういう風の吹き回し? 男性恐怖症で男性からの好意に拒絶反応が出ちゃうんでしょ?」と鹿島。

「気分だけでも楽しみたいの。鹿島君は特定の女性を好きにならないでしょ? ハードボイルドのヒーローなんだから」と薙沢。


「そんなの、ただの中二病だってみんな言ってるけどね。薙沢さんは本気にしてくれるの?」と鹿島。

「私は本気にしてるよ。だって鹿島君、いろんな人を助けてるけど、報酬とか貰ってないでしょ?」と薙沢。

「探偵は情報を売る仕事だからね。どんな情報に需要があるのか、経験を積むのが報酬さ」と鹿島。

薙沢は言った。

「私、クラスの男子には慣れたし、みんないい人達だけど、まだ誰かに求められたら・・・って思うと抵抗があるの。けど恋愛はやってみたいって気持ちはあって、じゃあどんな恋愛なら出来るのかな・・・って考えると、自分は相手を愛するけど相手は自分を愛さない・・・なんてのになっちゃうのかな、って」

「一方的に愛するって、それはそれでけっこう辛い話じゃないのかな?」と鹿島。

「そうね。けど、これからどうなるか解らないし、治るかも知れないからね」と薙沢。


 二人はパーティ会場になる渡辺のマンションに向かって歩きながら、会話を弾ませた。やがて通りの向こうに、目的地のマンションのビルが顔を覗かせた。

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