第49話 僕達のバレンタインパーティ
三学期が始まってしばらく経ち、一月末頃の世界史の授業。授業担当は担任の中村で、ちょうど中世キリスト教の話になっていた。
板書しながら中村は語る。
「このように、本来は一神教だったキリスト教も、ヨーロッパに広まる中で、元々あった土地の多神教の要素を取り入れる必要があった。その中で生まれたのが聖人崇拝でね、聖人ってのは昔の布教で活躍した偉い坊さんが、死んだ後も神様並みに信仰対象になるんだが、みんなにお馴染みなのも色々いる。例えばサンタクロースだ。あれは今のトルコに居た実在の人物で、セント・ニコラウスという人。それが訛ってサンタ・クロースになった」
「トルコってトナカイいるの?」と水沢が質問した。
「いないよ。いるのは北ヨーロッパ。あそこの多神教の神様のイメージが混ざって、ああなったんだ。そうやって古い宗教の神様のイメージを聖者にダブらせる事で、抵抗無く住民を改宗させたんだね」と中村が答える。
「じゃ、サンタが子供達にプレゼントを配ってるのは?」と水沢。
「セント・ニコラウスが貧しい人に施しを与えたって逸話から来た、要するに伝説だね」と中村。
「でも小依、ちゃんと貰ったよ。サンタのプレゼント・・・」と水沢。
「先生、子供の夢壊しちゃ駄目だよ」と直江が口を挟む。中村は苦笑し、生徒たちも笑った。
中村は話を続けた。
「それで、同じような聖者は100人以上いて、みんなセント何たらって名前が付く」
「セント・バレンタインとか?」と口を挟んだのは吉江だ。
「そう。彼も聖者として崇拝されてる一人だ。そしてそれぞれの聖者は大抵、記念日があって、セントバレンタインの場合が2月14日。さらに各自のご利益にも、得意分野があって、セントバレンタインだと恋愛成就の・・・って事になる」
「あの、好きな人にチョコを贈るって、日本のお菓子メーカーが儲けるための陰謀だって本当ですか?」と内海が質問。
「それは間違いだな。19世紀にイギリスで始まったらしい。そもそもチョコの原料のカカオは熱帯産だからね。アフリカを植民地にしたイギリスが広めた訳だ」と中村。
「やっぱり菓子メーカーが儲けるための陰謀じゃん」と山本が口を挟む。
「けど、女性から男性に・・・ってのは日本だけだそうだ」と中村。
「じゃ、本当は男子が好きな女子に・・・ってのも有りですか?」と吉江。
「当然だよ。セント・バレンタインは女性限定で恋愛を認めた訳じゃないからね」と中村。
授業後の休み時間、がっかりしている水沢を小島と宮下と山本が慰めているのを横目に、男子達の雑談は半月後に迫ったバレンタインデーに話題が向いた。
「今年は貰えるかな?」と言う直江に、大谷は「お前は彼女、居るだろ」と突っ込む。
「SNSでゲットしたけど、やたら一方通行でさ、あいつ、ネットにさ、必死に縋ってくる彼氏を弄んでる悪女です・・・なんて自己紹介書いてるんだぜ」と、直江はスマホを出してネットに彼女が書いた画面を出して見せた。
「げ・・・。こんなのとは別れたほうがいいぞ」と大谷。
「結局、貰えるかどうかで一喜一憂しても、所詮は相手の気まぐれだろ。馬鹿らしいだけだ」と言う佐川に、直江は「お前は篠田さんが居るだろ」と突っ込む。
佐川は「別に期待してないし、今までも皆無だったしね。そもそも貰うのを一方的に待つ立場だから、そういう物欲し思考になるんだろ。マスコミとかが必死に煽ってるのに乗せられてるだけじゃん」
「だったらさ、逆にこっちから渡す・・・ってのはどーよ」と、内海が口を挟んだ。
「先生が言ったみたいにか?」と大谷。
「逆チョコってのもあるらしいよ」と清水。
「なるほどな。けど下手に渡してキモ連呼になって返ってきたら最悪だよな」と津川。
「義理チョコとか友チョコとかいうのもあるしさ、そもそも最近の女子は女どうしの友チョコが主流じゃん」と八木。
男子達が逆チョコを計画しているという話は、すぐに女子の間に広まった。
誰が誰に・・・という予想を恋バナのネタにする者、人気のある男子からのチョコを期待する者、吉江などは「一個も貰えなかったら」と心配し、清水に念押しようとしては躊躇する・・・を繰り返した。
そんな彼等彼女等に悲報が届いた。風紀委員会がバレンタインデーのチョコ持ち込みを禁止するというのだ。
学級委員であるとともに風紀委員でもある七尾が、ホームルームで説明すると、主に女子達から反発の声が上がった。
「権力の横暴だよ。先生たち理解無さ過ぎ」と吉江が発言
「風紀委員会で生徒が自主的に決めた事よ」と七尾。
「非モテ男どもの僻みって訳かよダッセー!」と大野が発言
「言い出した風紀委員長は女性です。もうすぐ学年末試験だというのに、恋愛イベントで頭がいっぱいでどうするんだ、って話です。学生の本分は勉強です」と七尾。
バレンタインデーが終わると、間もなく学年末試験だ。
「チョコの糖分は脳のエネルギー補給に役立つけどね」と発言したのは岸本だ。
「だったら角砂糖でも舐めてればいいでしょ」と七尾。
七尾は堅物として煙たがる生徒も多いが、以前は水上が学校とのパイプ役として味方に引き込み、女子達との繋がりを保っていた。
そのグループが解消された今、彼女が他の女子達に配慮する理由は無くなっていた。背後には生活指導部が居て、校則と同様の効力がある。
「折角の年一度のイベントなのに」とがっかりする女子達の雰囲気を、いつも男子達の輪の中に居る薙沢が、相変わらず逆チョコをやる気の彼等に漏らすと、男子達は口々に言った。
「よーするに、見つからなきゃいいだけの話だろ」と山本。
「学校の外で渡すとか、やりようはいくらでもある」と佐川。
そんな声を耳にして、女子達はやる気を取り戻した。
二月に入ると女子達の「手作りチョコ」の動きが本格化する。
それを笑って「形を変えるだけで中身は同じ、なんちゃって手作りチョコ」と言い出した山本に大谷が同調し、反論する女子と言い合いになった。
だが、いつのまにか混ざっていた岸本が「大谷君は、私のなんちゃって手作りチョコなんか、欲しくないのね。残念だわ」と言うと、大谷は慌てた。
「冗談です。ごめんなさい。手作りチョコ最高」
その週末、数人の女子が岸本の家に集まった。一緒に手作りチョコを作るためである。
「で、なんちゃって手作りチョコって馬鹿にしたのを撤回させたのはいいとして、何であいつらがここに居るの?」と篠田が、台所の隅に居る大谷と山本を指さす。
「岸本さんがね、大谷君も私にくれるんでしょ? 大谷君の手作りチョコ食べたいなぁ・・・って、無理やり引っ張り込んだの」と水沢。
さすが女王様はやる事がえげつない・・・と女子達は笑った。
大谷と山本は額を寄せて、あれこれ相談しながら作業している。こうなったら凄いものを作って女子をあっと言わせてやる・・・という訳だ。
「凄いものって、どんな?」と吉江。
「私達が作るのってハート型とか、型をとりやすい平面形でしょ? 自分達は立体的なのを作るんだってさ」と岸本。
「へぇ? けど型はどうするの?」と篠田。
やがて溶かしたチョコを各自が作った型に入れる。山本は円錐形。大谷は円筒形の型に流し込む。
「あれが、あっと言わせる凄いもの?」と坂井が訝る。
「固まったら、家に持ち帰って削って仕上げるんだってさ」と岸本が笑った。
風紀委員会では連日、取り締まりの具体的な方法を審議した。持ち物検査をすべきだとか、没収したチョコをどう処理すべきかとか、様々な問題が話し合われた。
だが前日になって状況は急転し「取り締まり中止」となった。
これまで先頭に立って取り締まりを主導していた風紀委員長が、急に軟化したのだ。
委員長は三年女子の中では堅物として煙たがる者は多かったが、七尾にとっては尊敬する先輩だった。
七尾はあくまで中止に反対したが、元々取り締まりに乗り気でない委員が多く、結局はクラス単位で委員に任せる事になった。
七尾は一年二組ではあくまで禁止だと宣言したが、既に、守る気のある者は誰も居なかった。




