第36話 佐川君の想い
水上を批判する篠田のネットへの書き込みが水上に見つかり、篠田は水上達による吊し上げを受けた。
そんな水上達を批判した佐川を、篠田は頼った。
佐川は屋上に出るドアを鍵で開けて外に出る。
紙切れを開くと「ドア左の配電盤の下」と書かれている。そこを探ると小さな電子部品。鹿島が仕掛けた盗聴器だ。佐川はそれを外してスイッチを切った。
篠田と二人でコンクリ製の手すりの陰に座る。篠田が言った。
「佐川君って、一人で辛くないの?」
「嫌いな奴にヘコヘコするのと、どっちが辛いかって問題だろ」と佐川は答える。
「佐川君は世界中の人が嫌いなの?」と篠田。
「嫌いだな」と佐川。
「私のことも?」と篠田。
「嫌いだ」と佐川。
「鹿島君のことも?」と篠田。
「嫌いだ」と佐川。
悲しそうな目で自分を見る篠田を見て、さすがに言い過ぎたと、佐川は感じた。
「人間ってのはさ、嫌いになる事で見えてくるものってあるんだよ。だってこいつら全員と仲良くできるかも・・・なんて幻想だろ。幻想って、何も見えないって事だろ。目の前にある石ころが見えなきゃ、転んで大怪我するだろ。その程度の事だ」と佐川。
その言葉の底に、篠田は何か悲しみの塊のようなものを感じた。
「もしかして佐川君も昔、嫌な事があった?」と篠田。
「ああ。嫌っていうほど思い知らされたさ。俺もまだガキだったからな」と佐川。
「何があったの?」と篠田。
「クラスに気になる女子が二人いてさ、三年の年末近くで、そのまま終わらせたくない・・・なんて思っちゃったのさ。で、一方の女子に告って振られたんだが、佐川君には自分以外できっと好きになってくれる人がいるから・・・なんて言われて真に受けた訳さ。それでもう一人の女子に告った。馬鹿な話さ」と佐川。
「また、振られたの?」と篠田。
「そんな事は別にいいんだよ。けど、一人目に振られた時点で、あいつクラス中に言い触らしてやがったんだ。三日後には学校中が知ってて、知らないのは俺一人さ。それで二度目だ。後は想像つくだろ。学校中の晒し物さ。しかもどんどん尾ヒレがついて、クラスの女子全員に言い寄って振られた事になってやがる。ついた仇名が撃沈王だとさ。どこに行っても、ほら撃沈王がいるぞ・・・って」と佐川。
篠田は絶句した。仲間からハブられて登校できなくなった女子は、何人も見てきた。だが所詮、敵は数名だ。だが目の前の男は、学校中が敵になったという。
「学校には行けたの?」と篠田。
「目茶苦茶嫌だったけどね。けど負けるもんか、って思った。あと少しで卒業ってのもあったけどさ。知ってるか? わざと聞えるように陰口言うんだぜ。それで誰にどう言うかってのに、そいつの性格とか立ち位置とか全部反映されてる訳さ。それでこいつはこういう奴なんだって、手に取るように解る」と佐川。
「それで人間観察?」と篠田。
「まあな」と佐川。
篠田も水上も「自分達に嫌われたら女子全員を敵に回す」という脅しを歯牙にもかけないこの男が目障りだった。
そんな佐川を攻撃して黙らせようとするのは、いつも篠田の役目だった。
だが、孤立を避けて中心グループに居続けるために、嫌な顔を押し殺すのに必死な自分には、平然と孤立を受け入れて好き勝手にふるまう佐川の姿が、ある種眩しく見える事に、篠田は気付いていた。
それは「強さ」なのだろう。だがその底にある想いの哀しさを知って、篠田はいたたまれなくなって、佐川に抱きついた。
彼がこんな事をしても喜ばない事は解ってる。だが、そうせずにはいられなかった。
「同情でもしてるのかよ」と佐川は言った。
「嫌?」と篠田。
「真っ平だ」と佐川。
「同情って、憐れんで下に見るって事だものね。だけど私も同じなの。除者なの。だからこれは同情じゃなくて・・・」と篠田。
「共感って言いたいのか? それも真っ平だ」と佐川。
その頑なな言葉に、篠田は抱擁を解いて佐川の顔を見た。そして言った。
「どうして?」
「共感って、見掛けはきれいだけど危ない言葉だぞ。誰かを憎む奴に共感すれば、自分も同じ奴を憎む事になるんだからな」と佐川。
「そうか。全部の人に共感とか無理なんだね」と返す篠田に、佐川は続けた。
「だから特定の人に、って事になって、弱者に共感をとか言う奴が、憎悪の固まりみたいなのに共感して、下手すりゃ戦争一直線だ」
確かにそうだ・・・と篠田は思った。
ニュースとか、あまり見ない自分にも解る。絶え間なく起こる戦争の底に根を張る憎悪。それを見ないようにしても、無くなりはしない。
彼が身を持って知ったのは、そんな絶望的な世界の一端なのだ。
篠田は、そんな彼に何もできない自分が悔しかった。けれども何も言わないなんてことも出来なかった。
「佐川君は全部お見通しなんだね。だからそんなに強いんだ。けどそんなの哀しいよ。佐川君は寂しくないかもだけど、私は寂しいよ。埋めて欲しいよ。守って欲しいよ。庇って欲し・・・」
そう言いかけて篠田は、結局自分が、彼に守って欲しくてついて来たのだと実感した。所詮は打算なのだと、そんな自分がたまらなく汚く感じた。
そんな自分を彼が受け入れる筈が無い。
篠田は覚悟を決めた。
「ごめんね佐川君。もう守ってくれなくていいよ。庇ってくれなくてもいい。私、一人で生きていくね。だからね・・・」
次第に声が涙を帯びる。
「今だけ、今だけでいいから、寂しさ埋めてよ」
そう言って抱きつく篠田の頭を撫でながら佐川は(結局、こうなるんだよな)と思うと同時に、初めて篠田を可愛いと感じた。
鹿島から受け取った鍵を出し、キーホルダー代わりのお守りの袋を開けた。中には小さく折り畳まれた避妊具。
(お守りにこんなもん入れて、バチが当たるぞ)と佐川は心の中で呟く。
頭を撫でる佐川の掌の感触に「受け入れてもらえた」と感じた篠田は、佐川を押し倒すようにコンクリートの床に横たえ、唇を重ねた。
授業時間が終わるチャイムが鳴る。化学教室では、授業を終えた女子数名が篠田を話題にし始めた。
「篠田と佐川、とうとう来なかったね」と大野。
「やっぱり・・・」と藤河。
(始めやがった)と彼女達を冷たい視線で見る鹿島、小島、山本ら男子数名。
そんな彼等を水上は見ながら、あれこれ考える。
女子を掌握しても、女子全員に嫌われるという脅しが通用しないのは、最早佐川だけではない。それを村上達の件で、嫌というほど思い知った水上だった。
「そういう話、止めましょ。それに篠田さんとはまだ友達よ」と、ひそひそ話を続ける仲間に言った。
「あれを許すってのかよ」と言う大野に、水上は「誤解があるなら話し合わなきゃ、でしょ?」
そんな会話を遠巻きに聞きながら鹿島は(さすが、女王様の損得計算はスパコン並みだな)と思った。
屋上では授業が終わるチャイムを、佐川と篠田はコンクリートの床に身を横たえながら聞いた。
起き上がって乱れた衣服を整える二人。服を直し終えると篠田は言った。
「佐川君、ありがとうね。助けてくれた事も、抱いてくれたことも、絶対忘れないから」
そう言って立ち去ろうとする時、佐川は声をかけた。
「お前さ、叩かれてる中で味方してくれる奴が現れたからって、強気になるって癖は治したほうがいいぞ」
一瞬、篠田には何のことか解らなかった。さっきの話なら、佐川が味方してくれたのは自分が教室から逃げた後の事だ。
自分がどこかで叩かれた? それで味方が現れて強気に?・・・まさか・・・。
「もしかして佐川君、ぼっちっちさん?」という篠田の問いに答える代わりに、佐川は「それと、授業中にチャットで発狂ってのも止めろよな。先生に見つかってスマホ没収されるぞ」
初めてじゃなかったんだ・・・と知って篠田の目に嬉し涙が溢れ、佐川に抱きついて泣きじゃくり、言った。
「佐川君大好き」
「俺はお前なんか嫌いだ」と言いつつ佐川は、その言葉と裏腹に、彼女の頭を優しく撫でた。
「嫌いでいい。私が大好きなの。いいよね?」と篠田。
生徒達が教室に戻って間も無く、佐川と、彼の陰に隠れるように篠田が教室に戻る。
「篠田さん」と水上が立って声をかけた。
「今まであなたの気持ち、全然解ってあげられなくて、ごめんなさいね。篠田さん優しいから、つい調子に乗ってしまって、随分嫌な思いをさせてしまったわね。これからは何でも言って貰えたら嬉しいわ。私達友達なんだから」
やれやれ・・・という表情の大野と宮下。
篠田は呆気にとられて佐川を見る。親指を立てて笑ってみせる佐川。篠田の表情には一気に明るさが戻る。
「千夏ちゃん大好き」と叫んで水上に抱きつく篠田の頭を撫でながら、水上は言った。
「それと佐川君、私の友達の相談に乗ってくれた事、感謝するわ。これからも篠田さんの事、よろしくね」
遠巻きに眺めていた小島が「何この茶番・・・」と呆れたように呟く。
それに対して鹿島が言った。
「ま、良い子ポーズは女王様必須の王冠アイテムだもんな。恐怖政治よかナンボかマシだろ」
次の休み時間、佐川がトイレに行き、小の便器の前に立つと、隣に鹿島が居た。自然と先ほどの篠田の件の話題が出る。
「ところで、お前が中学の時いじめに遭った件は話したのか?」と鹿島。
「まあな」と佐川。
「で、どういう話にしたんだ?」と鹿島。
「クラスの女子全員に告って振られたってデマ撒かれたって設定にしといた。そういう目に遭った知り合いの話の借用だよ」と佐川。
「なるほど、無難な線だな」と鹿島。
「これで本当の事を話して、彼女になれば助けてもらえるぞ、みたいな話に思われたら敵わん」と佐川。
「そうだよな。けどさ、その設定って、そんなに彼女が欲しかったんなら自分が・・・みたいな解釈されないとも限らんぞ・・・」と鹿島。
「あ・・・」
盲点を突かれたような衝撃で、佐川は思わずズボンを汚しそうになった。