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おどり場の中条さん  作者: 只野透四郎
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第299話 ダイケー国の三分の理

村上と支倉名誉教授の対談は続く。

そして、あくまで村上の反論を無視して「被害者」という記号に固執する支倉の強弁は続いた。


「だとしても被害者という関係性は永遠に消えない」と支倉。

「また被害という記号ですか? 国家関係には被害加害の関係などいくらでもあります。ダイケー国が捏造でヒノデを貶めた件、バンブー島を武力で奪った件に関して、彼らは加害者です」と村上。

「その認識を私たちは持たない」と支倉。

「それは単なる無知に過ぎない。しかも悪意をもっての確信犯的無知だ。あなたはさっき、自分たちはヒノデ人の敵ではないと言った。だが、対等たるべき人間社会の中で、彼らをダイケーの下に組み敷いて彼らの人権を侵害するために、都合の悪い事実から目を背ける。それは敵ではないのですか? 詐欺師は自分で詐欺師をけして名乗らない。あなたが"敵でない"などと言うのは、それと同じです」と村上。


「捏造などどこの国の政権もやる。ヒノデだって日本だって。国家とはそういうものだ」と支倉は言い放つ。

「日本やヒノデが具体的にどんな捏造をしたと言うのですか? 具体的に言えますか?」と村上。

「ヒノデは過去の歴史に向き合ってこなかった」と支倉。

村上は言った。

「いいえ。向き合ったからこそ、具体的にここがおかしい、とヒノデ人はダイケーによる捏造を指摘出来たのですよ。それに対してダイケーとあなたは具体的な事が言えない。つまり反論出来ない。それはダイケーによる捏造を認めたのと同義だ。つまり歴史に向き合っていないのは、あなたとダイケーです。あなたの言う"過去の歴史に向き合わない"というのは、ダイケーがやっている"捏造によるヒノデヘイト教育"と同じ"ヒノデ自身をヘイトする教育"をヒノデがやっていないという事に過ぎない。人が事実を求める事は正義であり、故に自らを害する嘘に抗うのは、公正なる権利で義務だ。つまりダイケーは"事実に背を向けてヒノデの教育の公正さを叩いてきた"という事だ。それを今指摘されているのがダイケーだ。彼等は"過去に盲目な者は現在未来に対して盲目だ"と言ったが、そっくりダイケーの事だった訳だ」



「だが謝罪は必要だ。それが必要だからヒノデの首相は何度もしてきた。それが心からのものでないから問題だと言うのだ」と支倉。

「その"心からのものかどうか"という認識こそが悪しき支配欲だと、私は何度も指摘して、あなたは反論できなかった。壊れたテープレコーダーという言葉が何の例えか解りますか?」と村上。

「謝罪したという事は自分が加害者だと認めたという事だ。それを自ら被害者を称する事でヒノデは謝罪を否定し帳消しにした」と支倉。

「それは嘘です。被害加害という関係性は事象ごとにあると、私は指摘し、あなたはそれに反論できなかった。つまりダイケーによる捏造中傷とヘイト教育という、戦後処理を終えた過去の支配とは別事象についての問題ですよ。謝罪だの反省だのという言葉が飛び出すような不幸な関係性に対して成すべき事は先ず、その加害自体の停止です。清算やら謝罪やらはその後の問題です。ダイケーは加害の停止を迫られている。あなたが言う謝罪だの何だの以前の問題です」と村上。

「それでも彼等は謝罪を受ける権利があるんだ。その権利は、必然的にそれが謝罪であるか否かを判断する資格を伴う」と支倉。

「いえ、謝罪を要求する権利はありません。戦後処理の条約においては全ての請求権が解消されたと明記されています。そして、あなたの言う謝罪を受ける権利とは、謝罪に対する請求権です。つまりそれは解消された。これが国際法です。これまでの謝罪はヒノデ側の好意によるものであり、故にそれが謝罪であるか否かを判断する資格はヒノデ側にあります」と村上。

「・・・」


「そもそも謝罪とは何ですか?」と村上。

「被害者を満たすためのものです。被害者が満たされない謝罪に意味は無い」と支倉。

「その被害者と名乗る人の"何"を満たすというのですか? 復讐心という事ですよね? 過去の戦争ではそれが戦後処理だった。第一次大戦の戦後処理もそうでした。それが第二次大戦の原因となってもたらした惨禍を見て人類は反省し、それを否定したのですよ。その反省をダイケーは人類として共有すべきなんです。忘れろなどと言っていない。忘れていないから、論理による話し合いの結果として資金が支払われ平和条約が結ばれた。違いますか? それで足りないとかいう後出しは通用しませんよ」と村上。


「復讐心を捨てるなど出来ない。人間を動かすのは感情だ」と支倉。

「その感情を"偏向した教育宣伝"で煽るな、と言ってるんです。そうした現実がある限り、それは偉そうに主張できるような自然な感情ではない。歴史の歪曲を止めて事実を正視する事も出来ないというなら、人として問題です」と村上。

「だが反省すべきは加害者たるヒノデであってダイケーではない」と支倉。


「違いますよ。反省は不幸な結果に対して心に留めるべきものです。あなたは未だに"加害者たるヒノデ"などと言っていますが、加害という関係性は要件ごとにあって、歴史捏造やバンブー島強奪に関してはダイケーこそ加害者だと指摘し、あなたはそれに反論できなかった。にも拘わらずその事実に向き合う事から逃れようと足掻くのですか?」と村上。

「先ず、過去の支配についての反省について聞きたい。反省とは加害者が被害者に対して行い、自らを否定し生まれ変わる事だ」と支倉。

「自らの、"何"を否定しろと言うのですか? 自己否定論というのがありますね? ヒノデ人に対して、自らを憎むダイケー人の憎悪を受け入れてヒノデ民族自身をジェノサイドせよと。それは"人道に対する罪"の推進宣言だ」と村上。

「あれは極端な人達の主張で、普通の人は殺すとまでは言っていない」と支倉。

「殺さなければ、奪うのは良いのですか? 差別は? 対等者たる尊厳を否定するのは? 支配するのは?・・・。それをさせろと多くのダイケー人は要求しています。あなたはさっき"相手が悪である事を主張する事に意味がある"と言った。存在自体が悪などという人は居ません。否定されるのは人ではなく行為です。罪を憎んで人を憎まずというのは単なる寛容じゃない。論理的にそう考えるのが正しいという事です。"殺さなければいい"とあなたが弁解する"自己否定要求"は、殺す・殺さないに拘わらず、人権を否定する犯罪なのですよ」と村上。

「・・・」



村上は言った。

「何に対しての反省というなら、不幸そのものに対して・・・ですよ。そうならない意思を持ち、そのためにどうすべきかを考えるのが反省です。その不幸とは支配という関係性そのものではないのですか? それを否定した結果が戦後のヒノデの民主化と国家間対等の認識でしょう。だからこそ彼らは、自分たちを支配しようとするダイケーに抗うのですよ。真っ当な反省とはそういう事です。あなたとダイケーの根本的な過ちは、被害者という概念を根底に据えて、その概念を装飾する道具として被害と称するものを語っている事です。だから装飾物として便利だという理由で嘘を盛り込む。それは出来事としての事実とは別物だ。事実は先ず被害があって、それによって被害者が出て来る。被害が先で被害者は後なんです。あなたのは本末転倒の逆立ち論理だ」


「それでは被害者たるダイケーは納得しない。癒されない」と支倉。

「他者を害し支配する事を癒しとするのが間違っている。正しくも自然でもない。少なくとも捏造による人為的憎悪教育を受けた状態でのダイケーの納得基準は自然状態とは言わない。そして、あなたがさっき後回しにした、捏造やバンブー島強奪におけるダイケーの加害者性はどうなのですか? あの件でヒノデが求めているのは、ダイケーが求めるような過去の報復ではなく、現在の加害の停止だ。今も隣国による侵略に苦しむ国がある。彼等は報復ではなく現在の加害の停止を求めている。過去と現在とどちらに対処するのが必要で正当か、火を見るより明らかです」と村上。


「それでもヒノデは赦しを求めるべきだ。それは友好のために必要なのだから」と支倉。

「友好とは双方の"対等を前提とした善意"の上にのみ成り立ちます。それが出来ないダイケーとの友好などあり得ない。"友達だから言いなりになれ"と言うイジメ犯罪者と同じだ。そういう悪意ある国も国際社会にはあります。それによる弊害は悪意ある側が責めを負うべきという前提でね。けどその"悪意ある国"は"悪意ある国"自身にしか変えられません。自分は他人を変えられない・・・という言葉は御存じでしょう。"赦し乞いなどと称する御機嫌取りでお前が俺を変えてくれ"・・・などという、あなたとダイケーの言い分は"増長したい奴"の甘えです。だから、近代普遍価値観ではそんな上から目線の赦しなど無用であり、必要なのは契約の順守です。その最低限必要な契約をダイケーは損なって、ここまで対立が拡大したのです」と村上。


「それでも恨みを忘れる事はできない。私が殴られて怪我をしたら、相手を恨む。私はダイケー人ではないが、ここでダイケーに意思の力で恨みを忘れろと言うと、私が殴られても相手を赦さなくてはならなくなる。君は赦せるのかね?」と支倉。

「そういう問題ではないと何度も言いました。意思の力で赦すのかと言いますが、その意思の力でダイケーは事実を曲げて恨みを拡大再生産して、相手を陥れてきたのです。恨みがあるからそうしたい、だからから仕方ない・・・などという言い訳は通用しません。あなたは誰かとのトラブルが起きたら、事実を曲げて相手を陥れるのですか? 良識的な人はそんな事はしません」と村上。

「・・・・・・・・」


更に村上は「それと、"自分が殴られて赦せるのか?" と言いましたね? では何故許せないのか。それは許せば相手が一方的に殴って良いという関係性が成立してしまうからです。簡単に許してはいけないのは、そういう関係性を作らせないためです。そのために戦後処理があったのですよ。それでどちらも一方的に相手を殴ってはいけない対等な関係に作り替える。そのための謝罪なのですよ。その、あるべき形に作り替えた新たな対等な関係を壊そうとといのが、あなたとダイケーが報復と称する反ヒノデなのですよ。その社会的意義をあなたは否定できますか?」と支倉に問う。


「違う。許せないのはダイケー人が心に傷を負ったからだ。それを癒すための報復だ」

そう抗弁する支倉に、村上は「それはどういう傷ですか?」

「理不尽な目に遭えば心に傷を負うでしょう」と支倉。

村上は言った。

「同じ目に遭っても人によって傷の深さは違います。それはどういう認識で、何にどんなプライドを持ち、それがどう傷ついたか、という事に起因します。多くのダイケー人が言います。自分たちは高度な文明を持ち、野蛮だったヒノデにその文明を伝えた教師で上の立場なのだと。そんな下位のヒノデによる支配は耐えられない屈辱だと。実際には中国の文化を右から左に橋渡ししたに過ぎないし、ヒノデはその文化を独自に消化て高度なものとして評価され、またダイケーを経ずに直接伝わったものが殆どで、インドから伝わったものもあるのに。それを無視してダイケー人は、勝手な優越感と相手への蔑視を持ち続けた。そうした偏見に起因した被害者意識は、同情すべきものと言えますか? ああいう支配は多くの民族が欧米から受けた。そうしたものの一つとして、あの戦後処理があり、それらの国はダイケーのようにヘイトで暴れたりしない。戦後処理では、それが妥当か否かで多くの議論が交わされ、ダイケー側の過大な主張は正当性を証明出来なかった。つまりあの処理は明かに妥当で、ダイケーの不満は不当です。他の支配された民族はそうした清算を受けてすらいない。ダイケーは極めて恵まれているのですよ」


「それは戦争に負けて強いられたものです。ダイケーは戦勝国です。欲求を通す権利がある」と支倉。

村上は「実際に戦争した周辺の連合国はダイケーを、戦勝国でも敗戦国でも無い第三国と呼びました。そして何より戦争に勝ったから恣意的な欲求を通す権利があるというのは、論理的正当性ではなく、暴力による支配を是とするもので、過去の支配の論理ですよ。それはあなたとダイケーは不当として被害者意識を叫んでいたものではないですか? 平和とは暴力的支配を否定して対等を根幹とした関係性を前提としたもので、ヒノデはその正しさを認め、それが戦後処理とその後の外交における理性的価値の根源となった。ダイケーとあなたの"戦勝国だから"という主張は、それに対する裏切りです」



「ヒノデ人だってダイケーを憎んでいるではないか。嫌ケー派のヘイトは目に余る。ヒノデでは彼らの扇動が横行して非友好的な風潮が蔓延り、両国関係を損ねている。最近売れている嫌ケー本のようなものはダイケーには無い」と支倉。

「いや、たくさんあるでしょう。それをダイケー人はヘイト本と認めないだけだ。そもそもダイケーの教科書や新聞記事が、既にヘイト情報そのものだ」と村上。

「それは、ヒノデ人にとって不快だからそう言ってるだけではないのかね? 違うというなら具体的に示す事だ」と支倉。

「あなたの基準では不快というだけで人権侵害でしたね? ヒノデ人によるヘイトとか言うのも、そうですよね? 典型的なダブスタだ。何より労務者やバンブー島について、明らかな嘘を書いている。ヒノデを直接罵る表現も多い。それは客観的にヘイトです。そして、この記事はどうですか?」と村上。


村上は携帯端末を出してダイケーのメディア記事をコピーした文章データを示す。

記事に曰く。

「ヒノデに対する復讐はいくらしても足りない」「ヒノデが伝染病で混乱するのに乗じて世界市場を奪おう」


村上が示した記事に対して支倉が弁解する。

「彼らにとっては過去に対する恨みの表明や競争心に過ぎない」

村上は追及して「だからヘイトではないと? 復讐はこれから現在のヒノデ人に対して行おうというもので、単なる感情ではなく、相手を害する意思を示すという事です。しかもそれを大勢に対して呼びかけ同調を叫んでいるって事ですよ。相手の不幸に乗じるという醜い発想を醜いとも思わないのも異常です。その異常さが、あなた自身の感覚でもあるのですよね? そしてこの記事はどうですか?」



記事に曰く。

「検索ポータルでヒノデ人の国民性を打ってみれば彼らがどれほど陰湿で凶悪で残忍で悪らつで非常識なのか知ることが出来る」「残忍で悪らつな犯罪DNAはヒノデ人からきた可能性がある。陰湿で凶悪で残忍で悪らつで非常識な行動を」「ヒノデは次第にその影響力が減ることで多くの世界の人々が彼らの本質を疑って排斥して行くだろう」


村上はそれを読んで教授に突き付けた。

「排斥とか言ってますよ。あなた方の主張では、排斥はヘイト犯罪って事になってましたよね? 犯罪DNAはナチスの発想です。検索ポータルで打ち出したのって、それこそ彼ら自身によるヘイト書き込みでしょう。それで"知ることが出来る"とか、まるで事実知識扱いだ」

「・・・」



村上は次の記事を出して「そしてこれはどうですか」と、教授に突き付けた。

記事に曰く。

「ヒノデの災害は感動的な知らせだ」「ヒノデよ沈め」「罰を受けているんだ」


それを見て教授は言った。

「これはメディアのような活字媒体ではなく、一般人が書き込んだ発言の例示じゃないか。メディアが言った言葉ではない」

「その一般人のヘイト発言を普通の国民主権者の意見として紹介しているのですよ。ダイケーのマスコミがね」

「・・・」



「で、あなたがネトアンケーによるヘイトスピーチと呼んでいるのは、こういうものですよね?」と村上は、掲示板の書き込みを教授に突き付けた。

書き込みに曰く。

「いや、条約守れよ」「独立後のダイケーの内乱はヒノデと無関係だろ」「もうダイケーなんて助けないし、関わらない」


それを見て支倉教授は言った。

「両国の友好を否定しろなどと酷い事を言うのはヘイトではないのか」

「友好とは双方が相手を対等と認めて成り立ちます。教育で憎悪を煽るダイケーのような国と友好など成り立たない・・・と判断する権利はどこの国にもある。だから関わる相手を選ぶのは万国の自由であり、外交権は国家主権の一部ですよ。もしダイケーがヒノデと関わらないと言えば、ヒノデ人はそれをダイケーの権利と認めます。だがダイケー人がやっているのはヒノデと関わってヒノデを害する事だ。だからヘイトで不当だと言っているんです。こんな当たり前の発言がヘイトだという、あなた方の基準がおかしい!」と村上。

「だが、もっと過激なものもある。ダイケーなど消えればいいとか・・・」と支倉。

「そういう発言はダイケーで当たり前に出ている。学校の教師が小学生の前で相手民族を殺したいと叫び、核でジェノサイドする絵を描かせている。売り言葉に買い言葉という言葉を知っていますか? 何しろネットが生まれるはるか前から、ダイケーではずっとそれが続いていた。自己否定論のようなジェノサイドを主張するのもそうです。何よりあなた達は、そういう発言と、そうではない発言の区別をしていませんよね? ダイケーを批判する発言は全てがダイケー人の気分を害し、そのイメージを落とすからネトアンケー発言だというのですから」と村上。

「・・・」


証拠を突き付けられた支倉に対して村上は更に追及する。

「その一方で、あからさまに歴史を歪めてヒノデを"犯罪民族"と罵るのがヘイトではないと? 教師はあの教科書でヒノデを滅ぼそうと子供に叫ばせ、それをヒノデではマスコミが擁護すらしている中で、民衆が自ら声を出さざるを得なくさせている結果が、あなたやダイケーが言っている"嫌ケー派"ではないのですか? ヒノデには少なくとも、社会制度の中で反ダイケー感情を維持する仕組みはありません。あれこそ自由な情報環境の中から出て来たものです。彼らが言う歴史的事実関係に間違いがあるなら、それを指摘すればいいだけだ。彼らがダイケーによる捏造を指摘しているようにね。それをどっちもどっちなど、お門違いも甚だしい」

「・・・・・・」

更に村上は「先ほど言ったように、簡単に赦してはいけないのは、一方的な加害を是とする関係性が出来てしまうからです。だから過去を清算する事で、ヒノデがダイケーを支配する関係性は消滅した。ですがダイケーが捏造した歴史を以てヒノデを不当に中傷する事を、過去への誠意と称してヒノデは騙され受け入れさせられている。そうしたフェイクによる加害者扱いは明かなヘイトであり一方的な加害です。そんな関係性は是正しなければいけない。違いますか? ヒノデは謝罪を要求されるべきではないし、そもそも謝罪自体をこれ以上すべきではない。たとえそれが自主的なものであっても。それは実際には暗黙の要求に対する迎合です」



「だがヒノデの報道は一方的ではないのか。労務者問題ではダイケーに対する批判ばかりだ。それはヒノデ政府が裏から手を回して操って国民を反ダイケーへと煽動しているのではないか」と支倉。

「一方的に条約を破ったのはダイケーなのだから批判されるのは当然でしょう。そんなのを露骨に擁護など、さすがに出来ないというだけだ。そもそも現保守派政権の国防政策に反発するダイケーへのメディアの忖度ぶりを見れば、政府がメディアを操っているなどという逆立ち認識が、どれほど荒唐無稽な陰謀論かは一目瞭然ではないのですか?」と村上。


「ダイケーにだって極端な主張に対しては無条件愛国主義者と批判は出る。そういう自浄作用はあるんだ。嫌ケー派に対する批判はそのヒノデ側の自浄作用だ」と支倉。

「その自浄作用とやらでダイケーでは、ヒノデ海という16世紀以来の地名がヒノデ軍国主義によるものだという珍説は否定されましたか? バンブー島を古文書に出て来るジャッカーシ島と言い張る愚論は静まりましたか? むしろそういう自己批判は、すぐ親ヒノデ派だとか言って攻撃を受けますよね? 自浄作用とは、きちんと論理によって批判対象と向き合う行為にのみ許された言葉です。嫌ケー派というレッテル用語が独り歩きするようなヒノデのリベルタンメディアの姿勢を自浄作用とは言いません」と村上。


「ダイケーにだって穏健派は居る。ヒノデが強硬な態度をとる事で、彼等の立場を苦しくするのは愚かだろう」と支倉。

「その穏健派とやらは、最低限守るべき条約を守る気はあるのですか? ありませんよね? その穏健派とやらの立場で、関係改善とやらを訴えるつもりのマスコミ記事が、自国の条約破りを棚に上げて"非難されるべき側はヒノデだ。優遇措置の撤廃は不当だ"などと叫び、条約順守を求める当然の主張を"高圧的な姿勢で一貫したダイケーたたき"と罵っている。こんな居直りを決め込むのが穏健派の意見ですか? 国際法を守るべしという当たり前の指摘に対してすら、この被害者意識だ。この理性の欠片も無い思考様式がダイケーの世論であり、それを国民が求め、享受し、認識として共有し、その憎悪を肥大化させてきた。これがヘイトでなくて何だというのですか? こんなものを満足させろというのは正義じゃない。悪そのものです」と村上。



「報復の連鎖があるから恨みを捨てよと言うが、最初にヒノデに圧迫された恨みこそがその対立の始まりだ。誰がそれを始めたかを考えるなら、全責任はヒノデにある」と支倉。

「違います。そもそもこの両国の対立の始まりは恨みではない。近代的外交への脱皮を呼び掛けたヒノデに対して、中国を宗主国とする伝統的な価値感に固執したダイケーが、近代化に合理的な価値を認めそれに順応したヒノデの姿勢を、野蛮な西洋にかぶれたなどと侮辱したのが、そもそもの対立の始まりです。つまり、対立を始めたのはダイケーであり、それは恨みではなく小中華思想という前近代的な尊卑階層意識に元ずく傲慢な見下しでした。そして何よりあなたの言い分は、戦後処理という事実を無視したものだ」と村上。


「それでもダイケーはヒノデにとって隣国なのだ。関係を断つ訳にはいかない。対立の中でも取引している人は居るんだ。ところがネトアンケー達は"断ダイケー"などと言って、国交断絶せよなどと酷いヘイトスピーチを・・・」と支倉。

「関係を断つ必然性を指摘する事はヘイトスピーチですか? かつて共産国だった大陸国とその衛星国は国際社会と対立し、アメリカと衝突寸前になりました。だが戦争は回避され。関係を断ったまま数十年。共産国は破綻して、どちらが正しかったのかが証明された。ヒノデが近代化する時、"征ダイケー論"というのがあった。サイゴ・ウタカモーリという近代化指導者が唱えたもので、彼はその意見を用いられず死にました。それは、あなたとダイケーが口を極めて罵るものですが、あれは彼等が言う征服欲などでは無い。あの論の背景にあったのは、近代化以前からダイケーに移住して商売をしていたヒノデ人の問題です。その彼等の活動が困難となり、それを近代外交で打開しようとして拒否された所から興った論なのです。確かにサイゴは間違っていたかも知れない。ならどうすれば良かったのか。それはヒノデ人たちを引き上げさせて関係を持たない事でしょう。つまり"断ダイケー"です。その本来正しかった論を、あなたは逆ギレてヘイトスピーチなどと罵る。天に唾するとはこの事だ」と村上。


「では今、あの国で商売している人達はどうするのだ。見捨てろと言うのか?」と支倉。

「あなた、仮にも経済学の世界に身を置くなら、カントリーリスクという言葉くらいはご存じでしょう。投資対象国に、政治その他の要因で投資を失う危険がある事を、経営者として判断し回避すべしという鉄則です。自国に対してヘイト政策を行う国というのは、そういうリスクの最たるものです。つまり、そういう国に進出した資本家の自己責任だ。これをどうにかするため不当に妥協せよなど、企業を経営する資格の無い甘ったれです。これはダイケーだけの問題じゃない。あの独裁的で軍国的な二つの大陸国も同じです。そして既に進出した多くの企業が、組合と独裁党の結託で資本を奪われたにも拘わらず、学会やジャーナリズムがあの国を賛美して、企業にカントリーリスクを無視した進出を促した。あなたもそういう犯罪的学会人の代表の一人ですよね? これは誰の責任ですか?」と村上は追及した。


支倉はその「カントリーリスク」という言葉を聞いて、脳内で呟いた。

(なるほど、そういう事か)

そして彼はなお抵抗を続ける。



「アジアにはアジアの価値観がある。契約を守ればいいというが、それを語る近代文明など普遍的でも何でもない。欧米民族のローカル文化に過ぎないではないか。そんなものに縛られる謂れは無い」と支倉。

「では民主主義は普遍的ではないと? 独裁で動く中国やあの大陸国ではそうでしょうね。ダイケーでもヒノデの指摘に耳を貸す人は弾圧される。ですが、世界のほぼ全ての国は、少なくとも建前では民主主義を掲げます。近代文明は欧米文化だからではなく、合理性を尊重するから普遍的なのです。そして契約順守の近代法体系の基はローマ法ですが、それは価値観の違う多様な民族が、各民族の価値観ではなく合意によって結ばれた成文化されたルールによって共存するためのものです。そしてそれがきちんと機能するよう法論理が発達した。つまり文化がアジアだから・欧米だから・・・ではない。アジアでも欧米でも順守し尊重できるものが契約論理なんです。アジア人だダイケー人だなどというのは、それを守れない言い逃れにはなりません」と村上。


「だったらせめて、ヒノデの国民はダイケーの運動に抵抗せず、争いから距離を置くべきだ。ヒノデが抗って争いが大きくなる事で、国際社会の視線を集めてヒノデにとって不利益になる。それを心配すべきだ。争いは双方の責任だ。日本にも喧嘩両成敗という言葉があるようにね」と支倉。

「無抵抗であれと? ダイケーは一方的に争いを次から次へと作り出していますよ。ヒノデの伝統的な旗のデザインを突然戦犯旗だなどと言い出したり、16世紀から使われているヒノデ海という地名を19世紀に覇権主義の中で捏造したなどと嘘をついて変更を要求したり。そうしたダイケーが一方的に作り出す争いはダイケーの責任です。それを"どっちもどっち"などというのは、泥棒に抗議する被害者に喧嘩両成敗と言ってるのと同じです」と村上。

「世界はそうは見てくれない。細かい事実を理解するほど関心を持つ国は無い」と支倉。

「そういう言い分を鵜呑みにして無抵抗を決め込んだ結果が現在のダイケーの増長ではないのですか? 事実を見ないで争いを仕掛けるダイケーの言い分に耳を貸すのは、無知であり愚かという事です。ヒトラーは民衆を愚かと断じてそれを前提に社会を騙せと言いました。世界が愚かであるという前提で語るあなたはヒトラーと同じですよ。日本もよく外国から不当な攻撃を受けては、金持ち喧嘩せずと言われて沈黙している。それで何と言われているか。国際社会では反論しなければ認めたと看做される。外交が下手な日本が悪いと。そういう立場に追い込む事を狙って、そうしろと要求を続けるあなたは詐欺師と同じだ!」と村上。

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