第295話 扉は開いた
村上の卒論のための人口子宮実験。
間質細胞に充填する必要成分の特定がようやく終わった。
細胞の隙間を流れる体液に含まれる関連成分は、毛細血管から供給される酸素や養分とともに受精卵に送られる。
ホルモン系の成分を始め、何種類かは既に必要と判断されている。
後はそれぞれを除外した実験だ。ある成分を除外して実験し、着床しなければそれは必要成分という事になる。
実験が進む中で迎えた12月23日。最後の四つの成分の実験のため、各成分を除いた人工細胞チップに受精卵を植え付けた。
(明日にははっきりするぞ)と村上は確信した。
翌日はクリスマスイブ。
例年の如く渡辺のマンションで高校の同級生たちのパーティが開かれるが、村上と中条は不参加と連絡済みだ。
そしてクリスマスイブ当日、村上と中条は村上の運転で大学に向かう。
「里子ちゃんもパーティ、出れば良かったのに。芝田も睦月さんも行くんだから」と村上。
「真言君の実験が成功する所が見たいの。だって凄い事なんだよね?」と中条。
研究室には湯山教授が居た。芦沼と真鍋、そして何人かの学生も居た。
「お前等、何で居るんだよ」と村上は学生たちに・・・。
「人工子宮で着床が成功するんだろ?」と笹尾。
「大きな成果なんだから、成功が待ち遠しいじゃない」と芦沼。
「立ち会わない手は無いですよ」と真鍋。
「みんな気持ちは同じさ。私にとっても記念すべき一歩だ」と湯山教授。
村上は「ありがとうございます」と教授に頭を下げる。
「それは結果を見てからだよ」と教授は言った。
実験室に入る。
無菌を保つアクリルケースに4つのビニールパック。中に小さなチップ型人口子宮。
最初の実験体チップに超精細顕微鏡カメラを当てて確認する。
受精卵は生きて、間質細胞の間に伸ばしている突起が見える。
「成功だ」と村上。
「やったね、村上君」と芦沼。
すると中条が「けど、これって成功なのかな? だって除外した物質が着床と無関係だって事だよね?」
「無関係だと解った事が成功なんだよ」と村上。
「けど、もし全滅してたら、単なるアクシデントって可能性もあるよね?」と中条。
「そーだった。成分を除外しないものも一緒に実験しなきゃ」と村上。
「一緒に実験しなかったのかね?」と湯山。
「すみません。忘れてました」と村上。
「まあ、終わり良ければ全て良しだ」と湯山。
「それより、次に行こうよ」と笹尾が促す。
4つの実験体を観察する。
2つが着床成功。2つが着床せず。この2つの成分を加えて必要物質のセットが揃った。
湯教授山が言った。
「人口子宮による着床の完成だ。おめでとう、村上君」
「ありがとうございます」と村上。
「それじゃ祝杯だ」と鮫島助手。
村上は「いや、俺、酒は飲めないんですけど」
「いいじゃん。一生に一度の大仕事をやり終えた後なんだから」と芦沼。
「それよりこれ、特許対策とかいらないのかな?」と笹尾が言い出した。
「産業スパイ対策か」と湯山教授。
「大陸国とかが嗅ぎ付けて、先に特許出願でもされたら、大変な事になりますよ」と鮫島。
「ネットで発表しますか? 周知の事実になれば特許は成立しませんから」と真鍋。
「彼等による後追いを助ける事になる。ある程度この後の成果を積み重ねてからの方がいい」と湯山。
すると村上が言った。
「なら、いい方法があります。文芸部の作品として簡単な報告を出すんです。それをこの研究室に置いておけば、既に発表した事になる。特許権はどこも先発明主義だから、既に発表したって言えれば、盗んでも特許は成立しません」
村上は文芸部室に行って、備え付けのパソコンで簡単な報告冊子を書き、製本して文芸部作品として登録した。
「じゃ、祝杯だ」と、その場に居た人達でお菓子と缶ビールを前に長机を囲む。
すると中条が「その前に拓真君たちに知らせなきゃ」
携帯で電話する村上。
「やったな、村上」と芝田の喜ぶ声。
「今、どこに居る?」と村上。
芝田は「渡辺のマンションでの毎年のパーティ、始まってるぞ。お前も来いよ」
「そのうち行く」と村上。
研究室で祝杯を上げる教授と学生たち。
強引にビールを飲まされる村上。
「これで心置きなく年を越せるね」と芦沼。
「本当に目出度い」と関沢。
すると湯山が「ちょっと待て。これから執筆が待ってるのは解ってるよな?」
「そうだった」と村上。
「先生、せっかく一仕事終えて現実逃避に浸ってる教え子に、その仕打ちはあんまりですよ」と宮田。
湯山は「いや、その・・・」と口ごもる。
「先生は鬼ですか?」と笹尾。
湯山教授、開き直る。
「俺は教育の鬼だ。大体、お前等のあのレポートは何だ。大体、研究ってのはだな・・・」
ビールを飲みながら学生たちに説教を始める湯山教授。
「先生、出来上がってるよ」と関沢。
「この人、説教上戸だから」と宮田。
村上は「俺、そろそろ行くわ。先生、高校の同級生が待ってますんで」
「そうか。気を付けて帰れよ」と湯山教授。
「お疲れ様です」と真鍋。
「じゃ、村上君、良いお年を」と芦沼。
「芦沼さんもね」と村上。
帰り支度を終えて荷物をまとめ、中条と一緒に研究室を出ようとした時、真鍋が言った。
「ところで先輩、どうやって帰るんですか?」
「俺の車だけど」と村上。
「先輩、ビール飲みましたよね」と真鍋。
村上は「あ・・・」
「飲んだら乗るな・・・だっけ?」と芦沼。
「どーしよう」と村上。
すると中条が「私が運転する。飲んでないから」
「けど里子ちゃん・・・」と村上は心配顔。
「免許は持ってるから。あれから3年も経ってるし、それなりに上達したと思う」と中条。
「いや、3年乗ってないって事はむしろ忘れてるんじゃ・・・」と村上。
「俺が運転して送ります」と真鍋が言い出すが・・・。
「お前も飲んだだろーが」と村上。
そして村上は「こうなったら警察が居ない事に・・・」と言いかけた時、湯山が言った。
「期待してしれっと運転・・・とか言わないでくれよ。正月目前に飲酒運転で逮捕とか縁起悪すぎだ」
村上は「解りました。里子ちゃん、頼む」
中条が運転席に座る。
「運転憶えてる?」と村上。
「何となく」と中条。
エンジンスタート。
中条は「アクセル踏むんだよね?」
踏んだ瞬間ガクンという衝撃とともにエンジン停止。
「そっちはブレーキだから」と村上。
「そうだった」と中条。
道幅の狭い農道に怖くて入れない中条。上坂に向けて国道をゆっくり走る。
背後に長蛇の渋滞列。
「盛大に社会の迷惑になってるような気がするんだけど」と中条のおろおろ声。
「たまにはいいさ。一生に一度の大仕事をやり終えた後なんだから」と村上。
昼前に上坂に着く。そして渡辺のマンションへ。
実験の成功を芝田から聞いていた同級生の仲間たちが、村上を歓声で迎えた。
「やったな、村上」と渡辺。
「頑張ったね、村上君」と坂井。
「後は卒業だけじゃん」と山本。
そんな山本に村上は「いや、卒論はこれから書くんだが」
「研究は成功したんじゃないの?」と水沢。
「論文としてまとめなきゃ。卒論なんだから」と村上。
「原稿用紙一枚だろ? 一時間で書けるじゃん」と内海。
「入試の小論文じゃないんだから。二万字くらいは書く事になるんだよ」と村上。
「二万・・・って」と内海絶句。
「原稿用紙だと50枚だ」と津川が口を挟む。
大谷は「大学って、彼女作って遊ぶために行く所じゃ・・・」
村上は「あのなぁ。研究して社会に貢献するために行くのが大学だ」
「それで卒業して研究所に勤めて、勉強は一生かけてかよ。建前臭が半端ないぞ」と佐川が笑う。
「いや、それなりに遊んだりするけどね、ってか佐川だって同じだろ。一生かけてイジメや暴力を撲滅するために、勉強を続ける訳だよな? 入院してまで」と村上。
「佐川君、どこか病気なの?」と水沢。
村上は佐川を指して、水沢に「こいつは院に入るんだよ。大学院にね」
水沢は「大学院って?」
「大学を出た人が勉強する所だ」と鹿島が笑って言った。
「佐川君すごい。勉強に人生を捧げるんだ」と水沢。
佐川は頭を掻いて「弁護士資格をとるために行くだけだけで、勉強が好きって訳じゃないから」
「弁護士ってエリートだもんね」と松本。
「けど片桐さんはそんな所に行かなくても、もう弁護士の資格取ったんだよね?」と吉江。
「佐川負けてるじゃん」と清水。
佐川は口を尖らせて「何と戦えって言うんだよ。片桐さんは目的があって頑張っただけだから」
「けど、佐川君もイジメ撲滅って目的があるんだよね?」と薙沢。
「中学の時にいじめられた仕返しで」と清水。
「恨み晴らさでおくべきか・・・って」と山本。
「何か暗い」と内海。
佐川は口を尖らせて「悪かったな」
その時、中条が言う。
「けど、特定の誰かにって訳じゃなくて、いじめの無い社会を作るんだよね? 立派な志だと思う」
佐川は目をうるうるさせて「やっぱり中条さんは天使だなぁ。村上、お前はいい彼女を持ったなぁ。羨ましいぞ。滅茶苦茶羨ましい・・・って、篠田さん、どうしたの?」
篠田は膨れっ面で「どうしたのじゃないわよ。何よ、こんな可愛い彼女が居るのに、中条さんみたいな地味な子がそんなにいいの?」
「いや、そういう訳では」と佐川。
「私みたいなのが彼女で悪かったわね。どーせ私なんかクラスじゃトップに媚びる提灯持ちだし、注射も下手な駄目ナースだし」と篠田は拗ね続ける。
佐川は冷や汗をかきながら「いや、篠田さんは十分可愛いよ」
彼等は地雷化した篠田から離れた話題を探した。
そして・・・。
「出世頭と言えば、何たって大谷だよな」と武藤。
「一軍に昇格してスター選手だもんな」と内海。
「スポーツで活躍して子供たちに夢を与えるためにバスケを始め、トップに上り詰める俺たちのヒーロー」と芝田が煽てる。
「いや、彼女作って遊ぶためにバスケを始めたんだけどね」と照れモードの大谷。
すると村上が「有名人になると、そこらでナンパとか出来なくなるぞ」
「パパラッチは怖いぞぉ」と小島。
大谷は「そんなのに負けてたまるか。ナンパは俺の人生だ。一生かけて世界中の女をモノにするんだ」
そんな大谷の隣で鹿島が、スマホを操作しながら「・・・と愛人氏が申しております・・・と。で、福原社長のメルアドが」
そんな鹿島を見て慌てた大谷は「録音したのかよ。で、それを輝美さんにチクるのかよ」
「探偵ってのはそういう仕事だ」と鹿島は真顔で言う。
「俺たち友達だよな?」と大谷。
「お前と友達になった憶えは無い」と鹿島。
「勘弁してくれよ」と大谷、涙目になる。
そんな大谷を見ると、鹿島は大笑いして「冗談だよ。俺もそこまで鬼じゃない」
「信じてたぞ」と大谷。
「お前には頑張って欲しいからな」と鹿島。
「頑張るとも。俺たちの結束は永遠だ」と大谷。
その時、坂井が言った。
「あの・・・鹿島君、今のって冗談だったの? 社長に連絡しちゃったんだけど」
鹿島と大谷は唖然とした顔で「坂井さん?」
「という訳で、大谷君に電話です」と坂井は言って、大谷にスマホを渡す。
大谷、恐る恐る電話に出て、「あの・・・輝美さん?」
「彰良君、今すぐこっちに戻りなさい。いいわね?」とスマホから福原社長の声。
「仲間とは久しぶりの再会なんですが」と大谷。
「いいわね?」と福原社長。
大谷は「はい」
そんな大谷を見て鹿島は「俺、知らないーっと」
そんな彼等を見て渡辺は「相変らずだな」と言って笑った。
そんな渡辺を見て村上は、彼とその周囲に居る仲間たちに「お前等も卒論は書くんだろ?」
「もうかなり仕上げた」と矢吹。
「余裕よ」と米沢。
すると芝田が「米沢さんも卒論はあるの?」
米沢は「あるに決まってるじゃない」
「米沢家の権力で免除なんじゃ・・・」と山本。
「うちを何だと思ってるのよ」と米沢。
「そうだよ。また寄付で研究施設を建てたんだから」と矢吹。
「つまり金の力で審査をフリーパス?」と秋葉。
「じゃなくて、研究資料をいくらでも使えるって話よ」と米沢。
「それはそれで不公平なんじゃないの?」と杉原。
米沢は言った。
「使う資料が増えれば、まとめるのも大変になるんだからね」




