第292話 彼方に見えるもの
四年生は卒論の研究に忙殺される中、研究の合間に時々部室に顔を出す。
四年生が顔を合わせると、卒論の進行具合の話になる。
「調子はどう?」と戸田。
「ぼちぼちかな」と村上。
「芝田はもう目途が出来てるんだよな?」と桜木。
「それが、設計だけのつもりが、原理はVRゴーグルと同じだって事で、試作する破目になってさ」と芝田。
「これから試作かよ。大変だな」と桜木。
「一応出来たんだが」と芝田。
「出来たのかよ」と桜木。
両目の部分の外側に小さなカメラユニットが付いたVRゴーグルに、携帯ユニットを接続。
「付けてみるか?」と芝田は桜木に・・・。
装着すると、視界が丸ごとディスプレイに塞がれる。
「前が見えんのだが」と桜木。
芝田は前方視認カメラのスイッチを押してやる。
カメラが捉えた目の前の映像が、パソコンディスプレイとしての画像と二重写しになる。
桜木が「どうやって使うんだよ」
「音声認識操作だよ。貸してみろ」と芝田。
芝田はウェアラブルパソコンを受け取る。
備え付けのパソコンに画像データを繋いで、ウェアラブルパソコンの画面を転送。
装着して音声認識をオンに。
芝田は「カーソル、ピ――――――、ピ、ピ、ペー、ぺ、ぺ、選択、再生」と発声。
カーソル指定が高速で移動し、テキストデータが立ち上がる。
周囲でクスクスと笑い声。
「その、放送禁止用語の信号音みたいなのは何だ?」と桜木。
「カーソル操作だよ。音声認識によるコマンドとして、上下左右のカーソル入力にパ・ピ・プ・ペの発音を割り当てた」と芝田。
「響きが間抜け過ぎるんだが」と桜木。
「研究室の奴等も散々笑ってたが、そのうち慣れる」と芝田。
「慣れるっていうより飽きるって事かな?」と村上。
「それは飽きるんじゃなくてあきれるって言わない?」と秋葉。
「そういうのはいいんだよ。大事なのはこれが世の中を便利にするって事さ」と芝田。
「確かに、両手で作業しながらパソコンで情報を操作ってのは便利だよな」と桜木。
「ポインティングデバイスは無いの?」と戸田。
「そういうのを使わず操作できるように、カーソルでやってるのさ」と芝田。
「なるほどな。扱えるのはテキストデータだけか?」と桜木。
「画像だって開くぞ」と芝田。
「プレゼンテーションでエロ画像開いたんですよね?」と真鍋。
「技術の発展の前ではささいな事だ」と芝田は開き直り口調に・・・。
「芝田先輩、顔が真っ赤ですよ」と根本がからかい口調に・・・。
芝田は「うるさいぞ」
画像データを開く。上坂の3-2の集合写真だ。
「絵を描く事は出来んが、出来合いの画像データを使えれば十分だろ」と芝田。
「けどさ、例えば、こいつらの何人かを誰かに紹介するとして、これから会うのは、こいつとこいつ・・・ってのを伝える時、マーキング出来たら良くないか?」と村上。
芝田は「そりゃ・・・」と口ごもる。
「昔あったタロスパソコンって、画面に印書き込むノリで、画像内の任意の場所にデータタグを貼り込めたそうだ。そういうのにはマウスみたいなポインティングデバイスは必要だよね?」と村上。
「いや、それを不要にするのがウェアラブルパソコンだ。そもそもどうやって使う? マウス使おうにもパッドが使えない」と芝田。
「電子ペンは?」と鈴木。
「接眼ディスプレイだから画面はゴーグルの中だぞ」と芝田。
「パッドの代わりに空中でマウスみたいなのを動かす」と中川。
「三次元マウスか?」と桜木。
「いや、扱うのは二次元データなんだが」と芝田。
「三次元マウスの動きを二次元ディスプレイで拾う事はできるだろ。つまり二次元ポインティングデバイスとして使えると」と桜木。
芝田は「なるほど」
「ってかさ、電子ペン的なものを使って目の前で動かす。それを前方視認カメラが捉えて二重写しの画面に写ったら、画面上に写ったペン先の位置をポインタとして認識する」と村上。
「ウェアラブルパソコンで絵だって描けるじゃん」と桜木。
「それどころが、これが三次元マウス機能持ってるなら、目の前の空間で三次元描画だって出来るぞ」と村上。
「泉野さんが去年やってたやつだ」と芝田。
芝田が考え込む。そして・・・。
「凄く便利に・・・いや、滅茶苦茶やる事が増えたんだが、どーすんだよ」
「やらないのか?」と村上。
「やるよ。こんな面白い事、やらない訳無いだろ」と芝田。
村上と桜木が「まあ、頑張れ」
「他人事だと思ってるだろ」と芝田。
「他人事だろ?」と村上。
「ところで秋葉さんは?」と戸田。
「順調よ。上坂の歴史的街並みVRの実験が成功して、反響もあって、あの成果をまとめて論文にする訳だもの」と秋葉。
「上坂市にやらせた結果を論文に・・・って」と桜木。
「他人の褌で相撲をとるって奴だな」と村上。
すると真鍋が「秋葉さんがふんどし・・・」
根本が真鍋の後頭部をハリセンで思い切り叩く。
そして根本は「真鍋君、何想像してるのよ。これでから男って・・・」
衛宮は言った。
「あれに参加して、俺もやりたい事が見えてきたような気がしました」
「二年生はコースも決まって、研究室にも顔出すようになるだろ」と村上。
「哲学研究室では夫の後輩の方が居て、皆さんよくしてくれています」とモニカ。
「住田さんは変人ばっかりだとか言ってたけど」と芝田。
モニカは「キリスト教の方が居て、いろいろ批判して来るんですけど」
「哲学研究会でしょ? あれはキリスト教系のカルトだから」と戸田。
「お釈迦様が友達を選べと仰ったから仏教は心が狭いとか、キリストの教えは万人を愛する博愛主義だから普遍的だとか」とモニカ。
「あれは教えというより命令だからな。人間を被造物だからとか言って、その命令を守れない罪深いって言うんだが、そもそも守れないってのは、元々、"万人を愛せ"・・・なんてのが無理筋な欠陥命令だって気付けって話だろ」と村上。
「隣人だからってみんなに優しくして、悪人で危害加えてきても左の頬も差し出せってやったら、付け上がってますます悪い方向に走るんだよ」と桜木。
「釈尊は間違っていなかったんですね?」とモニカ。
「少なくともキリスト教よりはマシだと思う」と秋葉。
「やはり御仏の教えは真実なのですね?」とモニカ。
「いや、マシってだけだから」と村上。
桜木は一年の伊藤に話を振って、言った。
「ところで伊藤は例の4次元の話はどうなった?」
「宇宙物理学研究室の江藤教授に話してみました」と伊藤。
「どうだった?」と村上。
伊藤は「面白いって言って貰いました。例えば、自分の前方向に真っ直ぐ宇宙を進むと最後はどこに行くか?・・・とか」
「自分の背中に着くって話じゃないの?」と桜木。
「そうです。限りなく広がるように見えても、この三次元宇宙は広さの限られた空間で、それは二次元平面に置き換えた場合、この地表みたいに丸く閉じてるって」と伊藤。
「よく言うよね」と芝田。
「その場合、更に上位の次元軸って事になる時間軸は、地表面と垂直の、俺たちにとっての高さ軸に相当することになるんですよね。それは上が未来方向、下が過去方向だとすると、その過去はどこに行きつくか」と伊藤。
「地球の中心に当たる場所って事になるな」と村上。
「つまり空間としての広がりがゼロの状態。それが時間の経過により広がって」と伊藤。
「それがつまりビッグバンって訳か」と芝田。
「その時間軸と垂直の球体表面を三次元空間に例えて、それが地表に届いたのが現時点での三次元空間の広がり。そこから未来方向に向かうに従って更に空間は大きくなる」と伊藤。
「宇宙膨張説だな」と桜木。
「で、伊藤はそれを研究テーマにする訳か?」と村上。
「それが、教授に言われたんです」と伊藤。
「何て?」と村上。
伊藤は言った。
「これをどうやって証明するんだ?・・・って」
「そうなるわな」と四年生たち。




