第281話 未来を見るメガネ
芝田の卒論テーマは、眼鏡型ウェアラブルコンピュータだ。
接眼ディスプレイを出力装置として使う。それにどうやって命令を入力するかが、最大の課題だ。
何しろ両手が別の作業で塞がっている状態での作業を可能にする・・・という事が最大の目的なのだ。
ハードの制作は現時点で困難と芝田は考えていた。
最も近いのはVRゴーグルだが、それだと画面だけ見えて、実際に目の前にあるものが見えない。
眼鏡として作るなら半透明のディスプレイが構想されている。
それだと目の前の視界と二重写しでコンピュータ画面を見る事が出来るが、実用化は先だ。
なので、基本的な操作システムをデザインして、ソフトウェアとして制作し、その後VRゴーグルに乗せて使用感を確認しようと考えた。
その画面を、とりあえず目の前のパソコンの画面で・・・と。
先ず、ファイル操作の入力をどうするか。
とりあえず可能なのは音声認識だ。
文字ベースのデータの中身を扱うなら、同じ言語情報として相性はいい。
だが、文字や音声が扱う言語情報は、その情報構造が一次元だ。
目の前にある現実のパソコンは二次元画面に表示されたビジョアル環境。
それ故に、多くの情報を俯瞰して、あたかも物体を手に取って扱うかの如く感覚的に操作できる「デスクトップ環境」が、ここまでパソコンを普及させたのだ。
二次元空間の画面に並ぶフォルダーのアイコンを選択してウィンドウを開き、ウィンドウの二次元空間内に並ぶファイルのアイコンを選択する。
選択したら操作する。操作内容は画面に表示されたメニューの中からポインタで選択。
それを現状のパソコンではマウスによりポインタを動かしてアイコンに当ててクリックし選択。
そのマウスを使わず、音声だけで行うにはどうするか・・・。
(とりあえず、操作内容をキーワードでやってみよう)
研究室で、音声認識装置を借りる。
パソコン操作システムデザインの試作ソフトを持ち出す。
操作画面をデザインするツールを音声入力装置と繋ぐ。
先ずファイル操作。選択とか再生とかコピーとか削除とか・・・
芝田は思考を巡らす。
(どんなキーワードにしようか。削除なら"バルス"・・・だよな)
適当な三文字キーワードを決めて登録する。
マウスのポインタを適当に選んだファイルアイコンに合わせて選択・・・の段階で芝田の脳裏では・・・。
(選択のキーワードって何だっけ?)と自問自答。
メモ書きで確認してキーワードを発声して選択実行。
選択したテキストデータを開き、文字列を指定して削除を・・・の段階で芝田の脳裏では・・・。
(削除のキーワードって何だっけ?・・・ってか、削除は"削除"、選択は"選択"でいいじゃん)
キーワードを設定し直す。
マウスのポインタを適当に選んだファイルアイコンに合わせて「選択」。ファイルが選択状態になる。
続いて「再生」「コピー」「削除」を試す。
次は、マウスのポインタで行っていたファイル選択をどうするか。
芝田は思った。
(ファイル名を読めばいいじゃん)
ファイル選択手順として設定。
「テキストファイル11再生」で問題無くファイルが開く。
他のもやってみよう・・・という事になる。
別のファイルを試す。
「10月11日にダウンロードした亜空歩兵ミリアネス二期16話再生」で、どうにかファイルが開く・・・が、舌を噛みそうになる。
芝田は思った。
(こういう長いファイル名、どうにかならんか)
芝田は考えた。
新たな手順を組むとしたら、それだとやりにくい状態に当然出くわす。それをどうクリアするか・・・だ。
村上から貰ったエロ画像データのフォルダーを開ける。三桁の数の画像アイコンが並ぶ。
その中から一つ選ぶ。ファイル名は「e1ac1edf990b3837059ace9db7441d50」。
そのファイル名の文字列を見て、芝田は読み上げる気を無くした。
(別のやり方を考えよう)と脳裏で呟く。
芝田はパソコンのキーボードを見る。
芝田は思った。
(これの代わりを考えるんだよな)
レポートの文章ファイルを開く。マウスを動かす。
縦横に並ぶ文字を縫って、マウスのカーソルが動く。
ビジョアル環境でマウスを使う以前・・・。昔のパソコンは文字列だけで操作していた。
(あの頃はどうやっていたんだろうか)と脳裏で呟く。
カーソルキーに目が行く。
芝田は思った。
(これ、あまり使わないよな。今はマウスのポインタを使ってるから。だけど・・・)
カーソルキー入力を代行するキーワードとして音声入力設定。
「上」「下」「右」「左」
文章データを開く。文字指定カーソルが最初の文字に来る。
「右右右右下下下下下下」と読みながら、舌を噛みそうになる。
芝田は思った。
(駄目だこりゃ)
脳内が煮詰まった状態の芝田。コーヒーを飲んで大きく伸びをする。
そして呟く。
(アニメでも見て気分転換しよう)
ギャグアニメの映像ファイルを開く。残念なカップルの口喧嘩のシーン。
「ほんと、これだから男って」と女子キャラ。
「巨大なお世話だ」と男子キャラ。
「逆ギレ? 男らしくないわよ」と女子キャラ。
「さっきと言ってる事が矛盾してるぞ」と男子キャラ。
「そんな事言ってるとモテないわよ」と女子キャラ。
男子キャラが「黙れこの腐れマ(ピーーーーーーーー・・・・)」
芝田の脳裏に何かが閃いた。
(これだ!)
カーソルキー入力を代行するキーワードとして音声入力設定。
「パ」「ピ」「プ」「ペ」で設定。
そして、試してみる。
三桁の数のファイルを収納したフォルダーを開く。
小さなファイルアイコンが縦横に整然と並ぶ。カーソルは左上のファイルを示している。
芝田はキーワードを発声。
「ピピピピピピピペペペペ」
カーソルの移動がかなりスムーズだ。
(もう一息だ)と芝田は呟く。
音声入力の設定を変更。
そして・・・・・・。
コンピュータ研のゼミで、芝田の卒論進捗状況の報告。
プロジェクターにパソコン画面を映し出す。
そして芝田は説明した。
「眼鏡型ウェアラブルコンピュータの入力では、両手は別の作業に使う事が前提なので、音声入力が最も適しています。その操作のため、様々な操作命令をキーワードを設定して音声認識で入力し命令します。キーワードは削除なら削除、選択なら選択と、憶えやすいよう設定しました」
「キーワードっていうより、そのまんまじゃん」と刈部が意見。
「だからいいんだよ」と芝田。
芝田は説明を続ける。
「マウスのようなポインティングデバイスは基本、使いません。代わりにカーソル移動で行います。カーソルポインタの上下左右の移動を迅速にする方式を工夫しました。では、実演します」
画面に並ぶフォルダアイコン。
「指定」の発声で左上のフォルダが指定状態となる。
「カーソル、ピ、ピ、ピ、ペ、ペ」でカーソルが右へ、下へと動く。
「再生」でフォルダが開き、三桁の数のファイルアイコンが縦横に整然と並ぶ。
左上のフォルダが指定状態になる。
「カーソル、ピ――――――」でカーソル指定が高速で右に移動。ゼミ生の間でクスクスと笑い声。
「いや、真面目に発表してるんだが」と芝田。
「いいんだけどさ、その、放送禁止用語の信号音みたいなの、どーにかならない?」と榊。
気をとり直して実演を続ける芝田。
「ピー、ピ、ピ、ペー、ぺ、ぺ」
カーソル指定の移動が止まる。そして芝田が説明。
「このようにしてフォルダ内のカーソル指定を移動させます。文字列を操作する手順も同様なやり方で考えています。では、再生」
画面に映し出されたものを見てゼミ生一同唖然。教授も唖然。
ただならぬ残念な空気に気付き、芝田は背後のプロジェクータ画面を振り返り、唖然。
そして自分がこの実験で操作していたフォルダに何が入っていたのか・・・という重大な問題を忘れていた事に、初めて気付いた。
画面に映し出されていたのは、全裸でМ字開脚ポーズをとるアニメの女子キャラ。股間を覆うモザイク。
冷や汗が噴き出し、芝田は完全に固まった。
犀川教授は残念そうに言った。
「芝田君のアイディアは実にいいと思う。実用に耐えるシステムが出来ると思うよ。けど、プレゼンテーションに使うデータは選んだほうがいいよ」
ゼミ生たちも口々に言った。
「お前がパソコンを何に使っているのか、よーっく解った」と榊。
「いや、知ってたけどね。そのための画像パソコンだもんな」と刈部。
「エロサイト漁りも大概にしとけよ」と小宮。
「これだから男って」と泉野。
村上のアパートでその話が出る。
ふて腐れた表情の芝田を前に爆笑する三人。
「言っとくが、あれダウンロードしたの、村上だからな」と芝田。
「そういうのは人に見られない所にしまっておくものだ」と村上。
「大量のファイルからでも選択できるようなシステム作る必要があったんだよ」と芝田。
「真言君って、そんなにエロ画像持ってるの?」と秋葉。
「チェックさせろとか言わないよね?」と村上。
残念な空気をどうにかしようと、村上は話題を変える。
「ところで、芝田の眼鏡型パソコンって、完成するんだよね?」
「使い勝手見るためにVRゴーグルに実装するけど、それだと前が見えないから、半透明ディスプレイの完成待ちだな」と芝田。
「両目を接眼モニターで塞がれちゃうとなぁ」と村上。
すると中条が言った。
「あの、別に両目で見る必要、無くない?」
「なるほど、接眼モニターは片目だけにして、例えば右目で目の前を見つつ、左目でディスプレイ・・・とか」と村上。
「その手があったか」と芝田。
「けど、遠近感が掴めないとか、困る事もあるかも」と秋葉。
「だったらゴーグルの両目部分にカメラ付けて、パソコン画面と二重写しで映し出すとか」と村上。
すると芝田は「だったら今の技術で作れる・・・けど、ちょっと待て。って事は設計だけじゃなくてハードの試作もしろって事かよ」
「試作すりゃいいじゃん」と村上。
「滅茶苦茶手間がかかるんだが」と芝田。
「拓真君、頑張ってね」と中条が言った。




