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おどり場の中条さん  作者: 只野透四郎
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第280話 あなたは悪くない

中条がゼミで卒論の指導を受けている。


どんな経験が人格形成にどう影響するか・・・という中条のテーマに対して、坂口教授は言った。

「それは発達心理学だね。生育環境やその中での経験が人格に与える影響に関しては、いろいろな研究があるから、読んでみるといい。で、救われた体験かぁ」

「もしくは、救われなかった体験・・・という事も」と中条。

「つまり成功体験や失敗体験、もしくはその疑似体験だね」と坂口。


「そういうのって、人格完成前のものが意味を成すんですよね?」と中条。

「基本的には高校以前かな。恋愛行動の基礎となる恋愛認識も高校の頃までに、ほぼ固まるからね。ただ、人間の成長というのは一生続くんだよ」と坂口。

「だから生涯教育という事になるんですね?」と中条。

「そうだね。そういう人格形成が望ましい方向になるよう、意図的な経験をプログラムするのが、本来の意味での教育の筈なんだ。けど、今の教育はただの知識の詰め込みになっているからね」と坂口。


「そういう人格形成過程を調べるまとまった資料って、どこかにあるでしょうか?」と中条。

「少年院に収容された不良少年に関して、更生のための参考資料として生育環境調査というのがある。行って読ませてもらうといい」と坂口。


教授に紹介状を書いてもらい、中条は少年院に調査への協力を依頼した。



文芸部の部室で、その話が出る。


「少年院で不良の生育環境を調べる・・・ねぇ」と戸田。

「ああいう子の人格形成の要因が知りたいの」と中条。

「つまりアレだろ? 親が屑で悲惨な環境の中で根性がねじ曲がりましたと」と芝田。

「けど、可哀想な環境に鍛えられて、けなげに頑張って立派な人になりました・・・なんてのも聞くよな」と桜木。

「そうなるきっかけみたいなのがあると思うの」と中条。

「けど里子がそんな所に?」と芝田。

「正直怖い」と中条の表情が曇る。


真鍋は「女子から引き離されて我慢続きで野獣みたいになってるとか」

「何でそういう方向に思考が行くかなぁ」と根本があきれ顔。

「敷地内で不良が野放しになってる訳じゃないんだから」と村上。

「不良たちの弱肉強食ジャングルみたいになってて、ボスみたいなのが手下連れてのし歩いて、モブな不良は戦々恐々とか」と真鍋。

「変な漫画の見過ぎだ」と村上。

「面白かったですよ」と真鍋。

「本当に漫画の影響かよ」と芝田。

「これですけど」と真鍋が漫画冊子を出す。

芝田がそれを見て「上坂の漫研で昔、田中が描いた奴じゃん」


そして村上は俯き加減な中条の頭をそっと撫でて「俺が付き添っていくよ」

「お前、不良と喧嘩になっても負けるだろ」と芝田は村上に言った。

「だから少年院は不良ジャングルじゃないから」と村上。

「けど真言君も卒論の研究、あるよね?」と中条は遠慮がちに言う。

「とりあえず最初はついて来て貰ったらどうかしら」と秋葉。



中条は村上に付き添われて、秋海市にある少年院へ向かった。

そこの更生支援係で、収容されている不良少年の生育環境資料を閲覧した。

問題を起こした若者がどんな環境でどんな体験をして今の人格が形成されたかを知り、指導の参考にするための資料だ。

村上に手伝ってもらって資料を調べる中条。


一人の不良少年の資料を読んだ中条は、係員に言った。

「あの、この子と面会って出来ますか?」

千字会事件の時に補導された中学生だ。

「可能ですよ」と係員。


村上が「俺も一緒に行こうか?」

だが中条は言った。

「大丈夫、というか、一人でやらなきゃ駄目な気がするの。何人も話を聞く事になると思うから、もし無理なようなら、次からお願い」



係員に案内されて、中条は面会室へ。

面会室のアクリルガラスの向こうに少年は居た。

五分刈り頭ににきび面、目の前に居る全てを威嚇するような目つきの奥に、膿んだ傷の痛みを感じたような気がして、中条の胸が痛んだ。


少年は中条を見て、言った。

「何だよ地味顔じゃん。説教しに来たんスか? 言っても多分解らないっス。俺馬鹿だから」

「そんな事しない。あなたは悪くないから」と中条。

「俺、ワルっスよ」と少年。

「あなただって辛い目に遭ったんだよね?」と中条。

「同情っスか? 弱者見て嗤うの、気持ちいいっスよね?」と少年。

「あなたは弱者じゃない」と中条。

「加害者っスからね? けどこんな所に閉じ込められて彼女も作れないっス。それともお姉さんが彼女になってくれるっスか?」と少年。

「手を出してみて」と中条。


家族が差し入れをする小さな窓から少年は右手を出した。

出された手に自分の手を重ねる中条。

「私はこんな事しかしてあげられないけど、きっと出れるよ」と中条。

「大人はみんなそう言うっス。けど上辺だけっス。誰も俺らを信用してない」と少年。

「あなたが嘘をつくと思ってたら、こんな所に来ないよ」と中条。


少年は溜息をついて「いいっスよ。何が聞きたいっスか?」

「あなたが、どんなふうに育ったか、教えて?」と中条。



少年は語った。


少年の母親はシングルマザーだった。気分の浮き沈みが激しかった。

高揚している時は散財が激しく、子供を放置して遊び歩いた。沈んでいる時は布団から出ない。

辛くなると彼を罵り、暴力を振るった。


「どんな事をされたの?」と中条。

「思い出したくもないっス」と少年。


やがて母親は男を作った。ヤクザ者だった。

最初は彼女をちやほやし、彼にお菓子を与えた。だが、次第に母親に暴力を振るうようになった。


「怖かった?」と中条。

「怖かったけど、感動したっス。あの鬼みたいなお袋を、怯えた犬みたいにするなんて。こうすれば良かったんじゃないか、って思った」と少年。



悲しい話だと中条は思った。

これがこの子にとっては救いだったのだろう。だが、そんな悲しい救いがあっていいのか。

止めようもなく涙が溢れた。


「泣いてるんスか?」と少年。

「ごめんね」と中条。

「何で謝るんスか?」と少年。

「辛かったよね?」と中条。

「俺、ワルっス。泣き言言ったら負けっス。だから仲間作って、いろんな奴と喧嘩してボコって、ビビりな奴カツアゲして、こういうのを大人は犯罪って言うんスよね?」と少年。

「けど、あなたがそうなったのは、理由があったんだよね?」と中条。

「そうっスよね。全部お袋が悪いんスよね?」と少年。

中条は哀しい目で言った。

「けど、そのお母さんがそういう人になったのも、理由があったんだよね?」



中条が去った後、彼の脳裏には、ひとりでに自問自答が湧いた。

母親の理由って何だろう。彼女がその親から、そんなふうに育てられたからなのか?。

だが、そう育てた母親の親が悪いというなら、その親にも理由があったという事ではないのか?。

一体誰が悪いのだろう。


あの涙は何だったのだろう。自分には涙なんて無いと思っていた。泣いたら負けだと思っていた。

だから自分の代わりに泣いてくれた・・・という事なのか?。

彼は童貞ではない。不良女子を抱いた事もある。

なのに、彼は初めて知ったような気がした。

(女性の手って、こんなに暖かかったっけ?・・・)


母親に会いたいと、産まれて初めて思った。自分が何故そんな事を思ったか、彼には理解できなかった。



中条は、資料室に居る村上の元に戻った。

「大丈夫だった?」と村上。

「うん」と中条。

「どんな奴だった?」と村上。

「いい子だったよ」と中条。

「頑張ったね」と村上。



その後も中条は、一人で何度か少年院に足を運んだ。

そして少年たちの生育環境資料を読み、参考になりそうな記述を漁り、気になった少年と面会する。

その日面会したのは、付き合っていた中年女性を殺害した少年だ。



少年は語った。


「俺の母親、俺をエリートコースに行かせるのが夢でした。やたら世話を焼くんですけど、勉強催促の鬼で、俺も期待に応えようと頑張ったんですけど、有名私立中学に落ちて、親も酒浸りになりました。それで俺も荒れて喧嘩屋になって、ワンパンチファイブコーンとか仇名がつきまして、一発殴ると歯が五本折れるっていうんです」と少年。

「そうなのね」と中条。

「怖がって誰も近づかなくなったんですけど、ヤクザと知り合って、金持ちのオバサンの相手しろって。付き合ったオバサンがやたら優しくて、俺の事全肯定してくれるんです。これが本当の女なんだって、頑張って相手しました。そしたらヤクザが他のオバサンの相手もしろって。それで、他の人との事がバレて、酷い事いっぱい言われたんです。俺、裏切られたってカッとなって」と少年。

「そうなのね」と中条。


「お姉さん、ここ出たら、俺の彼女になってくれますか?」と少年。

「私、彼氏が居るから」と中条。

「そうですか」と少年。

「私の友達にも、そういう人居るよ。けど、ちゃんと相手の子と向き合えば、きっと女の子にモテると思うよ」と中条は言った。

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