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おどり場の中条さん  作者: 只野透四郎
263/343

第263話 主観と客観

一月前半。

文芸部でわいわいやっていると、村上の携帯に卒論執筆中の住田からSOSが届いた。

「卒論を手伝って欲しいんだが」と住田。

「余裕じゃなかったんですか?」と村上。

「そのつもりだったんだが、書いてるうちにあれこれ思い付いちゃってさ」と住田。

村上は「とりあえず何を手伝えば・・・」

「参考文献の確認とか誤字とか」と住田。

「わかりました」と村上。


電話を切ると、他の部員たちが興味の視線を向けていた。

「何だって?」と秋葉。

「卒論手伝えとさ」と村上は笑う。

「私たちも行ったほうがいいかな?」と戸田。

村上は「大勢で行ってもアレだけど、行きたい人が居れば」



中条とモニカを伴って住田のアパートへ向かう村上。

「モニカさんは何か行きたい理由ってあるの?」と村上。

「もしかして、住田先輩の事が好きとか?」と中条。

モニカは「それもあるのですが」

「あるの?」と村上。

モニカは「儒教批判ですよね? 仏教と同じ東洋思想として、何か参考になればと」


「なるほどね、里子ちゃんは?」と村上。

「村上先輩が行くからとか?」とモニカ。

中条は「それもあるんだけど」

「あるんですか?」とモニカ。


中条は語った。

「あれって結局、道徳だよね? 道徳って他人がこう思うから・・・ってのが元の筈だよね? そういう感情論が論理的に矛盾する事があって、真言君のお父さんはそんなの信じない、って言ったんだよね? 実際に矛盾して間違ってるから、ダイケーの人達は自分たちの我儘を道徳だと思っちゃう、そういう駄目な感情論が道徳の名前で甘やかされるのって、何なんだろう。それって人の心の問題なんだよね?」



三人で住田のアパートに到着。

住田は「よく来てくれた。とりあえず参考文献なんだが」

一覧表を渡され、論文コピーの山から探す。大抵は学術雑誌掲載の記事だ。

雑誌の名前や号が不明のものも多い。

ネットで探し、解らないものは近くの図書館でレファレンスサービスを利用する。


作業が一段落。お茶を飲みながら住田が話し始めた。

「なあ村上、主観主義って朱子学だけのものじゃないよな?」

「元々儒教自体が主観主義でしたからね」と村上。

「西洋哲学でも主観主義ってあるのに、何で朱子学だけがああなるのかな?」と住田。


村上は語った。

「朱子学だけが・・・って訳じゃないでしょ? 陽明学の主観主義だって、本場じゃ泥棒が主観で自己正当化しちゃうみたいな事で、信用無くす部分もありますからね。けど朱子学は性理論とか言って、自分達は客観で言ってるんだって思ってる。けど実際に言ってる事は、その客観的正義の根源と称するものが大義名分、つまり身分主義で、上の者が威張って正義を騙るだけ。つまり身勝手な恣意主観だと自覚していないって事じゃないでしょうか」



「だとすると、客観を標榜しない方がいいのかな?」

そう辛そうに言う住田を見て、村上の胸に、様々な理不尽に対する怒りに似た何かがこみ上げた。そして彼は言った。

「そうはいかないでしょ? 客観的正しさを求めないなら、対立する双方が理屈抜きで奪い合う暴力の巷になっちゃう」

「西洋哲学での民主平等って、基本的に個人が本来持ってるパワーに大きな違いは無いって所から来るんだよな。社会に貢献する度合いに本来的違いは無い。逆に言えば、抜きん出て強い奴がその他のモブに暴力ヒャッハーして人権侵害しまくるなんて心配は、社会が正常ならありえない。つまりいい加減な主観論でも酷い事にならない。本当に酷い言い分には被害者が抵抗するから・・・って話なんだよ」と住田。


「けど、抵抗する根拠としての客観的正当性論理ってありますよね? それが自分たちにとって触れて欲しくない不都合事実だから、論理があっても指摘せず不当暴力に目をつぶれ・・・ってのが今のリベルタニズムですよ。それで抵抗する力があっても抵抗できなくする。彼らはそういう問題の本質を絶対言語化させない。第四の権力を行使してね。結局、客観的正しさの必要は誰もが解ってる。だから朱子学は、まやかしで客観を騙る事で主流派になった」と村上。



「白馬は馬ではない、って命題がある。諸子百家の中の名家の公孫竜が言った、詭弁の代表的論理さ。彼は言葉の意味を明確にする事を解いたんだが、白馬のアレは言葉の意味をわざと取り違えてみせる命題なんだよな」と住田。

「本当はこれをどう論破するか? って話だったと思うんですよ。公孫竜が示したアレの根拠は"馬は動物の概念であり白馬は色の概念だ"・・・ですよね? だけど本当は、白馬は白という色の概念によって修飾された馬という動物なんです。馬が主で白が従。それをわざと逆転させた詭弁だと。それをきちんと提示できたら、もしかしたら名家は西洋哲学と並べたかも知れない」と村上。

「確かにソクラテスはソフィストたちを論破するのに、言葉の概念の明確化をよく提示したからね」と住田。


「名家は歴史に埋もれたっていうけど、例えば"大義名分"の"名"は名家の"名"と同じ。その"名"を言葉の意味が示す論理として踏まえるべきものと捉えた名家と、それに身分を示す一字加えて"名分"として、踏まえるべき正当性を身分が決めるとした朱子学は、繋がってると思いますよ」と村上。

「中国って、言葉の概念をごまかしたり権威化したりする事で言い分を通そうとしてきたからね。自分達の抑圧に屈服するのが平和だ・・・みたいな事で平和という概念を利用して専制を正当化した。"文章は経国の基"って言葉があるけど、文章って美辞麗句で権力をイメージ的に美化する技術だよな。それが政治だってのはまさにイメージ煽動でナチスの手法と同じさ」と住田。


「だからって、政敵が演説が上手だからっただけで、ヒトラーと同じとか言っちゃうリベルタン政治家も居るますよね」と村上が笑う。

「あれはヒトラーって言葉のイメージで相手を醜化し自らを美化するペテンだね。底が浅すぎてバレバレだけど」と住田も笑う。

「朱子学の言う客観ってのもそれで、客観って言葉をイメージ的美化に使って権威化してるだけなんですよね。天体の動きが変わらないように社会も変えないのが良い・・・って言うけど、誰にとって良いのか、良いってどういう事なのか。言ってる事が浅過ぎです」と村上。



「戦乱が起こらないのは良い事であるのは事実なんだよな。けど、そういう戦乱を起こさず、より良い方向を見つけるのが人間の知恵の筈なんだよな」と住田。

「良いってのは自分も含めたみんなが良くなる事で、みんなって誰が含まれるのか? って。ところがその中に自分が居ると、それは欲望で主観が都合を語っているに過ぎないとか言っちゃう。本当に大事なのは"良くなる"の中身、どう良くなるのかの問題ですよ。他人と比べて上に立つ意味での良くなる・・・じゃなくて、みんなで協力して色々なものをたくさん作って、みんなが豊かに。良くなるってのは、そういう事ですよね?」と村上。


「儒教はそれを、民衆に食わせるのが君主の義務で、それを果たすのが徳で権力者の資格だ。だからそれさえ出来れば、専制で下を見下し他者の尊厳を踏みつけていいんだ、上に立つという事は他者の尊厳を踏み敷く事だ・・・って発想なんだよ。今でも一部残ってる共産国家が圧政を敷くのも同じだね」と住田。

「それは駄目ですよね。個の対等な尊厳って政治的に対等な立場で、それを対等に尊重されるのが人権ですよ。だからこそみんなで良くなる・・・の"みんな"の一人として誰もが自己主張できる訳だから」と村上。


「昔、"ドグラマ"というロボットアニメがあって、主人公側勢力のリーダーの台詞に"歴史は誰が腹一杯食べれるかで決まる"・・・ってのがあったけど、あれは実は有名な共産党指導者の言葉なんだ。それとダイケーの反政府勢力が未だにバリバリの共産主義なんだが、その独裁者のスローガンが、"人民に毎日白い米と肉のスープを食べさせる社会が楽園であり目標"だと。そんなレベルなら先進国じゃ普通に食えてるってのに」と住田。

「食えればいいってもんじゃない。もっと精神的っていうか文化的な満足をいかにみんなが得られるか・・・って考えなきゃいけないと思います。そういう精神的な満足感を、みんなを支配した独裁者がマウンティングヒャッハーで独りで貪ろうってのが、共産主義の正体なんですよ。それを胡麻化すために、ものの価値や正しさを考える権利を国民から奪って、自分の恣意的な都合による主観で捏造した価値観を客観的とか偽って押し付けるんです」と村上。



中条が言った。

「心理学で、例えばお菓子が一個ある時、十人で協力してお菓子の工場で百個作って十個づつ食べるのと、一人で独占して一個食べるのとどちらが満足するかっていうと、感情としては後者だって言うんです。本当は十個食べる方が幸せなのに」

「他人より得をしたいってのは、不足な時にいつでも得が出来る立場が欲しい・・・それが証明されたと感じたいって事さ。そのために恣意的な主観でみんなを支配できる立場が欲しいと」と住田。

「今はいろんな物をロボット工場で作れる。知的労働だってAIが代行できる。本当はみんなが豊かに楽に暮らせる世界はすぐそこに来ている。無理に他人の上に立たなくても、みんなが豊かに暮らせる世界は物理的に可能な筈なんだよね」と村上。


そしてモニカが言った。

「仏教で言う悟りって、つまりはそういう、本当は何が幸せなのかを、ちゃんと認識できる事なんじゃないでしょうか」

「実際の仏教で言ってる事がそうなのかは別かも知れないけどね」と村上が言った。

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