第254話 天上の湯
秋が深まり、紅葉の季節になる。
文芸部室で村上たちがそんな話をしている中で、秋葉が景色のきれいな温泉に行こうと言い出した。
秋葉は、部室に居る桜木に声をかける。
「桜木君の地元に芙蓉温泉って、あったわよね?」
「かなり山の上にある、混浴の露天風呂だな」と桜木。
「そんな所があるのかよ」と芝田。
秋葉が説明する。
「標高1700メートルにある旅館にも男女別のお風呂があるんだけど、少し山道を登ると四か所の露天風呂があるのよ。混浴というよりお任せみたいな」
「一番上は女性優先で、女性が入ってたら男性は遠慮しろみたいなルールになってるけどね」と桜木。
「標高1700メートルって、もしかして歩くの?」と村上。
「300メートルも歩かないわよ」と秋葉。
村上が「簡単に言うけど、体力的になぁ」と難色を示す。
「何言ってるんだ。グランド二週程度の距離だろーが」と芝田。
「いや、水平距離じゃなくて、標高300メートル登るんだよね?」と村上。
「久しぶりの温泉巡りかぁ」と秋葉は既に決定気分。
村上は「まさかそのまま登山とか?」
「駄目?」と秋葉。
「ああいうのは懲りた」と村上。
「桜木君も一緒だよね?」と中条が言い出す。
「行こうよ。それで帰りに桜木君の実家に挨拶に」と秋葉もその気になる。
桜木は「俺は止めておく」
「何でよ。桜木くーん」と秋葉がふざけて甘え声。
「お前も結婚圧力が大変だからな」と芝田が笑う。
桜木は「というか、メジャーデビューの話をまだしてなくてさ。親は実家に戻って来るものと」
「それ、単なる先送り」と村上。
「とりあえず来年分の学費の問題があるからな」と桜木。
「先立つものが・・・って訳だ」と芝田が笑った。
週末に車で芙蓉温泉へ。
高速道路を走って西に向かい、海岸沿いの街から川沿いの道へ。そして右手に険しい山岳。
支流沿いに狭い山道を走る。既に紅葉が山を美しく彩っていた。
駐車場に車を置いて、広めで緩い山道を登る。そして旅館に到着。
建物は三階建て。他に二組の宿泊客が居た。二十代後半の男性一人。そして二人組の若い女性だという。
受付で手続き。
旅館の人が四人の男女を見て「二部屋用意致しますか?」
「一部屋でいいです」と秋葉。
「登山の方で?」と旅館の人。
「まあ・・・」と秋葉は口ごもる。
「どこでも眠れますので」と村上が脇からフォローした。
部屋に案内され、とりあえず荷物を置いて温泉へ。
「温泉へは、旅館の脇の山道を登るんです」と、旅館の人が行き方を教えてくれた。
旅館を出た所で、他の泊り客三人とはち会う。
「皆さんも露天風呂に?」と男性客は村上たち四人に・・・。
「はい」と村上たち。
三組の宿泊客で、どの温泉に入るかを相談する。
秋葉が「皆さん、どちらに入られますか?」
「そちらは男女で二手に分かれるんですよね?」と男性が秋葉たちに聞く。
「いえ、四人一緒に」と秋葉が笑って答える。
男性は少しまごついて「そ・・・そうですか」
「どうせならご一緒します?」と秋葉が男性に悪戯っぽい笑顔を向ける。
男性は顔を赤くして「遠慮します」
女性二人連れは一番上の天人の湯に入る事になった。
村上たち四人はその下に天狗の湯。男性はその下の地蔵の湯。
一番下にある山伏の湯を見て、その上へ。
構造はどれも同じだ。
山中の小さな平坦面の石で固めた中の、四角い木枠の浴槽に湧いたお湯が、湯気を上げていた。お湯の色は微妙に違う。
「そんなに大きくはないな」と村上。
「十人はきついかもね」と中条。
四人は全裸になって湯舟に浸かる。
「泊り客以外にも日帰りで入りに来る人は居るんだよね?」と中条が、少し恥ずかしそうに言う。
「下の温泉に浸かってる人が知らせてくれると思うよ」と村上。
「気持ちいいわね」と秋葉。
「入浴剤とは違うのか?」と村上。
秋葉はあきれ声で「真言君はロマンが無いわね」
「けど、真言君の膝の上、気持ちいいよ」と中条。
一番上の温泉に来た二人連れも、湯に浸かっている。
二人で村上たちの事を噂する。
「あの人達、四人で混浴してるのよね?」
「カップルなんでしょ?」
「でも四人だよ」
「そういう人も居るよ」
「4Pとかするのかな?」
「けど、好きな男がいて温泉でわいわいかぁ」
「羨ましいとか思った?」
「そそ、そんな訳無いじゃない、あは、あはははは」
夕方近くになって各宿泊客が旅館に戻り、ロッジの食堂で食事。
「温泉はどうでした?」と秋葉が他の二組に話しかけた。
「最高だったわよ。景色もいいし」と女性客。
「俺は山伏の湯と地蔵の湯しか見てないけど、他の所も同じようなものなんだよね?」と男性が言う。
「ごめんなさい。私たちが居たせいで」と女性二人組。
「いや、俺は温泉の違いとか、あまり解らないから」と男性。
「けど、温泉に入るのは好きなんですよね?」と秋葉が男性に。
男性は言った。
「明日、この上の芙蓉岳を登るんだよ。そこから尾根を縦走して、三日くらいかけて向こう側へ抜けるんだ」
「途中で体調でも崩したら、どうするんですか?」と心配そうに女性が訊ねる。
男性は「その時はその時さ」と平気な顔で言う。
「景色のいい所なんですか?」と女性二人が興味を示す。
男性は「絶景だって聞いてる。ここから500mも登れば尾根筋だから、何なら明日、登ってみる?」
「装備も無いし」と女性客。
「水は俺が持ってきたのを分けてあげるよ。上に水場があるから補給できる。エネルギー源は余分に飴とかあるし、靴もこの程度なら運動靴でいけると思う。天気も大丈夫そうだ」と男性。
宿の人が「お握りくらいは用意しますよ」
女性二人組は互いに顔を見合わせて「行こうか」
そして男性は村上たちにも「君たちもどうだい?」
「筋肉痛がなぁ」と村上。
秋葉は「前に登った半分よ。登山というよりハイキングだよ」
翌日、村上たち四人を含めた七人が早朝、宿を出た。帰り用に予備の地図を一枚貰った。
テントと食料の入った大きなリュックを担ぐ男性を先頭に、女性二人、その後ろに芝田、秋葉、中条、村上。
最初はジグザグ道の急登。
女性に合わせてペースを落としているようだが、やはり村上と中条は遅れがちになる。
しばらく登ると登り道の枝尾根筋。それなりに傾斜がある。
男性は、他の人たちの様子を見て「休憩しよう」と声をかける。
見晴らしのいい所で一息入れる。
眼下に芙蓉温泉の建物が見える。
女性と男性とで会話し、そこに秋葉と芝田が加わる。
そんな中で芝田が「村上、高所恐怖症は大丈夫か?」
「ちよっとな」と村上。
「君、そうなの?」と男性は村上に・・・。
「はい」と村上。
「これから登る所はきついかもね」と男性。
「けど、それがいいんですよね?」と村上。
行軍再開。しばらく登ると、急斜面に大きな岩がゴロゴロ。岩の間を這松が埋めている。
「天狗の庭って言われてる場所だ」と男性が説明する。
「まるで庭石ですね」と村上。
「この上にもそう呼ばれている所があるよ」と男性。
「こんな風に岩が?」と村上。
「かなり違うんだけどね」と男性。
また枝尾根道を歩く。少し行くと山の斜面を造成した平坦な道になる。
木々は低くなり、灌木地帯になる。
そしてまた枝尾根道を登ると尾根筋上の湿原に辿り着いた。小さな池がいくつも散在する。
そして池の周囲に群生する丈の短い草花。
「高山植物ですね」と村上。
男性は「ここがもう一つの天狗の庭さ」と説明した。
登り道を経て険しい山尾根に到達した。
向こう側は断崖絶壁。谷の向こうにも同じような景色が広がる。
切り立った断崖の途中から多数の岩峰が突き出す。谷底に雪渓が見える。
女性二人は感嘆の声を上げる。
「すごい」
「氷河地形ですね?」と村上。
「大昔はここにも氷河があったんだね。それが地面を削ってこの谷を造ったんだよ」と男性が説明した。
村上たちと二人の女性は、しばらく、この景色を堪能した。そして男性が言った。
「俺はこの尾根道を行くが、君たちはここから引き返すといい。昼過ぎには余裕で戻れると思う」
「あの・・・メルアド交換して貰えますか?」と二人の女性は男性に言った。
「いいよ」と男性。
嬉しそうにスマホを操作する二人の女性。
そんな三人の様子を見て村上は「何なら三人で写真撮ります? シャッター押しますよ」
「お願いします」と女性。
芝田は村上の耳元で「もしかして水族館でやったあれをやる気か?」
「この段階でそんな野暮はしないよ」と村上。
男性を真ん中に、両側で二人の女性がポーズをとる。
「ところで君、高所恐怖症は大丈夫?」と男性は村上に言った。
「けっこうきついです」と村上。
男性の名は大村といった。
村上たちは午後には宿に戻り、徒歩で駐車場に降りた。
村上は筋肉痛と格闘しながら駐車場への降り道を歩いた。
大学に戻り、昼食で時島と一緒になった。
芙蓉温泉の話題が出て、時島は言った。
「大村さん? 県の登山会では知られてる人だよ。芙蓉岳に登るとか言ってたなぁ。そういえば最近、彼女が出来たって聞いたが」




