第250話 秋葉さんのバーチャルお祖母さん
大学祭当日。
ドローン遠隔観光実験の会場となった工学部棟の教室。
設置された回転シート。VRゴーグルと操作盤。
操作はジョイスティックといくつかのボタンによる簡単な代物だ。
開演時間に合わせて関係者が集まる。
上坂市観光協会の人たちとその会長、登山会の人達、杉原・八木など観光課の人達、そして工学部・経済学部の人たち。
経営技術研の須賀教授、メカトロニクス研の葉山教授、通信技術研の最上教授。
そして小島や曽根などの技術スタッフと村上たち。
開演時間となる。
葉山教授が挨拶し、その助手がシステムを説明する。
そして上坂市観光協会会長が実験開始に先立って挨拶に立った。
「この度、私たちの町の魅力に、このような形で光を当てて頂いた事に、篤く感謝します。この話が切り出された時、誰もが驚き、またいろいろな理由で反対する人も居ました。それを乗り越えたのは、一人の女子学生の情熱でした。それが秋葉睦月さんです。彼女は以前にも上坂の観光について提案を行い、その発展に寄与してくれました。ですが彼女が今回これを提案したのは、彼女のお祖母さんへの家族愛でした。彼女、秋葉春日さんは長年山を愛し、いくつもの山を踏破すべく体力と技術を鍛え、ついには幻の滝と言われた四十四丈滝に挑戦しようとした矢先、癌で片足を失いました。そんなお祖母さんにもう一度山を見せたい。あの滝を見たいという夢を叶えさせてあげたいと、睦月さんはこの事業に挑戦したのです。私たちは深く心を打たれました。なので先ず、片足を失いながらも私たちの山を愛した秋葉春日さんに、このシステムを試して頂きましょう。では春日さん、どうぞ」
満場の拍手とともに、鈴木が押す車椅子に乗って会場に現れたその人は、片足の無い老女・・・のマネキン人形。
会長唖然。
会場に居る一同唖然。
そして村上は頭を抱えた。
秋葉は笑顔で祖母を紹介する。
「こちらが私の祖母、秋葉春日・・・なんちゃってー。実は私にそんな祖母はいませんごめんなさい。どうしてもこの事業を実現したくて、けど説明会でも反対する人が多くて、仕方ないんで同情に訴えようかなーって事で、嘘ついて皆さんを騙しちゃいましたー。てへ」
会長激怒。
「秋葉さん、あんたなぁ!」
上坂の人達激怒。
「ふざけんな!」
「大人を舐めてんのか!」
だまって罵倒を受け止める秋葉の表情は、村上には、いつもの秋葉とは違う、覚悟のようなものが見えた。
そして彼は決意して口を開く。
「睦月さん、もしかして自分一人が悪者になって、みんなから罵声浴びて我慢すれば、それで済むとか思ってる?」
場が静まり、秋葉は再び口を開いた。
「駄目かな? 私自身がどうなろうが、システムさえ完成すれば、誰かが引き継いでくれるわ」
「それでいいの?」と村上。
「いいのよ。誰も私を相手にしなくても、私は上坂の市民だもの。今までの事業で楽しい街になって、みんながそれで楽しめる。私はそんなみんなの一人として、この街を遊び倒すの。観光事業ってそういうものでしょ?」と秋葉。
「けど睦月さんは多分、これからもいろんなアイディアが浮かぶと思うよ。それがもう実現できなくなるって、勿体ないと思わない? 睦月さんのためじゃなくて上坂のみんなのためにさ。可能性って無限なんだよ。これで止まっちゃっていいの?」と村上。
「・・・」
会場は既に静まり返っていた。
村上は、さっきまで激怒していた人達に向けて、語った。
「皆さん。山を愛しつつ片足を失った秋葉春日さんという名前の人は、確かに実在しません。けれども同じように山を愛しつつ、障害で山に登れない人は、確実に、それもたくさん実在する筈です。それは私たちがその人達の顔と名前を知らないだけなんです。俺は以前の登山で、筋肉痛で酷い目に遭いました。けど、あの時見た山の景色は素晴らしかった。俺は体を鍛える事も出来ます。けどそれも出来ない人が、あの景色を見たくても見れずに終わるのは寂しいです。あれを知らずに体を鍛えようとすら思わない人達も多い。それはもっと寂しいです。ここに居るみんなは架空のお祖母さん一人のためにこれを作ったんじゃない。そういう同じ境遇の人達のために、そしてそこまでじゃなくても、上坂の山を見れずにいた人達のためにこれを作ったんじゃないでしょうか。その価値はあのお祖母さん一人の実在とは無関係に、大きな意味があると思います」
場には既に怒りの空気は無い。
そして上坂市観光協会会長は、いつもの穏やかな表情を取り戻して、言った。
「確かにそうだな。これは私たちの街のための事業なんだ。秋葉さん。君のやった事を許すつもりはないが、君にそこまでさせたのは私たちの不明だ。これからも上坂を頼む」
秋葉は言った。
「ありがとうございます。それじゃ、このマネキンの代わりに会長さん。最初の遠隔観光体験をお願いします」
一同の会長コールに照れながら、会長はシートに座り、VRゴーグルを装着してジョイスティックを握る。
既に山岳上空に居る飛行船のカメラから、目標地点を確認。
操作開始とともに飛行船からドローン発進。ドローンの3Dカメラ映像に切り替わる。
会場のモニターでこれを見る人たち。
VR映像に浸りながら、ドローンを操作する会長は言った。
「これが四十四丈滝か。これほどとは。だが、この景色どこかで」
「会長は登山の御経験が?」と観光業界から来た人が訊ねる。
会長は「無い。ある筈が無い。だがどこかで・・・そうだ。奥畳渓谷だ」
会長は語った。
「あのダムで沈んだ渓谷を、私がまだ北東銀行に居た頃、ダム建設資金融資の件で現場を視察した。工事用の林道が完成してダム本体の工事が始まった頃、まだ沈む前のあの景色を見たんだ。深く刻まれた谷の岸壁と滝と変化に富んだ岩峰、ここの景色とそっくりだった。あれが沈むのがたまらなく惜しくて、頭取に訴えたんだ」
「米沢老ですか?」
「頭取は言ったよ。君の気持は解る。だが既に林道建設で多くの景観が破壊された。ここで止めたら何のための犠牲かと。一般人が山の景色を楽しむなら林道で景観の一部を破壊するのは不可欠だ。そうせず山を楽しむには、体と技術を鍛え遭難の危険を冒して登山するしか無い。だがこのやり方なら・・・」としんみりした顔で語る会長。
体験を終えた会長はゴーグルを外して、周囲の人達に言った。
「この事業を進めましょう。いろんな人たちに協力をお願いしたい」
三人の教授は言った。
「私たちも努力を惜しみません」
来客が次々にシートに座ってドローンを遠隔操作した。
スタッフたちもシートに座って体験する。
秋葉、杉原、曽根、村上・・・。
「間近で見ると迫力が違うよなぁ」とゴーグルを被った村上が言った。
「これ以上近付けないの?」とモニターを見ながら中条が言う。
「危険防止のために、視認距離で操作する人の居ない遠隔ドローンは地上物に一定以上近付けない規制なんだよ」と園田が説明。
「それ以上近づくには特別な許可が居るんだ。手続きが滅茶苦茶面倒でさ」と八木。
「一定以上って?」
「3mって事で危険防止システム組んだんだが」と榊。
杉原は慌て顔で言った。
「ちよっと待ってよ。確か20mだった筈だけど」
「それだとこの幅の谷には入る事すら出来ないぞ」と芝田。
「けど、3mって秋葉さんが」と榊。
「もしかしてわざと?」と怖い顔で杉原。
秋葉は「てへ」と誤魔化し笑い。
「秋葉さん!」
秋葉は平然とした顔で「ささいな事よ。そもそも日本の法律って、そういうのに臆病過ぎよ」
「あのね、役所ってのは法律守ってナンボなの」と杉原があきれ顔。
村上は笑って「杉原さんの立場だと、それは男性が勝手に決めた悪しき社会ルールなんじゃないの?」
「いや、私もうウーマニズムと縁切ったから」と杉原。
「まあさ、法律ってのは人が作るんだよね。法改正してそういう規制を緩和すればいいんだよ。そのためにあの人達が居るんだから」
そう言って、村上は部屋の隅に居る観光協会会長たちを見た。




