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おどり場の中条さん  作者: 只野透四郎
247/343

第247話 土の中の見えない住人

農学部には、農業実習のための農園設備がある。

野菜園芸部門の実習で渋谷は教官に作物の管理を任された。

目の前に管理を任された設備と、共同管理者だという他学部の上級生男子。

「プランターですよね? 何か特別な野菜なんでしょうか」と渋谷が教官に訊ねる。

「実は理学部の生化学研との共同研究でね。彼が理学部側の担当なんだが、理学部三年の笹尾君だ」と、教官は理学部側の学生を紹介。

笹尾を見て渋谷は「村上先輩のお友達ですよね?」

「知り合いかい?」と教官。

人工子宮の実験動物の関係で生化学研に出入りした時、渋谷は笹尾と何度か会っていた。


笹尾が説明する。

「野菜の生育促進物質の実験なんだ。ほうれん草での生育効果を試したい」



その日から実験が始まった。同じようなプランターを二つ。水やりなどの世話も同じで、一方だけ薬液を使用する。

種の周囲に成長を活性化させるという薬液を数滴垂らす。

毎日、同じ時間に水をやり、生育を観察。薬液は定期的に添加。その時間に笹尾も生育の点検に訪れた。

点検しながら二人は様々な会話を楽しんだ。土壌中の微生物について、植物育成に関わる様々な物質について。

野菜園芸に関わる知識として渋谷は興味深く感じた。



プランターで育つホウレンソウを観察記録する渋谷に、笹尾は訊ねる。

「生育具合ってどうなのかな?」

「普通の倍くらい育ってると思います」と渋谷。

隣の比較のためのプランターと比べてみると一目瞭然だ。

「これってどんな薬液なんですか?」と渋谷は訊ねる。


笹尾は「ジャングルに生息する苔類から抽出したものだよ。高温多湿な環境で植物の生長に適する所だから、狭い範囲に千種類以上の植物が生息していてね、その中には有用な植物も多いんだ」

「トロピカルフルーツとか?」と渋谷。

「カカオなんかも」と笹尾。

渋谷は「うちの農園でも温室で育ててます」

笹尾は「カカオを? 何でまた」

「バレンタインデーで手作りチョコを作るための材料に・・・って」と渋谷。


笹尾は笑って「そういえば今年、バレンタインパーティで滅茶苦茶苦いやつを食べたっけ」

「あれ、私です」と渋谷。

「大人なんだね?」と笹尾。

「そうですか?」と怪訝そうな渋谷。

「甘くないのが好みなんでしょ?」と言う笹尾に、渋谷は答えた。

「っていうより、手作りチョコにみんな拘るんで、カカオ豆から作れば究極ができるかな? って。けど、サトウキビまでは自家栽培出来ないんで」 

笹尾は笑った。

「そこまで自家栽培に拘る必要は無いんじゃないのかな?」

「けど、バレンタインにチョコって何で? って聞かれて、人は甘いものを食べると幸せを感じるから、って言った人が居たんです。その肝心の甘味が手作りじゃ無かったら意味無いじゃないですか」と渋谷。

笹尾は「なるほどね、渋谷さんって、すごく深い所まで考えるんだね」

照れる渋谷。

「けど、まてよ。だとすると、甘くないチョコに意味はあるの?」と笹尾。

「あ・・・」

二人で大笑いする。

「ところで、この生育物質ってどんな働きをするんですか」と渋谷。

「成長ホルモンに類似した物質構造になってるんだよ」と笹尾は説明する。



そして間もなく文芸部室で・・・。

「渋谷さんが理学部の先輩男子と付き合ってるって噂だけど」と根本がそっと真鍋に・・・

「あの人は俺の彼女って訳じゃないから」と真鍋。

「いつも仲良しなんでしょ?」と根本。

真鍋は「渋谷さんの彼氏は中川だよ」

「その中川君は知ってるの?」と根本。


真鍋が真田に相談する。

「渋谷さんに手を出してる先輩男子が居るっていうんだけど、中川に知らせるべきだと思う?」

「何て人ですか?」と真田。

「笹尾って人なんだけど」と真鍋。

「笹尾さんって、芦沼さんに羞恥プレイを強制した張本人じゃなかったかなぁ?」と、真田は生半可な伝聞話を思い出して、言った。



真鍋と真田で中川に話す事になった。

真鍋が言いにくそうにしているのを見て、真田が話を切り出した。

「渋谷さんがレイプされて脅されてるって言うんだけど」

「渋谷さんにそんな事が? けど、そんな怖い事になってる様子は見えないけどなぁ」と中川。

真鍋は「渋谷さんって、ちょっと天然っぽい所があるからなぁ」

「悪い男に騙されてるとか?」と真田。



三人で渋谷に話す。

「渋谷さん、最近、変わった事って無い?」

「何かあったかなぁ」と渋谷が首を傾げる。

「理学部の笹尾さん、居るよね?」と真鍋。

渋谷は「知ってるわよ。薬品に詳しい人だよ」


三人、額を寄せて、ひそひそ。

「シャブ漬けにされて脅されてるって事?」と中川。

「惚れ薬で奴隷にされてるって事じゃない?」と真鍋。

「秋葉さんも被害に遭ったって」と真田。


三人は「どんな薬?」と尋ねる。

「成長薬よ。凄いのよ。倍くらいになるのよ」

三人、額を寄せて、ひそひそ。

「胸が大きくなる薬って事か?」



真鍋が「渋谷さん、そんな薬使わなくたって・・・」と言いかけた時、真田はその言葉を遮って、言った。

「私もその薬、使ってみたいです」

「真田さん、あなた、文学部よね? 何を育ててるの?」と渋谷が不思議そうに聞く。

「いや、その・・・」と真田がまごつく。


渋谷が思考を巡らす。植物の成長薬を真田がいったい何に・・・。

(鉢植の花でも部屋で育てるのかな? けどあれ、ナメクジが這い出すからなぁ)

そして渋谷は「真田さん、ナメクジとか大丈夫?」


それを聞いて、真鍋と中川は思考を巡らす。何故、ナメクジが・・・。

そして(虫プレイかよ。凶悪過ぎだろ)と脳内で呟く。


そんな彼等に渋谷は「まあいいわ。明日、会わせてあげる」



いつもの時間に野菜園芸部門のプランターの場所。

四人で待っていると、笹尾が来た。

「渋谷さん、今日は友達と一緒なんだね?」と笹尾。

「文芸部の友達と後輩よ。真鍋君と中川君と真田さん」と渋谷は三人を紹介する。

「よろしくお願いします」と言いながら、真鍋は思った。

(そーいや、村上先輩の友達に、居たよな)


「それで成長薬って?」と真田はワクワク顔で尋ねる。

笹尾は小さなプラスチック容器を出して「これだよ」

「どう使うんですか?」と真田。

「根本に垂らすんだ」と笹尾。

「先っぽじゃなくて根本に?」と真田。

笹尾は「先端から直接垂らすと強すぎて枯れてしまうんだ」

真田は「萎むんですか? お婆さんみたいに?」

「まあ、そうだね」と笹尾。


「使ってみていいですか」とワクワク顔の真田。

「どうぞ」と笹尾。

真田はニコニコしているだけの笹尾に、不審顔で「あの、向こう向いててくれませんか」

「何で?」と笹尾。

「だって胸に・・・」と真田。

「畝じゃなくてプランターだけどね」と笹尾。



会話の不自然さに気付いたのは中川だった。

そして中川は笹尾に「ちょっと話が噛み合ってないみたいだけど、これ、豊胸剤?」

「ホウキョウ・・・じゃなくてホウレンソウを育てるんだが」と怪訝顔の笹尾。

真鍋が「会社内でコミュニケーションを円滑にする・・・」

笹尾は「報告連絡相談じゃなくて、そこに生えてる野菜を育てるんだよ」

「つまりおっぱいを大きくする薬というのは誤解だった訳ですね?」と中川が確認した。


残念な空気が場を満たす。

「渋谷さん、これをそんな薬だと思ってたの?」と笹尾。

「真田さん、これをそんな薬だと思ってたの?」と渋谷。

真田は困り顔で「えーっと・・・中川君だって真鍋先輩だって、薬って聞いてシャブ漬けとか媚薬とか言ってたじゃないですか」

笹尾は頭痛顔で「君等、俺を何だと思ってるの?」


とてつもなく残念な空気が場を満たす。

「あの、それでこれって媚薬じゃないんですか?」と真鍋。

笹尾は溜息をついて「そういうのは無いから」



改めて笹尾が栽培実験について説明する。

「この実験では植物の生理活性物質を直接投与するんだが、本当はこれを分泌する微生物を使おうって試みの前段階なんだよ」

「地中微生物ですね?」と中川。

「窒素固定菌みたいな有用微生物として改造したものさ」と笹尾。

「窒素固定菌って豆類に寄生してる、あれですよね?」と真鍋。

「動物にも腸内に生息して、食べた草の炭水化物を蛋白質に変えるってのも居るね」と笹尾。


そして真鍋が「兎の一種にこれを盲腸で飼ってるのが居ましてね。それで蛋白化した腸内物質が大腸に行くんだけど栄養素を吸収するのは小腸だから、吸収されずにウンチとして出ちゃう」

「どうするの?」と渋谷。

真鍋は「出したウンチをまた食べて、それで蛋白質をとる」

「自分のウンチを食べちゃうんだ」と真田は目を丸くする。

真鍋お得意の動物下ネタの炸裂だ。



その時、中川が言った。

「それ、発酵タンクで培養できませんか? 狂牛病騒ぎってありましたよね。あれは、肉牛の処理残滓を粉砕して作る、血骨粉っていう安い蛋白飼料が引き起こしたものですよね。元々牛は草だけで育つんだけど、肉が美味しくなるために大豆や魚粉みたいな蛋白飼料で肥育する。その飼料代でコストが嵩む。草だけで育ててたオーストラリアの牛肉は安いけど売れなかった。イギリスは元々、土地が少なくて農業に不利だったけど、安く作れる血骨粉を開発してアメリカに負けない競争力をつけて農業大国になった。それを世界中が真似た結果、狂牛病が広まった。あれはやり方はまずかったとしても、蛋白飼料を安く作れば農業でも勝てるって教訓なんです。草や木材の成分であるセルローズは炭水化物で、それを窒素固定菌の発酵タンクで蛋白飼料に変えれば、日本の農業は世界で覇権を握れる」

笹尾は言った。

「なるほどね。大量生産に向いて、肉質を良くする蛋白を効率よく作れる菌種を開発すれば・・・。研究してみるよ。凄くやり甲斐のある研究テーマだ」


そんな話で盛り上がる中、渋谷が言った。

「あの、これから、このホウレンソウ、間引きするの。抜いたものは食べられるんだけど、試食してみない?」

「調理室でソティにでも?」と真鍋。

「私、手伝います」と真田が目を輝かせた。



五人で調理室の机を囲む。

小型の器に美味しそうな緑色のソティが湯気を立てている。

フォークで掬って口に入れる。

「どう?」と渋谷。

「美味しいのかな?」と真鍋が首を傾げる。


渋谷は自分で食べてみるが・・・。

「食材としては・・・美味しくないわね」と残念そうに溜息をつく渋谷。

「成長を急ぎすぎて中身がスカスカに・・・」と笹尾。

「農業を変えるって、なかなかうまくいかないなぁ」と中川は溜息をついた。



生化学研ゼミで笹尾の研究発表を報告。

「成長には寄与したけど品質に問題あり・・・か」と湯山教授。

「窒素固定菌で蛋白飼料ってのは面白いアイディアだよね?」と宮田。

「農学部では猛烈に繁殖する昆虫を使った飼料を実験したり、色々なアプローチで試しているよ」と教授。

「けど、草を発酵させて蛋白飼料っていうと、むしろ広い牧草地のある大陸国が有利なんじゃないでしょうか」と芦沼。

「いや、日本は山に入れば森林の下草がある。高温多湿だから下草の増殖する勢いが早いんだ。木材資源も膨大だし。それを刈り取るシステムがあれば、資源量は負けないと思うよ」と村上が言った。

「四足歩行の陸上自立型AIドローンとか?・・・」と笹尾は未来を思い描いた。

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