第244話 はじまりの鼓動
村上と芦沼の、湯山ゼミでの研究テーマは人口子宮だ。
その最大の難関の一つが、胎児の循環系が形成されるまで、いかにして酸素と栄養素の供給を維持するか。
子宮に着床した胎児の基は、胎児の元となる内部細胞塊と、その外側の栄養芽細胞に既に別れている。
その栄養芽細胞から発達する胎盤では、子宮から延びてる毛細血管が胎児側に酸素と栄養を供給する事になるのだが・・・。
胎児側から伸びて、その酸素と栄養を受け取る事になる血管の元は、まだ機能していない。
胎盤からは、へその緒の元になる部分を経て、内部細胞塊から成長した胎児が、羊膜に囲まれて羊水の中に浮かぶ。
とりあえずは、この羊水から浸潤する酸素と栄養素で胎児は生存するが、成長して大きさを増すにつれ、羊水と触れる外側と距離が拡大した胎児の内側の細胞まで、酸素と栄養素が届かなくなる。
「それをどうにかするために、外国の研究では加圧して酸素過多にした羊水で内側の細胞を延命させる事に成功したのよね?」と芦沼。
「けど、それにも限度があるからなぁ」と村上。
「とにかく、生体子宮ではどうやっているのかしら?」
生きた子宮内部で成長中の胎児を観察するが・・・。
「解らん」
そう言って、村上と芦沼は頭を抱える。
「酸素と栄養が届いているのは確かなのよね?」と芦沼。
「浸潤って言ったって、これだけ成長して細胞数が増えるとなぁ」と村上。
成長途上の胎児を見ながら村上は考え込む。
「何か仕組みがある筈なんだよな?」
芦沼は言った。
「そのうち、へその緒の内部はある程度体液が通れるようにはなるのよね」
「心臓が動かない事にはなぁ」と村上。
「未発達でもある程度流れは出来るみたいだけど」と芦沼。
「そこまで保たせるのが一苦労なんだよね」と村上。
「それに体内の血管組織も出来てないとね」と芦沼。
湯山教授に相談する。
「加圧して酸素過多にする事で酸素を供給できるって事は、生体子宮がやってる謎の酸素供給とは別のやり方が可能って事だよね?」と湯山は言う。
「別のやり方・・・かぁ」と村上は呟く。
村上が芦沼と実験をしながら話す。
「例えば、敵が極秘裏に基地を建設したとする」
「何の話?」と、芦沼はきょとんとした顔。
「まあ、聞いてよ。極めて要塞堅固で外は多数の砲を並べている。苦労して撃破するが、なかなか内部にはたどり着けない。それで敵を騙して味方の振りをして潜入したが、そもそも内部への出入口が無かった」と村上。
芦沼は「何? それ」
村上は話を続ける。
「つまり、内外を完全に遮断して、建設資材と指揮機材を最初から用意して基地を建設し、建設スタッフがそのまま基地要員になる。大量の水と食料も確保してね。工事中から一切内外の出入りは不要で、隔離された基地内部だったのさ。で、結局は外の防備を一掃して外側だけ制圧すると、電波発信部を破壊して孤立化させて封じ込めた」
「一応、制圧したのと同じ事にはなるわね?」と芦沼。
「けど、もしこれを攻め落とすとしたら、どうする?」と村上。
「トンネルでも掘る?」と芦沼。
「だよな?」と村上。
そして村上は本題に戻った。
「色々考えたんだが、酸素と栄養が胎児の奥に届かないなら、届けるためのトンネルを作っちゃったらどうかなって?」
「トンネルって?」と芦沼。
「極細のパイプを差し込んで、胎児の中心部に酸素の豊富な液体を注入するんだよ」と村上。
「なるほどね、けどそれで傷つく細胞もあるわよね?」と芦沼が疑問を呈する。
「それは避けられないかも」と村上。
「それで障害が起こるとしたら、完成版には使えないわよね?」と芦沼。
村上は言った。
「そうかもね。けど、例えば着床実験に使うような模擬子宮内膜を張ったチップ型人口子宮で初期胎盤の形成まで行けるとしたら、それを原心臓の完成まで生かして観察する過程で、色々な事が解ると思うよ」
血管完成前の兎の胎児を使って人工子宮実験。
米沢家の寄付で購入した超精密三次元形成装置で作成した極細パイプを、診断装置で状態を観察しながら、胎児の中心部あたりの細胞の隙間にゆっくりと挿入。
限界まで酸素を溶かした溶液をゆっくり注入する。
「加圧が強いと細胞を壊してしまうから、ゆっくりとね」と村上。
「浸潤はしているみたい」と芦沼。
「活かせるかな?」
少しだけ寿命を延ばす事に成功したが、まもなく胎児は死んだ。
村上は「差し込む所を変えてみよう」と言って実験を続ける。
試行錯誤が繰り返された。差し込む所を変え、差し込み方を変え、注入圧を変え、パイプの数も二本、三本と。
次第に生存時間を延ばす。
湯山教授に相談した。
「溶液は何を使ってるのかな?」と湯山。
「羊水ですが」と芦沼。
「なるべく新鮮なものを使った方がいいと思う。採集したら実験まで冷蔵保存しておいた方がいいだろうね」
更に実験を繰り返す。そして・・・。
「少しは良くなったみたい」と芦沼。
村上も「生存時間はけっこう伸びたよね」
千葉に相談する。
「その日数なら、かなり前進したんじゃないかな? へその緒や血管はまだ出来てない?」と千葉。
村上と芦沼は「そういえば」と言って顔を見合わせる。
保管していた胎児遺体サンプルを確認する。
「へその緒、形になってるじゃん」と村上。
「けど、循環出来るのかな?」と芦沼。
「循環系が出来ていなくても、ここから注入する事って出来ない?」と村上。
「注入するのは胎盤の方から・・・だよね?」と芦沼。
生体子宮で成長中の胎児を観察。
それを観察しながら芦沼が言い出した。
「この胎児の背部と腹部が決まるのって、最初に両脇から延びた部分がくっついて筒みたいになるんだよね?」
「その中で消化器系が発達する腹腔になる訳だろ」と村上。
「そういう所からの浸潤ルートって無いのかな?」と芦沼。
今度は村上が言い出す。
「それに、この循環系に発達する前の血管組織の元。その内部に生体液が通りやすいような細胞結合の隙間が出来てるとしたら」
「血管として完成する前から体液の通り道として機能していたのかも」と芦沼が言った。




