第241話 山の景色と筋肉痛
市民登山の企画で、秋葉に連れてこらた村上たちは、麓のキャンプ場で一泊。
翌朝、まだうす暗い中を起床して朝食。
顔を洗い、体調を整える。そしてテントを撤収。
山道を徒歩で登山口へ。
登山口には、かつて修験者が活動した痕跡らしい、いくつかの石仏と祠。そして小さな神社があった痕跡としての石の鳥居。
「行者が修行していたっていう洞窟があるそうよ」と秋葉が言う。
「行ってみたい」と中条。
秋葉は「だいぶ藪の中を歩いて急斜面をよじ登る事になるけど、行く?」
中条は「止めておく」
「行者って、何ていう人?」と芝田。
秋葉は「木喰光行って人でね、木喰ってのは、即身仏になるための修行をしている人の事よ」
村上は「即身仏ってミイラだよね? じゃ、どこかの寺にその人の・・・」
「それが、ここを去った後の記録が無いのよ」と秋葉。
夏合宿で見たミイラを思い出す仲間たち。
そして秋葉は話を続けた。
「そういう人が穴に入って死んだ後、掘り起こされずに朽ちた人も大勢居たみたい。ああいうミイラとして残るのは、後処理とかしっかりやって貰える地位の高い坊さんで、そうでない無名の行者にも、そういう人が居たって事なんだろうね」
綴れ折りの山道を登る。
村上は右手に持ったステッキで足への負担を軽減しつつ、左手に地図を持ってジグザグに折れる山道の曲がり角を数える。
「大丈夫か?」と芝田。
「かなり疲れた」と村上。
芝田は「片手に地図なんて持ってて疲れないのかよ」
村上は「自分がどこに居るのかが解らないと、無限に登りが続くような気がして余計に疲れる」
「いま、どこ歩いているのかな?」と中条。
村上は手に持った地図を見せて「ここだよ」と場所を示す。
「まだこんなにあるのかよ」と芝田。
綴れ折りが終わると急な登りの尾根道だ。
延々と続くかと思える一本道の両側は木々に覆われている。
「ここを登れば緩い尾根道になるぞ」と村上は地図を見て言った。
そして緩い尾根道になるが、その後も、いくつかピークを越える急登がある。
前に居る人達からはかなり離されている。
「芝田は元気そうだな」と村上。
「お前らに合わせて歩いてるからな」と芝田。
村上は「先に行ってもいいぞ・・・ってか、何で内海と松本さんまで。高橋さんと武藤はどうした」
「置いて行かれた」と松本。
「いつもの事だから」と内海。
一番きつそうな中条が「休みたい」と言い出す。
「俺は里子ちゃんと残る。お前らは先に行け」と村上は他の仲間たちに言った。
「無理せずついて来いよ」と芝田は言って、先へと向かう。
「足が痛む?」と村上は中条に訊ねた。
「それより荷物が重いの」と中条。
「ペットボトル、何本持ってきた?」と村上。
「五本」と中条。
村上は「言われたまんま持ってきたのかよ。そりゃ重いわ。俺が二本引き取るよ」
「真言君は何本?」と中条。
「三本持ってきた」と村上は答える。
「それじゃ、真言君が重くなるよ」と中条。
「大丈夫」と村上。
村上はペットボトルを一本出して、道の脇の叢に流す。
「捨てるのは環境汚染になるんじゃ?・・・」と中条が心配さうに聞く。
「真水だよ。雨が降るのと変わらん」と村上。
「それで水がいいって言ったんだ。ごめんね、私のはお茶なの」と中条。
少し休んで荷物を担ぐ。
「まだ重い」と中条。
「ガンガン飲んで減らすしか無いな。それと甘い物を食べた方がいい。疲れがとれる」と村上。
二人は飴玉を舐め、水分を補給した。
急登を終え、木立を抜けて周囲が叢と灌木になる。
ずっと向こうに芝田たちが見える。登りが緩く、しばらく楽に歩ける。
中条が困り顔で「あの、真言君」
「何?」と村上。
中条は頬を赤らめて「おしっこが出そう」
「さっき水分をかなり取ったからな。そこらへんの木陰に入りなよ」と村上。
「環境汚染は?」と中条。
村上は「排泄は動物だってするさ」
隠れるような木陰が無い。灌木の間に入ってしゃがむとようやく下半身が隠れる。
村上は「俺、向こうを向いてるから」
すると中条は「手、握ってて欲しいの、心細いから」
村上の後ろ手を握りながら用を足す中条。
中条は思い出したように「真言君」
「何?」と村上。
「高所恐怖症は大丈夫?」と中条は言った。
村上は「けっこうきつい」
尾根道の両側は既に急峻な崖だ。
ペットボトルは順調に消化し、村上は更に一本の水を流した。双方残り二本。
中条は足の痛みが厳しくなる。
「ステッキ、貸そうか?」と村上。
中条は「うん」と一言。
渡されたステッキで足の負担を軽減しつつ、中条は足を動かす。
ピークを越えるため、二人で岩場をよじ登る。
「どこを掴んだらいいのかな?」と怯え声の中条。
村上は「俺がやるのを真似るといいよ」
「崩れたりしないよね?」と中条。
村上は「しっかりしていそうな所を選んで足をかけるのさ。・・・ここ、崩れたりしないよな?」と言って、自分が踏む足場を確認する。
村上は、なるべく下を見ないようにはするが、中条の様子が気になる。
振り返っては断崖の下が視界に入り、背筋が疼いた。
ピークに着くと芝田と秋葉が居た。
「あなた達を待ってたのよ」と秋葉が中条を見て言う。
「睦月がへばっただけだろ」と芝田。
秋葉は残念そうな声で「ハリセン、持ってくるべきだったかしら」
少し休憩して先を目指す。
次のピークに着いた所で、休憩していた先行グループに追い付いた。
出立すると、すぐ先行グループから離される。
その次のピークで先行グループは昼食を食べていた。
村上たちも昼食用のパンを出す。
パンを食べながら、向かう先の尾根上を見はらす村上。
「あれが頂上かぁ」と村上は呟いた。
「回りの崖が凄いね」と中条。
「山というより巨大な岩だな」と芝田。
遠くに幾つもの山並みのピークが断崖の上に突き出る。そのピークに異様な形の巨大な岩塊が見える。
「あんなのを登るの?」と中条。
秋葉は説明する。
「あそこの登山道は岩の下を通るのよ。あれらの岩はそれぞれ名前がついていてね、あれが猫岩、あれが天狗岩、あれが天女岩」
「天狗とか居たの?」と中条。
秋葉は「そういう伝説があるのよ」と言って、その伝説を語った。
猫岩には化け猫が住んでいたという。
麓で葬式があると、空を飛んで葬式を襲って遺体を浚って食べたという。
困った村人は天狗岩の天狗に祈った。
天狗は一つの条件を吞んだら化け猫を退治するという。そしてその条件が何かは退治が終わったら伝えると。
化け猫を退治すると天狗は、毎年村の娘を一人差し出す事を要求した。差し出さなければ村に災いが起こるという。
何年もの間、村人は娘を差し出したが、耐えかねた村人は天女岩の天女に祈った。
天女は天狗を誘ってその妻となり、天狗を鎮めたという。
昼食を食べ終わり、出立。すぐに引き離された。
村上も秋葉かなり消耗している。中条はやっとの思いで歩いている。芝田でさえ、かなりバテていた。
頂上に登る岩場に取り付く。先頭を芝田。そして秋葉、中条。最後尾に村上。
「もし落ちたら、俺が受け止めてやるから」と村上。
「受け止められるのかよ」と芝田。
「そうならないよう頑張るから」と中条。
頂上はそれなりに広い空間があった。祠と石仏と石碑のようなものが幾つか並んでいる。
山頂の標識の脇に小さな鐘。
「着いたー」と芝田が歓声を上げる。
「回りの景色、凄いね」と中条も嬉しそう。
周囲に広がる山並み。足元の断崖を覆う岩塊。
山並みの下は深い谷間が刻まれ、あちこちで険しい峡谷が顔を覗かせている。
「綺麗だね、山の景色って」と中条。
「これで疲れずに来れたらなぁ」と村上。
「ああいう峡谷も名前とかついているのかな?」と秋葉。
先に着いていた時島は言った。
「見に行ければ景色は最高なんだが、滝とか連続して落ちてて、その滝に阻まれるから上流を見るのは難しいんだよ。沢登りには技術と体力が必要さ」
「ヘリとかで来れないかなぁ」と秋葉。
「一回飛ばすのにいくらかかると思ってるんだよ」と村上。
休憩が終わって下山となる。村上と芝田は盛り上がった。
「後は下りかぁ」と村上。
「今まで散々重力に逆らって、ここまで来たからなぁ」と芝田。
「後は重力に従うのみ」と村上。
「転がっても下に行ける」と芝田。
そんな彼らに時島は言った。
「それは甘いぞ。登山の本当の恐ろしさは、むしろこれからだ」
「どういう意味だ?」と村上。
「行けば解る」と意味深な顔の時島。
下山が始ってまもなく、村上はその意味を知った。
下り坂を踏みしめる彼の足には、重力に従う分の衝撃が一足ごとに加わる。
その負荷はたちまち、きつい筋肉痛となって彼の両脚を襲った。
膝がガクガクとなって思うように動かない。
「どうしよう、真言君、足がよく動かない」と中条が泣き言を言う。
「とにかく頑張るしか無い」と涙目の村上。
「ステッキ、返そうか?」と中条。
村上は「里子ちゃんが使いなよ。多分俺よりきついと思う」
「ごめんね」と中条。
延々と続く下り道。
このまま動けず、ここで行き倒れるのだろうかとすら思いながら、ようやく麓に辿り着いた。
その後一週間、村上は筋肉痛に苦しんだ。




