第225話 お願い中条先生
六月に教育実習がある。
保育士の資格単位授業で、中条は保育所で実習する。
実習先は上坂市内にある上坂保育園。そこでは、保育専門学校を卒業した水沢が働いていた。
実習生としてそこを訪れた中条を見つけた水沢が「中条ちゃん、今日から二週間、一緒だね」とはしゃぐ。
中条も「よろしくね、水沢さん」
そんな様子を見て幼児たちは「小依ちゃんの妹?」「お姉ちゃんじゃない?」と言ってはしゃぐ。
職朝で保育士たちに紹介される中条。その後、園児たちに紹介される。
最初は観察実習だ。
保育士たちが園児の世話をする様子を眺め、気が付いた事を記録する。
次に部分実習。保育士の助手的な形で園児の世話に参加する。
遊び道具の片付け中、泣いている女の子が居た。「大丈夫だよ」と言って抱きしめてあげる。
お昼寝の時間、ぐずる男の子に腕枕してあげる。
三番目に全日実習。
担任保育士の仕事を代行する。
先日泣いていた女の子が、他の子からいじめられていた。
中条は止めに入るが、園児たちが口々に言う。
「だってこいつ、コミュ力が・・・」
「空気読まないの」
「テレビの人が言ってたよ」
その夜、中条は村上に相談した。村上は言った。
「テレビに出てる人・・・って、最近トンデモない事言う奴って多いからなぁ。まあ、誰かが言うからとか、そういう他人を権威化して自分を正当化するってのは、良くない事をやる奴の定番だよね。そういうのをそんな小さいうちから学んで、変な思考パターンが固まるって怖いよね。話すのが苦手な人でも、他に得意な事はあるよ。ボール遊びが得意でも縄跳びは駄目な人が居るようにね」
翌日、中条は園児たちに言った。
「テレビの人が言ってても駄目な事は駄目なの。何がいいかは自分で考えるの。あなただって、悪く言われたら嫌でしょ?」
「先生が言う事でも?」と園児。
「そうだよ」と中条。
子供たちのいじめは収まった・・・が・・・。
まもなく園児たちが保育士に逆らうようになった。
「先生の言う事が聞けないの?」と保育士が園児に言うと・・・。
園児は「先生が言う事でも、駄目な事は駄目って言われたよ。どうするかは自分で決めろって」
保育士が「誰がそんな事を言ったの?」と問う。
「中条先生」と園児。
子供たちが帰宅した後、中条は園長に呼ばれた。
「中条さん。子供の自主性を伸ばしたいという気持ちは解りますが、あまり保育をやりにくくするような事は教えないでくれませんか」と園長。
中条は「ごめんなさい」
その翌日。
他の園児たちが遊ぶ中、いじめられていた女の子は一人でそれを見ていた。
他の子と遊びながら、時々、その子を気にするように見る、一人の男の子が居た。
昼寝の時、中条が腕枕してあげた子で、彼がけしていじめに加わらなかった事を、中条は思い出した。
中条はその男の子に声をかけて「香里ちゃん、一人なんだね?」と言った。
「あいつ、いつもそうだから」と男の子は言った。
「心配だよね?」と中条。
「けど関係無いし」と男の子。
中条は言った。
「先生、みんなくらいの頃、お兄ちゃんが居たの。いつも一緒に居てくれて、大好きだったの。けど交通事故で死んじゃったの」
「先生、悲しかった?」と男の子。
中条は「とっても悲しかったよ。けど、今先生が通ってる学校に、お友達だけどお兄ちゃんみたいに優しくしてくれる人がいて、それで先生は元気になれたの。男の子はね、女の子が泣いている時、お兄ちゃんじゃなくても、優しくしてあげる事はできるの。それってすごく素敵な事だと思うの」
その淳という男児は、やがて香里という女児を気にかけ、一緒に遊ぶようになった。
佐藤と佐竹は高校教諭の資格単位を取得するため、高校での教育実習だ。
佐竹は母校である夏日第二高校で、また佐藤の育った春月市の高校は希望者が多いため、あぶれた佐藤は上坂高校での実習となった。
二人とも社会科で、地理の授業を実習する事になり、それぞれ指導教諭となった社会科教師の説明を聞く。
「地理はあまり知識は無いのですが」と佐竹は指導教諭に不安を訴える。
「変わった事をやる必要は無い。教科書通りにやっていれば大丈夫だ」と指導教諭。
渡された教科書と指導書のページをめくる佐竹。
(これを読むだけでいいのかなぁ?)
教科書を読んで、自分なりに理解してみる。指導書を読んでみたが、あまり参考になりそうにないと感じた。
実習前半は、指導教諭の授業を後ろで眺める。そのやり方を参考に、後半は教壇に立っての実習授業をする事になる。
頭の中で授業をシュミレートし、授業計画を書いて指導教諭に提出する。担当する内容は気候についてだ。
そして始めての実習授業。
教壇に立った佐竹を生徒達は興味津々な顔で見ている。
その興味の対象は授業内容ではなく、佐竹本人に向けられているのは佐竹にも解った。
教室の後ろでは、指導教諭が椅子に座って実習生の授業を観察する。
大気循環の仕組みを説明する佐竹。黒板に地球の図を描き、太陽光の方向を示す線を描く。
「このように太陽光線が正面から当たる赤道では熱せられて熱く、太陽光線が素通りする極では寒くなる。君たちは理科で習ったと思うが、対流というのは憶えているかな?」と佐竹。
生徒の一人を指名して対流による水の流れを答えさせる。
「では、地球の大気中で赤道で温まった空気と極で冷えた空気はどう動くかな?」
そう言って、黒板に書かれた地球の図に、赤道で上昇する流れと極で下降する流れを描かせる。
「つまり、大気中でこれと同じ事が起こるんだ。そしてこのように、赤道の空気は上空で広がって極に近い高緯度方向へ、高緯度の空気は地表に降りて赤道側へと流れて、地球規模の大気の流れを作る。そういう大気の流れを元にして、この図のように、赤道低圧帯、亜熱帯高圧帯、亜寒帯低圧帯、極高圧帯を作り出して、大気は高圧帯から低圧帯へと流れる」と佐竹は説明した。
その時、一人の女生徒が質問に立った。
「赤道で上昇した空気は上空で、極まで行かずに緯度30度の亜熱帯高圧帯で下降するんですよね? けど、そこって寒い訳じゃないですよね? どうしてそこが高圧帯になるんですか? それにもっと高緯度になった所で、暑くもないのに亜寒帯低圧帯になって上昇するのも変だと思うんですけど」
「・・・」
指導教諭は後ろで笑って見ていた。
佐竹は焦った。(確かにそうだよな。何でだろう)
知らないとは言えない。何しろ、これからプロになるのだ。だが、どうやって誤魔化す?
佐竹は言った。
「それは複雑な大自然の仕組みって奴さ。今日は時間が無いので次の授業で説明するよ」
「まだ始まったばかりですよ」と不審顔の生徒。
「諸般の事情って奴だ」と佐竹。
生徒は「もしかして、知らない?」
佐竹は焦り顔で「しし知ってるぞ、先生だからな。ただ、俺は実習生で練習のためにやってるから、授業計画ってのがあって、それに沿って授業をしなきゃ駄目なんだよ」
「つまり見栄を張った訳だ」
その夜、佐竹は村上に電話をかけ、電話に出た村上に事情を話すと、村上は笑ってそう言った。
「仕方ないだろ。教科書どころか指導書にも書いてないんだぞ」と佐竹。
村上は「指導教諭は何と?」
「これも経験だから自分で調べろって。それでネットで調べても解らないし、片っ端から電話かけても聞いても誰も知らない。中条さんに聞いたら、村上なら知ってるかも・・・って言われてさ」と佐竹。
すると村上は「実は俺も高校の時、先生に聞いたんだよ。そしたら先生、知らないから調べてくるって、一週間かけて調べてきた」
「で、結論は?」と佐竹が問うと・・・。
村上は説明した。
「対流で・・・ってのは南北方向の風の話だが、東西方向に吹く風もあっただろ?」
「貿易風と偏西風だよな?」と佐竹。
「それは逆向きに吹いてるだろ? で、緯度30度あたりの所が境目になるよな? つまりそれが空気の壁みたいになって、赤道上空から来た風が遮られて降りて来る。それが亜熱帯高圧帯だ。そこから低空で広がって高緯度に行った気流は、極から来た気流とぶつかって、押し上げられて亜寒帯低圧帯になる」と村上。
佐竹は「じゃ、貿易風と偏西風は何で吹いてるんだ? あれは対流じゃないよな?」
村上は「地球の自転だよ。自転ってのは地面が東に向かって動くから、自動車の窓から顔を出せば前から風が来ると同じ事が起こるのさ」
「それが赤道で吹いてる貿易風か。けど、おかしくないか? 自転はどこでも同じ方向に動いてるのに、何で高緯度だと逆向きの偏西風になる?」と佐竹。
「移動速度の問題だよ。大気だって動いているが、赤道では地面より遅い」と村上。
「その差が貿易風になる訳か」と佐竹。
「何せ一周四万kmを24時間で動くからな。けど高緯度になるとその一周が短くなる。何せ移動距離ってのは緯度線の長さで、緯度90度の極では移動距離がゼロだ。それで移動速度がゆっくりになって大気が地面を追い越す。これが偏西風だ」と村上。
なるほど・・・と納得した佐竹は、さらに「普通の先生ってそういう事を知らないのかな?」
「先生だって何でも知ってる訳じゃないから、知らない人も居るよ。それをどう誤魔化すかが、プロとしての腕の見せ所じゃないのか?」と村上。
佐竹は「いいのか? それで・・・」
翌日の授業。
再び佐竹は教壇に立つ。そして、満を持して生徒達に向き合った。
再び黒板に地球の図を描く。
「先ず、昨日質問のあった件について答えるとしよう。その前に、大気大循環についておさらいだ。南北方向の風は、高温な赤道低圧帯のように大気の上昇する所に向かって吹いた筈だが、その原理は何だったかな?」
何人かの生徒を指名して質問するが、生徒は「忘れました」
仕方ないので、再度説明する。
「で、昨日はどんな質問だったかな?」と佐竹は生徒たちに問いかける。
何人かの生徒を指名して質問するが、生徒は「忘れました」
質問した本人も含めて、誰も憶えていなかった。
仕方ないので、先日の質問内容について説明し、その答えについて説明する。
説明しながら佐竹は心の中で思った。
(いいのか? これで・・・)




