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おどり場の中条さん  作者: 只野透四郎
220/343

第220話 残念旅館へようこそ

五月の連休に向けて、文芸部の新歓合宿を計画する部員たち。

「どこの温泉に行こうかしら」と部長の秋葉。

「温泉前提なのな」と芝田が笑う。

「当然でしょ? 部長就任時の公約だもの」

「自分の趣味で好き勝手やるぞ・・・ってのを公約とは言わないけどね」と村上も笑う。



その時、戸が開いて、一人の訪問者が・・・。

「秋葉さん、居るかな?」と彼らに声をかけたのは経済学部の栃尾だ。

秋葉が「あら、栃尾君」

「秋葉部長のお友達ですか?」と真田。

「経済学部の人よ。秋葉さんの取り巻きの一人」と戸田が解説。

栃尾は「取り巻きって」と困り顔。


秋葉は「もしかして文芸部に入部したいのかしら?」と言って、笑いながら迎え入れる。

「じゃなくて、ここで新歓合宿をやるって聞いたんで、良かったらうちの実家の旅館でどうかな?・・・って思って」と栃尾は言った。

「安くしてくれる?」と秋葉。


栃尾は言った。

「親と相談するよ。それと、出来れば温泉旅館としての評価を聞かせて欲しい。かなり続いてる旅館なんだけど、評判が良く無くて経営も悪化して、多分何か問題があると思うんだ。自分の所だと客観的な評価が出来ないからね」



栃尾の実家の旅館での新歓合宿。住田は就活と卒論の準備のため欠席。

春月市から南に二時間ほどの秋海市内の農村地帯にある。

河川を遡った山間部際。かつて何件かあった温泉旅館の生き残りだ。


古びた木造家屋二階建。古い旅館建築で歴史的価値があるという。

「改築とかしてないから古い姿を残しているんだそうだ」と、入口の所で部員たちに説明する栃尾。

「そういうのをちゃんと残しているんだね?」と森沢が言うと・・・。

「改築するお金が無いだけなんですが」

身も蓋も無い事を言う栃尾。


栃尾の両親が出てきて挨拶する。

「こんな大勢で来ていただけるなんて何年ぶりかしら」と栃尾母。

「よろしくお願いしますね」と森沢顧問。



栃尾が温泉街を案内する。

「どう見ても普通の農村だな」と村上。

「お土産屋・・・の類は無いよね?」と秋葉。

「源泉はあるよ」と栃尾は言って、その場所に案内した。


神社の境内にコンクリの小さな建物を前に、栃尾が説明する。

「ここから汲み出してるんだ。使ってるのはうちだけさ。時々掃除するだけで、殆んど放置状態だけどね」

「温泉の守り神的なものってあるの?」と桜木。

「薬師堂はあったけど、壊れて仏像は拝殿に置いてある」と栃尾。



旅館に戻る。とりあえず部屋に案内される。

「それなりに広いね。見栄えも悪くない」と桜木。

「けど、何だか埃っぽくない?」と秋葉。


「掃除は使う部屋を家族でやってるよ。それに、ほら。ちゃんと綺麗だ」

そう言って栃尾は、障子の桟を指でなぞって見せた。

そして「埃とかついてないでしょ?」


「もしかして、そういう所を重点的に掃除してる?」と秋葉。

「嫁姑ドラマとかが参考じゃないよね?」と村上。



次は温泉だ。

浴場の前に何台かのゲーム機。

「スペースプレデターじゃん。まだ動いてるのが・・・って故障中かよ」

そう言ってがっかりする芝田。


部員たちは気を取り直して「とにかく温泉に入ろうよ」

男湯・女湯に分かれて脱衣場に入り、衣服を脱いで、浴室へ。


「ちゃんと温泉してるね」と戸田。

「泡のお風呂があるよ」と渋谷がはしゃぐ。

モニカは「これがジャパニーズ温泉のОМОTENASIですか? 素晴らしいです」

「けど泡、出ないよ」と根本。


「男湯の方はどう?」と秋葉が仕切りの向こうの男子たちに声をかける。

「こっちも故障中だ」と芝田。

「修理するお金が無くてね」と栃尾が説明する。

「ゲーム機は?」と芝田。

「基盤とかもう作ってないから、修理は無理だって言われたよ」と栃尾が説明する。

芝田は「片付けたらどうよ」と言うが・・・。

「あると、珍しがって、来てくれる人が居たもんだから・・・」と栃尾。

村上が「もしかして、観光案内ブログとかにゲーム機や泡風呂を?」

「載せてるけど」と栃尾。

「期待させてがっかりさせたらマイナスが大きいと思うよ」と芝田は言って溜息をついた。



夕食となり、料理が出される。

「まともだよね」と桜木。

「お客って全然来ないんですか?」と秋葉は栃尾母に訊ねた。

「来ない訳じゃないんですが」と栃尾母。

秋葉は「帳簿を見せて貰えますか?」


帳簿をチェックすると、秋葉は溜息をついて、言った。

「やっぱり・・・。料理のコストが高過ぎるんだ」


秋葉は自分のお膳に並ぶ料理を一口食べると、栃尾母に言った。

「これ、スーパーの調理済み総菜ですよね?」

「それで赤字が・・・」と村上。


「もしかして源さんに何かあった?」と栃尾は親に問い質す。

「腰痛でとうとう動けなくなったんだよ」と栃尾父。

「源さんって、調理人?」と秋葉。

「そうなんだけど、かなり年だからなぁ」と栃尾。

「新しい調理人を雇ったらどうですか?」と芝田。

「それは出来ません」と栃尾父はきっぱりと言った。

「源さんは親父たちの恩人なんだよ」と栃尾は秋葉たちに説明した。



奥の家族居住区画の畳の部屋で、源さんは横になっていた。


栃尾父が彼らに事情を話した。

「私は幼い頃、両親を亡くしましてね。従業員を連れた慰安旅行のバスの事故でした。ただ一人生き残った源さんが、私と、死んだ従業員の子供で行き場の無かった妻を引き取って、この旅館を一人で切り盛りしながら、私たちを育ててくれたんです。そのために婚期も逃して。だから源さんは家族以上の存在です」


源さんは弱弱しい声で「旦那さん、もう私を自由に貰えませんか?」

栃尾母は源さんの手を握って「行く所、無いじゃない」と涙ながらに・・・。

「親方の意思を継いで守ってきたこの旅館を、私のせいで駄目には出来ません」と源さん。

「俺たちは源さんのおかげでここまで来れたんだ」と栃尾父。

「幼かった私たちの面倒まで見てくれて、料理も教えてくれて」と栃尾母。



その時、村上が「ちょっと待って。料理って?・・・」

「お袋の家庭料理は絶品だぞ」と栃尾は胸を張った。

全員唖然。


「だったら奥さんの料理を出せば?・・・」と桜木。

栃尾母は「それが駄目なんです」

「何故?」と桜木。

「私、調理師免許を持ってません」と栃尾母。


部員たちは一様に思った。

(何かが変だ)



そんな彼らを他所に、栃尾は母親に言った。

「いっそお袋、専門学校通えよ」

「専門学校だって学費は大学並みにかかるんだよ」と栃尾母。

「俺、中退するよ。浮いた学費で行けるだろ?」と栃尾。

彼の両親は口を揃えて「せっかく二年頑張ったのに、そんな事・・・」


「ちょっと待てよ。武藤、これから免許取るんだよな?」と芝田が村上に言った。

「お友達ですか?」と栃尾母。

「蕎麦屋の跡取りで、今年専門学校を出て、免許を取るために家で修行を続けているんです」と村上。

「専門学校って調理の?」と栃尾。

「いえ。スポーツ専門学校」と村上。


「スポーツの専門学校でも調理師免許って取れるのかな?」と栃尾父。

「とれるんじゃない? よく聞くでしょ? お相撲さんが引退してチャンコ鍋屋さん開くって」と栃尾母。

「あれは違うと思う」と、両親の間抜けな会話に栃尾が口を挟む。



秋葉が本人に電話する。

「もしもし」と武藤の声。

「武藤君よね? 聞きたい事があるんだけど、調理師免許って、どうやって取るの?」と秋葉。

武藤は「免許持ってる調理師の居る飲食店とかで二年間経験積んで、調理師から証明書貰って、試験を受けるんだよ」



「・・・って事だそうです」

そう言って、電話を切った後、武藤から聞いた話を栃尾両親に説明する秋葉。

「つまり源さんの元で二年修行すれば試験を受けて資格を取れると・・・」と栃尾母。

「けど、源さんはもう動けないからなぁ」と栃尾父。


それを聞いた源さんは「あと二年、石に齧りついてでも調理場に・・・、痛たたたたたた」

無理に起き上がろうとして、腰の痛みに呻く源さん。

「無理しちゃ駄目だよ」と栃尾が源さんを布団に寝かせる。


そんな彼らを見て村上が芝田に言った。

「なあ、工学部にパワーアシストスーツがあったよな?」

「あれはメンテナンスが大変だぞ」と芝田。

「いっそ二年助手として働いた事にして源さんが証明書書いたらどう?」と戸田が言う。

「そんなお客様を騙すような真似は出来ません」と栃尾父。



その時、村上が思いついたように言った。

「ちょっと待て。武藤って調理場で料理作って無かったか?」

「確認しよう」と仲間たち。



再び秋葉が武藤に電話。

「もしもし」と武藤の声。

「武藤君、確認したいんだけど、武藤君ってお店で調理してたよね?」と秋葉。

武藤は「しなかったら経験積めないだろ?」

秋葉は「もしかして、調理師が監督していれば、免許が無くても料理に参加できるの?」

「当たり前だろ。調理スタッフでバイトする奴だって居るんだからな」と武藤。



「・・・って事だそうです」

そう言って、電話を切った後、武藤から聞いた話を栃尾両親に説明する秋葉。

「よーするに調理場に簡易ベットでも持ち込んで源さんが指図すりゃいいんじゃないか」と一同口を揃えた。



一件落着。

栃尾の家族に笑顔が戻る。

肩の荷が下りた気分でわいわいやる部員たち。


「解って見れば簡単な話だよね?」と中条。

「滅茶苦茶間抜けな事で悩んでいた気がするが」と村上が言った。

「ともかく、これでこの旅館は安心だろ。大仕事が終わったって訳だ」と芝田。

「ハッピーエンドは気持ちがいいね」と森沢顧問。

「何か忘れてる気がするんだが・・・」と桜木。



その時、鈴木が「あの、そろそろ論評会を・・・」

森沢が「これ、合宿だったんじゃないか!」

「先生も忘れてたんですか?」と渋谷があきれ顔で言った。



夕食を片付けて論評会。

先ず、中川の農業評論。渋谷と真鍋の厳しい突っ込みが入る。

「専門知識のある奴がいると突っ込み方が違うね」と村上が笑う。

「俺たちって相当ぬるま湯だったんだなぁ」と芝田。


真田は思った。

(評論って大変なんだな。私、小説で良かった)

次に、真田の恋愛小説。桜木・戸田・根本から厳しい突っ込みが入る。

こんな筈じゃないといった表情の真田。

「まあ、元々文芸部は小説が本流だからね」と森沢が笑った。



モニカの政治評論を終えて、上級生の番になる。

秋葉が言った。

「私、方向転換しようと思うんです。ウーマニズムは底が浅いから、批判対象としても飽きまして」

「何をやるんだい?」と森沢。

「旅行記をやろうかと。温泉巡りは好きですし、観光戦略を勉強するにもいいかと思いまして」と秋葉。


森沢は語った。

「それはいいね。いろんな人がブログで旅先で見たものや体験した事を紹介しているのがネットにあるよね? いくつか類型があって、普通に時系列を追って紹介する旅行記型が基本だが、その発展形として、温泉とか景色とか食べ物とか何かテーマを中心に記述するのがテーマ型、旅行先の街やエリアについて理解を深めて貰うための解説を中心としたのがガイド型だ。観光の性格を帯びたものになる。その他文学型とか学術型とかいうのもあるけどね」

「青湯温泉で、地図を間違えて遭難しそうになったもんね」と村上。

「その話はもう終わりにしてよ」と秋葉は口を尖らす。


秋葉の旅行記は青湯温泉に行った時のものだった。

「けっきょく、ここかよ」と芝田。

「だって楽しかったんだもん」と秋葉。

「俺たちを散々引っ張り回したもんな」と村上。

秋葉は「あれはわざとじゃないから」と言って頭を掻いた。



次に、芝田のアニメ評論。ラブコメ作品の批評だ。


子供の時にデブな自分を苛めた幼馴染の女の子に、高校生になって再会する主人公。体を鍛え、ファッションとモテ術を磨いて最高のハイスペ男になって幼馴染を惚れさせ、見返してやる事を考えて生きて来た。だが、その幼馴染は性格最悪の学園アイドルお嬢様になっていた。


芝田が語った。

「何だこいつらは・・・って話でさ、ヒロインは告って来る男に暴言浴びせるような女だぞ。普通はあんなの嫌われるだけだろ。それが学校中の男子の憧れの的で、告って玉砕する馬鹿が次から次へ」


「あの主人公の行動ってヒロインに苛められた仕返しで、惚れさせたら振ってやろうって意図なんだよね?」と戸田。

「そのために大嫌いな相手に必死に媚びて機嫌取って。こんな苦行が恋愛で、機嫌取るのが仕返しかよ・・・って痛々し過ぎ」と芝田。

「要するに難攻不落だから落とし甲斐が・・・ってゲーム感覚なんですよね?」と真鍋。

「スペックの高い低いのヒエラルキー競うのが恋愛って、空し過ぎだろ」と芝田。

「で、そのスペックに性格が入って無いのな」と村上。

「けどこれって、そういう恋愛を拗らせた世界を滑稽に描いて笑わせようってギャグなんですよね? 正直痛々し過ぎて笑えないんだけど」と鈴木。


「結局、拗らせてああなるってのは、あそこまで拗らせないにしても、そういう価値観の上に立った恋愛認識ってのが前提にある訳で、それ自体が痛々しいんだよ」と桜木。

「恋愛をゲームとして勝ち負け競うような、そういう恋愛を描いたのって多いよね」と森沢。

「恋愛ってか人間関係全般含めてだけどね」と村上。

「本当の日本人の恋愛って、ああいうのとは違うんですよね?」とモニカ。

「けど、そういうのに引っ張られてる奴は居るよね? 男も女も」と桜木。

「そういうイメージで、やる気無くす奴も居る訳さ」と村上。


「別の作品なんだが、プライド過剰なお嬢様とイケメン秀才がお互いにライバル視して、相手に惚れさせようと必死に駆け引きしながら本音で惹かれ合う・・・ってのがあるよね」と芝田。

「あれはそういう痛々しさを、いい意味で自覚して笑わせようとしてるよね?」と村上。

「見る側が呆れる前に作品が、これは痛々しいですよって、ちゃんと演出してるんだね。キャラが痛々しいのと作品自体が痛々しいのは違うから」と森沢。

「どちらにせよ、そんな恋愛は嫌だ」と桜木。

「けど恋愛って、男がしつこくアプローチする痛々しい努力の総量を認めてもらおうとするものじゃないのかな? それで女は、それだけの努力を注ぎ込んで貰える価値が自分にはあるんだ・・・って満足感と、それを許して受け入れてあげるんだって優越感を得る・・・って」と根本。

「そんなの期待する女は嫌だ」と桜木がバッサリ。



夜が更けて、そろそろ寝ようという事になる。学生用の部屋は三つ。


「三つ目は死人部屋って事ですか?」と中川が聞いた。

「睦月さん情報ね? それデマだから」と村上。

「私、何も言ってないけど」と秋葉が口を尖らせる。

すると中条が「私が去年はそんな話があったって言ったのを誤解させちゃったみたい」


秋葉が「三年生は男女一緒で、一・二年生は?・・・」

村上がモニカをちらっと見て「男女別で良くない?」

「あの、先輩たちって・・・」とモニカが不審顔で尋ねる。

三年生は口を揃えて「野暮な事は言いっこ無し」



結局、下級生は男女別の部屋になる。

男子部屋では真鍋の動物下ネタで盛り上がり、女子部屋では恋バナで盛り上がる。


「三年生の人達って、どうして男女一緒なんですか?」とモニカが二年生に訊ねる。

「3P4P当たり前って言ってたよね?」と根本が笑って言う。

「3P4Pって何ですか?」とモニカ。

「つまり仲良しって事よ」と渋谷。

「それは良い事だと思います」とモニカ。

「モニカさん、意味解ってないでしょ?」と根本が言って笑った。


明かりを消して寝落ちした後、モニカが目を覚ました時、3人の女子部員は部屋から消えていた。



翌朝、モニカが廊下に出て顔を洗っていると、他の一年二年の男女が男子部屋から出て来る。

「皆さん、夕べはどこに?」とモニカが不審顔で尋ねる。

六人の男女は口を揃えて「野暮な事は言いっこ無し」

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