第209話 未来への覚悟
後援会会長の米沢老が県立大を視察。これに随伴した娘の米沢と渡辺・矢吹は、教授たちと懇談する米沢老と別れて、経済学部学生との懇談。
だが、まもなく米沢は懇談から席を外し、別の対談の場へと向かった。
その頃、米沢老は理学部に居た。
そこで米沢老と対面しているのは湯山教授と村上。
米沢老は言った。
「実は、とある団体から、この大学への援助について、物言いが入ってね」
「ここでやっている人工子宮の研究についてですね?」と湯山教授が言った。
米沢老は「その意義は十分理解しているつもりだ。だから、傘下の米上製薬の開発事業を後押しし、そのスタッフを核に、この度、本格的な研究所を設立しようと計画している。人間の人工出産も視野に入れた設備を整えるつもりだ。それを中止しろと反対団体が要求している。それについて君達の意見を聞きたい」
湯山教授は力説した。
出産率の減少に悩む人類にとって、経済の限界に直面した日本にとって、出産の痛みに耐えてきた女性にとって、いかにその実現が急務であるかを。
「なるほどね、だが、彼女達が言っている生命の尊厳とやらについて、どう思う? 彼女達は人工子宮はそれを認めない、踏み躙るのだと言うのだが」と米沢老。
湯山は困惑した表情で「私は科学者ですから、そういう事は専門外でして・・・」
「村上君はどう思う?」と米沢老。
「俺、そのために呼ばれたんですか?」と村上。
「実はこれを読んでね」と米沢老は一冊の冊子を出した。
「去年のコミケで売っていた本ですね?」と村上。
「ここに書かれた"正義の偽物"のかなりの部分は彼女達の事だと推察するが?」と米沢老。
村上は語り始めた。
「要するに神学論争と同じ事だと思います。神なんて実在しない。それを実在する事にするために、何を神と呼ぶかという話になる。それで宇宙そのものが神だ、とか言ったりするけど、宇宙には聖書が語るような、誰かを愛したり憎んだりする独自の意思は無い。つまり意味が無いんです。尊厳とは何かを、あの人達自身は示せないですよね? 尊厳というのは、自らを理性で認識し、それによって行動し主張するから意味があるんです」
「つまり、実在するかどうかというより、意味があるかどうか・・・という訳か」と米沢老。
「意思の無い存在の何を尊厳と言うのか、何故それが尊厳なのか・・・という論理自体が無いです。"生命の素晴らしさ"とか言いますが、イメージで美化して権威化して他人を威嚇しているだけです。意思の無い存在の、存在しない意思の代弁者を気取って、その権威を嵩に着ているだけなんです」と村上。
それに対して米沢老は言った。
「なるほどな。ただ、個を認識する理性を持たないというなら、知能的な疾患でその能力を欠いた人間、或いは事故や病気で意識を持てない植物人間には、尊厳を認めないのか? と彼らは言うかも知れない。そう言われたらどう答えるかね?」
村上は「それは可能性として、疾患から回復し理性を持つ事も有り得る、という将来の可能性。もしくは過去に理性を有し尊厳を示したという事実、として尊厳を認めるべき・・・という事ではないのでしょうか?」
米沢老は深く溜息をつき、そして笑顔で言った。
「よく解った。私は君たちが正しいと思う。何か私にして欲しい事はあるかね?」
湯山教授は「欲しい設備があります。かなり高額ですが」
「言ってみなさい」と米沢老。
「生体内の生理物質を分析し特定分離する超精密解析機、初期の極小な胎児を扱う超精密マニュピレータ―、処置する道具や人工臓器代替物を作る超精密三次元形成装置、それに臓器内の生体を細胞レベルの三次元画像で観察する診断観察装置・・・それがあれば、研究は進むのですが」と湯山。
「解った。手配しよう」と米沢老。
湯山は「ありがとうございます」と言って頭を下げた。
その頃、経済学部学生との談話を中断した米沢は、別室で芦沼と対面していた。
「今、父は湯山教授と話しているわ。今後、人工子宮への援助を続けるかどうかを巡ってね」と米沢。
「それはどうも」と芦沼。
「あなたの悲願なんでしょ?」と米沢。
「そうですね。けど、そのために誰かに縋ろうとは思わないわ」と、事も無げに言う芦沼。
米沢は「そうかしら。あなたが味方を増やすために、女の武器を使ってるって言ってる人も居るけど」
「米沢さんにもそう見える?」と芦沼。
「私はあなたを知らないもの」と米沢。
芦沼は「ああいう事を言う人をどう言うか知ってる? 下種って言うのよ」と言って鼻で笑った。
米沢は笑って言った。
「私もそう思うわ。けど、あなた自身はどうなのかしら?」
「好意を持てる人と気持ちいい事をしたい。それだけよ。その好意を持つの基準が甘いのかも知れないわね。けど、それって悪い事?」と芦沼。
「悪いとは思わないけど、生殖を担う女の本能として、どうなの?」と米沢。
「私、不妊手術を受けたの」と芦沼。
「知ってるわよ。人工子宮を完成させる、妨害を排除する決意を示す、女としての背水の陣だというんでしょ?」
米沢はそう言って芦沼を見る。自らの願いを信念とし、それに殉ずる者の眼だ。それに自分と似たものを感じ、彼女は言った。
「私、好きな人が居るの」
「あの渡辺って人?」と芦沼。
「そうよ。私、彼の子供を産むわ。もし彼が私を選んでくれなくてもね。何人でも。けど、仮に人工子宮が今すぐ完成するとしても、それを使うつもりは無いの。私はちゃんと自分のお腹で彼の子供を産みたいの」
芦沼は「解るわ。けどそれはあなた自身の気持ちよね。けど、米沢家の立場って、この地域の、社会全体を担うものじゃないのかしら。全ての人の望みを背負うべく生まれたあなたが、自分の気持ちだけ考えていいの?」
「なるほどね、けどあなたが、自分のお腹で産んでみたいと思わないのは、そう思わせてくれる男性が今まで居なかったから、じゃないのかしら?」と米沢。
芦沼は語った。
「産んでみたいと思わなくもないけどね、けど、好きな男性って、一緒にその子を育てる相手だと思うわよ。子供を妊娠し出産する時って、それを愛しいと思わせるオキシトシンというホルモンが出るのよね。だからその子を愛しいと思う。けど、自分のお腹で産まなくても、弟が生まれた時、すごく愛しいと思ったの」
「つまり、子供を一緒に育ててくれる人なら誰でも、って事?」
そう意地悪そうな目で言う米沢に、芦沼は言う。
「誰でもって訳じゃないけどね」
「理想の男性とか、そういう事は考えないの?」と米沢。
「強いて言えば、生物的に父親としての遺伝的繋がりが無くても、私の子なら自分の子として愛してくれる、そういう人かしら」と芦沼。
米沢は「それって村上君の事?」
「彼ならそうしてくれるでしようね。けど村上君には中条さんが居るから」と芦沼。
米沢は言った。
「もしあなたが本当に村上君が欲しいなら、中条さんを引き離して、村上君をあなたにあげる事だって出来るわよ」
「もしかしたら、中条さんは抵抗しないかもね。けど、村上君はそんな事で彼女を手放したりしない。そんな事をしても村上君は私のものになんてならない。だから今みたいな友達で十分。あなたにだって、あの矢吹って人なら、あなたと一緒に渡辺君の子供を育ててくれるんじゃないかしら?」と芦沼は言った。
米沢は「そうね。もう一つ聞きたいけど」
「何かしら」と芦沼。
「あなたは多分、人工子宮で生まれる子供の最初の母親になりたいのよね?」と米沢。
「そのつもりよ」と芦沼。
米沢は最後の問いを芦沼にぶつけた。
「そういう、人類にとって経験の無い事で、どんな不具合が生じるか解らないわよね? それで、障害を持った子供を持つ可能性って無いのかしら?」
「それは有り得ると思うわよ。けど、障害を持つ子供を持つのは不幸かしら?」と平然と答える芦沼。
「・・・」
呆気にとられる米沢を前に、芦沼は語った。
「片腕が無いとか片足が無いとか何だっていうの? その子は誰にも出来なかった事を成し遂げた中から生まれた子よ。既に大きなものを背負って生まれて来るの。神ではなく人自身の手で作ったシステムで人が生まれるという、新しい世界の第一歩なの。月に初めて踏み出した一歩は、重い宇宙服で拘束されていたわ。それに比べたら片足が無いくらい、何だって言うの? そんな子供を育てた人は歴史上いくらだって居るのよ。誰一人できなかった事を成し遂げる私たちに、それが出来ない筈は無いと思わない?」
すっきりしたような笑顔で米沢は言った。
「よく解ったわ。私、懇談会に戻るわね」
「経済学部の人たちね」と芦沼。
「みんな熱心で素敵な人ばかりなの。どんなふうに話が進んでいるか、楽しみだわ」と米沢。
「渡辺君の件、頑張ってね」と笑顔で見送る芦沼。
米沢は「あなたも研究、頑張ってね」と答えた。
部屋を出ると係員が控えている。
係員の後ろを、胸を躍らせて懇談の部屋へ歩く米沢。
そして懇談会の部屋のドアが開く。
「ごめんなさいね、談話を続けましょう」と言いかけた米沢は唖然。
さっきとは打って変わって、部屋はガラガラだ。大勢居た筈の学生は、秋葉・津川・渡辺・矢吹を除くと三人ほどしか居ない。
米沢は言った。
「・・・って皆さん、どこに行ったのかしら?」




