第202話 男の傷女の傷
国立大の法学部の学生が来校する。
知的所有権に関する工学部との合同セミナーのためで、特に周辺国による産業スパイへの対策が主題となる。
講師は春月国立大法学部知的所有権問題研究室の練馬教授。
工学部で芝田たちは参加者の名簿を見ながら噂した。
「鹿島って奴は、あそこにも出入りしてるんだよな?」と刈部が言った。
「鹿島ともう一人、お前らの同級生が居るよな?」と榊。
「こいつの事か?」と芝田。
鹿島の他に学生が何人か来るという、その名簿の中に佐川が居た。
「撃沈王ってのはそいつの事だろ? クラスの女子全員に告って振られたっていう」と小宮。
「それ、デマだから。本当はいじめられた女子を庇って裏切られたんだよ」と芝田。
「それって・・・」と泉野。
芝田は「泉野さん、どうした?」
「いや、何でもない」と泉野。
最初ぼーっとしていた泉野は、途中からその会話が耳に入り、胸がざわついた。
重苦しい気分とともに、泉野の脳裏に高校時代の辛い記憶が蘇る。
泉野が高校の頃、地味なオタクだった彼女は、クラスの中心グループの女子にいじめの標的にされた。
そんな泉野を庇った男子が居た。彼の名は細川。
だが、激しく逆ギレるイジメ女子たちに泉野は味方し、"細川は自分の体を狙っているのだ"と彼の悪口を言った。
いじめの標的は細川に移り、彼は登校できなくなって転校した。
その功績により泉野は中心グループに入れてもらったが、実態はバシリでいじられ役だった。
やがて彼女等は泉野に金を要求するようになり、以前より酷いいじめに発展し、ついには彼女自身学校に来れなくなった。
そんな過去の自分と関わった細川という男子と、芝田が言った男子学生のイメージが泉野の脳裏で重なる。そして思った。
(きっと細川君のことだ。どうしよう)
とても合わせる顔が無いと、泉野は思った。
仲間たちに「あのさ、セミナー、絶対出なきゃ駄目かな?」と問う泉野。
榊は「出席時数に加算されるからなぁ。泉野さん、足りなくなりそうなんでしょ?」
泉野は心の中で呟いた。
(どうしよう。そうだ、私だと気付かれなきゃいいんだ。変装すれば・・・)
泉野は帰宅すると、家の自室で鏡と睨めっこ。
(変装だったら眼鏡と髪型・・・って眼鏡もう、かけてるじゃん。眼鏡を変えよう。後は髪型・・・)
街に買い物に出かけ、変装用の眼鏡とカツラを物色する。そして通販のカタログと睨めっこ。
当日。
その日の一時間目からセミナーだ。工学部の学生達が大講義室に集まる。
仲間たちは泉野を見て唖然とした。
「泉野さん、どうしたの、それ」と刈部。
「イメチェンよ。自分を変えたいの」と泉野。
「何かのアニメキャラの真似?」と芝田。
前髪をオールバックにして短い三つ編を四本。二本は左右斜め下に突き出し、二本は斜め上に向かって逆立っている。
「ほら、私って地味なイメージだったでしょ?」と泉野
「まあ、いいんだけど、その眼鏡って」と小宮。
泉野は「だからイメチェン」
「それ、パーティグッズだよね? いわゆる鼻眼鏡って奴」と小宮。
「いいじゃない、個性の時代よ」と泉野。
そんな事をやっているうちに、国立大の学生が到着。
「よお、鹿島に佐川」と芝田が声をかける。
「久しぶりだな、芝田」と佐川が右手を上げた。
小宮が佐川に「君が撃沈王か?」
「それ、デマなんだが」と佐川。
「そのデマを言い出したのはお前自身だろ」と芝田が笑う。
佐川は「いじめられた女子を庇って裏切られるなんて悲しい体験、そうそう語れるかよ」と言って笑った。
鹿島は「よくある事なんだがな」
会話を聞いて泉野、唖然。
(細川君じゃなかったんだ)と心の中で呟く。
佐川は不思議そうな表情で泉野を見て「そっちの仮装女子も芝田の仲間か?」
「イメチェンだそうだ」と芝田が笑う。
佐川は泉野に「よく解らんが、よろしく。芝田の高校の仲間で佐川だ」
泉野は芝田に「あれって芝田君のクラスメートの事だったの?」
「そう言ってたじゃん。話半分しか聞いてなかったでしょ?」
泉野は自分の勘違いが馬鹿馬鹿しくなって鼻眼鏡を外し、カツラを外した。
その時、佐川と鹿島は遅れて入ってきた上級生を見つけて、手を振って声をかけた。
「細川先輩、こっち、空いてますよ」
そう呼びかけられた上級生は、元の姿に戻った泉野と目が合う。一瞬泉野は凍り付き、次の瞬間鼻眼鏡をかけてカツラをかぶる。
細川は不思議そうな顔で「泉野さんだよね? どうしたの?」
泉野は冷や汗を流しながら「ワタシイズミノチガイマス、ジョセフィーヌイイマス」
仲間は唖然とした顔で「泉野さん、何言ってんだ?」
細川はそんな泉野を見て頭を掻くと「初めまして、泉野さん」
そして講師が入室した。
気まずい気分で講義を聞く泉野。ちらちらと細川を見る。
そして思った。(何で初対面のフリなんて)
一時間半続く講義の中、練馬教授は語る。
「スパイと言えば変装して現地で活動というイメージがあるが、大抵は表立って動くのは、現地で味方につけたエージェントだ。そういうのを本国から来て操るのがスパイだね。彼らは他国に顔が割れている可能性が高いので、整形手術を受けたりする。眼鏡をかけて髪型を変えれば・・・なんてのは漫画の中だけの話で、漫画では仮装みたいな変装で笑いをとったりするよね?」
休憩時間。
芝田や佐川達は飲み物を買いに出る。
重苦しい気分に耐えられなくなった泉野は、素知らぬ顔の細川に話しかけた。
「細川君、何で何も言わないの? 私の事、恨んでるよね?」
「恨み言でも言って欲しい?」と細川。
泉野は「その方がよっぽど気が楽よ」
細川は語った。
「俺も、転校した頃はね。けど後で噂で聞いたんだ。泉野さん、結局学校に来れなくなって引き籠ったんでしょ?」
「ざまーみろって訳よね?」と泉野。
「そう、泉野さんの中の泉野さんが言ってるの? そんなの痛々し過ぎるよ。悪いのは、いじめたあいつらだろ」と細川。
だが、泉野はそれに反論した。
「違うよ。高校生はそういう人間関係の中で標的にならないように、うまく空気読んで人間関係操って支配する側に立つ、そういうゲームなの。そういうゲームに負けた敗者なのよ。私もあなたもね」
「そういうルールだって言ってる訳? そんなルール、誰が決めたんだよ」と溜息混じりの細川。
「その場に居るみんなが決めたのよ」と泉野。
「俺達もその"みんな"に入るんだよね? けど、そんなのに賛成した覚えも説明受けた覚えも無いぞ。本当のルールは、誰もが対等な存在で、嫌がらせは拒絶できるって事だろ。イジメゲームに負けた奴は勝った奴に支配されろなんて、ルールでも何でもない!」と細川。
「だったら私なんて無視すれば良かったじゃん!」
そう叫ぶ涙目の泉野を見て、細川は溜息をついた。
そして細川は「そうだね。俺、帰るよ」
「単位はどうするのよ」と泉野。
「俺、出席時数足りてるから」と細川は言って、鞄を持って席を立った。
佐川と芝田達が戻って来た。
「細川さん、どうしたのかな?」と佐川。
「帰ったわよ。出席時数足りてるからって」と泉野。
佐川が言った。
「泉野さん、細川さんと何かあった?」
「あんな奴、知らない」と泉野。
佐川は「もしかして、細川さんが高校の頃庇った女子って泉野さん?」
「そうよ。私って最低よね」と泉野。
それを聞いて佐川の顔色が変わった。そして佐川が言った。
「どういう意味で最低なのかな?」
「自分を庇ってくれた恩を仇で返して。私みたいな敗者なんて庇ったりしなきゃ良かったのに」と泉野。
「いじめはルールのあるゲームだとでも?」と佐川。
「その通りでしょ?」と泉野。
佐川は溜息をついた。そして言った。
「それ聞いて細川さんが怒ったのはね、彼が泉野さんの味方でいたかったからでしょ? そしてその理屈こそが泉野さんを苦しめた敵だからじゃないの? 学校だろうがどこだろうが、そんな勝ち負けだの支配権だのを決めるゲームの場では断じて無いだろ!」
「じゃ、誰が悪いの? 私をいじめたあいつらだって、その勝ち負けルールに従っただけなのよ」
話を聞いていた芝田が溜息をついて言った。
「悪いのは、その勝ち負けルールそのものじゃないのかな? みんなを脅して従わせて、みんなは戦々恐々と・・・。誰も従わなければ何の力も無い、ただの張り子の虎なのに」
休憩時間が終わって講義が再開された。そしてその日の授業が終わる。
刈部が心配顔で言った。
「泉野さん、明日も学校に来るよね?」
「私がまた引き籠るとでも?」と泉野。
「前科があるんでしょ?」と刈部。
翌日、登校してきた泉野は芝田に聞いた。
「佐川って人も女の子庇って裏切られたのよね? どんなだったの?」
芝田は高校時代に聞いた佐川の話を語った。
「佐川が庇った子は奴と付き合った人でね、イジメグループとやり合って、いじめ側は手を焼いて、奴と別れたらいじめを止めるって持ちかけたそうだ。それでいじめ側はレイプ疑惑でっち上げて学校側に潰させようとしたんだけど、それがデマだって証拠突き付けて、いじめ側は退学したんだとさ」
「私も細川君の彼女にでもなれば良かったのかな?」と泉野が問う。それに対して芝田は言った。
「佐川、撃沈王とか言ってたでしょ? 高校でも、いじめられかけてた子が居たんだよ。その子を庇った時、自分がいじめられた話をしたんだよね。けど、本当の事を話すと、自分と付き合えば助けてやるみたいな話と誤解されると思って、作り話で誤魔化したんだよ。助けられてそんな気持ちになる子も居るだろうけど、細川って人もそんなの期待してなかったと思うよ」
泉野は哀しそうな顔で、芝田の話を聞いた。
数日後、泉野は国立大へ行き、細川と再会した。
泉野が言った。
「私、間違っていたと思う。けど、どうすれば良かったのかな?」
「泉野さん、僕等をいじめたあいつらがどうなったか、知ってる?」と細川。
「どうなったの?」と泉野。
「泉野さんが引き籠った後、新しい標的が抵抗してね、発覚して、奴等、退学になったんだよ」
泉野は俯いて「そうだったんだ」と一言。
泉野は、それまで自分が抱えていたモヤモヤが、すーっと消えていくのを感じた。それは加害者が報いを受けた・・・という復讐心の充足なのだろうか。
だとしたら・・・それを痛々しいと感じつつ、自分はそういう女なのだと・・・。
彼女はそれを否定したいと思った。だが、そうではない正解って何だろう・・・。
「細川君、佐川って人が昔同じ事やったって知ってる?」と泉野が訊ねた。
「知ってるよ。似たような経験があったから、気が合って仲間やってる訳だからね」と細川。
「彼の元カノみたいに、私が細川君の彼女になりたいって言ったら、どうした?」と泉野。
細川は「遠慮したと思うよ。それに今、彼女居るし。昔、いじめに遭った事のある子でね」
泉野は思った。自分は嫌われて当然な女なのだろう。庇ってもらう資格なんか無い。
それでもいい。だから、本当の答えが欲しい・・・。
そんな想いで泉野は言った。
「あのね、あいつらが退学になったって聞いて、正直嬉しかった。これって復讐心なんだよね? 私ってそういう奴だよね?」
「違うと思うよ」と細川。
「じゃ、何なのかな?」と泉野。
細川は言った。
「それは、泉野さんが、いじめはスポーツなんかじゃなくて犯罪だって、ちゃんと納得できた時、解ると思うよ」
その後少しだけ会話を続け、泉野は席を立った。
「私、帰るね」と泉野。
「大丈夫?」と細川。
泉野は「平気よ。何だかすっきりしちゃった。ありがとう、細川君」
泉野は別れを告げると、後ろを向いて歩き出す。
細川も席を立って、後ろを向いて歩き出した。
だが泉野は数歩歩くと、立ち止まって振り返る。去って行く細川の姿を見て、熱いものがこみ上げて来るのを感じた。
泉野は駆け出し、細川の背中を抱きしめる
細川は背中に感じた体温に戸惑い、「泉野さん?」と・・・。
泉野は細川の背中に顔を埋めて言った。
「ごめんね。一分だけこうさせて。終わったら二度と細川君の前に姿を見せないから」




