第200話 禁断の秘薬
生化学研究室に賊が入った。
学校側では、警察に通報するかどうかで揉めた。犯人は経済学部の生徒だという。
結局、湯山教授に一任され、村上の勧めで判断の参考にと、反人工子宮派の騒ぎで活躍した鹿島に連絡をとった。
「背後に反人工子宮派が居る可能性がありますね」と鹿島は言う。
「そうであれば警察に・・・」と鮫島助手。
だが鹿島は「政治圧力で闇に、の可能性もあるからなぁ」
黙秘を続ける犯人に鹿島が尋問する。
「何が目的だ?」と鹿島。
犯人は「何も言う事は無い、さっさと警察に突き出せ」
鹿島は鮫島助手に訊ねた。
「防音設備のある所はありませんか?」
鹿島はそこに彼を押し込んで尋問を開始。五分で片付いた。
尋問した結果を報告する鹿島。
湯山教授と鮫島助手、そして村上ら数人の学生が話を聞く。
「薬品が目当ての窃盗目的だったらしい」と鹿島。
「薬品ってどんな?」と蟹森。
「ある種の性ホルモンが惚れ薬として使えると小耳に挟んだらしい」と鹿島。
「要するに、好きな子に一服盛ろうって訳だ」と笹尾。
「男って最低」と江口。
芦沼が「好きな子ってどんな子なの?」
鹿島は「秋葉さんだよ。経済学部二年の寺田って人。経営技術研で秋葉さんと一緒に居る人達の一人だよ」
文芸部室で秋葉にその話をする。
「あの寺田君が? けっこう可愛い子なんだけどなぁ」
秋葉はそう言うと、少し考え、そして悪戯っぽい目で言った。
「真言君、ものは相談なんだけど・・・」
研究室のソファーで、村上と鮫島を前に、恐縮し切った表情の寺田。
「俺、睦月さんの友達なんだが」と村上。
「知ってます。村上さんですよね?」と寺田。
「あの人が好きなの?」と村上。
寺田は「はい」と一言。
鮫島が言った。
「君が盗もうとしたのがどんなものか知ってる?」
寺田は「少しは。テストテトロンって言うんですよね?」
「そう、基本は男性に多く出て、性欲を促す。女性にもある程度出て性欲を高める周期がある。けどね、かなり危険な代物だって知ってる?」と鮫島。
「毒性ですか?」と寺田。
鮫島は深刻そうな声で「相手に・・・というより、飲ませた自分に」
「どういう事ですか?」と寺田。
「攻撃性が高まる。目の前に居る君に何するか・・・」と鮫島。
「俺、秋葉さんになら、何をされてもいい」と寺田は、思い詰めた表情で言った。
「下手すりゃ、殺されるかもだよ」
そんな物騒な事を言う鮫島に、だが寺田は真剣な眼で語る。
「こんな気持ちを抱えて諦めるくらいなら。それに人って、いつかは死にますよね? それが秋葉さんの手にかかって・・・ってんなら、俺は本望です」
鮫島は溜息をついて「そこまでの覚悟があるなら、告白でも何でもすればいいだろ?」
寺田は「俺みたいなのが下手に告っても、気持ち悪いって不快にさせるだけです」
「なら、使ってみるかい?」と鮫島。
「え?」
鮫島は「学校は今回の事は通報しない方針だそうだ。けど、このままの気持ちでまた同じ行動に・・・ってなったら洒落にならないからね。自分の身で結果を受け止める覚悟があるなら、って事さ。お勧めはしないけどね」
「やらせて下さい」と寺田は言った。
研究室で事件の後処理を終える。
そして寺田は秋葉を誘った。経済学部棟の空いている小会議室。
秋葉は訊ねる。
「詳しくは知らないけど、理学部で何かやらかしたんだって? 真言君、やたら面白がって、何も教えてくれないのよ」
「いろんな方面から口止めされてるんだよ」と寺田。
「ヒントだけでも」と秋葉。
水筒を出してコップにお茶を注ぐ寺田。気候はかなり寒くなっている。
「お茶を飲んで温まりながら話そう」と寺田。
秋葉のコップに、そっと数滴の液体を垂らす。
そして秋葉がそれを飲んだ事を確認する。会話を続けて数分。
「何だか熱くなってきたわね」
そう言う秋葉の息が荒くなる。
そして秋葉は「ねえ、寺田君って、もしかして私の事、好きなの?」
「好きだけどさ、秋葉さんには彼氏が居るでしょ?」と寺田は言いながら秋葉を見つめる。
「知ってる? 女性に生涯何人の異性とセックスするのが理想かってアンケートすると、平均で五人って出るんだそうよ」
そう言って、机の対面に居た秋葉は、寺田の隣に移動する。
「私とエッチ、してみる?」と秋葉は目を潤ませる。
寺田は高まる動悸に耐えながら「秋葉さんさえ良ければ」
声の上ずる寺田の股間にそっと手を伸ばしながら秋葉は言った。
「寺田君のここ、いじめてあげようか?」
「うん」
秋葉は寺田に身を寄せ、そっと服を脱ぎ始めた。
そして秋葉は「寺田君も脱いでよ」
震える手でズボンを脱ぐ寺田。
秋葉はスカートを脱ぎ、上着を脱ぎ、シャツを脱ぎ、素肌に身に付けていたのは、黒のラバーのボンテージスーツ。
潤んだ目で寺田を見つめて秋葉はささやいた。
「いっぱい虐めてあげるね」
秋葉が右手に持った鞭が空を切って唸りを上げた。
部屋の中から「失礼しましたぁ」と声が響いて、ズボンとシャツを抱えた寺田が部屋から飛び出し、脱兎のごとく逃げた。
翌日、寺田は憂鬱な気分で一時間目の講義室に入る。
そして(秋葉さんにどんな顔を見せたらいいんだろう)と心の中で呟いた。
その秋葉は既に来ていて、寺田を見て、意味ありげな笑みを浮かべながら手を振った。
ほっとして手を振る寺田。
講義が終わると秋葉は彼を誘って講義室を出た。
そして、悪戯っぽい目で寺田の顔を覗き込んで、言った。
「寺田君、昨日、私に一服盛ったでしょ?」
「あの・・・」と口ごもる寺田。
「ああいう効果の出る薬物なんだよね? で、エッチな事をさせようとした訳だ」と秋葉。
「ごめんなさい。つい、出来心で」と寺田、平謝り。
秋葉は楽しそうに「寺田君が女の子落とすのに媚薬なんて使う人だとは思わなかったなぁ」と楽しそうに追及する。
「勘弁してよ。結局何もしなかったでしょ?」と寺田。
「けど、放っておくと、他の子が被害受けちゃうかもなぁ。誰かに相談しないとなぁ」と秋葉。
寺田は「勘弁してよ。何でも言う事聞くから」
「それじゃ、当面保護観察って事ね」と秋葉は言って、寺田の左手を掴んだ。
楽しそうに笑う秋葉。
それから寺田は秋葉の都合の良い下僕状態に陥った。
授業が終わると、あちこち連れ回されて食事や酒を奢らされる。買い物に付き合わされる。
授業で出ていた大掛かりなレポート課題の手伝いを要求される。寺田のアパートでレポート対策。
村上のアパートで、そんな秋葉の話題が出る。
「最近、睦月さん、来ないね」と中条。
「都合のいい下僕を手に入れたからな」と村上。
「理学部に忍び込んだっていう人?」と中条。
「ご愁傷様だな」と芝田。
村上と芝田は笑いながら噂に花を咲かせた。
寺田のアパートではレポートのための資料の山を横目に、秋葉と寺田が一息ついていた。
秋葉は大きく伸びをしながら「レポート、終わったね」
「そうだね」と、いささかげんなり顔の寺田。
寺田は思った。
いいように自分を弄んだこの人は、だが、自分があんなやり方でものにしようとした人でもあるのだ。
この状況って、いったい何なのだろう。
「秋葉さん、楽しい?」と寺田は訊ねる。
秋葉は「楽しいわよ。寺田君は私と居て楽しくない?」
楽しいのだろうか・・・と寺田は自問する。自分はこの人が好きだった筈だ。
「寺田君、私のこと、好きなんだよね?」と秋葉。
「好きって、どういう事だと思う?」と寺田。
「その人と居て楽しかったって思い出が、好きって気持ちの基だって、友達が言ってた」と秋葉は答えた。
そう言うと秋葉は、何かに気付いたような気がして、少しだけ哀しそうに目を伏せる。
そんな秋葉を他所に寺田は「友達って、あの村上って人?」
「そうだよ」
そう言うと、秋葉は遠い所を見るような目で、話を続けた。
「私、寺田君が何でも言う事聞いてくれて、すごく楽しかった。けど寺田君は嫌だったよね? 脅されて、殆ど下僕扱いだものね。けど、女は男を下僕にしたいの。だって女は目の前の男の胤を貰って子を産んで育てる生き物だもの。それって凄く大変なの。だから、して欲しい事を何でもしてくれる男が欲しいの。凄く迷惑だよね?」
「それは・・・」と寺田は口ごもる。
「昔の人はモテる男の条件はまめな奴だって言ったそうね。まめに女の面倒を見る・・・って」と秋葉。
寺田は思った。そうやってヤリチンは女を落とすのだ。けれどそれには技術が必要なのだろう。
自分が下手にそれを真似ようとしても、警戒されるだけ・・・。それが恋愛というものなのだと。
だから自分はあんな薬を求めたのだ。
自分自身に確認するように、寺田は言った。
「俺、秋葉さんと居て楽しかった」
「そう思う?」と秋葉。
「嫌々やってたつもりだったけど、今思うと、嫌な気がしない」と寺田。
「いじめられて喜ぶ体質になっちゃった?」と言って秋葉は笑った。
「それは困るな」と言って寺田も笑った。
「それじゃ、別れなくちゃね」と秋葉はぽつり。
寺田は少しだけ笑って「まるで今まで、付き合ってたみたいな言い方だな」
「私の女王様ごっこに付き合ってくれてたでしょ?」と秋葉も少しだけ笑う。
「そうなるのかな?」と寺田。
秋葉は言った。
「ごめんね、寺田君、薬の事は絶対誰にも言わないから」
そんな秋葉の傍らの居場所を失うのを、急に寂しいと感じて、寺田は言った。
「俺、これからも秋葉さんが女王様でいいよ」
秋葉は「駄目よ。女が男に世話を求めるのが本能なように、男が女を世話するのは本能なのかも知れない。けどそれって、男に無理をさせて潰してしまうよ。だから寺田君は、無理をさせない優しい女と結ばれるのが幸せなの」
秋葉は寺田の頬を両手で掴んで唇を重ねた。
「ありがとう、寺田君、また遊ぼうね」と秋葉。
「そうだね」と寺田。
秋葉はアパートの玄関に立ってドアノブを握った。何かが彼女を引き留める。
立ち尽くす彼女に、寺田は怪訝そうに声をかける。
「秋葉さん?」
秋葉は振り向き、彼に笑顔を向けて言った。
「そうだ。約束があったね?」
「約束って?」
そう言う寺田の所に戻って、秋葉は彼の股間に触れる。そして言った。
「寺田君のここを苛めてあげる、って約束」
「え?・・・」
秋葉は彼を押し倒すと、ポケットの中から避妊具をとった。
行為を終えて秋葉がアパートを去った後、寺田は彼女が残した笑顔と感触を反芻していた。
そして、自分が一人でも生きていけるだけの思い出を、彼女が残してくれたのだと・・・。
秋葉はそのまま村上のアパートへ行った。
「ただいま」と精一杯のテンションで秋葉は秘密基地のドアを開ける。
「下僕君はどうした?」と芝田。
「別れてきたわよ」と秋葉。
「楽しかった?」と村上。
秋葉は「すっごく」と・・・。
明るくふるまう秋葉を見て、村上は言った。
「睦月さん。何か無理してない?」
「そう見える?」と秋葉。
三人、顔を見合わせる。そんな彼らに秋葉は言った。
「もしそう見えるんなら、真言君か拓真君、どっちか私の下僕になってよ」
村上と芝田は声を揃えて「お断りだ」
翌日、寺田は生化学研に行き、鮫島助手に言った。
「相談があるんですが」
「またあの薬が欲しいとか?」と鮫島。
「駄目ですか?」
鮫島は言った。
「駄目に決まってるよ。人間の精神に影響する薬って、普通にドラッグだから。人間止めますかって代物だよ。簡単に素人に渡せる訳が無いだろ」
寺田は訳が分からない・・・といった表情で「けど、この間は・・・」
「あれはただのビタミン剤だよ」と涼しい顔で鮫島が言った。
「へ?・・・」
寺田唖然。
「だってあれ飲んで秋葉さん・・・」と寺田は口ごもる。
「あんなの芝居に決まってるじゃん。変だと思わなかった? 服脱いだらボンテージスーツとか、いくら秋葉さんだって、普段からあんなの着てる訳無いでしょ?」と言って鮫島は笑った。




