第189話 合宿桃源郷
九月前半、斎藤の教員採用試験の二次が終わった。
そんな中、住田が「夏合宿をやるぞ」と言い出した。
「どんな所ですか?」と戸田。
「温泉ですよね?」と秋葉。
「温泉なんだがな、限界集落で老夫婦が趣味でやっている温泉民宿だ」と住田が言った。
森沢顧問は原稿の催促で缶詰中。
住田の車が先導し、部員達が分乗した秋葉と真鍋の車が山中の道を走る。
住田の車には斎藤・桜木・戸田が同乗。
桜木が「だいぶ山奥なんですか?」と尋ねる。
「桃源郷みたいな所らしい」と住田。
「廃村じゃないんですよね?」と戸田。
「実質、人が住んでるのはその一軒だけどね」と住田。
山道のすぐ下を川が流れている。それほど大きな川ではない
「桃源郷って、こんな川を桃が流れて来るんですよね?」と桜木。
「その桃を切って食べようとすると、中から赤ん坊が出て来るのよね」と戸田。
斎藤が「桃太郎じゃないから。桃源郷は中国の話よ」と笑った。
やがて山道が谷あいを抜ける。
夏が終わったばかりの青空の下、開けた視界に広がる限界集落の中の古そうな茅葺民家。
商売っ気の感じられない老夫婦。本業は農業で、浴室は大き目のが一つ。
かつて少しだけ知られた温泉が廃絶した後、使われなくなった源泉を譲られてお湯を引いているという。
荷物を置いて一息つき、少し早い昼食を食べる。
一休みすると、住田が言った。
「歩いて文学碑を見に行くぞ」
すると渋谷が「あの、私、別行動でいいですか?」
渋谷が宿の老婆に申し出る。
「農作業、手伝いたいんですけど、いいですか?」
老婆は「おやまぁ、何でまた」
「私、大学で農学部に居まして、農作業が好きなんです」と渋谷。
他の10人が宿を後にし、渋谷と真鍋が畑作業を手伝う。
「何ともお似合いなカップルさんだねぇ」と老婆は笑う。
真鍋は「いや、カップルという訳では無いんですが」
「こんな夫婦が居てくれたら、この村も安泰なんだがねぇ」と宿の老人が笑う。
「この人には別に彼氏が居ますんで」と真鍋。
老婆は「彼氏さんもしっかりした人で、彼女さん、きっと幸せになると思うよ」
真鍋は困り顔で「俺の話、聞いてます?」
すると渋谷は「真鍋君、もしかして、私の彼だと思われるの、そんなに嫌?」
「そんな事無いから、俺、渋谷さんの事好きだし・・・って今のは違うから」
そう言って慌てる真鍋を見て渋谷はクスクス笑う。
一方の10人は住田が先導して山道を歩く。
所々で道が平な石によって固められている。
村上は「こんな所で岩盤が出てるんですか?」
住田が「人工的に敷いた石畳だよ。ここは古い街道なんだ」と解説。
峠に着くと、古い石祠と風化した石地蔵、そして石碑のようなものがある。
文字を刻んだ石碑の脇に、地蔵ではない何かの像。
「馬頭観音だな。馬の守り神さ」と住田が解説。
「怖そうな神様ですね」と中条。
すると芝田が「魔物が来ると、罵倒してダメージ与える訳か。ラップでやってる"子供の口喧嘩バトル"の昔版かな?」
周囲のみんなが唖然。残念な空気が流れる。
「あのさ、芝田。森沢先生が居ないからって、別にオヤジギャグ要員やらなくていいから」と村上が笑って言った。
「いや、違うのか?」と芝田は怪訝顔。
住田は像の台座を指さして「だってここに書いてあるだろ」
「馬頭・・・って馬の頭かよ!」と芝田。
「馬の守り神って言ったろーが」と住田。
反対側にも、いくつかの碑。
崩し字で書いてあり、読めない。それを住田がいくつか読むと、どれも俳句だ。
「江戸時代に、ここを何人もの俳人が通ったんだよ」と住田が解説。
「芭蕉とか?」と根本。
住田は「彼の碑もあるよ」
「芭蕉も通ったんですか?」と戸田。
「通ってはいない。江戸時代後期の人が彼を偲んで建てたんだよ」
「なーんだ、偽物ですか」と戸田が発言すると、桜木が彼女を窘めて言った。
「戸田さんってば」
斎藤は爆笑して言った。
「あなた達にはそう見えるかもね」
宿に戻ると、老夫婦とともに渋谷と真鍋が出迎える。
「トマト、貰ったんだ。みんなで食べようよ」
赤く熟れたトマトを切って山盛りにした大皿をみんなで囲む。
「甘いね」言いながら嬉しそうにトマトを齧る中条。
宿の人がスイカを切って持ってくる。
そして「これも食べて下さい」と・・・。
根本が渋谷と真鍋に峠での事を話す。
渋谷はそれを聞くと、しばらく目を閉じ、そして歌を詠んだ。
「古道で 己が足にて 地を渡り 時を渡りて 古人に触れる」
夕方になり、入浴しようという話になる。
「入る時間を区切ってお入り下さい」と宿の人。
「何時まで入れますか?」と住田が訊ねる。
宿の人は笑って「他にお湯を使う所も無いんで、かけ流しですから何時でも入れますよ。男性時間と女性時間と混浴時間、お好きに決めて頂ければ」
戸田は戸惑い顔で「混浴時間って?・・・」
「真言君、拓真君、一緒に入ろうよ」と秋葉が意味ありげな笑顔で言う。
「あの・・・」と中条が何か言いかける。
秋葉は笑って「里子ちゃんも入る?」
中条は嬉しそうに「うん。桜木君も・・・」
戸田は「桜木君はこっち」と牽制。
すると根本が「私も桜木先輩と入りたい」
戸田が「桜木君は私と」
「3人で入ればいいんじゃないかな」と鈴木が笑って言った。
桜木・戸田・根本・鈴木の四人で浴槽に浸かる。
「何で俺まで」と困惑顔の鈴木。
桜木は笑って「成り行きって奴だ」
「けど、これ、どうやって誤魔化すんですか?」と鈴木。
桜木は笑って「ただの生理現象だから気にするな・・・だそうだ」
向こうでは戸田と根本が何やら揉めている。
「根本さん、胸くらい隠しなさいよ」と戸田が言う。
「戸田先輩こそ」と根本が言う。
戸田は桜木の所に来て、これ見よがしに彼の右腕を掴む。
根本は負けずに桜木の左腕を掴む。
赤面してその場から距離を取ろうとする鈴木の左手を根本が掴んで、言った。
「鈴木君はどう思う? 私と戸田先輩とどっちが綺麗?」
桜木たちが風呂から上がる。次は住田たちの番だ。
「何で俺たちも4人?」と困惑顔で浴槽に浸かる真鍋。
「時間の短縮だ」と住田が笑う。
真鍋は「住田さんと斎藤さんは解りますけどね」
斎藤は「住田君は女性の裸は見慣れてるから、いきなり欲情はしないわよ」
「渋谷さんはいいの?」と真鍋。
渋谷は「私も見慣れてるもの。中川君と一緒に入って」
「見る方より見られる事の問題だと思うけど」と真鍋は困惑顔。
「胸もタオルで隠してるし」と渋谷。
「けど斎藤先輩は胸は隠さないんですか?」と真鍋。
斎藤は「まあ、私くらいになるとね」
真鍋はしゅんとなって「結局、慣れてないのは俺だけか」
「また中川君連れて3人で温泉に行かない?」と渋谷が笑った。
住田たちが上がり、村上達が入る。
湯舟の中で寄り添う4人。
「温泉っていいね」と中条。
「けど、普通のお湯と違うのかな?」と村上。
「こういうのは気分の問題だろ?」と芝田。
「それにお湯の肌触りとか匂いとか」と秋葉。
すると村上が「スーパーで売ってる入浴剤と違うのかな?」
「真言君はどんなお湯に入るかより、誰と入るか、でしょ?」と秋葉が返す。
村上は「そういう話をしてるんじゃないと思うが」
「気にするな。睦月は単に、言い返せなくなって話題を変えてるだけだ」と芝田が笑った。




