第186話 斎藤vs櫛木、宿命の決着
コミケの季節となり、恒例行事としてこれに参加した文芸部。
新入生たちと一緒に、上坂高校漫研の卒業生の居る美術大のブースに行った後、一年生と別れた村上達三人は芝田の居るコンピュータ研のブースに向かった。
芝田と刈部がモニターでデモを動かしている。
芝田が「来たか、村上」
「これが作画コンピュータか?」と村上。
芝田は得意顔で「あんな風にしてキャラクターを作るんだよ」
刈部がデモ映像を説明する。
「アニメキャラの顔とか体って、基準線を元に作画するんだよ。基準線は円と直線の集まりだから、3Dのワイヤーフレームで立体的に設定できるのさ」
「つまり、三次元をベースに二次元をデザインすると」と村上。
「っていうか、二次元ベースと三次元ベースを連動させるのさ。それと、デザインの原型がいくつかあるんだが、その原型の基準線を動かす事で、どんどん別人の顔になると」と刈部。
「体の表現もリアルだね」と中条。
「3D空間では三次元マウス使って動かすからね」と刈部。
「線描きもやりやすそう」と秋葉。
そこを出た村上たちが文芸部のブースに戻って、しばらくすると一年生たちも戻った。
根本が不平を言う。
「こいつら、私達が見てる前で、平気でエロ同人誌買うんですよ。もう最低」
昼食で各自が持ち寄った弁当を広げる。
秋葉の重箱弁当は相変わらず豪華だ。そして渋谷も重箱弁当を開けた。
「女子力で睦月さんに対抗する気?」と村上が笑う。
開けると、野菜の天ぷらに野菜の漬物に蒸野菜。
「野菜の美味しさを生かした料理を勉強してるんです」と渋谷。
「それって女子力って言うのかな?」と言う根本の弁当は、おかず入れに卵焼きにピーマンの肉詰め。
「女子ってすぐ、そういうのを競争したがるのな」と村上が笑う。
だが桜木は「けどそれ、コンビニで買った総菜だろ?」と指摘した。
「何で解るんですか?」と残念そうに言う根本。
桜木が自分の用意したおかずを出す。コンビニで買ったままのパック入りの卵焼きにピーマンの肉詰め。
「渋谷さんのは生産者としての自負心だよ、立派だと思う」と言った真鍋のおかず入れには、鳥のから揚げにハンバーグに豚肉の串焼き。
渋谷は「真鍋君のは酪農家の自負心よね」
午後、男子部員が時々姿を消す。
村上が留守の時、一人の留学生が村上の本を手に取り、しばらく読んでから買った。内容は昨年の本の続編だ。
「作者の方は居ますか?」と尋ねる留学生。
「生憎、席を外してまして」と、留守番をしていた鈴木。
残念そうな表情で留学生がそれを買って去った後、鈴木は斎藤に言った。
「あの人、外国人ですね?」
斎藤は「ヒノデ国の留学生ね。あの国は隣にダイケー国という仲の悪い国があってね、村上君が正義の偽物だっていろいろ批判してたでしょ? あれ、かなりの部分がダイケー国の事よ」
留学生が立ち去ってまもなく村上が戻る。
「さっき、村上さんの本が売れました」と鈴木が村上に言った。
村上は「そうか。去年は三冊しか売れなかったからなぁ」
その時、別の客が来た。
「こんにちは」
「いらっしゃい、見ていって下さい」と鈴木。
客は村上の本を手に取ってしばらく読む。
「これを書いたのは?」と客が問う。
「俺です」と村上。
「俺は国立大の土方っていうが、うちのコンピュータ研に来て欲しい。君に見て欲しいものがあるんだ」と客は名乗って、村上に同行を求めた。
村上が国立大コンピュータ研のブースに行くと、見知った顔が居た。
「佐川じゃん」と村上。
「村上もエロ同人誌買いに来たのか?」と佐川。
「いや、違うから、俺は・・・」と村上が言うのを遮って、佐川は続けた。
「知ってるよ。文芸部に入ったんだろ? 読んだぞ。正義の偽物」
「お前なぁ。それでお前は何で居るんだ? 柄にも無くパソコンマニアに宗旨替えか?」と村上。
すると佐川は「俺もプロジェクトに呼ばれたのさ。まあ、見て行けよ」
ブースを見ると、同人ゲームばかりでは無く、様々な実用的ツールが並んでいる」
村上は「レベルが違いますね。ところで、見て欲しいものって?」
「これだよ。論理解析支援システム。君の本は読ませてもらったけど、いろんな人達の言い分を対比して矛盾を指摘しているね。実に興味深く読ませて貰ったよ」と土方。
「どうも」と村上。
土方は説明を続けた。
「それでね。議論で双方が主張する事って、細かい主張の組み合わせだからね。いろんな論点を出して、自分の主張の根拠にしたり、相手の主張を否定する根拠にする。そういう多数の論点が各人の発言の中に組み込まれて、主張の論理を構成するんだが、そういう発言を延々とやり取りする中で、相手の論点をスルーしたり、論理が飛躍して、根拠と称する事柄が実は論理的根拠にならなかったり、意味の無い話を混ぜたり、否定された筈の話を繰り返したり、証明する論理の無い主張をしれっと押し出したり、そういうのが、昨今のいろんな場所での議論を、議論でない単なる言い張り合いに変えてしまうんだよね」
「解ります。それをコンピュータでどうにかしようという訳ですね?」と村上。
「双方が主張する論理がどうなっているかの整理がついていなくて、傍で聞いてる人も、下手すると主張してる本人にも解らないんだね。それをいかに理解しやすい形にまとめるか・・・って事さ」と土方。
「弁論術ってのは、そういうのを解りやすく説明するものですよね?」
だが土方は「というより、自分の主張を通そうと誤魔化すテクニックでもあるんだよ」
「つまり逆に、意図的に解りにくく、誤解しやすくする・・・と?」と村上。
土方し言った。
「そういう双方の論を解析して図式化し、みんなが見て解るようにしようって訳さ。これはデモなんだけど、討論する二人の文章を文字化して発言ごとに番号を振り、さらに発言を構成する論的を小分けにして記号を振る。それをこうやって並べ変えて、この論点の根拠をこの論点が提供してますよ、この論点はこれが反論してますよ・・・って関係を、線で結んで図式化してるんだよ」
村上は溜息をついた。様々な場所での論争を見てきた村上は、錯綜した双方の論の本質をいかに見通すかに、自分なりに頭を悩ませてきた。それをコンピュータで解決しようとする動きがあったとは・・・。
「この線は否定関係を示してる訳ですね?」と村上の質問が続く。
「そう。この線のタグは、矛盾とか例示とか、つまりはどう否定するか、どう根拠化するかの論理を示してるんだ」と土方。
「これをAI使って全自動でやるんですか?」と村上。
「さすがにそれは敷居が高いんで、先ずは人力で解析や肯定否定関係を判断しているよ。それを論理図に組み込んで、見た人が議論全体の論理構造を理解できるよう可視可するのが目標だね」と土方。
「矛盾を示すものと主張して出した論点が、実は矛盾でも何でもない・・・ってのを示すのが、これですね?」と村上。
「その論点自体の有効性の解析が必要だからね。つまりその問題の本質は何かって事さ。単なる感情論とかイメージとか、そういう偽論理を寄せ集めた主張が世間には実に多いからね」と土方。
「その感情が正当かどうかを評価する事も必要ですね?」と村上。
「この人は怒ってるんだとか、感情の理由より結果としての感情を、表現を大袈裟にして"怒りの大きさ"とか言って正当化する。言葉のイメージで美化して、その意味する具体的な中身の問題から逃げようとする。見破ればどうって事は無いんだけどね」と土方。
「そういうのを判断するには弁の立つ奴が必要って事で、それで佐川が呼ばれた訳ですね?」
そう村上が言った事に対して、佐川が笑って口を挟む。
「で、俺より適任が居ますよってお前の名前出したら、お前の本持ってた奴が居てさ」
「お前は将来弁護士になって、こういう議論のプロになるんだろーがよ」と村上は笑った。
「論理解析ってのも、そのうちAIで可能になったりしてな」と佐川。
「全部機械でやったらコンピュータに支配されるディストピアなんて事にもなりかねんぞ」と村上。
「それより、その解析論理にしれっと勝手な都合を盛り込む奴とか居たら怖いと思うな」と佐川。
土方は「だからこそ、それを監視するために全体構造の可視化が必要なんだよ」
「土方さんはここの人ですよね? って事は理系ですか?」と村上。
「俺は法学部で論理学を専攻して、論理学研究会ってサークルに居るんだよ。このプロジェクトはうちとコンピュータ研の共同なんだ。村上君も協力してくれると有難い」と土方。
村上は「俺に出来る事があったら、呼んで下さい」
村上が文芸部のブースに戻る。
「見せたいものって何だったの?」と中条が聞く。
村上は「何やら壮大なプロジェクトが進行中らしい」
「村上先輩もそれに協力するんですか?」と鈴木。
「出番があればね」と村上。
住田が席を長時間開ける。終了が近づき、斎藤がハリセンを持って探しに行った。
「斎藤先輩、どこに行ったのかな?」と渋谷が心配そうに言う。
村上は笑って「コスプレ会場だと思うよ」
しばらくして斎藤が住田を引っ張ってブースに戻った。
終了の時間となり、芝田が戻って来た。
そして漫研の櫛木が文芸部のブースに乗り込んで来た。
櫛木は斎藤の前で、冊子と売り上げデータを示した紙を出し、自慢げに言った。
「結果報告よ。私達の代表作はこれよ。これだけ売れたわ。そちらはどうかしら」
斎藤はポトマックのコミカライズ本と、文芸部でのブースの売り上げを示す。
櫛木は勝ち誇って言った。
「たったそれだけ? 私達の完勝ね」
「それはどうかしら」と斎藤は余裕の笑み。
その時、美大の藤河が売り上げ箱を持って文芸部のブースに来た。
藤河は斎藤に「春月美術大学漫研での委託販売、完売したわよ。これが売り上げ冊数。売上から委託料を引いた額がこちらになります」
「委託販売ですって?」と櫛木が驚きの声。
斎藤は笑って「自分のブースだけで売るって取り決めは無かったわよね?」
八木が売り上げ箱を持ってきた。
「実業短大漫研での委託販売、完売したよ。これが売り上げ冊数で、売り上げがこれだけ」
豊橋が売り上げ箱を持ってきた。
「上坂高校漫研での委託販売、完売しました。これが売り上げ冊数で、売り上げ金額がこれです」
斎藤は笑いながら言った。
「小説コーナーは客が少ないってタカを括ったんでしょうけど、生憎だったわね」
「ってか、この売上、委託販売にしたって異常だわ」と櫛木は承服し兼ねるという顔。
「それだけこの本が名作って事よ」と斎藤。
櫛木は改めて文芸部のコミカライズ本を手に取る。
そして「原作ポトマックって、ネット小説の売れっ子じゃない。本人が文芸部に居るっての?」
「後書きに、ネットで知り合ったって書いてあるでしょ?」と斎藤。
「原作が部員じゃないとか、反則じゃないの?」と櫛木。
「漫画にしたのは部員よ。それにこういう人脈だってサークルの実力だわ」と斎藤。
櫛木はなお「そもそもこのポトマックって本物なの?」と抵抗する。
「ネットで本人のページ、見てみたら?」と斎藤。
櫛木はスマホで検索し、小説サイトのポトマックのページを開く。
「この作品の小説板が出てるわよね?」と斎藤。
櫛木は「前書きに漫画版がこのコミケで売ってる・・・ってサイトで宣伝まで」
櫛木は悔し紛れの悪態を並べて、言った。
「来年、憶えてなさい」
「私達は今年で卒業だけど、留年でもする気?」と斎藤は笑った。
文芸部は片付けを終え、売れ残りを持って撤収する。
「そういえば去年、みんな、お腹に四角い赤ちゃんが居たわよね? 今年はどうしたの?」と斎藤は笑う。
「何の事ですか?」と男子達は、しらばっくれる。
三台の車に分乗して帰路に就く。
真鍋の車には四人の一年生。
「後ろのトランクにある紙袋って同人誌だよね?」と根本。
「預かり物だよ」と真鍋。
「誰からの?」と根本。
真鍋は「ノーコメント。依頼者の秘密は守るものだよ」




