第173話 田園の歌人
「とまあ、こんな感じで」
文芸部での論評会で、渋谷が新歓祭で回った残念なサークルについて語ると、話を聞いた上級生たちは苦笑した。
「それは大変だったね」と先輩たち。
全員、頭が痛いといった様子だ。そんな彼らに渋谷は話し続けた。
「それで、どーしようかって思ってたら、村上先輩達が文芸部に居るって聞いて、それでここに来たんです」と、渋谷は自らが文芸部に入った経緯を話した。
「私たちを頼って来たのね?」と秋葉が満更でも無さげに言う。
「小説とか絶対書きそうにない人達でも、やっていられるんだな・・・って思って」と渋谷。
村上たち四人は思った。
(俺たち、どういう人達と思われてるんだろう?)
森沢は笑って言った。
「まあ、いいんじゃないかな。文芸は自己満でナンボなんだし、自分で詠んだ詩を自分で恥ずかしいとさえ思わないなら」
「実はかなり恥ずかしいです」と渋谷。
「だったら私達みたいに、評論書いてみたらどうかな?」と秋葉が言う。
「農業評論とか?」と村上。
渋谷の表情は一瞬、明るくなった。だがすぐに暗い悩み顔に戻る。
そして渋谷は「やっぱり駄目です。私、本音では自由貿易には反対すべきじゃないと思ってるんです。自分に嘘はつけません」
文芸部室に居た人達は思った。
(農業の世界って、実は、結構、怖い所なのかな?)
その時、真鍋が言った。
「別に当面書かなくていいんじゃない? 誰かが書いたのを論評するだけでもさ。俺だって、ああいう事になって方向転換中なんだし」
渋谷は表情の明るさを取り戻して、言った。
「そうよね? 真鍋君、官能小説だとか言って、臆面も無く恥ずかしい小説書いて、みんなから集中砲火浴びて筆を折ったんだものね・・・って、どうしたの? 真鍋君」
しゅんとなっている真鍋。
「渋谷さんって結構容赦無いんだね。いいんだ。俺、頑張って立ち直るから」と真鍋は言った。
渋谷は「私、何か酷い事言っちゃったかな? よく解らないけど、ごめんね」
そんな中で真鍋は、週末に渋谷に体験農園に誘われた。
鍬をふるってひと汗かいた真鍋に、渋谷は笑顔で「楽しかった?」
「野菜園芸も悪くないね」と真鍋。
渋谷は「今度、私の家に来ない?」と彼を誘う。
「それって・・・」と真鍋は呟き、思った。
(いきなり諸々すっ飛ばして女子の部屋にお呼ばれ・・・って訳じゃないよね?)
恋人が居る筈の女友達のお誘いに、真鍋の妄想脳が迷走する。
(彼氏とうまくいってないのかな?)
約束した当日、上坂駅に着いた真鍋を迎えたのは渋谷と、一人の男子高校生だ。
「私の彼、中川君よ。こっちは真鍋君、サークルの仲間で農学部なの」と渋谷が中川を紹介。
中川は「先輩になる人ですね? よろしくお願いします」と言って真鍋に一礼。
「こっちこそ、よろしく」と真鍋。
渋谷の実家は古い民家建物だった。
茅葺屋根に赤いトタン板を被せた、その建物の大きな構えは、豪農の館とも言える風格を醸す。そして二軒の土蔵と納谷と日本庭園。
真鍋は渋谷の両親に紹介される。
「大学の友達で、家が農家なの。畑仕事、手伝ってくれるって」と渋谷。
「真鍋って言います」と自己紹介しながら、嬉しそうな渋谷を見て、彼は思った。
(仕事の手伝いとか初めて聞いたんだが)
渋谷の家で昼食を御馳走になる。いかにも田舎料理という風な味噌汁と佃煮。
畑に出て、畝にビニールを貼り、穴を開けてジャガイモを植える。
作業しながら渋谷が話しかける。
「真鍋君、マルチを貼るのは初めてじゃないよね?」
「まあね。それで、中川君も農家なの?」と、真鍋は中川に話を振る。
「そうです」と中川。
「今は三年だよね?」と真鍋。
「来年は県立大を志望しています」と中川。
「受かるといいね。農学部志望?」と真鍋。
「経済学部です」と中川。
意外そうな顔の真鍋に渋谷が説明する。
「本当は彼、農業はあまり好きじゃないのよ。だから経営で手伝ってもらおうと思うの」
真鍋は「経営?」と言って目を丸くする。
「私、農業会社を創るのが夢なの」と渋谷は言った。
「なるほどね。うちも将来どーするんだとか言ってるけどね。だけど、うちは酪農だからなぁ」と真鍋。
「けど、酪農は堆肥とか家畜の餌とかを供給し合って、稲作や園芸と補い合う関係なんですよね」と中川が言った。
折り菜を収穫する。渋谷が採り方を説明して言った。
「蕾が出るまでの柔らかい所を折るの。主軸の茎を折っても、脇から生えてくるのよ」
「花が咲く前に取るんだよね?」と真鍋。
「そうよ」と渋谷。
真鍋は他所の畑を見て「向こうの畑では花盛りなんだが」
渋谷は「あそこは収穫期逃しちゃったのね。二種兼業でお年寄りが一人でやってるから」と説明。
「もったいないよね」と真鍋。
渋谷はしばらくそれを眺め、そして呟いた。
「折り菜畑 蕾手折るが 食べ頃も 花盛りなる 隣の畑」
「短歌だね」と真鍋は目を丸くする。
「時々、浮かぶの」と渋谷。
周囲には様々な農家の水田や畑があり、様々な作物が植えられてする。
真鍋はさらに別の畑を見て「向こうの柿の木、かなり高くなってるね」
「高い所の実はとれないから、普通は剪定して高くならないようにするのよね。低い所についた実は採ってるのよ。あそこの人は家庭菜園で趣味やってて、採った柿は渋抜きしてるわ」と渋谷。
渋谷はまた、しばらくそれを眺め、そして呟いた。
「柿の木の 高き枝にて みのる実は 翼で届く カラスの分け前」
「なるほどね」と真鍋。
向こうはずっと田圃が続く。
それを見て真鍋は「田圃はこれから水を張って田植えだね?」
「冬の間は水を抜くことで害虫が増えないようにしてるんですよね」と中川が口を挟む。
渋谷はまた、しばらくそれを眺め、そして呟いた。
「瑞穂国 水を抜きたる 水田にて 次の春待つ 雌伏の季節」
そんな渋谷を見て、ふと思いついたように真鍋は言った。
「渋谷さん、文芸部で短歌、やったらどう? 短歌って元々、詩の一種じゃん」
夕方になり、真鍋は渋谷家を辞した。渋谷は真鍋を上坂駅まで送った。
駅で電車を待っている時、渋谷は言った。
「真鍋君は中川君をどう思う?」
真鍋は「いい奴だと思うよ」
「仲良くなれそう?」と渋谷。
「そうだね。中条先輩と村上先輩達みたいになれたらいいな」と真鍋。
「そうだね」と渋谷。
真鍋は、自分の中にある妙な期待を露呈しているような気がして、慌ててフォローした。
「いや、変な意味じゃなくてね、ほら、あいつ後輩だからさ、一緒に面倒見てあげるような事があるかな?・・・って」
「そうだね」と渋谷。
その後、文芸部の論評会に渋谷は、先日の実家の畑で真鍋と一緒に居た時詠んだ短歌を持ち込んだ。
先輩たちが感想を言う。
「この折り菜って、花が咲くと食べ頃を逃すんだよね?」と森沢。
「それで、勿体ないな・・・って残念感って訳か」と芝田。
「けど、わざと採るのを猶予して菜の花を楽しむって風流とも受け取れるかな」と村上。
「そうですね」と渋谷。
「こっちは水って言葉を三回繰り返すのが、ちょっとリズミカルだね」と森沢。
「それと、雌伏の季節ってのが、春が来たら見てろよ・・・って将来に向けたやる気感が感じられて、何とも」と桜木。
「柿の歌は生き物に対する優しさが悪くないかも」と戸田。
「けど、高くて取れない口惜しさへの開き直りとも取れるかな」と秋葉。
「作者としては、どうなの?」と森沢。
渋谷は答えて「この柿の木、他所のなんです」
「じゃ、別に取れなくて悔しいいとか、勿体ないって訳じゃないんだ」と村上。
「やっぱりそうじゃん」と戸田。
「けど、あそこの人は低い枝のは取ってるんで、高くて取れないのは悔しいかな、って想像はします」と渋谷。
「やっぱりそうじゃん」と秋葉。
そんなやり取りを聞いて、森沢は笑って言った。
「まあ、いろんな物事や気持ちには裏表があるからね、相反する二つの気持ちを重ねるってのも、表現として面白いと思うよ」
芝田は笑って「喧嘩してボコボコにされて逃げる奴が、このくらいにしといてやる・・・とか言うみたいな」
更に、森沢は言った。
「短歌の世界の人達はね、一人文芸って言って、自分自身の事を歌うものだ・・・とか言ってるんだよね。けど、他人が聞いて解りやすくないと駄目だとか。それと、具体的に実際にある事を歌うのが前提だって事になっているらしい」
桜木は「けど、社会全体について歌うとか、想像して何かに例えたり・・・ってのも、ありますよね?」
「教科書に出てる幕末の歌で、"泰平の眠りを覚ます上喜撰"ってのがありますよね? あの上喜撰ってお茶は本当にそんなにカフェイン多いの? なんて突っ込み入れたら野暮だよな」と村上。
「まあ、あれは狂歌だけどね」と戸田。
「けど、ひねった表現しようとすると、そんな物言いが付くって、つまらなくありません?」と桜木が残念そうな顔で言う。
森沢は「そうだね。まあ、一人文芸って事は、自分で詠んで自分で楽しむのが基本でおかしく無いとも言えるね。それこそ自己満でナンボって事になるな」
「けど、俺は渋谷さんの歌、おもしろいと思う」と真鍋が言った。
「そう思って貰えたら、めっけもんって事ですかね?」と秋葉が笑って言う。
「ある程度、数が溜まったら、歌集にして出そう」と森沢が言った。




