第164話 ゲレンデは今日も雪だった
三月に入って何日か経った頃、戸田が文芸部室で「もうすぐホワイトデーよね」と言った事で波乱が起こった。
「えー・・・っ?」と男子達が嫌そうな声を上げた。
「あんなの相手にしない主義なんだが」と村上。
「まあ、バレンタインデーを一方通行にしちゃった日本のマスコミがでっち上げた偽物イベントだよね」と桜木。
「桜木君までそんな事言うの? 女子はちゃんと期待してるんだから。秋葉さんも何か言ってよ」と膨れっ面の戸田。
秋葉は「まあ、イベントは多いに越した事は無いけどね」
村上も「まあさ、バレンタインが女からで、だから次が男からってんならまだ解るけど、お返しって何だよ。男は恋愛に主体性持っちゃいけないとか?」
「けど現実問題、恋愛は女が惚れなきゃ始まらないけどね」と秋葉。
「だから惚れられるまで待つだけってのも、なぁ」と芝田。
その時、芦沼が部室に来た。大きな袋を持った佐藤と佐竹も一緒だ。
「生化学研の先輩が実家から送って来たのを貰ったの。たくさんあるからお裾分け」と芦沼。
「そこで会って、一緒に食べようって言われてね」と佐藤。
「それで荷物持ちかよ」と芝田が笑う。
佐竹が「そーいや中条さんは?」
「トイレに行ってる」と村上。
袋の中はたくさんのリンゴ。芝田が持っていたナイフで皮を剥いて切り分けて、みんなで食べる。
食べながら、さっきの話の続き。
「ホワイトデー? 先輩達は期待しろって言ってるけど」と芦沼。
「お返しに?」と戸田。
芦沼は「そーいやチョコ、あげてないなぁ。逆に貰ったけど。それで何?」
「お返しじゃなくてもいいのか?」と芝田。
「ホワイトデーってお返しなの?」と芦沼は怪訝顔で聞き返す。
「まあ、芦沼さんだから。それでね、こいつらホワイトデー嫌だって言うのよ」と戸田が芦沼に愚痴る。
「趣旨が残念過ぎだろ?って話さ」と村上。
戸田は納得せず、「趣旨が・・・って言うけど、大体、これまでずっと女は待つだけって時代が続いたんだから、これからは男が待つだけでお相子でしょ?」
「戸田さん、発想がウーマニストみたいになってない?」と佐藤。
その瞬間、空気が凍った。芦沼が怖い目つきで戸田に問い質す。
「戸田さん、人工子宮についてどう思う?」
戸田は「いや、いい事だと思うわよ。あは、あはははは」
「けど何でホワイトデーって言うのかな?」と桜木が言い出す。
「単に良さげなイメージってだけで適当に決めた?」と佐藤が笑う。
「よっぽど感覚のダサい奴が考えたんだろ? 誰だよ」と佐竹も笑う。
桜木は「そんなダサい奴らが居るの、マスコミとか広告代理店に決まってるじゃん」と容赦無い。
「ってかホワイトって何? 何だか白人至上主義みたいじゃん。黒は駄目なのかよ」と芝田が疑問を提示。
「発想がリベルタニズムみたいになってない?」と佐藤。
「けど、ブラック企業ってネーミング作ったのも、あの人達なんじゃ・・・」と村上。
「単純にいい加減ってだけだろ。ホワイトデーの中身のいい加減さによく表れてる」と桜木。
「ボロクソだな」と芝田が笑った。
その時、中条がトイレから戻った。
芦沼が「中条さん、リンゴ食べなよ」
「ありがとう。ところで島本さんが言ってたんだけど、もうすぐホワイトデーっていうのがあるっていうんだけど」と中条が言った。
男子達が互いに目を見合わす。そして「何か計画するか?」
「あんたらねぇ」と戸田がキレる。
中条は心配そうな顔で「何かまずい事言ったかな?」
「里子ちゃんが特別に愛されてるって事よ」と秋葉があきれ顔で言う。
「そうなの?」と嬉しそうに言う中条の頭を村上が撫でる。
そして中条は「けど、何か戸田さん、不機嫌そう」
「中条さんは気にしなくていいのよ。悪いのはこいつらなんだから」と戸田。
「だって・・・なぁ」と男子達。
中条は「何かよく解らないけど、ごめんなさい。ところでホワイトデーって何?」
「そもそも何でホワイト?」と芝田がぶり返す。
「ホワイトクリスマスとか言うよな」と村上。
「あれは雪が降るからだろ」と桜木。
「なるほど」と他の男子たち。
「いや、三月はもう春だぞ」と芝田。
「山は雪、残ってるよ。スキー場だってまだやってるし」と佐竹。
中条が「スキー場かぁ。春合宿の温泉にもあったよね。やってみたいなぁ」
「じゃ、スキー場に決定だ」と男子達が口を揃えた。
「何でそんなに中条さんに甘いのよ」と戸田が膨れっ面になる。
スキー場のある温泉に行こう・・・という事で、参加者はその場に居た戸田・桜木・芦沼・佐藤・佐竹と村上達四人の計九人。
秋葉の車と佐竹の車で分乗し、国道を走る。
スキー場の駐車場に車を止める。スキーとスキー靴はレンタルだ。
「みんな、どの程度滑れるんだ?」と、道具を揃えてスキーを履きながら芝田は言った。
「ってか、そもそも経験者って居るの?」と佐竹。
そして各自がスキー経験を自己申告。
桜木・芝田・秋葉・佐藤・芦沼は普通に滑れるので上級者コース。
村上・中条・戸田・佐竹はボーゲンコースという事で、村上が未経験者の佐竹・戸田・中条に教える。
「村上君はスキーの経験、あるの?」と戸田。
「中学の時、芝田と行った」と村上
「それにしちゃボーゲン止まりなのな」と佐藤が笑う。
「こいつスピード恐怖症なんだよ。笑っちゃうだろ?」と芝田。
村上は涼しい顔で「安全安心だ」
「おまけに高所恐怖症」と芝田が追い打ち。
「そうなの?」と中条が目を丸くする。
中条は二年の夏休みに山中の温泉へ行った時、崖の上で足が竦む自分を気遣ってくれた村上を思い出した。
そして(無理してたんだ)と心の中で呟く。
桜木が「村上、リフトは普通に乗れたのかよ」
「最初は大変だったぞ」と芝田。
五人の上級者組は早速リフトで上へ向かう。芝田と芦沼が華麗に滑り、他の三名がその後を追う。
四人の初心者組は下の傾斜の緩い所で練習だ。
「ハの字にスキー板を開いてスピードを殺すんだよ。曲がる方向と反対の板で、踵を外側に押して開く」
村上が滑ってみせる。佐竹と戸田はまもなくコツを覚えた。
「里子ちゃん、とりあえず滑ってみようか」と村上が促す。
滑ろうとした中条は一瞬で尻もちをつく。
「体の重心を前に乗せるんだよ」と村上。
するすると滑り出す中条。
中条は「楽しい」と言って笑顔を見せた。
ところが、中条の前方に小さな子供が居る。
「危ない」と村上。
曲がって避けようとするが、うまく曲がれない。
「ストックを刺して止まるんだ」と村上が叫ぶ。
うまく止まれない。
村上は「腰を引いて重心を後ろに」
中条は尻もちをついて止まった。
「危ないなぁ」と佐竹。
「どうしよう、これ」と戸田。
ビニールロープを借りてきて、中条の腰に巻く。村上が端を握って後ろで指導。
「まるで犬の散歩だな」と佐竹が笑った。
中条は次第にボーゲンでカーブが出来るようになり、止まるコツも覚える。
そして「そろそろリフトで上に行ってみようか」と・・・。
ビニールロープを返却し、リフトに並ぶ。
回って来るリフトに怖気づく中条は、座席が流れて来るのを見送ってしまう。
村上は「とりあえず位置に付こうか。それで膝の力を抜いて、椅子の端が来る力に任せるんだよ」と中条にコツを教える。
リフトの座席が来ると、椅子の端が膝の裏を押して椅子が尻を受け止める。
リフトに乗った中条の足元にゲレンデの景色が広がる。後ろのリフトから村上が大声でアドバイス。
「上に着いてスキーが着地したらストックで後ろを押して前へ滑って椅子から離れる。いいね」
中条はうまく着地できず、リフトの椅子に座ったまま、下に降りていった。
戸田が笑って「ああいう中条さん、何だか可愛い」と言った。
一周回って上がってきた中条の手を、村上と佐竹が引いてようやく着地に成功。
上は傾斜が急だ。それを見下ろして怯える中条。
「ジグザグに降りていくから大丈夫。斜めに滑れば傾斜は緩いから」
「けど、カーブする時、真下を向くよね」と中条。
「スキー板を開く角度を大きくすればスピードを殺せるよ」と村上。
戸田と佐竹が滑る。中条が続くが、カーブが出来ない。行く先に小さい子供が居る。
「危ない。腰を引いて重心を後ろに」と村上が叫ぶ。
中条は尻もちをついて止まった。すぐ下に居た佐竹は笑って言った。
「やっぱりロープ、必要だった?」
昼食の時間となり、食堂へ。
秋葉は隣に居る芝田に「熱いラーメンでいい?」
「意地悪じゃないよな?」と芝田。
「冷たい冷やし中華にする?」と秋葉は笑う。
芝田は「ラーメンでいいです」
全員でラーメンを注文した。
「温まるね」と中条が笑い、村上が頭を撫でる。
午後には中条もそれなりに上達し、リフトで上に上がってボーゲンで滑る。
横を芝田や秋葉が華麗に追い越す。芝田は途中で小休止し、追い付いてきた村上に言った。
「お前もいい加減、ボーゲン卒業したらどうだよ」
「人にはそれぞれ楽しみ方ってのがあるのさ」と村上。
「スピードつけて滑る方がかっこいいだろ」と芝田。
「女の子にもモテるし・・か?」と村上は言って笑う。
芝田は「いや、そういうの要らないけどさ」
「そろそろ疲れた」と中条。
「まだ夕方には早いけどね」と戸田。
秋葉が「街を歩こうよ。ここだって温泉街なんだしさ」と、みんなを促した。




