第163話 父と娘
中条の祖父、中条宗次郎にとっての楽しみの一つは、近所の老人たちと集会所に集まってささやかな茶飲み話に興じる事だ。
定期的に開かれる老人会で、近所の老人たちと交わす会話の多くは、彼らの家族が話題だったりする。
「中条さんの所で、暮はずいぶん賑やかみたいだったねぇ」と老人の一人は言った。
「孫に彼氏さんができたんだよ」と中条祖父は答える。
「それは目出度い」と先ほどの老人。
「あの無口な里子ちゃんがねぇ」と、別の老人。
「友達も何人か出来て、その親御さんも来てくれて、一緒に年越しをしてくれてねぇ」と中条祖父。
「里子ちゃん、いつも一人だったのに」と、さらに別の老人。
「じゃ、将来はその彼氏さんと?」と、中条祖父と昔馴染みの和田という老人が言った。
「しかもその彼氏さんのお父さんの再婚話まで」と言う中条祖父の脳内では、村上父と秋葉母の再婚は既に既定事実化している。
「それはますます目出度い」と和田老人。
「お孫さんの結婚相手の父親という事は、中条さんのお子さんになるも同じじゃないですか」と、別の老人が言った。
「まるで息子夫婦が帰ってくるみたいで」と中条祖父。
「里子ちゃんのお友達というのは?」と和田老人。
「彼氏さん入れて四人」と中条祖父。
「それはまた賑やかな」と和田老人。
「去年は三人だったんだが、新しく女の子が一人。ただその子が、親に勘当されているとかで、何でも親が認めない男性との交際が原因とかで」との中条祖父の話の中で、芦沼の話題が出た。
「それはいけない。この結婚難の御時世に」と別の老人。
和田老人は「これはその親御さんを私達で説得するしか・・・」
「けど、家の事情だから口出しして欲しくないらしくてねぇ」と中条祖父。
「身内の恥は晒したくないのは皆同じさね。けれども恥だ外聞だと言っておれないでしょう」と和田老人。
「けど、連絡先も教えてくれないんですよ」と中条祖父。
「中条さん、こういう時のために探偵という仕事があるんですよ」
そう言って、和田老人は一枚の名刺を出した。その名刺の表の印刷に曰く「鹿島光則探偵事務所」
彼らは探偵事務所を訪れた。鹿島光則は不在で、たまたま在宅していたその長男の大学生が話を聞く。
もちろん長男とは鹿島英治のことだ。
案件ファイルに書き込む必要事項で、依頼者が中条宗次郎。
(中条さんのお祖父さんじゃん)と鹿島は心の中で呟く。
依頼内容。対象者芦沼静紅の保護者の住所の調査。
鹿島は思った。
(簡単な内容じゃん。しかも芦沼静紅って県立大で村上の友達だろ。これは俺だけで十分だな)
鹿島は父親に連絡して了解を得ると、依頼を受諾して契約を交わし、県立大のサーバーをハッキングして学生課のデータを抜いた。
探偵から受け取った住所を頼りに、中条宗次郎と彼の友人の和田老人が夏日市にある芦沼邸を訪れた。
芦沼の父が対応に出る。
「芦沼静紅の父は私ですが、娘は生憎と勘当中でしてね」と芦沼父。
「私はそちらのお嬢さんの友達の祖父ですが、その勘当についてお願いに来ました。どうか勘当を解いて頂く事は出来ませんか」と中条祖父。
「こちらにも事情がありまして」と芦沼父。
「存じております。男性との交際に反対しておられるとか」と中条祖父。
芦沼父は「はぁ? うちの娘に?」
「違うのですか?」と中条祖父。
芦沼父は言った。
「そんな人が居るなら、今すぐにでも貰って欲しいくらいなもので」
数日後、芦沼の父親が佐竹の部屋を訪れた。玄関のブザーが鳴って、佐竹が出る。
「君が佐竹君かね?」と芦沼父。
「どなたですか?」と佐竹。
奥から顔を出した芦沼が、残念そうな声で言った。
「私のお父さんよ」
「へ・・・・」
佐竹、真っ青になる。
そして佐竹と芦沼父は玄関先で、二人同時に両手を床について「申し訳ない」
相手が自分と同じ事をしているのを見て、佐竹唖然。
「あの、お父さん?」と佐竹。
「私をお父さんと呼んでくれるのかね?」と芦沼父。
「へ?・・・」
芦沼父は語り出す。
「同棲までして娘との結婚を真剣に考えている君は知らないのだろうが、実は娘は子供を産めない体なのだよ」
「知ってます」と佐竹。
「へ?・・・。では君はそれを承知で貰ってくれると言うのかね」と、感激の涙を流す父親。
佐竹は「いや、そういう訳では・・・」
「何? では君はその気も無いのに娘を弄んだのかね?」と、父親今度は怒りに身を震わせる。
芦沼は呆れ顔で父親に言った。
「あのね、お父さん。私は勘当されて家賃払えなくなったから、ここに転がり込んだの」
「では君達は清い関係なのか?」と芦沼父。
バツの悪そうな顔で芦沼と佐竹は顔を見合わせる。
「そういう訳では・・・」と佐竹。
「もしかして不妊手術は君の差し金か?」と芦沼父はさらに勘違い。
佐竹は慌てて「お父さん、それは違いますよ」
「君にお父さんと呼ばれる筋合いは無い!」と佐竹父。
芦沼は溜息をついて言った。
「あのね、私、子供を諦めてないから。そのために人工子宮に取り組んでいるのよ」
「そうなのか? だが、わざわざ手術を受けて、健康な母胎を子供を産めなくする理由は無いと思うが」と芦沼父。
「絶対に開発を諦めないって意思表示なの。つまり女としての背水の陣よ」と芦沼。
「何でそこまで・・・」と芦沼父。
芦沼は父親に、政治的に研究を妨害する反人工子宮運動について語った。そして彼らへの怒りと学問による抵抗の意思も。涙目でそれを聞く父。
芦沼父は「そんな事を考えていたのか。そうならそうと言ってくれれば・・・」
「お父さん、話、聞いてくれなかったじゃない」と芦沼。
「だが、完成は何時になるか解らないのだろ?」と、なお納得しない芦沼父。
「大丈夫よ。私がお婆さんになったって、それがあれば子供を作れるのよ」と芦沼。
「それまで私は生きてないと思うぞ。孫の顔を見せないつもりか?」と芦沼父。
「あ・・・」
芦沼父は「私はこの手で孫を抱くために生まれてきたんだ」と、まだ見ぬ孫への想いを語る。
「じゃ、娘は孫を産むための道具って訳?」と芦沼。
慌てる芦沼父し言った。
「いや、それは言葉の綾というか、娘をこの手で抱くためにも生まれてきたんだがな」
「それに、孫の顔なら幹彦が見せてくれるわよ」と芦沼。
「今日び恋愛の主導権握ってるのは女性だと聞くが?」と芦沼父。
芦沼は「大丈夫よ。あの子、可愛いし」
「お前、涎が出てるぞ」と芦沼父は残念そうに言う。
慌てて口を拭う芦沼。
そして芦沼父は「それに、婆さんになってもと言うが、仮に70になって子を作ったとしてだ、その子が成人する時、お前は90になっているんだが、それまで生きていられる保証はあるのか?」
「あ・・・」
「育てる事を考えて無かったのか?」
そう言ってあきれ顔で溜息をつく父親。
そして芦沼父は佐竹に頭を下げて言う。
「佐竹君、改めてお願いする。どうか娘を貰ってやってくれ」
「あの・・・」と佐竹は困惑顔。
「子を産めないこいつを、君以外に貰ってくれる奇特な男性は居ないだろう。どうか私をお父さんと呼んでくれ」と芦沼父。
「止めてよ、お父さん。私まだ、結婚する気も特定の彼氏作る気も無いから」と、芦沼は更に困惑顔。
「それに、芦沼さんを好きな男性なんて生化学研に大勢いますよ」と佐竹。
「そうなのか?」と芦沼父。
芦沼は父親に「大学、見に来る?」
二人と一緒に県立大を訪れた芦沼父を生化学研究室で湯山教授が笑顔で迎えて、言ったた。
「芦沼さんのお父さんですか。彼女はうちの次世代のホープでしてね」
嬉しそうに話を聞く父親。
そして湯山は「とりあえず実験室、ご覧になりますか?」
その場に居た男子学生達が声を揃えて「俺達が案内します」
「君達は娘のことを・・・」と芦沼父が問う。
「尊敬してます」と学生たちは声を揃えた。
「研究への熱意は誰にも負けない人ですから」と理学部の蟹森。
「人工子宮界隈じゃ有名ですよ。春月県大の女アルキメデスなんて二つ名まであるくらいに」と理学部の牛沢。
実験室で実験機器を操作して見せる学生たち。顕微鏡カメラの映像をモニターに映し出す。
はしゃぐ彼らを嬉しそうに見る父親は、しかし一抹の寂しさをも感じていた。
(結局、女性として魅力を感じている訳ではないのか)と心の中で呟く芦沼父。
実験室から戻る廊下で、父親は学生達に深々と頭を下げて、言った。
「君達に頼みがあるのだが、どうか誰か一人、娘を貰ってやってくれ」
「ちょっと、止めてよ、お父さん」と慌てる芦沼を他所に、男子学生達は沸き立つ。
そして競って自己紹介。
「俺、牛沢って言います、料理は得意です」
「俺、能勢です。成績はオールAです」
「俺、蟹森です」
「お前は江口さんがいるだろ」と能勢が蟹森に・・・。
「あ・・・」
そして・・・。
「お父さん、肩凝ってないですか?」
「お茶とコーヒー、どちらがいいですか?」
父親をよってたかってちやほやする仲間たちを見て、芦沼は「もう。私、知らないからね」と溜息をついた。
その夜、学生達は芦沼の父親の歓迎会と称して繁華街に繰り出した。
大勢の自称花婿候補に囲まれて上機嫌の父親。
あきれ顔の芦沼と佐竹をよそに、次々とビールを注がれ、やがて一気コールが店内にこだました。
すっかり酔い潰れて佐竹に背負われて彼のアパートに向かう。
「楽しいお父さんだね」と佐竹は、歩きながら芦沼に言った。
「思い込みが激しいというか・・・」と芦沼。
「それは芦沼さんも同じでしょ?」と佐竹。
「この親にしてこの子あり・・・って奴ね」と芦沼。
佐竹は「それ、自分で言う?」
まもなく勘当は解かれたが、芦沼は相変わらず佐竹のアパートに居座り続けた。




