第154話 芦沼さんの女子会
芦沼は理学部の中では、特に男子には研究への熱意とともに開放的な性格が好かれ、ファンも多かった。
だが他の理学部の女子の間では、どちらかというと反感を感じる者が増えた。
特に、周囲の男子を簡単に誘ってしまうあたりを「体で男の歓心を買っている」と受け取る者も多かった。
江口もそういう女子の一人だった。
彼女は一年上の蟹森に好意を感じ、彼目当てで生化学研に出入りするようになったものの、蟹森は熱心な芦沼ファンで、常日頃から芦沼に交際を求める意思を隠さない。しかも体の関係も少なくない、それが江口にとっては反感の元となっていた。
ある日、江口は芦沼に、思い切って聞いてみた。
「芦沼さんって、蟹森先輩の事をどう思ってるの?」
「いい人だと思うわよ」と芦沼。
「付き合う気はあるの?」と江口。
「そういうつもりは無いし、本人にもそう言ってるけどね」と芦沼。
「そうなんだ。でも、芦沼さん、蟹森先輩と仲いいよね」と江口。
「まあね」と芦沼。
それ以来、江口は蟹森に近付くために芦沼を頼るようになった。
研究室で、昼食で、他の女子から良く思われていない芦沼の周囲をうろうろする江口に、研究室に出入りする学生達は訝った。
生化学研究室で江口と芦沼の噂をする男子学生たち。各自好き勝手言う。
「江口さんって、芦沼さんと仲いいのか?」
「芦沼さんはあまり気に留めていないみたいだけどね。芦沼さんって研究以外、女子会とかに興味無いし」
「すると江口さんの片思いか?」
「それじゃ、まるで百合じゃん」
「いや、あり得ると思うよ。だって芦沼さんって、さばさばして、性格が男っぽいし」
「つまりイケメン女子って奴か?」
この無責任な憶測を数人の学生が芦沼に吹き込んだ。
「江口さんが私に百合?」と芦沼。
「みんな、そう言ってるよ」と男子学生。
「困ったな」と言って、迷惑そうに頭を掻く芦沼。
その時、江口が研究室に入ってきた。
「芦沼さん、今日も頑張ろうね」と作り笑顔を見せる江口に、芦沼は言った。
「あのね、江口さん。悪いんだけど、私、レズの趣味は無いの」
江口はキレた。そして言った。
「私だって無いわよ。私、戦略として芦沼さんに近付いただけだから」
周囲の男子は一様に思った。
(そういうの、自分で言っちゃう人を初めて見た)
険しい表情を見せる江口に芦沼は言った。
「なるほど、そういう事だったのね。よく解ったわ」
と、芦沼は納得したような顔を見せると、江口の肩に手を置いて、言った。
「私、あなたみたいな仲間が欲しかったの。一緒に頑張りましょう」
「はぁ?」と江口。
芦沼は江口に、分厚いコピーの束を渡して言った。
「これをしっかり頭に入れておいてね」
「何? これ」と江口。
「人工子宮に必要な知識よ。研究で出世したいんでしょ?」と芦沼。
「違うわよ。私、この研究がしてくて研究室に来てる訳じゃないから」と江口。
周囲の男子は一様に思った。
(そういうの、自分で言っちゃう人を初めて見た)
そう言われて芦沼は頭を掻く。
「そうなの? けど困ったわね。悪いけど私、研究に直接結びつかない授業の成績に興味無いから」と芦沼。
「はぁ?」と江口。
「試験対策が欲しいんでしょ?」と芦沼。
「違うわよ」と江口。
「他に私に何を期待しているのよ」と芦沼。
江口はそっと芦沼に耳打ちして言う。
「蟹森先輩が好きだから仲を取り持って欲しいの」
「なーんだ。そういう事だったの?」
そう言って芦沼は納得したような顔を見せると、少し離れた所に居る蟹森に向かって、大声で言った。
「蟹森先輩、江口さんが先輩の事、好きなんだそうだけど、付き合ってあげる気、ありません?」
江口は真っ赤になって「ちょ・・・ちょっと、芦沼さん」と慌てる。
蟹森は驚いた顔で「そうなの? 江口さん」
「は・・・はい」と江口は俯き、上目使いで蟹森を見る。
蟹森は頭を掻きながら「悪いけど、俺、芦沼さんが好きなんだ」
江口は泣き顔になり、全力で研究室を飛び出した。
「何かまずい事しちゃったかな?」と、バツの悪そうな蟹森。
「滅茶苦茶まずいと思うよ」と一同口を揃える。
芦沼も「そうですよ。先輩、江口さんをあっさり振り過ぎです」
「いや、芦沼さんも、もう少し段階踏んで距離縮めさせる事を考えるべきだったんじゃないの?」と周囲の学生の一人が言う。
「そうだよね。いきなり代弁告白とか・・・」と別の学生も言った。
芦沼は「そうか、段階かぁ・・・。けど、具体的に何をすればいいの?」
研究室に居た全員が考え込む。(何をすればいいんだろう)
その後、江口は家に引き籠って欠席が続いた。
湯山教授が心配し、クラス担任の辻村教授が江口の友人に様子を聞くが、彼女達も悪口大会で盛り上がるばかりで、本気で心配する者は居ない。
「江口さん、どうするのよ」と、さすがの芦沼も責任を感じる。
「そう言われても」と困り顔の蟹森。
「大体、蟹森君が芦沼さんを好きなのって、すぐやらせてくれるからでしょ?」と言ったのは上級生女子の手島だ。
「そんなのじゃないよ。サバサバして女と居る気がしなくて気が楽っていうかさ」と蟹森。
「それ、芦沼さんに滅茶苦茶失礼じゃないの?」と手島。
「それに研究に熱心で尊敬できるし」と蟹森が言う。
「そうだよね。研究者として立派だからだよね」と周囲の男子達が口々に言う。
気を良くして調子に乗る芦沼は「今度みんなでエッチしません?」
そんな芦沼に周囲の男子学生たちも好き勝手言う。
「何Pになるんだよ」
「汁男優になるのはさすがに嫌だ」
そんな冗談で盛り上がる彼らを見ながら、蟹森は思った。
(そんなに思い詰めるくらい俺のことが好きなら・・・)
蟹森は江口の家に向かった。自宅は春月市の住宅街にある。
応対に出た母親に「研究室の友達を代表して様子を見に来た」と告げた。
友達が異性である事を訝しんだ母親だったが、理学部も研究室も男性が多い事を知っていたので、特に怪しむ様子も無く招き入れた。
二階にある江口の部屋の前に案内される蟹森。
「お願いしますね」と言って母親は階段を降りた。
ドアの前で蟹森は呼びかけた。
「俺、江口さんと付き合いたいと思う」
「同情なんか要りません」と江口はふて腐れた声で応える。
「そういう訳では・・・」と蟹森。
すると江口は「芦沼さんが好きなのだってエッチできるからですよね?」
「そういう訳では・・・」と蟹森。
「私だって、どうせ体が目当てなんですよね?」と江口。
「そういう訳では・・・」と蟹森。
「先輩なんか大嫌い」と江口。
「そうだよね。俺みたいないい加減な奴、好きにならない方がいいよ。俺、帰るね。他に好きな奴見つけて、また学校に来てね」
そう言って蟹森が立ち去ろうとすると、ドアが開いて江口は飛び出し、後ろから蟹森に抱き付いて、言った。
「やっぱり行かないで下さい」
こうして蟹森と江口は付き合い始めた。そして一か月後。
江口は疲れた表情で研究室に居る芦沼に言った。
「芦沼さん、やっぱり相手してよ」
「江口さんに拒否られた?」と芦沼。
「誘ってくれないんだよ」と蟹森。
少し務離れた所に居た手島は、呆れ顔で蟹森に言った。
「蟹森君、そこに座りなさい」
「座ってるけど」と蟹森。
「そういうのは男から求めるものでしょ? やりたいのは主に男の側じゃないの。いくら今まで芦沼さんに甘やかされてきたからって、恋愛を舐め過ぎじゃないの?」と手島。
「けど、その気の無い時に求めると、デートレイプとか言われるんじゃないの?」と蟹森。
「無理やりやらなきゃいいだけの話でしょうが」と手島。
「けど俺、先輩だし、立場が上だと合意でも実質強制したって言われるよ」と蟹森。
「だからって女から求めさせる気? 女には立場ってものがあるのよ。自分から求めてる関係って事になったら主導権取れないじゃない」と手島。
「それもどうかと思うけど」と蟹森。
「男ってのは女の笑顔守る立場なの」と手島。
蟹森は「その笑顔の成立条件が厳しくなり過ぎなんだよなぁ」
その時、彼らは研究室の戸口に立ち尽くしている江口に気付いた。
「先輩、私のこと迷惑でしたか?」と江口は悲しそうに言った。
蟹森は「江口さん」
「私、先輩が求めてくれるの待ってました。なのに先輩、手も握ってくれなくて」と江口。
「そうなの?」と蟹森。
それを聞いて手島は言った。
「それ見なさい。それが普通よ・・・ってか、手くらい握りなさいよ。段階踏もうとすらしないんじゃ・・・」
さらに江口は「私、デートレイプだなんて言いません」
「絶対?」と蟹森。
「多分・・・言わないと思う。言わないんじゃないかなぁ」と江口。
蟹森は溜息をついて「やっぱり、いいよ」
その日の帰り、江口は蟹森をラブホテルに誘った。
そしてその翌日。
「で、結局けんかして、何もしないで帰っちゃったの?」と、研究室で江口から話を聞く手島。
「だって蟹森先輩、避妊具持ってたんですよ。最初からそのつもりだったって事じゃないですか?」と江口。
手島はあきれ顔で「それはあんたが悪い!」




