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おどり場の中条さん  作者: 只野透四郎
145/343

第145話 中条さんと心理学の巨人

県立大の夏休みが終わった。

この時期になると、一年生にとって急務となって来るのが、二年に向けてのコース選択である。

既に、理学部の村上は物質化学コース、工学部の芝田は電子工学コース、経済学部の秋葉と津川は経営学コースと決め、各自が自らの専門性に向けて指導を受けたい教授の研究室への出入りを初めていた。


問題は中条だ。


彼女が属する文学部には、言語文化コース、心理教育コース、歴史哲学コースがある。

中条はコース選択を考える中で、心理教育コースが気になっていた。

それは、一般試験の面接の際に自分が試験官に答えた志望動機の台詞が頭にあったからである。

「人の心の動きの面白さや、それを文字で表現する事の楽しさを知りました」・・・ 



文学部での講義の後の雑談で、コース選びの話が出る。

「桜木君はどこに行くの?」と中条が訊ねる。

「言語文化コースだろうね。小説家としてのスキルを磨く事を考えるとね」と桜木。

「私もそこにするわ」と戸田が言った。

「佐藤君と佐竹君は?」と中条。

「俺達は心理教育コースにするよ。将来は高校教員を目指しているんだ」と佐藤と佐竹。


「中条さんはどうしたい?」と佐竹が訊ねる。

「私、人の心の動き・・・って興味があって」と中条。

「すると心理教育コースって事になるか」と桜木。

「純粋に興味がある所を選ぶ・・・って、いいよね」と佐藤。

中条は「けど、心理学ってどんな事をするのか、よく解らなくて・・・」と言って俯く。


すると、島本が言った。

「だったら、私が居るサークルに顔を出してみない? 心理分析研究会って所よ」

「けど、あそこは」と佐藤が何か言いかけたが、島本はそれを遮るように言った。

「とりあえず初歩から・・・って事でね」



心理分析研究会の部室で、部長の角田という三年男子が説明する。かなりのイケメンだ。

「歓迎するよ。どうせなら、掛け持ちでいいから部員にならない?」と角田。

「それはちょっと」と中条は口ごもる。

そして「部長さんは心理教育コースなんですか?」と尋ねた。

角田は「いや、歴史哲学コースだ。君は文芸部だったね? あそこの斎藤さんとは、以前、付き合ってた事があってね」

そして中条は、曝露話をいくつか聞かされた。


「それで、心理学だったね?」と角田。

「ここでは、どんな事をするんですか?」と中条。

「所謂、心理テストって奴さ。例えば、こういう話」と角田。


角田は手元のノートのページを捲って、中身を読む。

「君が、三匹のペットを飼っていたとする。犬と猫とカナリアだ。そして今、お茶を飲んでお菓子を食べながら、くつろいでいるとする。君の前に一匹のペットが居る・・・と想像してみよう。目の前に居るペットは何?」と角田。

「カナリア・・・かな?」と中条。

「カナリアだと、今、目の前に居る人に対して、安心感を感じている・・・っていう診断になるね」と角田。

「それじゃ、犬は?」と中条。

「犬の場合は、今、目の前に居る人に対して、親近感を感じている、ってね」と角田。

「猫は?」と中条。

「今、目の前に居る人に対して、興味を感じている、と」と角田。


中条は感心した・・・という表情で言った。

「つまり私は角田さんに安心感を感じているって事になるんですね? 角田さんってモテそうですものね」

島本が残念そうな表情で角田を見る。何やらバツが悪そうに頭を掻く角田。


「ま・・・まあ、よくある奴だよね。あと、夢診断ってのがあってね、最近見た夢で、何か憶えてるものって、ある?」と角田。

「そういえば、今朝、見た夢を・・・」と中条。

「どんな?」と角田が訊ねる。

中条は語った。

「通っていた中学校なんですが、山に少し入った所にあって、校舎の前に堤の池があるんです。それを見ていると、大きな蛇が泳いでいるんです。怖くなって逃げると、蛇が池から上がって、そこで目が醒めたんですけど・・・」


何やら微妙な空気。

「そ、そうか。体に少し変調があるのかもね」と角田は言って、頭を掻いた。



しばらく話して、中条と島本は部室を出た。

そして島田が「中条さん。これをあげるわ」

見ると、小型の電マだ。

「これって電気マッサージ器だよね? 肩こりの時に使う・・・」と中条。

「いくつも持ってるから」と島本。


妙にニヤニヤしている島本を見ながら、中条は思った。

(蛇の夢って肩こりすると見るのかな?)



その夜、中条は村上のアパートに泊まった。芝田も秋葉も居ない。

夕食を食べながら雑談した後、村上はテーブルで生物学の本を読み始める。解らない事に出くわすとパソコンで検索。

胡坐をかいて座る村上の左膝に顔を埋めて甘える中条。


「人工子宮の勉強?」と中条が訊ねた。

「胎児の成長過程を考えるのに必要な知識は多いからね」

そう言いながら村上は左肩を回す。


中条は「真言君、肩、こってる?」

「ちょっとね」と村上。

「マッサージしてあげる」

中条はそう言って、島本から貰った電マにコンセントを繋ぎ、村上の肩に当ててスイッチを入れる。

村上は気持ち良さそうに「気持ちいいな。肩がポカポカしてきた」


「真言君も蛇の夢、見るの?」と中条が訊ねる。

「蛇の夢?」と村上。

「うん」

「蛇の夢っていえば、フロイトかな?」と村上は遠い目で言った。

「昔の人?」と中条。

「心理学を学問として始めた人だよ」と村上。

「凄い人なんだね?」と中条。


その後二人は一緒に入浴し、一緒の布団に入る。

今夜はどうしようか・・・と中条は思ったが、村上が疲れているようだったので、村上の胸に寄り添って彼の腕に抱かれたまま眠った。



次の日、一般教養で教育心理学入門の講義があった。

その日の授業は心理学の歴史について。


坂口教授の解説が続く。

「心理学を学問として最初に体系付けたのがフロイトで、彼は心理学の父とも呼ばれる。無意識という概念を強調し、これを明らかにする手法として精神分析の方法論を提唱したのが、心理学の始まりだ。その代表的な手法が夢分析で、夢を無意識の現れと考えた彼は、夢の中に出て来る様々なものが、人の無意識が抱える欲求を象徴している、と彼は結論付けた。その代表例が蛇の夢で、これが強い性欲を意味していると言うんだが」


その時、中条が手を上げて、言った。

「トイレに行きたいんですけど」

「ああ、行ってきなさい」と教授。


中条が講義室を出るのを見届けると、教授は講義を再開する。

「あまりにも性欲を強調し過ぎるとして、フロイトは当時から批判されていたが、その後、心理学が発展する中で、フロイトの説の多くは否定され、夢も単に記憶の断片がランダムに出て来るに過ぎないとして、夢分析も技法として疑問視されており、要するにフロイトは時代遅れと見なされている」



次の空き時間、佐藤と佐竹が図書館に行くと中条が居た。

フロイトの本を前に置いたまま椅子に座り、ぼーっとしている。頬が赤い。

「中条さん、どうしたの?」と佐藤。

中条は「佐藤君と佐竹君・・・」


彼女の両側の椅子に座った二人に、中条は言った。

「エッチな女の子ってどう思う?」

「どうって?・・・」と佐竹。

「軽蔑する?」と中条。

「しないよ」と二人はきっぱりと声を合わせた。


中条は少し驚いたように彼らを見ると「私、性欲が強いみたい。そういう子、普通は軽蔑されるって・・・」

「中条さんにそんな事言う奴が居たら、俺がぶっ飛ばす。俺だってエロい事に興味はある。中条さんはそんな俺を軽蔑する?」と佐竹は言った。

「しないよ」と中条。

「だったら中条さんが軽蔑される謂れなんて無いじゃん。性に対する嫌悪って、女性は本能だから仕方ないんだろうね。そういう嫌悪を自分にも向けるって聞くけど、そんな痛々しいのを見たくない」と佐竹。

「むしろそういうのを克服した女って、俺はかっこいいと思う」と佐藤が言った。

「優しいね」と中条は一言言った。


中条の表情が明るくなると、席を立って「ねぇ、こっち」と図書室の外へと二人を促した。

階段を上り、屋上出口前の踊り場に来る。

「エッチしようか」と中条は甘えた声で誘う。

「村上は?」と佐藤。

「実験で疲れてるみたい」と中条。

「避妊具持ってきてないよ」と佐竹。

中条は「私が持ってる」

「・・・」

中条は少し俯いて「期待してるみたいで引くよね?」と言う。

「中条さんにそんな事を言う奴が居たら、俺がぶっ飛ばす」と佐藤が言った。



行為を終えて三人で寄り添う。佐竹の胸にもたれながら中条は話した。

「私、蛇の夢を見たの。あれって性欲が強いって事なんだよね? それで自分ってエッチな子なんだって思ったら、変な気分になっちゃって、トイレで・・・」

そこまで聞くと、佐藤は頭を掻きながら「中条さん、途中で講義抜けたから聞いてないんだね? フロイトって今じゃ時代遅れなんだよ」


中条、唖然。

「そうなの?」

しばらく残念な空気が流れる。

やがて中条はクスクス笑い出し、間もなく三人の大きな笑い声に変わった。



その後、残りの授業を終えて三人で村上と待ち合わせ。

彼らと合流すると、村上は言った。

「これからまた実験なんだ。今日は遅くなるけど」

「終わるまで待ってる」と中条。


佐藤と佐竹は村上を待つ中条に付き合い、四人で生化学研究室で時間を潰した。

村上は芦沼や湯山教授らと実験室に篭る。


彼らが研究室に戻って来た頃、外はすっかり暗くなっていた。

佐竹は村上に「遅いし、俺のアパートに来る?」

「それは有難い」と村上。

そして佐竹は「中条さんも来るよね? 佐藤も来るか?」 



四人で佐竹のアパートへ。

お茶を飲んで寛ぎながら、中条は言った。

「真言君、フロイトの心理学って・・・」

「今じゃ時代遅れらしいね」と村上。

「真言君も時代遅れだと知ってたの? 凄い人なのに」と中条。

村上は「凄い人が言った事が正しいって訳じゃないからね。もしかして、この前、俺に蛇の夢見たかって聞いたのって・・・」

「私も見たの。それで自分はエッチな子なのかなって思ったら、そんな気分になっちゃって、佐藤君たちに、してもらって」と中条。

「してもらって、すっきりした?」と笑顔で中条の頭を撫でる村上。

「うん」


その時、佐藤が、不思議そうな顔で言った。

「あのな、村上」

「何だ?」と村上。

「この前も思ったんだが、怒ったりしないのか?」と佐藤。

「何で?」と村上。

佐藤は「だって中条さんはお前のもので・・・」


村上は3人に笑顔を向けて言った。

「里子ちゃんは里子ちゃんのものだ。それとも無理矢理襲ったとか?」

中条は慌てて「私が誘ったの。けど、自分の意思で他の男の人とするのって、やっぱり・・・」

「その自分の意思で、俺にこうして寄り添ってくれてるんだろ?」と村上は笑顔で中条の頬を撫でた。


中条は佐藤に向き直ると「佐藤君たち、もしかして迷惑だった?」と尋ねる。

佐藤と佐竹は慌てて「そんな事無い。俺達、中条さんが好き」と声を揃えた。

「私も大好き 佐藤君も佐竹君も」と中条。


佐竹は、なお笑顔の村上を見て「なあ村上、好きって何だろうな?」

「その人が居ると楽しい、一緒に居たい、って事なんだと思うけどな。俺は里子ちゃんが居ると楽しいし、居ないと寂しい。けど、お前等が居るともっと楽しい」と村上。

「まあ、そうなんだけどな。俺も中条さんが居ると楽しいけど、村上も居ると、もっと楽しい」と佐竹。

「ま、俺はホモじゃないけどね」と村上。

そう冗談めかして言いながら、村上は左肩を回す。


中条はそんな村上を見て「真言君、肩、こってる?」

「ちょっとね」と村上。

「マッサージしてあげる」

中条はそう言って島本から貰った電マにコンセントを繋ぎ、村上の肩に当ててスイッチを入れる。


その電マを見て、佐藤が言った。

「それと同じものを島本さんも持ってたよな」

「心理分析研究会で蛇の夢を見たって言った時、貰ったの。いくつも持ってるって」と中条。

「あの人も男出入りが激しいからなぁ」と佐竹が笑う。

それを聞いて中条は「島本さんも肩こり、きついんだね?」


佐藤と佐竹は唖然。

「中条さんって、男性嫌悪とか無い割には、そういうの知らないのな」と佐藤。

「知らないって?」と中条は不思議そうに言った。

村上は笑いながらお茶を濁す。


「そういえば、心理分析研究会って?」と、中条は思い出したように言った。

佐竹は「あれは単なる遊び目的のサークルだから、心理テストとかゲーム感覚でやってるだけで、勉強で心理学やる奴等じゃないよ」と笑った。

中条が「じゃ、島本さんは?」

「部長目当てで入ったんだよ。角田さんってイケメンだから」と佐藤が笑った。



翌日、佐藤達は、中条を自分達が出入りしている心理学研究室に連れて行った

中条は坂口教授の話を聞く。


坂口教授は言った。

「夢って実はたいした意味は無かったりするんだよ。記憶の断片が適当に出て来るものでね。まあ、恐怖心とかの現れって場合もあるけとね」


「最近はとんな事をやってるんですか?」と中条。

「認識心理学とか発達心理学とか。あと、行動心理学ってのがあってね。人がどういう時にどんな行動をとるか・・・みたいなね。大事故が起こってパニックが発生すると、残念な行動で被害を大きくしたり、なんてのも研究対象だね。それに動物の行動を観察する実験なんてのもある。あと、脳内物質が行動に与える影響とか。確か、君の友達は湯山君の所に居るよね?」と坂口。

「真言君ですか? 生化学研究室でお世話になってます」と中条。


「生化学なんてのは、そういう脳内物質を扱ったりするからね。湯山君とも、よく共同研究をやらせて貰ってるよ」と坂口。

「そうなんですか?」と中条。

坂口は「勉強してみるかい?」

「よろしくお願いします」と中条。



文芸部でその話題が出た。

「里子ちゃんも分野が決まってきた訳かぁ」と村上が感慨深げに言う。

「坂口先生の所でお世話になろうと思うの」と中条。

「ちゃんとした所で勉強するのは、いい事だと思うよ」と村上。


そんな中で中条は思い出したように「そういえば、斎藤先輩って、心理分析研究会の角田先輩と・・・」

「角田君? 付き合ってたわよ。彼、心理テストをモテテクに使うのよ。やらされなかった?」と斎藤。

中条は「心理テストですか? やりました。三匹のペットが居て、目の前に居るのはどれかって。犬と猫とカナリアの中で・・・」

「カナリアだと、目の前に居る人に安心感、犬が親近感、猫が興味でしょ? それ全部、目の前に居る自分に対する好意じゃない?」と斎藤。

「あ・・・」と中条唖然。


「もしかして斎藤さんも?」と戸田が興味津々といった表情で聞く。

「コロッと騙されたわよ」と斎藤が笑って言った。

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