第144話 壁の向こうへ
人工子宮をテーマとした学会が終わった出口で待ち構えて、傍若無人に研究者に詰め寄る反人工子宮派。
彼女等に対する、芦沼の怒りに満ちた叫びで、場の緊張は一気に高まった。
周囲で騒いでいた女性運動員たちが県立大チームを取り囲み、芦沼に罵声を浴びせる。
「女性としての自覚はあるのか!」
「恥を知れ!」
「名誉男性の肩書がそんなに大事か!」
彼女達を睨みながら、芦沼は「黙れ」と叫んだ。
「何が神の摂理よ! そんな宗教で科学を妨害するとか、いつの時代の人ですか? どうせ性殖という役割を独占したいだけでしょう? 近代化に抗って滅びただけのラッダイト運動とどこが違うの?」
そんな芦沼に対して運動員が叫んだ。
「そんな事を言って、あなたは単に、出産の痛みが怖いだけでしょう」
「・・・」
芦沼には年の離れた弟が居た。小学生の時、母が産気付き、彼女は父親と一緒に病院に同行した。車の中で陣痛の痛みを訴え続ける母。
小学生だった芦沼は、自分にもいつか、こういう時が訪れるのだと理解していた。その時にこんな痛みを乗り越えなくてはならない・・・という恐怖心を植え付けられた。
だが、取り上げられた赤ん坊を、彼女は心から愛しいと感じた。
出産への恐怖と子を求める願い。そんな葛藤の中で、彼女は人工子宮という可能性を知った。
もしかして自分は、やはり痛みから逃れたいだけなのか。それは駄目な事なのだろうか。
その時、村上は運動員に対して、毅然とした大声で反論した。
「だったら何だというのですか? 人は自然の仕組みを理解し手を付ける事で、ここまで発展し幸せになったんだ。それはあなた達の理屈では、全部が神の摂理という事だから、やるなって事になる訳ですか? 農業だってそうだ。多くの人を飢えから救うあの発明に縋る人類に対して、小麦が育つ地を自ら得て自然に実るのが神の摂理だから手を付けるな、自然のものを食べ尽くしたら飢えて死ね・・・とでも言いますか? 僕達は過去の世代が積み上げた発明の恩恵で、こうして幸せになった。だから、その恩に報いるために、今度は未来の世代がもっと幸せになるために、こうやって、さらなる研究を積み上げているんです。出産が痛い? 痛いのが怖い? 当たり前だ! 科学は僕達を幸せにするためにあるんだ。その恩恵を求めて何が悪い!」
場が一瞬しんとなった。女性運動員たちは、学生達の非難の視線が自分達に向けられている事に気付いた。
だが、彼女達のリーダーらしき女性が傲然と怒鳴った。そして村上と彼女の応酬が始まった。
「その痛みを女性に押し付け続けてきた男性であるあなたに、口出しする資格は無い」と運動員。
「人が正しさを語るのに何の資格が必要ですか? 主張の価値は誰が言ったかではなく、何を言ったかだ」と村上。
「男は加害者だ。口答えするとか、反省が足りないんじゃないのか?」と運動員。
「何が加害者ですか?!」と村上。
「出産が痛いのは男のせいだ。男が子供を産ませたんだ」と運動員。
「女は産みたくない存在だ、とでも言いますか? 子を産まなかった事を後悔している高年齢女性は大勢いますよ」と村上。
「そういう問題じゃない」と運動員。
「ならどういう問題ですか?」と村上。
「男が出産の痛みから逃げていると言ってるんです。違うというなら男が子供を産んでみろ。その人工子宮とやらを自分の腹に移植して、肛門からでも赤ん坊をひり出してみろ。出来ないだろ、痛いから」と運動員。
村上は語った。
「人工子宮は制御機器とかいろんな補助機材が必要です。それも一緒に移植しろとでも言いますか? 何のために? 男に痛い思いをさせたいって事ですか? 男に復讐でもするつもりですか? だとしたら何に対する復讐ですか? そういう男女の体の違いは男の誰かが意図してそうしたのですか? 違うでしょ。それが自然の摂理って事でしょう。だからそれを、女も痛い思いをしなくていいよう変えようって話でしょう。それを妨害してきたのが、あなた達でしょうが。そうやって、みんなで幸せになろうって意思が、逃げる事になるんですか? 迫害者でも気取ってるつもりですか? "自分達はお前等を責める立場なんだぞ、恐れおののけ、ヒャッハー"って訳ですか? 人間の理性を馬鹿にし過ぎじゃありませんか?」
それに対して運動員は「心にも無い事を言うんじゃない。男は女の痛みなんて知った事じゃなかったくせに!」
「それは違いますよ」と声を上げたのは佐竹だった。彼は言った。
「俺の地元に陰産という風習があります。家で産婆さんの世話で子を産んだ昔から伝わるものです。どういう風習かと言いますとね、妻が出産する部屋の隣で、夫が同じようにお産用の布団に寝て、産婆役の人が居て、夫は陣痛の痛みを訴えながら、お産の動作を真似るんです。そうする事で、お産が軽くなって安全に出産できるというんです」
「そんなの、ただのお呪いじゃないですか?」と運動員。
「そうですよ。けど、あなたはさっき"男は女の痛みなんて知った事じゃなかった"って言いましたよね? けど陰産の夫たちは、彼らの妻の痛みを少しでも助けたくて、あの風習を作ったんです。そんなお呪いに縋ってでも、妻の痛みを分かち合おうとしたんですよ。だいたい今、安全に出産できるのは産婦人科の技術が発達したからでしょ? それを発達させたのは主に男性でしょうが。女性を助けたかったから、彼等は頑張ったんですよ。それをもっと進めたいための人工子宮を妨害するのって、何のためですか?」と佐竹。
運動員はなお、顔を引きつらせて「それで男が犯した罪が許されるとでも思ってるのか!」
その時、横から割って入る声が、運動員に言葉を突き付けた。
「もういいでしょう。あなた達の負けですよ」
「森沢先生」と村上達は驚いて彼を見た。
運動員は彼を睨んで「何ですか、あなたは」
森沢は静かだが重い口調で、運動員たちに諭すように言葉を発した。
「作家の森沢です。さっきから聞いてましたけどね。あなた達、完全に論破されていますよ。破綻した論をただ言い張ってるだけです。あなたは男性の罪だ責任だと言ってますが、罪って何ですか? 責任って何ですか? どういう時に生じるのが責任ですか? 責任をとるって何をする事を言いますか? あなた、答えられませんよね? 切腹なんてのがあった昔と違い、今はそういう不都合が無いよう合理的に考えて行動するのが、責任をとるって事ですよ。女性の出産での痛みが不都合だってんなら、そうならないよう人工子宮を、って、合理的な責任の取り方じゃないんですか? それに、"主張の価値は誰が言ったかではなく何を言ったかだ"って言われて、あなた、それに反論できませんでしたね? "生殖という役割を独占したいだけ"、と言われて、それにも反論できなかった。違うというなら、何故"主張の価値は何を言ったか"ではないのか、何故"生殖という役割を独占したいだけ"ではないのか・・・と、相手の論理の中身に対して根拠を持って否定を論じなくてはならない。ところがあなたは、それに触れてすらいなかった。相手の論理に向き合ってもいない、あなたの言い返しは反論じゃない。それは"独占の意図で反対しているだけだ"という事実を認めたのと同じです。"口出しするな"に至っては最悪です。つまり議論する気が無いと。自分達がやっているのは、ただの言い張りだと認めたという事ですよ。議論とは、何が真実か、何が社会にとって良い事なのかを、互いに論理を示し合って検証する事ですよ。あなた方が言ってる事に、論理と言えるものがありますか? 批判とは論理によって相手の主張を批評する事であり、反論とは論理によって相手の論理に反駁する事です。論理の無いものは批判でも反論でもない。あなたが言った事に対して、相手側には論理があり、それによって反論が成り立ちました。"男性の罪"だとかいう言い掛かりだって否定されましたよね? それに対するあなたは、ただ勝手な言い分を吠えているだけだ。違いますか?」
なお声を上げ続ける運動員たちだったが、もはやそれに意味を認める者は誰も居なかった。会の参加者たちは彼女達を無視し、或いは軽蔑の視線を向けつつ駐車場へと去って行った。
桜木は歩きながら、森沢に言った。
「先生、さっきのって・・・」
森沢は笑顔で言った。
「議論って、言い張り続ける限り負けていない、とか思って、無茶でも何でも延々と発言を続ける人って居るんだよね。それで相手が諦めて発言を止めたら勝ちだって勘違いする。それで相手を疲れさせるために、罵詈雑言吐くのさ。昔のネット掲示板で、相手を罵倒するのが当たり前のスタイルだと大っぴらに宣言して、外国の独裁政権庇って言いたい放題言ってた人が居たけど、通信社の記者やってた人だったそうだ。けどね、そうやって言い張り続けても、論理的には明らかに勝負はつく。文句があるなら何時間でも議論に付き合ってやるとか強がる人も居るけど、ただの言い張り屋だと自白しているようなものさ。本当に論理に向き合った議論に、そんな時間は必要無い。言い張っても客観的な決着は誤魔化せないから。例えば、相手に反論されて否定された自分の発言を、壊れたテープレコーダーみたいに延々と繰り返したりとかね。もしかしたら、それを傍で見てて解らない人も居るかも知れない。それって、例えばテストで100点取った人と0点取った人と、どっちが合格かって言われても、数字が読めない人には解らないのと同じだね」
「けど、森沢先生はあの人達と喧嘩して大丈夫なんですか?」と桜木。
「ああ。彼女達もリベルタニストの端くれだから? 作家にはリベルタニストって多いからね。もしかして桜木君がメジャーに出たくないのは、それも理由の一つかい?」と森沢。
「まあ。それもありますけどね。作家の団体って、ああいうのに加担したりとか・・・」と桜木。
「俺がああいうのを嫌いだってのは、みんな知ってるよ。だから回状も回って来ない」と森沢。
桜木は歩きながら考えた。そして、湯山教授と話している森沢を見る。自分はこんなふうになれるのだろうか・・・。
「森沢先生」と桜木。
「何かな?」と森沢。
桜木は言った。
「俺、出版に応じようかと思います。ただ、その前に、自分の実力を試したいです」
「試すって、何をするの?」と森沢。
「新作を書きます。そしてそれが今の作品みたいに評価されたら、その時は出版でも何でも応じます」と桜木。
森沢は「そうか。頑張りなさい」
そんな会話を彼等の後ろを歩きながら、村上と中条は聞いていた。
「桜木君、やっと本気になったんだね。新作、評価されるといいね」と中条。
「桜木なら大丈夫だよ」と村上。
芦沼は男子学生に囲まれてわいわいやっている。
「芦沼さん、かっこよかったよ」と笹尾。
「ごめんね、暴走しちゃった」と芦沼。
「芦沼さんは俺達の代わりに怒ってくれたんじゃん」と関沢。
すると蟹森という二年生が「俺、まだ芦沼さんの彼氏になれない?」
「ごめん、特定の彼を作らない主義なの。けど、またエッチしようね」と芦沼。
桜木は思い出したように、森沢に聞いた。
「ところで、先生は今日はどんな用事で?」
「次の小説のための取材だよ。大学病院を舞台にしたサスペンスでね。どんな所か見たくて、湯山教授に口をきいてもらって、今回は学会の場面があるんで、それでね」と森沢。
「国立大付属病院の内科の有吉教授がモデルなんだが、森沢君、総回診の場面なんか動画まで撮るんだもんなぁ」と横を歩きながら湯山が笑って口を挟む。
「それは楽しみですね。題名は決まったんですか?」と桜木。
森沢は「白い巨城・・・って題にしようと思ってる」




